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しもさんの「気になる一言」
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2014年10月30日(木)
最後に私がおたずねしたかったのは・・

映画「利休にたずねよ」(田中光敏監督)から。
原作の作家・山本兼一さんからは、OKが出たのだろうか、
利休切腹の日から順に遡っていく展開に、新鮮さを感じて
小説を読み切ったので、この変わりようにやや戸惑った、が
鑑賞後の印象であった。
そんな中でも、原作にない素敵な台詞もありメモは増えた。
「私が選んだ品に伝説が生まれます」
「全ての重荷を一度下ろされたらよろしいのです」
「今生きてる喜びをこの一服の茶で味わいなさいませ」
「(茶には)人を殺してもなお手にしたいだけの美しさがございます」
「世の中が美しいもので動いているのでございます」
「私が額ずく(ぬかずく)ものは、美しいものだけでございます」
言葉は丁寧だが「美」に対する執念は強く、秀吉の命でも従わない、
利休らしい生き方を随所に見ることが出来た。
せっかく「鋭利な刃物(錐)もいいが、少しは休んだらどうか」
と言う意味の「利休」の号を戴いたのに、
最後の最後まで「鋭利な刃物」(尖った錐)のままだったことが、
惜しまれて仕方がない。
「才能におぼれずに『老古錐』の境地を目指せ」という意味が
込められていたという。
(「老古錐」とは、使い古して先の丸くなった錐のこと)
作品ラストに流れる、妻・宗恩の意味深なナレーション、
「最後に私がおたずねしたかったのは・・」を残しておこう。
(映画だけで、この意味が分かりにくいと思うので・・)



2014年10月29日(水)
秀吉のことばに、利休がだまって(深々と)うなずいた。

書籍「利休にたずねよ」
(山本兼一著・PHP研究所刊・418頁)から。
ストーリーが、利休切腹当日から遡る展開からか、
これからどうなるんだろう、というような、
ワクワクしたり、手に汗握る展開というよりも、
「どうして?」を静かに確かめていく感覚が残る作品。
冒頭、秀吉から「死を賜った」利休の呟きは、
「女と黄金にしか興味のない下司で高慢な男が、天下人になった。
そんな時代に生まれあわせた我が身こそ、不運である」。
それなのに、利休は秀吉の何気ない台詞に対し、
「侘び・寂び」に対する理解者として、頷くシーンが何度かある。
「『瓜はもぎたて、むきたてが馳走か』・・・
秀吉のことばに、利休がだまってうなずいた。
『四季折々の風物にこころを砕き、なにに命の芽吹きがあるかを
見つめておるつもりでございます』」とか
「『茶を飲むのに外道も王道もあるまい。
その日、その時のこころに適うのがなによりであろう。』
秀吉のことばに、利休が深々とうなずいた」
他の者に対して、利休が「だまって」とか「深々」と
頷くことは少ないからこそ、私にはそのシーンが鮮明に残った。
結末は悲劇に近かったけれど、利休の茶に対する秀吉の理解は、
どの武将よりあったのではないか、と推測される。
この二人の関係、微妙だったんだよなぁ、きっと。
どちらも引くに引けない立場って、難しいな。



2014年10月28日(火)
より積極的に行動できる「水の如く生きたい」(如水)

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
やっと「黒田如水」に名を変えた。(笑)
実は私、軍師としての「黒田官兵衛」には、あまり興味がない。
「如水」になってからの動きがとても気になっている。
名を変えた「如水円清」の意味として、
1つ目は、隠居の身になり「水の如くのんびり生きる」と考える。
また、もう一つの意味として「水従方円之器」、
(水は方円の器に従い、四角にも丸くもなるのだから、
秀吉殿の使い方次第で、私はどのようにも対応します)と考えた。
しかし、私はそんな単純な意味ではない気がしている。
この「気になる一言」では、何度も取り上げているが、
「水本来の性質」を表現している「水五訓」が相応しいと思う。
一 自ら活動して他を動かすは「水」なり
一 障害に逢ひて激しくその勢力を倍加するは「水」なり
一 常に己の進路を求めてやまざるは「水」なり
一 自ら潔くして、他の汚濁を洗い、
  而して清濁併せ容るるは「水」なり
一 洋々として大海を充たし、発して雲となり、雨と変じ、
  凍りては玲瓏たる氷雲と化して、その性を失わざるは「水」なり
このように「水」は決して「隠居」とか「言うとおりに従います」ではなく、
より積極的に行動できる「水の如く生きたい」(如水)だと私は理解している。
残り回数が少なくなってきた、NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」であるが、
「如水」となった、これからが「本番」と言えそうだ、楽しみである。



