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しもさんの「気になる一言」
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2015年01月25日(日)
俺はつなぎ目

先日、歌舞伎役者・市川海老蔵さんの特集をテレビで観た。
若い頃、プライベートの話題で世間を賑わせた彼は、
今、「歌舞伎」の本家としての自覚が芽生えたのか、
真摯に芸の鍛錬をしている様子がうかがえた。
そして、自分の役割を「俺はつなぎ目」と表現した。
若い頃は、長い歴史で受け継がれてきた「歌舞伎」という
日本古来の伝統芸能を、なんとか新しいものにしようと、
勢いだけで突っ走っていた気がするが、今回の気付きは、
「親から受け継いだ芸を、息子へ確実に受け渡す」といった
とてもシンプルな役割が自覚できたようだ。
何が彼をそういう心境にしたのかは定かではないが、
力が抜けた、とても魅力的な顔が画面を独占した。
私たちも、同じことが言える。
「親から受け継いだ資産を、子どもに受け渡す」
「先輩から受け継いだ仕事を、後輩に受け渡す」
自分が今生きている役割は、人類の歴史の「つなぎ目」、
そう考えられたら、意外と楽に生きられるんだよなぁ。



2015年01月24日(土)
「クレーマーに屈しない」と読み替えた

今、巷では「テロに屈しない」というフレーズが飛び交い、
国によって違う考え方・対応が、新聞紙上、ネット上で紹介されている。
私は「テロに屈しない」の「テロ」とは何を指すのか、とても気になる。
「テロリズム」「テロ組織」「テロリスト」「テロ攻撃」「テロ事件」
主語がはっきりしないと「屈しない」とされる行為の意味さえ、
多少の違いを感じるのは、私の考え過ぎだろうか。
ネットで調べると、日本の場合「テロリズム」を略して「テロ」と呼ぶらしい。
では「テロリズム」とはなにか?
「テロリズム(英:terrorism)とは、何らかの政治的目的のために、
暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、その行為のこと。また恐怖政治のこと。
またテロリズムによる事件を『テロ事件』と呼ぶ。
テロ事件を実行した人または組織を『テロリスト』(英:terrorist)と呼ぶ」
この説明に頷きながらも、世界の共通認識とされる「テロに屈しない」は、
「組織」ではなく「行為」に対して使われていることを再認識した。
日本全国を震撼させているこの事件を、他人事のように眺めているのではなく、
「自分が首相だったらどう判断するだろうか?」と考えてみるのも大切だし、
自分の仕事や生活に重ねあわせて考えるみると、フラフラと変わりやすい
「生き方・考え方の軸」をブレないものにするチャンスとも言える。
私の場合「テロには屈しない」を「クレーマーに屈しない」と読み替えた。
「モンスターペアレント」を代表とする「クレーマー」と行為が似ている。
「要求内容」の大小ではなく、一度でも「要求に屈する」と、調子に乗って
いかにも自分の行為が正しいと勘違いして、何度でも「要求」してくるから。
今回も「2億ドル」だから大騒ぎしているが「100ドル」でも同じ対応をする、
そう理解して、事件の行方を見守っていきたい。

P.S.(「テロリスト」と「クレーマー」の違い)
テロリストは、自分たちを革命家と自覚しているが、
クレーマーは、自分たちをクレーマーと自覚していないんだよなぁ。(汗)



2015年01月23日(金)
大事なもののために闘って、模索しながら進む

映画「アメイジング・スパイダーマン2」(マーク・ウェブ監督)から。
スパイダーマンとしてニューヨークの人々を守り、
ひとりの男性として恋人グウェンを愛する日々を送る
主人公の、ピーター・パーカー。
作品としてリズムもあり面白いのだが、
この作品を思い出すに相応しい台詞が、見つからず。
メモを見直してみると、恋人・グウェンが卒業生代表として、
卒業式にスピーチした台詞が浮かび上がってきた。
「高校生活と同じく、私たちの人生は永遠ではありません。
やがて終わるからこそ・・貴重なのです。
この日を迎え、生きてる日々の幸運に感謝しています」に続けて
「他人の言葉に左右されず、自分の人生を大切に
大事なもののために闘って、模索しながら進む、
それが最高の人生です」とまとめた。
特に「大事なもののために闘って、模索しながら進む」は、
スパイダーマンの生き方、そのものである気がした。
その中でも「模索しながら進む」の表現は、気にいった。
辞書によると「模索」とは「手探りで探すこと」。
迷わず進むのではなく、確信はないけど進んでみる・・
そんな生き方が、今回の主人公の生き方にはピッタリだった。



