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しもさんの「気になる一言」
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2014年12月21日(日)
俺、職員が可愛くてしょうがないんだよ、だけど・・

前町長のお通夜のあと、訃報を聞き駆けつけてくれた、
北海道清水町の町長と、夕食を共にする機会に恵まれた。
平成の合併が進み、福井県清水町は福井市と合併、
和歌山県清水町も有田川町になり、全国に4つあった
「清水町」が2つもなくなり、全国清水町の姉妹縁組は、
解消されてしまったけれど、それでもなお「北海道清水町」は
路面が凍結して離陸もままならなかった帯広空港から、
なんとか飛び立ち、お通夜にも間に合い、事無きを得た。
本来なら、私たち職員が同席する立場にはないのかもしれないが、
無理を承知でお願いしたら、快く同席していただき、
今まで私たちの知らなかった、トップ同士の会話も教えていただいた。
当時、残った2つの清水町(北海道・静岡県)で、再び「姉妹縁組」を結ぼうと
持ちかけられた時、北海道の事情で受けられず断ったことを悔やみ、
今回はどうしても葬儀に参列しなければ・・と来町の理由を語ったあと、
亡くなった前町長が、北海道の清水町長に語ったという台詞を披露した。
「俺は、職員が可愛くてしょうがないんだよ、
だけど、叱らないと育たないから、心を鬼にして叱っているんだ」と。
へぇ〜、そんなことを考えて、叱ってくれていたんだ、と、
ただ単に「怒られていた」と感じていた私は、恥ずかしくなった。(汗)
「義理と人情」を最も優先してきたその行政手腕は、
お通夜に参列した多くの人たち、誰もが認めるところであろう。
祭壇に飾られた遺影を見るたびに、あの独特の口調が思い出され、
確かに、この人に育てられたなぁ、と感じたお通夜だった。
「お世話になりました」、そして「ありがとうございました」(合掌)



2014年12月20日(土)
「刺激しあう」関係っていいな

2014年11月の上旬、筑波大学の学生から依頼を受けた、
「ICTの活用による中年者を対象とした
身体活動促進プログラムの開発」に関する調査は
毎日「歩数計」を付けて歩き、
その歩数をFacebookに報告するというだけの調査かと思っていたら、
私の予想以上に、楽しい試みとなった。
たまたま同じグループに分けられた人たちで繰り広げられる
お互いの「いいね」や、励ましのコメントは、
健康のために少しでも多く歩こう、と思う私のモチベーションを、
ずっと下げないまま、楽しく調査終了を迎えることが出来た。
それまで、一度も面識のなかった人たちが、
同じ目的のためとはいえ、こうも刺激し合えるものか、と
驚くとともに、その効果は絶大だな、と再認識させられた。
さらに調査期間が終えてからも、誰彼とはなく、自主的に、
これからも続けたいという声が上がり、2カ月ほど前までは、
存在すら知らなかった、全国に散らばっている人たちが、
今では、一番コミュニケーションをとる仲間になった。
一方的に「指示・命令・アドバイス」をするのではなく、
双方向で「刺激しあう」ことは、ひとりではできないこと。
だからこそ「刺激しあう」関係は、楽しいのかもしれない。
来年も「刺激しあう」仲間たちと、歩きつづけたいと思う。



2014年12月19日(金)
ゴルフは「心の人間ドック」

質問攻めにあった11月議会も無事終わり(汗)、夕方からの職場忘年会を前に、
久しぶりの休暇をとって、後輩たちと近場のゴルフ場へ出かけた。
最近は、ゴルフ場でも健康のために、乗用カートに乗らず、
歩く癖をつけているが、私にとって「ゴルフ」は、実は健康のためではなく、
どれだけ自分をコントロールできるか、トラブルに冷静に対処できるかなど、
精神的な面の「人間ドック」と位置付けて、楽しんでいる。
ところが「体の人間ドック」は努力次第で改善できるが、
心の成長を測るバロメーターと位置付けたゴルフは、全然改善されていない。
いやむしろ、どんどん悪化の道を進んでいる気がしてならない。(汗)
本来、スポーツでもなんでも、お金と時間をかければ、
ある程度は上達して、自己満足に浸れるのであるが、ゴルフだけは、
たとえお金と時間を使っても、なかなか上達しないスポーツなので、
どれだけ心(精神)が成長したかを試す場として、活用している。
といいつつ、今回もまたまた私の心は大きく乱れ、同伴者のスコアや、
自分の球の行方が気になって、心は冷静になれず、安定しなかった。
う〜ん、ゴルフを始めた頃が、一番うまかった気がするなぁ。
巧くなりたい、という欲がなくなったんだろうな、たぶん。
改めて「ゴルフは『心の人間ドック』」を記しておこうっと。

P.S.
さて一休みして、本日のメインイベント、課の忘年会に繰り出すとするかな。
酒の肴には困らない、珍プレーならいっぱいあったから。(笑)



2014年12月18日(木)
水平線で船が消えるのを見たことある?