2014年10月27日(月)
「ジャズってなに?」「生き続けること」

映画「ふたたび swing me again」(塩屋俊監督)から。
「ハンセン病」について理解を深めるには最適の映画、
そんな気もするが、それはスナックでの一場面、
「いいなぁ、俺もハンセン病になりてぇよ」と
飲みながら絡む酔っ払いに向けた一言だけで充分だった。
「自分の名前も奪われ、人間の尊厳も奪われ、
産んだ子どもを目の前で殺された女性だっているんです。
お金なんかで解決できることじゃないんです」
それよりも、66年も離れていた時間が、ジャズを通して
埋まっていく、そんな場面設定になぜか涙腺が緩み、
その答えが、孫と祖父の会話だった。
「ジャズってなに?」「生き続けること」
何気ない、それもとても短い会話だったけれど、
重い会話だった気がする。
「貴島さんにとって、時間をとり戻すことは
『絆』をとり戻すことなんじゃないかな。
ずっと孤独だったからその大切さを知っていたんだと思う」
しかし、急いでとり戻すことはしない、
「会えん時には想えばいいんだ」という言葉が響いた。
同じ映画をどう観るかで、感想が違ってくる作品であった。



2014年10月26日(日)
根拠なんてないけど「私、晴れ男なんです」

今週末の土日は、恒例の「秋のみどりまつり」だった。
イベントに欠かせないものはなに?と訊かれたら、
私は迷わず「晴れ男・晴れ女」と言い切る。(笑)
屋外のイベントでは、企画や予算より大切なことで、
天候が「晴れ」というだけで、来場者も運営スタッフも、
笑顔になることは、現場主義の私が一番知っている。
今回も、あとわずかで「しもちゃん、さすが晴れ男だね」と
誉められるはずだったのに、最後の最後で、雨。(汗)
自分で言うのも変だけれど、これって「運」だけじゃない、
「根拠なんてないけど『私、晴れ男なんです』」と言える、
超天然プラス思考こそが、天を味方につけるコツである。
何日も前から、天気予報とニラメッコするより、
「自称・晴れ男(晴れ女)」をスタッフに入れることの方が大事、
そんなことを言っても、誰も信じてもらえないだろうけれど、
来年こそ、2日間、天気にしてみせるぞ、と真剣に思う。
以前「俺、ジャンケン強いんです」と言い切る男に憧れた。
そんな感覚なんだけど、わかるかなぁ。

P.S.
2004年11月27日(土) の一言に、こんなフレーズが・・。
私「いい男」じゃないけど「晴れ男」なんです



2014年10月25日(土)
私、美智子さんと同じ歳

母、80歳の誕生日(傘寿)だった。
42歳で突然夫(私の父)と死に別れてから、ずっと女手一つで、
私と妹を育ててくれたから、もちろん感謝の気持ちは忘れていない。
今朝は、私が朝早くから「みどりまつり」というイベントで
「おめでとう」を言いそびれたから、帰宅後、家族で外食に出た。
選んだお店は、私たち家族のお気に入り「ごはん食堂・桐家」さん、
いつもなら私が早く食べ終わり、じっと待っているのだが、
今回は、話し好きの母の80年の歴史に耳を傾けていたら、
ほとんど同時に食べ終わった。
「桐家」は、家族四人が歩いていくには程よい距離にあるので、
その行き帰り、息子、嫁、孫が、それぞれ母の話し相手になって歩く。
他の2人は、どんな話をしたのか知らないが、私の場合は、
「お父さんには早く死なれたけど、こうしてみんなで食事に行けて、
私は幸せだねぇ〜」だった。
娘(私の妹)も近くに嫁ぎ、今日もご主人と一緒に、母の80歳のお祝いに
サプライズ・ボードを持って駆けつけてくれた。
同居する家族も減っている中、こうしてみんなで楽しい時間が持てる。
「私は、それだけでも幸せだね」、横を歩く私に何度も告げた。
特に歳を重ねてから「感謝」という言葉を、よく口にする気がする。
「私、美智子さんと同じ歳」が口癖の母だけど、
「お母さん、美智子さんって、友達のように言うけど、
もしかしたら、皇后陛下のこと?」と突っ込みを入れる私がいる。(笑)
まだまだ元気な80歳、来週は妹の家族と私たちの家族と一緒に、
神戸に旅行する。どんな思い出が出来るのか、これまた楽しみである。



2014年10月24日(金)
夫婦ゲンカで、夫が勝ってはいけない。

書籍「夫婦のルール」
(三浦朱門・曽野綾子著・講談社刊・235頁)から。
この夫婦のあり方、接し方に関する考え方は、
実は私も妻も大好きで、同じ本を2人で読むことによって、
「ほら、三浦・曽野夫婦も言ってたじゃない・・」となり、
大きなケンカにならず、おさまってしまう効用がある。
以前読んだ、書籍「夫婦口論」(同著)で感じた、
この夫婦ならではの感覚が、今回もメモの対象となった。
特に、見出しとなっていたこのフレーズ、
「夫婦ゲンカで、夫が勝ってはいけない」は笑えた。
ただ笑えたけれど、男性陣としては、なるほどなぁ、
わかっているけどその場になるとなぁ、が本音だろう。(笑)
夫婦歴60年の2人からのメッセージだけに、
その短いフレーズに含まれる想いが、伝わってきた。
たとえ論理的に勝てると思っても、どう考えても
自分の方が正しいと感じても、この一言を思い出すべき。
それだけで、ちょっぴり冷静になり、
相手の言い分に耳を傾ける余裕ができるはずである。
「夫婦げんか」をするなってことではないし、
意見をぶつけあうな、ということでもない。
最終的には「夫が勝ってはいけない」ことを肝に銘じたい。