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| 2014年12月27日(土) ■ |
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| 年末の餅つきは「非常食であり、お年玉」 |
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昨年末に、子ども(孫)たちと「餅つき」をした、そんな投稿を目にして、 我が家では「羨ましいね」「偉いなぁ」と談笑したが、 私が「子どもたちと一緒に餅つきをする、狙いなんだろう?」と へそ曲がりの疑問を投げ掛けたので、いろいろな意見が出た。(笑) 「年末の歳時記として、体験させることがいいんじゃないの?」 「つきたてのお餅の美味しさを教えることも出来るよね」 「家族そろって・・ってのが、楽しそうだよ」 う〜ん、異論はないけれど、子どもたちに教えるのは、 日本の風習、文化として「年末に餅つきをする」ことだけでなく、 どうして「年末に、餅つきをするのか」を教えないと意味がない、 そんな発言をしたら「じゃあ、インターネットで調べたら?」となった。 しかし、昨年調べた記憶がないので、あえて一年後に調べてみると、 もちは「望」を意味しており、 「家族みんなが幸せで希望が叶えられるように」と、 もちをつき神仏にお供えし、おめでたい儀式に用いるのがしきたりで、 節句のちまきや柏餅などのようにハレの時だけお供えして食べる。 という非日常食だったようだ。 もちを食べることで、神の霊力を体内に迎え生命力の再生と補強を願い、 1年で最も重要な神祭のお正月を年玉(年魂)といい、 昔は、家族やゆかりの人達に餅を配る風習があった、との説明に、 「年末の餅つきは『非常食であり、お年玉』」を残そうと思う。 これで、思い出せるかなぁ、餅つきの意味。(汗)
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| 2014年12月26日(金) ■ |
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| 沼商吹奏楽部定期演奏会は「最前列がVIP席」 |
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毎年、楽しみにしているクリスマス恒例のイベント。 地元、沼津商業高校吹奏楽部の定期演奏会(第54回)は、 昨日、沼津文化センター大ホールで公演された。 ただ開演が17時30分のため、私は業務終了後、 約4キロの道のり猛ダッシュで走り、会場に着いた時は、 汗ダクダクで、席に着いた時も、汗は引かなかった。 隣席の女子高生に不思議そうな(驚いたような)目でみられ、 いたたまれなくなり、休憩時間に、最前列に移動した。 楽器演奏会、特に吹奏楽やオーケストラの演奏では、 最前列は、聞きづらい、観にくいと敬遠しがちなのだが、 今回ばかりは、勝手が違った。 第2部「沼商オリジナルステージ・アナと雪の女王」と、 第3部のポップス曲、さらには、定番ソング「情熱大陸・ 風になりたい、あの鐘を鳴らすのはあなた」へと続くステージ、 そして、今回で部活を引退する3年生の引退セレモニーは、 最前列ならではアングルで、彼ら彼女らの演技や、 思い出いっぱいで頬を流れる涙も、目の前でしっかり見えた。 高校の部活っていいな、って心から思ったし、 苦楽を共にしてきた仲間ではなくてはならないメッセージも、 私の心に響いたことを記しておきたい。 「沼商吹吹奏楽部定期演奏会は『最前列がVIP席』」をメモして、 来年の真新しい手帳のスケジュールを埋めたいと思う。 来年も、絶対「最前列」で鑑賞しようっと。
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| 2014年12月25日(木) ■ |
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| 時々、鬱陶しくなる「Facebook」(笑) |
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知人の勧めで始めた「Facebook」、 このSNSで知り合った友人も多く、基本的には感謝している。 だけど、時々「おせっかい」とか「大きなお世話」と感じる 情報サービスが鬱陶しくなる。 その代表が、年末の「1年の振り返り」とか「1年の新聞」、 さらに、友達の「誕生日のお知らせ」など。 どれも、個人が1年間を振り返り、重大ニュースを選ぶからこそ、 あの年は、こんな1年だったなぁと、本人の想い出に残り、 さらには、それが何年経っても思い出せる、と私は考えている。 Facebookが勝手に編集してくれる「1年の思い出」は、 申し訳ないが無味乾燥だったし、写真をあまりアップしない私は、 それはそれはつまらない1年だったことになる。 しかし現実は、今年ほど変化に富んだ1年はなかったし、 人生の転換期、と言ってもおかしくないほど充実していたから、 この企画に賛同しシェアするまで、何度も繰り返される画面を見ると、 本当に「鬱陶しい」と呟きたくなる。 勿論、友人・知人の誕生日を、Facebookで知り、タイムラインで 「お誕生日おめでとう」とメッセージを打つことにも抵抗がある。 それが悪いと言うことではなく、私には必要のないサービスだな、 と感じているだけ。 この1年を振り返るのは、大晦日まで一生懸命に生きて、 新しい年の元旦に、前年をゆっくり振り返りたい。 ちょっと辛口だけど「時々、鬱陶しくなる『Facebook』(笑)」を 年末の一言に残そうと思う。(脱退させられちゃうかな?(汗))
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| 2014年12月24日(水) ■ |
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| 家族版・ゴチになります、今年は撃沈。(悔し〜い) |
