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| 2015年01月22日(木) ■ |
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| そこにあの湧水群があるというだけで、人は安らぎを覚える |
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書籍「湧水の四季」(古淵寮著・風詠社刊・157頁)から。 本の帯に書かれていた「巡る季節、移ろう人の世、 そこにあの湧水群があるというだけで、人は安らぎを覚える」 (清流柿田川を背景に描く人生の光と影・4部作)に惹かれ、 一気に読み終えた。 この題材となっている柿田川・柿田川公園を毎日、眺めている私は、 著者も柿田川が好きなんだな、という思いを感じることが出来た。 時々「?」なんて感じる表現もあったけれど、 どの話も、柿田川が「やすらぎの場」として登場するからか、 全体的には「私好みの作品」という感じである。 柿田川は、いつもそこにあり、温かく見守ってくれている、 言い換えれば「そこにあの湧水群があるというだけで、 人は安らぎを覚える」川として、捉えているからこそ、 他の小説よりも身近に感じた所以であろう。 自分も柿田川を題材に、なにかを書いてみたくなった。 清水町民でなくても、近くにこんな場所があるのだから、 もっともっと、安らぎを与えてくれる場所を楽しまなくちゃ。
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| 2015年01月21日(水) ■ |
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| 僕の人生はまるでオペラだ |
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映画「ワン チャンス」(デビッド・フランケル監督)から。 1年あまりのメール交換から、主人公の人柄を好きになり、 それを「何事も一歩ずつよ」と言いながら支えた奥さんや、 彼の才能を信じて支え続けた、家族の愛情、 一見いい加減のようだが、彼を応援し続けた携帯ショップの上司など、 感じる場面はあったけれど、やはり題名が示すように、 最後の1回のチャンスを活かし、一躍世界的オペラ歌手になった ポール・ポッツの実話だからこそ、冒頭に語られる 「僕は歌うとイジメられ、イジメられると歌った。 歌ってはイジメられの繰り返しだ。 音楽と暴力と恋愛と笑いの果てしないドラマ、 僕の人生はまるでオペラだ」に尽きる気がした。 何度か与えられた、チォンスをものにすることが出来ず、 自信喪失から、自暴自棄になっていたにも関わらず、 声が出るようになると、とびきりの笑顔に戻る爽やかさ、 久しぶりに、分かりやすい単純なストーリーなのに感激した作品。 波瀾万丈の人生ではないけれど、一歩ずつステップアップしていった そんな感じが良かったのかもしれない。 映画のような華やかさもなく、他人からみれば平凡に思える人生にも、 「音楽と暴力と恋愛と笑いの果てしないドラマ」があることを、 教えてもらった気がする。
P.S.(個人的には・・ふたり初対面のシーンが好き) 「お腹は?」「ペコペコ」 「『まずい』のと『すごくまずい』の、どっちにする?」 「たくさん選択肢があるのね」・・この会話が絶妙だったなぁ。
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| 2015年01月20日(火) ■ |
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| 「したためる」は「認める」と書く |
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先日の気になる一言に「書をしたためた」と打ってから、 へぇ〜「したためる」は「認める」と書くのか、と思い、 どういう意味だろうか、と私の好奇心が首を擡(もた)げた。 (「もたげる」も「擡げる」って書くのか・・(汗)) ネットで調べると「したためる」とは「したたか」と同根、 「抜かりなく、しっかりと準備する」ことであるから、 「一年の抱負」や「肝に銘じておきたいこと」などは、 「書く」(メモ)のではなく「認めた」ほうが、良いようだ。
「したためる」には「しかるべく処置する」「支度する」などの
意味もあるようだし「書く」より丁寧な気がする。 私の解釈では「一字一字、確認しながら書く」から「認める」。 ほんのちょっとした時間に書いた、メモ書きとは違う感覚、 1人だけで静かな時間を持ち、紙と筆記用具だけを使い、 自分の中で整理し、心を込めて、そのことだけに集中して書く、 尊敬する人や愛する人、恩師に宛てた手紙などが代表であろう。 少なくとも、インターネットやスマホ、携帯電話でのメールは、 認める(したためる)とは言わないことだけは判った。 「さみしさのつれづれに手紙をしたためています、あなたに。
黒いインクがきれいでしょう 、青い便せんが悲しいでしょう」 井上陽水さん「心もよう」もこう歌いだしているものなぁ。
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| 2015年01月19日(月) ■ |
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| 「撮影可能」でも「フラッシュ不可」 |
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年始に鑑賞した「獅子舞い」(熱海・MOA美術館)の時のメモから。 「獅子舞い」は物珍しくもあり、多くの方が写真を撮影していた。 館内を見回しても「撮影はご遠慮ください」の貼り紙もなかったし、 係の人からの注意もなかったので、私も「撮影可」と理解した。 しかし、気になったのは、カメラからの発光「フラッシュ」。 古典芸能だから、演じられる能舞台は薄暗く、オートで撮影すれば、 当然のように「ピカッ」とフラッシュがたかれるが、 芸能人や政治家の記者会見、大きな事件の謝罪会見同様、 フラッシュが会場のあちこちで光ったことに違和感を覚えた。 私はその時も意識して、スマホの「自動」を解除し「オフ」にセット、 たぶん、デジカメでも「オート・強制発光・発光禁止」の項目から、 「発光禁止」を選択すると思う。 「撮影はOKだが、フラッシュは不可」という意識は、 主催者側ではなく、鑑賞側のマナーとして、覚えておきたい。 それは、カメラの撮影者と被写体の演者だけでなく、 他の鑑賞者の目にもカメラのフラッシュは気になるという視点を 常に持っていたいという意味も含めている。 特に、コンサートや演芸・落語などの公演は、 「『撮影可能』でも『フラッシュ不可』」を意識していきたい。
