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しもさんの「気になる一言」
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2015年02月28日(土)
(国宝を観ながら)「この絵、上手だねぇ」

尾形光琳300年忌記念特別展「光琳アート(光琳と現代美術)」
「燕子花」と「紅白梅」二大国宝、同時開催(MOA美術館)から。
週末の「早朝ラン10キロ」を走り終えてから、熱海に足を運んだ。
NHK番組「日曜美術館」で紹介されたためだろうか、
チケット売り場には列が出来て、多くの来場者で溢れていた。
「国宝の屏風」が対になって並んでいる景色は、まさしく圧巻、
絵からオーラみたいなものを感じて、その場に立ち尽くすしかなく、
来場者が少なければ、一日中観ていたい気分になるほど・・。(嬉)
また、尾形光琳に影響を受けたと思われる
「群鶴図(加山又造)」や「弱法師(下村観山)」などの作品をはじめ、
多くの現代画家作品も展示されていて、彼の作品からどう影響を受け、
それをどう活かしたのか、という想いが伝わる企画展であり、
アートファンにはこたえられない作品の数々に、大満足の1日だった。
そんなことを感じ、この企画展を忘れないよう言葉を選んでいたら、
耳に入ってきたのは、隣で話していた「観光客らしき御婦人たち」の会話。
(国宝を観ながら)「この絵、上手だねぇ」「あっ、この人知ってる・・」(笑)
「すみません、これって国宝なんですけど・・」と言いたかったし、
「知らないで観に来たんですか?」と突っ込みたくなった。
しかし、このフレーズを耳にするだけで「あっ、尾形光琳の企画展」と
思い出せるから、この会話を「気になる一言」にしてみた。
選択は間違っていないことを信じようっと。

P.S.
「河津桜」もいいけれど、三寒四温のこの時期はまだ「梅」が似合う。
「熱海の梅園」と「光琳の紅白梅図屏風(国宝)」・・
「うめ」って、熱海のキーワードだよなぁ、きっと。
「うめ〜」食材も「産め」る環境づくりも含めて「うめづくし」



2015年02月27日(金)
独立してきちんと仕事をしている人に「女子」?

ある新聞で見つけた、
フリーアナウンサー「吉川美代子」さんの記事から。
昨年60歳定年でTBSアナウンサーを退職した彼女は、
「声は自分の体から出てくるもので、声は人格そのもの。
どんなに技術的にカバーしても、人格がゆがんでいたら、
真に人の心に届く言葉を話すことはできません」と言う。
キャスター時代からのはっきりした物言いは、今でも変わらず
「女子アナ」という呼び方にも異議を唱えているようだ。
「私は呼ばれたことはありませんが」と前置きをしたあと、
独立してきちんと仕事をしている人に『女子』といういい方は
しないでしょう」とキッパリ。
私も以前、職業をはじめとして、いろいろな分野で
「女性○○」とか「女流○○」と付けるのはおかしくない?と
書いたことがある。
「男子アナ」と言わないのであれば「女子アナ」も言わない。
そんな視点で考えたら「女子会」という単語が気になった。(汗)
「子どもの頃の気分に戻ってワイワイする会」とでも考えれば、
問題ないけれど、やっぱり歳を重ねた女性たちがはしゃいで、
「女子会」という単語を頻繁に使うのには、
実はちょっと抵抗があります、私の感覚では・・(笑)



2015年02月26日(木)
どんな動物にも、生きてきた歴史がある。

映画「ひまわりと子犬の7日間」(平松恵美子監督)から。
保健所に連れてこられた犬が、殺処分されてしまう現実に、
ちょっぴり気が重たくなったが、里親が見つからない限り、
殺されてしまう犬の気持ちはどんなものなのだろうか、と
考えたら、胸が締め付けられた。
目の前にいる、人を敵対視する狂暴犬になった野良犬を
理解するためには、この考え方がいいようだ。
「どんな動物にも、生きてきた歴史がある」。
「それがどんな物語かを考えることが出来れば、
きっと心は通じ合える」と、狂暴犬に接する主人公は言う。
今は亡き、動物園で知り合った妻の台詞らしい。
優しい飼い主から離れて、その後いろいろな辛い経験を重ね、
野良犬になった犬を知っているからこそ、
「こいつは、好きで野良犬になったんじゃない。
人間がこいつを野良犬にしてしまったとよ」と言い切ったのだろう。
その考え方に、私は賛同し頷いていた。
ペットとして飼われた犬にとって、短い一生の中で、
一緒に暮らす時間の多い飼い主や、周りの人間という動物が、
信用できるかできないか、は大きな違いがある。
犬を題材にした映画は、どうも弱い、自然と涙腺が緩むから。
でも、見たくなるんだよなぁ、不思議なことに。



2015年02月25日(水)
音楽は音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。

先日、横浜に行った際に寄った、横浜美術館企画展
「横浜美術館開館25周年 ホイッスラー展」から。
別件で横浜を訪れたが、せっかくだから・・と、
横浜美術館へ足を延ばして、企画展を鑑賞した。
「日本では四半世紀ぶりとなる大規模な回顧展」とあったが、
私の記憶を辿ってみたが(申し訳ないが)代表作が浮かばず、
期待と不安を抱えたままの鑑賞となった。
「19世紀欧米の画壇において、最も影響力のあった画家の一人」
「日本美術からインスピレーションを得て
独自のスタイルを確立したジャポニスムの画家」という説明でも、
彼の作品を思い出すに至らず入場し、
「音楽は音の詩であるように、絵画は視覚の詩である。 そして、
主題は音や色彩のハーモニーとは何のかかわりもないのである」
というフレーズを見つけて、あっ、と気付いた。
タイトルに「シンフォニー」「 ハーモニー」「ノクターン」などの
音楽用語を用いて、絵画の主題性や物語性を否定した画家である。
絵画は説明するものではなく感じるもの、そんなメッセージが
記憶に残っていたのが不思議であった。
日本の文化に影響を受けた西洋の画家って多いんだなぁ。

