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しもさんの「気になる一言」
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2015年03月05日(木)
「おまえうまそうだな」「わたしを食べて」

絵本作家・宮西達也先輩の代表作「おまえうまそうだな」。
以前、先輩を囲んで一席設けた時に、酔っぱらった勢いで
「先輩、絵本を知らない人が耳にしたら、ちょっと危ないですね。
『おまえうまそうだな』なんて、青少年健全育成の観点からは、
まずいでしょ・・」と指摘。
それを受けて「実はさぁ、次の作品は、自分が犠牲になって
みんなを救うストーリーなんだ。タイトルは『わたしを食べて』」
(今考えると、その時だけの冗談だったらしいのだが・・)
「先輩、もっとまずいでしょ。恥ずかしくて口に出せません。
『おまえうまそうだな』『わたしを食べて』なんて。(笑)」
1つ1つは、素敵な作品でも、つなげちゃまずいですよ。
いつぞや、先輩の講演会で「これはわたしの作品ですが、
なんというタイトルでしょう?、はい、下山君」と
私以外、全て女性の会場で指されたことを思い出した。
「おっぱいです」「えっ、聴こえません、もう少し大きな声で」
「おっぱいです」「まだ声が小さいね、もう少し大きな声で」
「おっぱいです」・・会場は爆笑、私は赤面。
今回の作品も、きっとネタに使いますね、男女一組に、言わせる。
「おまえうまそうだな」「わたしを食べて」と。
うん、でも楽しそうだな、会場で指されなければ・・。



2015年03月04日(水)
お気に入りの本に囲まれて過ごす生活

電子書籍も含め、巷に溢れている本の中で、
もう一度読み直したいと思う作品はどれくらいあるだろうか。
感動したり、感激したり、頷いたり、憤慨したり、
悲しくなったり、切なくなったり・・
本は、私に多くの気付きを与えてくれるが、
あれも読みたい、これも読んでみたい、と思う本が増える中、
またじっくり読み直したい、と思える本に出会えたことは
私の読書スタイルを大きく変えたと言っていい。
もちろん「2013年(平成25年)を表す熟語」に選んだ、
「十二国記」(シリーズ)(小野不由美著・新潮文庫刊)がそれである。
当時は、全巻(11巻)を職場のスタッフに借りて、
それこそ寝る時間を惜しんで読破したことが思い出されるが、
今は、昨年のクリスマスに「自分へのプレゼント」として、
大人買い(全巻鵜入)をした文庫を、
寝る前の静かな時間や早朝のさわやかな時間に、
その意味を噛みしめ、味わいながらページを捲っている。
この「「十二国記」シリーズが揃っていれば、
私の場合「テレビ番組の誘惑」に負けることはないと思う。(笑)
憧れていた「お気に入りの本に囲まれて過ごす生活」を、
少しずつだが、手に入れた気がする。
これからも、何度も読み直すだろうなぁ「十二国記」。

P.S.
自分の部屋の本棚は、また読みたいと思う
「お気に入りの本」だけで埋める、それが私の最終目標。
気持ちいいんだろうなぁ、そんな空間って。



2015年03月03日(火)
なぜみんな殺すの? なぜ死なせるの?

映画「落下の王国」(ターセム監督)から。
大怪我をし、さらに恋人を奪われ、自暴自棄になっていた
主役の一人、スタントマンのロイは、
腕を骨折して入院していた5才の少女・アレクサンドリアに
思いつきの冒険物語を聞かせ始める。
物語は、マイナス思考の彼が考えたものだから、
6人の勇者が、どんどん死んでいく展開。
しかし、プラス思考の彼女は、物語に引き込まれながらも、
彼に、こう言う。
「なぜみんな殺すの? なぜ死なせるの?」
最後には、心の底からお願いする。「殺さないで・・生かせて」
そして最終章に、物語の主人公に向かって
「立って」「立って戦ってよ」・・と絞り出すように叫ぶ。
この一連の会話が、マイナス思考の彼を、プラス思考へと導き、
退院後は、輝きを取り戻して仕事をする。
映画を観てて私も時々思う。
なぜ、人を簡単に殺したり、死なせる映画が多いのだろうか、と。
映画の世界だから、ゲームの世界だから、を言う問題ではなく、
こういう世の中だから、温かい映画で人々を包んで欲しい。



2015年03月02日(月)
「村上海賊の娘(村上景)」と「十二国記(慶国・景王)」

何も関係がないと思うけれど「十二国記」を読み直していて、
あれっ?と思うことがあった。
書籍「十二国記」(小野不由美著)の中心人物は、中嶋陽子と呼ばれる、
日本(蓬莱)の一般的な女子高生。
この時点では、何も関係はない。(実はその後も関係ないが・・)
しかし彼女が「十二国」のひとつ「慶」の王になると「景王」(けいおう)と
呼ばれることになり、無理やりでも繋げたくなる。(汗)
「慶」の隣国「雁」の王は「延王」と呼ばれるが、
王になる前は「小松三郎尚隆」と呼ばれ、村上海賊に滅ぼされた
瀬戸内に根城を張る海賊の「小松家」の城主だった。
書籍「十二国記(東の海神 西の滄海)」187頁にこんなシーンがある。 
「村上氏を知っているか?」「知らない」
「小松と同じ、対岸に根を張る海賊の裔(すえ)だ」
以前「十二国記」を読んだ時は「村上海賊の娘」を読んでいなかったので、
気にもとめず、サラッと読み過ごしてしまったが、再読の今回は違う。
なんと「村上海賊の娘」(和田竜著)の主人公は、村上景(きょう)。
読み方は違うが「景」繋がりが、とても気になる。
「十二国記」で、景王(陽子)は、延王(小松)の力を借りて成長する。
「村上海賊」が滅ぼしたはずの「小松海賊」が・・(笑)
以前、百田尚樹さんの「海賊とよばれた男」の中で、
「海賊とよばれた男」の主人公と「永遠のゼロ」の主人公が「上海」で、
ほんの少しすれ違うシーンを見つけ、一人で喜んでいたのを思い出した。
今回は著者も違うので、その関係は皆無に等しいけれど、
こんな読み方もあるんだ・・と記録に残しておきたい。
両方の作品とも、歴史をよく調べてあるんだよなぁ、本当に。