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毎年恒例となってきた「家族の忘年会」。 いつも、この時期、職場や親しい仲間たちとの忘年会が続き、 家族には、カレンダーに「夕食なし」と書くだけで、 申し訳ないと思ったのか、ここ数年、家族の忘年会を開催している。 今年はちょっと早いけれど、クリスマスイブに1年を振り返りながら、 美味しい料理と好きなアルコールを飲みながら楽しんだのだが、 お会計の時、家族のそれぞれが清算額の予想をする企画、 「家族版・ゴチになります」(勿論、支払いは私がするのだけど) ここ数年、私が一番近かったけれど、今日は見事に惨敗。 このところ毎日続いている「飲み会」の感覚で予想したら、撃沈。 一番、近かったのは、なんと長女。(ニアビン賞) 続いて「母」、私とゴチを争った「妻」にもかわされて、 結局は、私の忘年会会計(清算)に大きな誤差が生じたようだ。 今、考えると、最後のアイスとシャーベットが余計だったな、 いや、あそこで「純米吟醸」のおかわりは失敗だったなぁ、とか 反省することは多々ある。(笑) まぁ、こうして今年も「家族で忘年会」が出来るだけでも幸せだな、 そう思うことで、良しとしよう・・。 帰宅後、せっかく買ってきた「クリスマスケーキ」はお腹に入らず、 神戸で買ってきた「赤のスパークリングワイン」も正月に持ち越し。 この悔しさをフレーズにすると、やっぱりこうなる。 「家族版・ゴチになります、今年は撃沈」(悔し〜い)
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| 2014年12月23日(火) ■ |
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| 「豊かさを実感できる生活都市・清水町」を一番口にした人 |
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先日、前町長の告別式に参列し、遺影を眺めていて気がついたこと。 この人は、あのフレーズを一番口にした人だったなぁ、と。 そのフレーズとは、第三次清水町総合計画の将来都市像、 「豊かさを実感できる生活都市・清水町」である。 既に、わが町の総合計画は「第四次〜」を推進中であり、 現在は、その役割を終えた「一世代前の将来都市像」であるが、 その計画策定に携わった私としては、 1996年(平成8年)〜2010年(平成22年)の15年間のまちづくりを支えた フレーズとして、今でも懐かしく計画を眺めたりしている。 計画期間と、先日他界した前町長の任期がほとんど重なったためか、 どうしても、イコール又はセットで当時の様子が蘇ってきた。 就任当初の頃、企画係長として町長室で計画の概要説明をした時、 「どんな挨拶でも『豊かさを実感できる生活都市・清水町』というフレーズを 入れてください」と生意気にもお願いしたことがふっと思い出された。 その時「わかった」と頷いた首長は、その後3期12年間、機会あるごとに 将来都市像を口にしてくれた。(汗) そのフレーズを耳にするたびに、私は嬉しかったですよ、と、 当の本人に伝えることが出来なかったことが、今となっては何とも淋しい。 あらためて、ご冥福をお祈りいたします。(合掌)
P.S. 計画の巻頭言「在平素」(平素に在り)を読み直し、涙腺が緩みました。 「何事も平素の積み重ねが大事」・・心に刻みます。
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| 2014年12月22日(月) ■ |
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| 復活の喜びは、まさに格別 |
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一日平均10,000歩、年間365万歩を目標に掲げ、 歩数計を常に身につけてから、3年が過ぎようとしている。 1年目の2012年(平成24年)は、11月18日(323日目)で達成し、 年末までにさらに、478,357歩を加え、4,138,357歩を歩いた。 続く2年目の2013年(平成25年)は、 1年目の達成に油断があったのか、なんと372,728歩を残して、 3,277,272歩で大晦日を終え、ちょっぴり悔しい思いをした。 そして3年目の2014年(平成26年)は、前半苦しんだが、 人事異動で勤務先が変わった4月以降、一気に盛り返して、 12月20日(354日目)で、なんとか年間365万歩を超えた。 初めてチャレンジし、勢いだけで歩いた2年前の達成感とは違い、 一度挫折して、生活サイクルを徹底的に見直して、 心新たに再チャレンジした結果だからこそ、その達成感は、 言葉に表現しにくいが、まさに格別である。 年齢を重ね、体力が衰えてきたことを自覚していたからこそ、 よけいに嬉しかったのかもしれない。 この日を思い出すために「復活の喜びは、まさに格別」を残し、 あと数日も、コツコツと歩き続けていきたい。
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| 2014年12月21日(日) ■ |
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| 俺、職員が可愛くてしょうがないんだよ、だけど・・ |
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前町長のお通夜のあと、訃報を聞き駆けつけてくれた、 北海道清水町の町長と、夕食を共にする機会に恵まれた。 平成の合併が進み、福井県清水町は福井市と合併、 和歌山県清水町も有田川町になり、全国に4つあった 「清水町」が2つもなくなり、全国清水町の姉妹縁組は、 解消されてしまったけれど、それでもなお「北海道清水町」は 路面が凍結して離陸もままならなかった帯広空港から、 なんとか飛び立ち、お通夜にも間に合い、事無きを得た。 本来なら、私たち職員が同席する立場にはないのかもしれないが、 無理を承知でお願いしたら、快く同席していただき、 今まで私たちの知らなかった、トップ同士の会話も教えていただいた。 当時、残った2つの清水町(北海道・静岡県)で、再び「姉妹縁組」を結ぼうと 持ちかけられた時、北海道の事情で受けられず断ったことを悔やみ、 今回はどうしても葬儀に参列しなければ・・と来町の理由を語ったあと、 亡くなった前町長が、北海道の清水町長に語ったという台詞を披露した。 「俺は、職員が可愛くてしょうがないんだよ、 だけど、叱らないと育たないから、心を鬼にして叱っているんだ」と。 へぇ〜、そんなことを考えて、叱ってくれていたんだ、と、 ただ単に「怒られていた」と感じていた私は、恥ずかしくなった。(汗) 「義理と人情」を最も優先してきたその行政手腕は、 お通夜に参列した多くの人たち、誰もが認めるところであろう。 祭壇に飾られた遺影を見るたびに、あの独特の口調が思い出され、 確かに、この人に育てられたなぁ、と感じたお通夜だった。 「お世話になりました」、そして「ありがとうございました」(合掌)
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