
|
 |
| 2015年01月24日(土) ■ |
 |
| 「クレーマーに屈しない」と読み替えた |
 |
今、巷では「テロに屈しない」というフレーズが飛び交い、 国によって違う考え方・対応が、新聞紙上、ネット上で紹介されている。 私は「テロに屈しない」の「テロ」とは何を指すのか、とても気になる。 「テロリズム」「テロ組織」「テロリスト」「テロ攻撃」「テロ事件」 主語がはっきりしないと「屈しない」とされる行為の意味さえ、 多少の違いを感じるのは、私の考え過ぎだろうか。 ネットで調べると、日本の場合「テロリズム」を略して「テロ」と呼ぶらしい。 では「テロリズム」とはなにか? 「テロリズム(英:terrorism)とは、何らかの政治的目的のために、 暴力や暴力による脅威に訴える傾向や、その行為のこと。また恐怖政治のこと。 またテロリズムによる事件を『テロ事件』と呼ぶ。 テロ事件を実行した人または組織を『テロリスト』(英:terrorist)と呼ぶ」 この説明に頷きながらも、世界の共通認識とされる「テロに屈しない」は、 「組織」ではなく「行為」に対して使われていることを再認識した。 日本全国を震撼させているこの事件を、他人事のように眺めているのではなく、 「自分が首相だったらどう判断するだろうか?」と考えてみるのも大切だし、 自分の仕事や生活に重ねあわせて考えるみると、フラフラと変わりやすい 「生き方・考え方の軸」をブレないものにするチャンスとも言える。 私の場合「テロには屈しない」を「クレーマーに屈しない」と読み替えた。 「モンスターペアレント」を代表とする「クレーマー」と行為が似ている。 「要求内容」の大小ではなく、一度でも「要求に屈する」と、調子に乗って いかにも自分の行為が正しいと勘違いして、何度でも「要求」してくるから。 今回も「2億ドル」だから大騒ぎしているが「100ドル」でも同じ対応をする、 そう理解して、事件の行方を見守っていきたい。
P.S.(「テロリスト」と「クレーマー」の違い) テロリストは、自分たちを革命家と自覚しているが、 クレーマーは、自分たちをクレーマーと自覚していないんだよなぁ。(汗)
|
| 2015年01月23日(金) ■ |
 |
| 大事なもののために闘って、模索しながら進む |
 |
映画「アメイジング・スパイダーマン2」(マーク・ウェブ監督)から。 スパイダーマンとしてニューヨークの人々を守り、 ひとりの男性として恋人グウェンを愛する日々を送る 主人公の、ピーター・パーカー。 作品としてリズムもあり面白いのだが、 この作品を思い出すに相応しい台詞が、見つからず。 メモを見直してみると、恋人・グウェンが卒業生代表として、 卒業式にスピーチした台詞が浮かび上がってきた。 「高校生活と同じく、私たちの人生は永遠ではありません。 やがて終わるからこそ・・貴重なのです。 この日を迎え、生きてる日々の幸運に感謝しています」に続けて 「他人の言葉に左右されず、自分の人生を大切に 大事なもののために闘って、模索しながら進む、 それが最高の人生です」とまとめた。 特に「大事なもののために闘って、模索しながら進む」は、 スパイダーマンの生き方、そのものである気がした。 その中でも「模索しながら進む」の表現は、気にいった。 辞書によると「模索」とは「手探りで探すこと」。 迷わず進むのではなく、確信はないけど進んでみる・・ そんな生き方が、今回の主人公の生き方にはピッタリだった。
|
| 2015年01月22日(木) ■ |
 |
| そこにあの湧水群があるというだけで、人は安らぎを覚える |
 |
書籍「湧水の四季」(古淵寮著・風詠社刊・157頁)から。 本の帯に書かれていた「巡る季節、移ろう人の世、 そこにあの湧水群があるというだけで、人は安らぎを覚える」 (清流柿田川を背景に描く人生の光と影・4部作)に惹かれ、 一気に読み終えた。 この題材となっている柿田川・柿田川公園を毎日、眺めている私は、 著者も柿田川が好きなんだな、という思いを感じることが出来た。 時々「?」なんて感じる表現もあったけれど、 どの話も、柿田川が「やすらぎの場」として登場するからか、 全体的には「私好みの作品」という感じである。 柿田川は、いつもそこにあり、温かく見守ってくれている、 言い換えれば「そこにあの湧水群があるというだけで、 人は安らぎを覚える」川として、捉えているからこそ、 他の小説よりも身近に感じた所以であろう。 自分も柿田川を題材に、なにかを書いてみたくなった。 清水町民でなくても、近くにこんな場所があるのだから、 もっともっと、安らぎを与えてくれる場所を楽しまなくちゃ。
|
| 2015年01月21日(水) ■ |
 |
| 僕の人生はまるでオペラだ |
 |
映画「ワン チャンス」(デビッド・フランケル監督)から。 1年あまりのメール交換から、主人公の人柄を好きになり、 それを「何事も一歩ずつよ」と言いながら支えた奥さんや、 彼の才能を信じて支え続けた、家族の愛情、 一見いい加減のようだが、彼を応援し続けた携帯ショップの上司など、 感じる場面はあったけれど、やはり題名が示すように、 最後の1回のチャンスを活かし、一躍世界的オペラ歌手になった ポール・ポッツの実話だからこそ、冒頭に語られる 「僕は歌うとイジメられ、イジメられると歌った。 歌ってはイジメられの繰り返しだ。 音楽と暴力と恋愛と笑いの果てしないドラマ、 僕の人生はまるでオペラだ」に尽きる気がした。 何度か与えられた、チォンスをものにすることが出来ず、 自信喪失から、自暴自棄になっていたにも関わらず、 声が出るようになると、とびきりの笑顔に戻る爽やかさ、 久しぶりに、分かりやすい単純なストーリーなのに感激した作品。 波瀾万丈の人生ではないけれど、一歩ずつステップアップしていった そんな感じが良かったのかもしれない。 映画のような華やかさもなく、他人からみれば平凡に思える人生にも、 「音楽と暴力と恋愛と笑いの果てしないドラマ」があることを、 教えてもらった気がする。