2015年01月22日(木)
そこにあの湧水群があるというだけで、人は安らぎを覚える

書籍「湧水の四季」(古淵寮著・風詠社刊・157頁)から。
本の帯に書かれていた「巡る季節、移ろう人の世、
そこにあの湧水群があるというだけで、人は安らぎを覚える」
(清流柿田川を背景に描く人生の光と影・4部作)に惹かれ、
一気に読み終えた。
この題材となっている柿田川・柿田川公園を毎日、眺めている私は、
著者も柿田川が好きなんだな、という思いを感じることが出来た。
時々「?」なんて感じる表現もあったけれど、
どの話も、柿田川が「やすらぎの場」として登場するからか、
全体的には「私好みの作品」という感じである。
柿田川は、いつもそこにあり、温かく見守ってくれている、
言い換えれば「そこにあの湧水群があるというだけで、
人は安らぎを覚える」川として、捉えているからこそ、
他の小説よりも身近に感じた所以であろう。
自分も柿田川を題材に、なにかを書いてみたくなった。
清水町民でなくても、近くにこんな場所があるのだから、
もっともっと、安らぎを与えてくれる場所を楽しまなくちゃ。



2015年01月21日(水)
僕の人生はまるでオペラだ

映画「ワン チャンス」(デビッド・フランケル監督)から。
1年あまりのメール交換から、主人公の人柄を好きになり、
それを「何事も一歩ずつよ」と言いながら支えた奥さんや、
彼の才能を信じて支え続けた、家族の愛情、
一見いい加減のようだが、彼を応援し続けた携帯ショップの上司など、
感じる場面はあったけれど、やはり題名が示すように、
最後の1回のチャンスを活かし、一躍世界的オペラ歌手になった
ポール・ポッツの実話だからこそ、冒頭に語られる
「僕は歌うとイジメられ、イジメられると歌った。
歌ってはイジメられの繰り返しだ。
音楽と暴力と恋愛と笑いの果てしないドラマ、
僕の人生はまるでオペラだ」に尽きる気がした。
何度か与えられた、チォンスをものにすることが出来ず、
自信喪失から、自暴自棄になっていたにも関わらず、
声が出るようになると、とびきりの笑顔に戻る爽やかさ、
久しぶりに、分かりやすい単純なストーリーなのに感激した作品。
波瀾万丈の人生ではないけれど、一歩ずつステップアップしていった
そんな感じが良かったのかもしれない。
映画のような華やかさもなく、他人からみれば平凡に思える人生にも、
「音楽と暴力と恋愛と笑いの果てしないドラマ」があることを、
教えてもらった気がする。

P.S.(個人的には・・ふたり初対面のシーンが好き)
「お腹は?」「ペコペコ」
「『まずい』のと『すごくまずい』の、どっちにする?」
「たくさん選択肢があるのね」・・この会話が絶妙だったなぁ。



2015年01月20日(火)
「したためる」は「認める」と書く

先日の気になる一言に「書をしたためた」と打ってから、
へぇ〜「したためる」は「認める」と書くのか、と思い、
どういう意味だろうか、と私の好奇心が首を擡(もた)げた。
(「もたげる」も「擡げる」って書くのか・・(汗))
ネットで調べると「したためる」とは「したたか」と同根、
「抜かりなく、しっかりと準備する」ことであるから、
「一年の抱負」や「肝に銘じておきたいこと」などは、
「書く」(メモ)のではなく「認めた」ほうが、良いようだ。

「したためる」には「しかるべく処置する」「支度する」などの

意味もあるようだし「書く」より丁寧な気がする。
私の解釈では「一字一字、確認しながら書く」から「認める」。
ほんのちょっとした時間に書いた、メモ書きとは違う感覚、
1人だけで静かな時間を持ち、紙と筆記用具だけを使い、
自分の中で整理し、心を込めて、そのことだけに集中して書く、
尊敬する人や愛する人、恩師に宛てた手紙などが代表であろう。
少なくとも、インターネットやスマホ、携帯電話でのメールは、
認める(したためる)とは言わないことだけは判った。
「さみしさのつれづれに手紙をしたためています、あなたに。

黒いインクがきれいでしょう 、青い便せんが悲しいでしょう」
井上陽水さん「心もよう」もこう歌いだしているものなぁ。




2015年01月19日(月)
「撮影可能」でも「フラッシュ不可」

年始に鑑賞した「獅子舞い」(熱海・MOA美術館)の時のメモから。
「獅子舞い」は物珍しくもあり、多くの方が写真を撮影していた。
館内を見回しても「撮影はご遠慮ください」の貼り紙もなかったし、
係の人からの注意もなかったので、私も「撮影可」と理解した。
しかし、気になったのは、カメラからの発光「フラッシュ」。
古典芸能だから、演じられる能舞台は薄暗く、オートで撮影すれば、
当然のように「ピカッ」とフラッシュがたかれるが、
芸能人や政治家の記者会見、大きな事件の謝罪会見同様、
フラッシュが会場のあちこちで光ったことに違和感を覚えた。
私はその時も意識して、スマホの「自動」を解除し「オフ」にセット、
たぶん、デジカメでも「オート・強制発光・発光禁止」の項目から、
「発光禁止」を選択すると思う。
「撮影はOKだが、フラッシュは不可」という意識は、
主催者側ではなく、鑑賞側のマナーとして、覚えておきたい。
それは、カメラの撮影者と被写体の演者だけでなく、
他の鑑賞者の目にもカメラのフラッシュは気になるという視点を
常に持っていたいという意味も含めている。
特に、コンサートや演芸・落語などの公演は、
「『撮影可能』でも『フラッシュ不可』」を意識していきたい。