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| 2015年01月18日(日) ■ |
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| 「頑張れ〜」と声援される快感 |
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第19回清水町駅伝競走大会で「都市計画課」チームを編成し、 半分、イベントの賑やかしの意味で、エントリーした。 昨年度までは、担当課・生涯学習課長として大会運営を見守っていたが、 昨年4月に異動してからは、当然その役を解かれ、一町民となった。 正直、昨年秋まで、ジョギング・ランニングに関心を示さなかった私が、 部下たちの勧めもあって、勢いでジョギングシューズを買ってしまい、 もったいないから・・と軽く走り始めてから、生活リズムが変わった。 そして今日、短いながら「6区、3.3キロ」のアンカーを任され、 タイムとは別に、声援を受けて走る快感を味わってしまった。 以前は、静岡県市町村対抗駅伝などを通じ、知らない人にでも 沿道で「頑張れ〜」と応援する楽しさを伝えてきたつもりだが、 自分が走ってみて「声援される側」の快感は、また一段と格別だと知った。 疲れてちょっとペースを落とそうかな?と思う辺りに、 「頑張れ〜」と応援してくれる人の一言で、元気が出るなんて話は、 よく耳にしていたが、実は、あまり信じていなかった。(汗) しかし、その話は本当だった。(経験者は語る・・) こうして年齢を重ねてくると、声援する機会はあっても、 声援される機会は滅多にないし、いい経験をさせていただいたと思う。 いつになっても、初めて走ったこの駅伝大会を思い出すために 「『頑張れ〜』と声援される快感」を一言として残しておきたい。
P.S. 駅伝終了後の打ち上げで「楽しかったね」と感想を述べたら、 「そんな感想を言うようじゃ、まだ余裕があったね」と叱られた。(笑) でも、楽しかった、ワクワクした・・が、来年も参加したいという モチベーションになるんだよなぁ、私の場合。
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| 2015年01月17日(土) ■ |
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| 国のために、子どもを産むわけじゃない |
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「地方元気戦略セミナー」(静岡県・沼津市 共同開催) 「県東部の人口減少問題を考える」をテーマとした パネルディスカッションから。 パネラーは、字数が足りないのであえて紹介しないが、 それぞれの立場から、それぞれの提言をされたものの、 この地域だけの解決策だけでなく、全国のどの地方でも 同じことが言えるなぁ、という感想をもって聴講した。 ただ、はっとさせられたコメントをメモしたのでご紹介。 実は、子育て真っ最中の女性パネラーがこう言った。 (私たちは)「国のために、子どもを産むわけじゃない」 女性にとっては、愛する人との幸せのために子どもを産む、 大切な家族のために子どもを産む、言い換えれは、 人口減少で国が危機になるから・・なんて、考えていない。 「もっと子どもを産みたいな、と思えるイメージづくり」が いちばん大切だ、と言っていた気がする。 そして「産むだけでなく、育てるなら静岡県東部がいい」と 思ってもらえるようなイメージを発信していくことの必要性。 そんなヒントをパネラーたちから、いただいた。 現場のリアルの声を大切にするというのは、こういった視点を、 どうやってまちづくりに取り入れるかなんだと思う。 あっ、その前に「僕も(私も)結婚したいな」と感じてもらわなきゃ。
P.S. 人口の数にだけこだわるなら、フランスのように「事実婚容認」へ 方向転換するのだけど・・(汗) 難しいな、日本では。
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| 2015年01月16日(金) ■ |
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| 市町村ごとの人口減少予測が難しい |
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「地方元気戦略セミナー」(静岡県・沼津市 共同開催) 講師「日本創生会議人口減少問題検討分科会座長 増田寛也氏」 (東京大学公共政策大学院 客員教授・元岩手県知事)
演題「若者や女性が活躍できる社会の整備について」から。 「静岡県東部の人口減少問題を考える」をテーマにした パネルディスカッションの前に開催された講演であり、 聴講者の共通認識として「危機感」をもつことはできた。 講師が最後に説明してくれた 「地域力=人材力(ヒト)+資源力(モノ)+情報」という 「地域力向上の方程式」も興味があったが、 講演の始めに口を開いた「市町村ごとの人口減少予測が難しい」が 私のメモでは印象的に残った。 人口減少の問題に触れると「特に○○市が著しく減少している」 「あそこは奇跡の町と言われ、子育て世代に人気がある」等、 講師が「市町村ごとの人口減少予測が難しい」と言っているのに、 市町村ごとの数字をもとに、いろいろ議論される。 今の時点で、単独の自治体として人口減少していない市町でも、 静岡県東部地域の人口が減少することに「危機感」を持たないと、 「同じ穴の貉(ムジナ)」となる気がしてならない。 まずは「市町村ごとの人口予測」をやめるところから。
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