P.S.(個人的には・・ふたり初対面のシーンが好き) 「お腹は?」「ペコペコ」 「『まずい』のと『すごくまずい』の、どっちにする?」 「たくさん選択肢があるのね」・・この会話が絶妙だったなぁ。
|
| 2015年01月20日(火) ■ |
 |
| 「したためる」は「認める」と書く |
 |
先日の気になる一言に「書をしたためた」と打ってから、 へぇ〜「したためる」は「認める」と書くのか、と思い、 どういう意味だろうか、と私の好奇心が首を擡(もた)げた。 (「もたげる」も「擡げる」って書くのか・・(汗)) ネットで調べると「したためる」とは「したたか」と同根、 「抜かりなく、しっかりと準備する」ことであるから、 「一年の抱負」や「肝に銘じておきたいこと」などは、 「書く」(メモ)のではなく「認めた」ほうが、良いようだ。
「したためる」には「しかるべく処置する」「支度する」などの
意味もあるようだし「書く」より丁寧な気がする。 私の解釈では「一字一字、確認しながら書く」から「認める」。 ほんのちょっとした時間に書いた、メモ書きとは違う感覚、 1人だけで静かな時間を持ち、紙と筆記用具だけを使い、 自分の中で整理し、心を込めて、そのことだけに集中して書く、 尊敬する人や愛する人、恩師に宛てた手紙などが代表であろう。 少なくとも、インターネットやスマホ、携帯電話でのメールは、 認める(したためる)とは言わないことだけは判った。 「さみしさのつれづれに手紙をしたためています、あなたに。
黒いインクがきれいでしょう 、青い便せんが悲しいでしょう」 井上陽水さん「心もよう」もこう歌いだしているものなぁ。
|
| 2015年01月19日(月) ■ |
 |
| 「撮影可能」でも「フラッシュ不可」 |
 |
年始に鑑賞した「獅子舞い」(熱海・MOA美術館)の時のメモから。 「獅子舞い」は物珍しくもあり、多くの方が写真を撮影していた。 館内を見回しても「撮影はご遠慮ください」の貼り紙もなかったし、 係の人からの注意もなかったので、私も「撮影可」と理解した。 しかし、気になったのは、カメラからの発光「フラッシュ」。 古典芸能だから、演じられる能舞台は薄暗く、オートで撮影すれば、 当然のように「ピカッ」とフラッシュがたかれるが、 芸能人や政治家の記者会見、大きな事件の謝罪会見同様、 フラッシュが会場のあちこちで光ったことに違和感を覚えた。 私はその時も意識して、スマホの「自動」を解除し「オフ」にセット、 たぶん、デジカメでも「オート・強制発光・発光禁止」の項目から、 「発光禁止」を選択すると思う。 「撮影はOKだが、フラッシュは不可」という意識は、 主催者側ではなく、鑑賞側のマナーとして、覚えておきたい。 それは、カメラの撮影者と被写体の演者だけでなく、 他の鑑賞者の目にもカメラのフラッシュは気になるという視点を 常に持っていたいという意味も含めている。 特に、コンサートや演芸・落語などの公演は、 「『撮影可能』でも『フラッシュ不可』」を意識していきたい。
|
| 2015年01月18日(日) ■ |
 |
| 「頑張れ〜」と声援される快感 |
 |
第19回清水町駅伝競走大会で「都市計画課」チームを編成し、 半分、イベントの賑やかしの意味で、エントリーした。 昨年度までは、担当課・生涯学習課長として大会運営を見守っていたが、 昨年4月に異動してからは、当然その役を解かれ、一町民となった。 正直、昨年秋まで、ジョギング・ランニングに関心を示さなかった私が、 部下たちの勧めもあって、勢いでジョギングシューズを買ってしまい、 もったいないから・・と軽く走り始めてから、生活リズムが変わった。 そして今日、短いながら「6区、3.3キロ」のアンカーを任され、 タイムとは別に、声援を受けて走る快感を味わってしまった。 以前は、静岡県市町村対抗駅伝などを通じ、知らない人にでも 沿道で「頑張れ〜」と応援する楽しさを伝えてきたつもりだが、 自分が走ってみて「声援される側」の快感は、また一段と格別だと知った。 疲れてちょっとペースを落とそうかな?と思う辺りに、 「頑張れ〜」と応援してくれる人の一言で、元気が出るなんて話は、 よく耳にしていたが、実は、あまり信じていなかった。(汗) しかし、その話は本当だった。(経験者は語る・・) こうして年齢を重ねてくると、声援する機会はあっても、 声援される機会は滅多にないし、いい経験をさせていただいたと思う。 いつになっても、初めて走ったこの駅伝大会を思い出すために 「『頑張れ〜』と声援される快感」を一言として残しておきたい。
P.S. 駅伝終了後の打ち上げで「楽しかったね」と感想を述べたら、 「そんな感想を言うようじゃ、まだ余裕があったね」と叱られた。(笑) でも、楽しかった、ワクワクした・・が、来年も参加したいという モチベーションになるんだよなぁ、私の場合。
|
|