2015年03月01日(日)
他人を応援することは、自分を応援することだと思うんです

雨模様の「静岡マラソン2015」を、自宅PCを操りながら、
実際に沿道のコースを走っている知人・友人に合わせて、
4時間という時間を過ごした。
実は、昨年の「東京マラソン」(2014年02月23日(日)) でも
同じ体験をし、その面白さにハマっていた。
今回は、自分も先月ハーフマラソンを走ったためか、
少し「応援のメッセージ」が変化しているのを感じながら、
気持ちだけは、フルマラソンを完走した。
もちろん、走っているランナーには、
私が送った声援を確認している暇なんてないとを承知の上だが、
「最初の5kmを○分○秒のペース、いい調子だよ」とか、
「このラップだとどれくらいでゴール」なんてコメントしながら、
自分では信じられないスピードで、ゴールを駆け抜けた気がする。
今回も何度か送った「頑張れ〜」は文字にすると同じだが、
自分も少しだけど頑張っているから、とても新鮮に感じられた。
以前、映画「フレフレ少女」(新垣結衣さん主演)でメモした
「私も頑張らないと、人に頑張れなんて言えないんですよね」
「他人を応援することは、自分を応援することだと思うんです」
というフレーズが蘇ってきたからだ。
この「気になる一言」でも何度も書いてきたが、
「頑張れ〜」という台詞を噛みしめ「よし、自分も頑張ろう」と感じ、
明日からの生活に「頑張れ〜」と言われるように努力したい。
それこそ「そこから何を学んだか」「それをどう活かすか」であり、
暇を持て余して、パソコンの前に4時間も座っていたわけではない、
そう胸を張って言い切ることが大切だろう。
頑張ることは何でもいい、自分で自分を応援するのだから。



2015年02月28日(土)
(国宝を観ながら)「この絵、上手だねぇ」

尾形光琳300年忌記念特別展「光琳アート(光琳と現代美術)」
「燕子花」と「紅白梅」二大国宝、同時開催(MOA美術館)から。
週末の「早朝ラン10キロ」を走り終えてから、熱海に足を運んだ。
NHK番組「日曜美術館」で紹介されたためだろうか、
チケット売り場には列が出来て、多くの来場者で溢れていた。
「国宝の屏風」が対になって並んでいる景色は、まさしく圧巻、
絵からオーラみたいなものを感じて、その場に立ち尽くすしかなく、
来場者が少なければ、一日中観ていたい気分になるほど・・。(嬉)
また、尾形光琳に影響を受けたと思われる
「群鶴図(加山又造)」や「弱法師(下村観山)」などの作品をはじめ、
多くの現代画家作品も展示されていて、彼の作品からどう影響を受け、
それをどう活かしたのか、という想いが伝わる企画展であり、
アートファンにはこたえられない作品の数々に、大満足の1日だった。
そんなことを感じ、この企画展を忘れないよう言葉を選んでいたら、
耳に入ってきたのは、隣で話していた「観光客らしき御婦人たち」の会話。
(国宝を観ながら)「この絵、上手だねぇ」「あっ、この人知ってる・・」(笑)
「すみません、これって国宝なんですけど・・」と言いたかったし、
「知らないで観に来たんですか?」と突っ込みたくなった。
しかし、このフレーズを耳にするだけで「あっ、尾形光琳の企画展」と
思い出せるから、この会話を「気になる一言」にしてみた。
選択は間違っていないことを信じようっと。

P.S.
「河津桜」もいいけれど、三寒四温のこの時期はまだ「梅」が似合う。
「熱海の梅園」と「光琳の紅白梅図屏風(国宝)」・・
「うめ」って、熱海のキーワードだよなぁ、きっと。
「うめ〜」食材も「産め」る環境づくりも含めて「うめづくし」



2015年02月27日(金)
独立してきちんと仕事をしている人に「女子」?

ある新聞で見つけた、
フリーアナウンサー「吉川美代子」さんの記事から。
昨年60歳定年でTBSアナウンサーを退職した彼女は、
「声は自分の体から出てくるもので、声は人格そのもの。
どんなに技術的にカバーしても、人格がゆがんでいたら、
真に人の心に届く言葉を話すことはできません」と言う。
キャスター時代からのはっきりした物言いは、今でも変わらず
「女子アナ」という呼び方にも異議を唱えているようだ。
「私は呼ばれたことはありませんが」と前置きをしたあと、
独立してきちんと仕事をしている人に『女子』といういい方は
しないでしょう」とキッパリ。
私も以前、職業をはじめとして、いろいろな分野で
「女性○○」とか「女流○○」と付けるのはおかしくない?と
書いたことがある。
「男子アナ」と言わないのであれば「女子アナ」も言わない。
そんな視点で考えたら「女子会」という単語が気になった。(汗)
「子どもの頃の気分に戻ってワイワイする会」とでも考えれば、
問題ないけれど、やっぱり歳を重ねた女性たちがはしゃいで、
「女子会」という単語を頻繁に使うのには、
実はちょっと抵抗があります、私の感覚では・・(笑)