映画「メッセージ そして、愛が残る」(ジル・ブルドス監督)から。
うまく表現できないが、似たような作品が、ふっと思い浮かんだ。
映画「Sweet Rain 死神の精度」では、
「死に値する生き方をしたか、を判断するだけ」と言い切る「死神」、
映画「アジャストメント」では「決められた運命を逸脱しないよう
世の中を監視している『調整員』」などが登場する。
今回は「メッセンジャー」、死と向き合える時間を与える役目らしい。
死・生き方について、いろいろな役割があるものだなぁ、と感心した。
さて、今回の気になる一言は「死」についての説明である。
「水平線で船が消えるのを見たことある?
船の姿は、目に見えないけれど、存在しないわけじゃない。
『死』もそれに似ている。
水平線の船のように、見えないだけでちゃんと存在してる」
「死」は肉体としては確かになくなるけれど、
「精神」「心」は、思い出として、残された人の心に存在する。
そんなことを言いたかったのかもしれない。
妙に納得してしまった例え話であり、わかりやすかったなぁ。

P.S.
昨日の朝、前町長が他界したという訃報が、突然のように届いた。
体調が悪いことは耳にしていたが、まさか亡くなるとは・・(涙)
私が係長や主幹の職で、町内を飛び回っていた頃の社長なので、
よく叱られもしたし、可愛がっていただいた。
お通夜も告別式にも参列し、まずは生前のお礼を言い、
お疲れ様でした、と声を掛けたいと思う。(合掌)



2014年12月17日(水)
日本人って、記録を残したがるよね

先日、久しぶりに会った知人と飲んでいて、意気投合した。
もしかしたら、自分たちだけかもしれないが、
「日本人って、記録を残したがるよね」の話題で盛り上がった。
その典型は私だな、と頭をかきながらも、
全国あちこちで開催されている、市民マラソンなども、
ブームを通り越して、日本人に定着しているのは、
たぶん、記録好きの日本人にとって、どんなタイムでも、
記録が残り、前回と比べたりして楽しめるからではないか、
そんな経験者談義となった。
逆に考えると、せっかく高い参加料を支払うのに、
制限時間より遅かったから、を理由に打ち切られるのは、
「記録なしも記録」と割り切れる人以外は、リピーターとならない。
だから、警察の交通規制がなく、制限時間が緩やかな大会が好まれる、
という視点は、大会開催のヒントとなる気がする。
そう考えると、市民対象のスポーツって記録が残ることが大切だな。
そういえば、毎日の歩数、体重、読んだ本のページ数など、
スポーツ以外にも、何でも記録したがるものなぁ、私の場合。(汗)



2014年12月16日(火)
一言で喧嘩できるらしい「ぬぅ」

この言葉にピンときた人は、沖縄県人だな。(汗)
沖縄の方言なのだろうが「ぬぅ」は、
一言で喧嘩できる、あまり使ってはいけない言葉のようだ。
何人かの沖縄出身の人に確認したけど、
ほとんどの人が、そうそう・・と言うので間違いはなさそう。
静岡県人の私には信じられないけれど、
「バカ」「間抜け」「阿呆」、そんな類いの言葉だと理解したら、
それまた、ちょっとニュアンスが違うらしい。
そう考えると「ぬぅ」・・に匹敵する日本語は見つからない。
「ぬぅ」と口にすれば、それだけで「喧嘩」ごしに変わるなんて、
不思議な単語である。
ネットで調べたら「あまり、丁寧な聞き返し方ではありません」、
とあったので「なんだと?」とか「なにぃ?」のような、
相手の話、行為に対して、イチャモンをつける言葉なんだろう。
文字にすると迫力ないけれど、きっと、火花散らしながら、
語気を荒げて「ぬぅ」と言うんだろうなぁ。
「言葉は力だ」って言い続けたてきた甲斐があったかな。
逆に、これを言えば一言で、仲良くなれる言葉はないのかな?

P.S.久しぶりに・・「言葉は力だ」
一つの言葉で喧嘩して  一つの言葉で仲直り
一つの言葉でおじぎして 一つの言葉で泣かされた
一つの言葉はそれぞれに 一つの心を持っている



2014年12月15日(月)
献体がなければ医者は育たない。

最近、看護師さんの知り合いが増えたから、ではありませんが、
映画「眉山」(犬童一心監督)から。
観ようと思った動機が、物語の主人公である母役と娘役が、
宮本信子さんと松嶋菜々子さんだったので、不純ではあったが、
観終わると、さだまさしさんの原作らしい「爽やかさ」が残った。
特に、末期がんに冒された母、龍子さんが
献体支援組織「夢草会」に登録をしていたことが印象的である。
インターネットによると「献体」とは「医学および歯学の発展のため、
また、力量の高い医師・歯科医師を社会へ送りだすために、
死後に自分の肉体(遺体)を解剖学の実習用教材となる事を約し、
遺族が故人の意思に沿って医学部・歯学部の解剖学教室などに
提供することである」
いくら医療技術が進もうと、医師が扱うのは「生身の人間」であり、
それは、どれくらい多くの解剖(手術)を経験してきたかにより、
医師として自信がついてくるものではないか、と思う。
家族(遺族)としては遺体が長い期間戻らず、ヤキモキするだろうが、
「献体がなければ医者は育たない。お母さんはそういう深いところで
医学を理解しているんじゃないですか」という台詞が示す通り、
死んでも、社会の役に立とうとする献身的な心構えがあるからこそ
生きている時も、悪いものは悪い、ダメなものはダメと、
誰彼とはなく、叱ることが出来るのだろう、と羨ましくもあった。
「生き様」だけでなく「死に様」をも考えさせられた作品として、
私の今後の生き方の参考にしたい。

P.S
親子(母娘)をテーマにした映画で「また親子丼か」という台詞、
意味もなく可笑しくなりメモしてしまったが、考え過ぎだろうか?