P.S.
同時期の開催をしていた
「横浜美術館コレクション展 2014年度 第2期」のテーマは、
「抽象画―戦後から現代」と「光と影―都市との対話」。
静岡市美術館で観たばかりの「小林清親氏の版画」がズラリ。
いくら版画とはいえ、(所蔵も「横浜美術館」とはいえ)
同じ作品を同じ時期に、近場の美術館での展示には興ざめした。



2015年02月24日(火)
文明開化の光と影をみつめて

静岡市美術館の企画展「没後100年 小林清親展」
(文明開化の光と影をみつめて)から。
今までにも、牧野宗則さん、前田光一さん、風鈴丸さんなど、
多くの版画家と出会わせていただき、その魅力に触れてきたが、
今回は、江戸生まれ、明治初期に活躍した
「小林清親(こばやしきよちか)」氏の作品展であった。
特に、版画では表現し難いと思っていた「夜景」は、
朝日、夕日、月光、ガス灯など、わずかな光で照らされた風景を
絶妙なタッチで描いていた。
これもまた、江戸の伝統を受け継ぐ彫師や摺師たちの
素晴らしい職人技によって再現されたと言っても良いだろう。
(前述の3作家は、絵師・彫師・刷師を1人でこなします・・)
サブタイトル「文明開化の光と影をみつめて」にピッタリな作品、
最近、夜明け前にランニングをすることが多かったので、
朝日が昇り始め、少しずつ空が明るくなる前の様子は、
時代が変わっても同じなんだな、と嬉しくなった。

P.S.
彼も「社会風刺画」を多く描いていた、これは偶然だろうか。



2015年02月23日(月)
古代は、知られては困ることのてんこ盛り。

先日参加した「ごはん食堂 桐家」の居酒屋企画、
講師「石垣稔」(株)地域情報計画研究所代表取締役
テーマ「酒と肴と古代文字」
(古代文字を紐解き、日本人のルーツを探る夜)から。
いろいろな分野に精通している彼の話は面白かったが、
特に得意としている「古代文字の歴史」を話し始めたら、
止まらなくなってしまった。(笑)
「歴史は、いいことでも悪いことでもない。
歴史は、時の権力者が作る」という視点を前提に聴くと、
今まで私たちが学んだ歴史に、一抹の不安を感じる。
まぁ、こういうのも一つの考え方だな・・
そんな気楽な気持ちでメモを取ったが、頷くことが多かった。
一言にすると「古代は、知られては困ることのてんこ盛り」
「偶然は、そんなに起こらない」という考え方をもとに、
私たちが習った「仁徳天皇陵古墳」は、知らない間に(?)
「大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)」に名が変わっている。
真っ当な調査はされていないまま、明治政府が決めたらしい。
その史実は明らかでないが、彼の言葉を借りれば、
「偽物(にせもの)は、常に本物になりたがる」。(汗)
さらに「古代」で思い出したのか「宇宙戦艦ヤマトの登場人物」、
「兄(古代守)・弟(古代進)」へと話が進み、
古代を守る人は、行方不明となり、古代を進む人は
「出世する(ヤマト戦闘班長)」という例え話が、ウケた。
「正解はどこにも存在しないのだから、
確信できる情報を俯瞰し、最終的には自らの頭で考える」
それこそ、歴史を学ぶ姿勢なのかな、と感じた。
お酒を飲みながら、よくメモしたよなぁ、私も。(笑)



2015年02月22日(日)
タイトルは「無題」が多かった。

静岡県立美術館の企画展
「・・ノート、夢のしるし 石田徹也展。」から。
(「とにかく、かく」が、創造の秘密だった。)という
キャッチコピーに惹かれて、久しぶりに足を運んだが、
美術鑑賞というより、自分の心と向き合う時間となった。
「51冊のスケッチブックに描かれた、下絵やアイデアノートを
初公開します。また、随所に石田の言葉を紹介し、
制作の過程や思考の跡をたどり、創造の秘密を探ります。」
まさしく、そのとおりの展覧会だったし、
今、巷で話題になっている「風刺」を「ユーモア」にして、
観る私たちに考えさせる機会を与えてくれた。
美しいとか、幾何学的ではなく、一枚一枚に描かれた題材を、
観る人の状態によって「楽しくなったり、悲しくなったり」
自由に感じてもらえばいい、そんな想いがあるのだろうか、
タイトルは「無題」が多かった。
思い浮かばなかったのではなく、意識的に「無題」とする発想、
自分の精神状態で、タイトルを付けて・・と言わんばかりである。
そんな彼が生きていたら、世界を騒がせている「風刺絵」を、
どう感じて、どんな絵を描いただろうか、とても気になる。
名画と言えるかどうか、わからないが、久しぶりに
「心を揺さぶられた絵画」に出会った企画展であった。