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しもさんの「気になる一言」
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2014年10月02日(木)
「赤とんぼVSカチューシャ」「カチューシャ = 赤とんぼ」

映画「ジョパンニの島」(西久保瑞穂監督)から。
「北方四島における実話をもとに、ソ連軍の進駐によって
引き起こされる色丹島民たちの過酷な運命を描いた作品」、
には違いないが、私の胸が熱くなったシーンは、
戦争とは無関係な両国(日本とロシア)の子供たちの様子。
最初は、自分たちの学校の教室を明け渡して、
対抗的だった日本の子どもたちは「自国の歌」(赤とんぼ)を
隣の教室のロシア兵の子どもたちに聞こえるように大声で歌う。
ロシア兵の子どもたちも、負けじと「カチューシャ」を歌う。
それを繰り返しているうちに、お互いの国の歌を覚えてしまう。
ついには、敵対している国の歌を、大声で歌うシーン。
全体の物語には直接関係ないことなのかもしれないが、
私がこの作品を思い出すには、このフレーズで充分である。
「赤とんぼVS カチューシャ」「カチューシャ = 赤とんぼ」
相手国の言語で覚えてしまう、子供たちの頭の柔らかさに、
戦争は、大人たちのエゴが引き起こした事件であり、
被害者は、何も知らない子どもたちだと悟った作品である。

P.S.
ラストシーン「銀河鉄道の夜ってどんなお話?」の問いに、
「死んだ人はみんな天に昇って、夜空の星になる。
星は、無数に限りなく、明るく降るように光り、
その光に照らされて、僕たちは今、こうして生きている。
そういうお話なんだ」と答えた主人公のひとり、純平。
う〜ん、わかりやすい。



2014年10月01日(水)
どうしたら、やめられるの?

久しぶりに私の呟き。
周りの人は「どうしたら続けられるの?」と悩むのに、
私は「どうしたら、やめられるの?」と悩む。
「持続力」は、人生を楽しむためには、とても大切だし、
続けることで、必ず僅かながら「成果」が残る。
もちろん、続けることで必ず「成功する」とは限らないし、
「夢が実現する」とも言えないけれど、何かが残る。
たぶん多くの人は、短期間に成果を求めるあまりに、
「成果」が出る前に、やめてしまうのではないかと思う。
例えば「ダイエット」。夜型から朝型に生活習慣を変え、
肉食中心から野菜食中心に食事を変え、運動量を増やすなど、
いろいろ続けてみて、効果が出るのは「1年後」だった時、
それを信じて続けることが出来るかどうか。
その「持続力」こそ、成果を手にする方法なのに、
6ケ月くらいで諦めてしまうから、成果が手に入らない。
だから「このダイエット法」は私には合わない、と切り捨てる。
結局は、どんなダイエット法を試してみても、ダメに違いない。
これだ・・と感じたら、周りに何といわれても続けてみる。
その結果は、必ず付いてくる、と信じて。
さらにこの「持続力」、全てのものに対応できるから、
そのコツさえ身につけてしまったら、いろいろ挑戦するといい。
きっと「多くの成果」を手に入れるはずだから。



2014年09月30日(火)
科学の力で人間でも何でも小さく出来る

映画「ミクロの決死圏」(リチャード・フライシャー監督)から。
1966年のアメリカ映画、50年近く前の作品であり、
突っ込みどころ満載の作品であるが、なぜか面白かった。
そもそもタイトルも「ミクロ決死隊」と勘違いしていたくらい。
今、CGを駆使して製作したら、理科の教材になるのでは?と
考えたほど、発想は画期的だった。
その前提となるのは「科学の力で人間でも何でも小さく出来る」
また、ある程度の時間が経つと、元の大きさに戻るという視点。
昔のアニメ、メルモちゃんよりすごいな、と1人で苦笑いした。
「哲学者が言うように、人間は宇宙の中心だ」
「血は赤くないね」「赤いのは赤血球だけだよ、それも動脈だけ、
あとは海水に似た血しょうだ」
「生命の川だな、全長10マイルもある」
「(心臓を)止めるのは簡単か?」「動かすのに比べれば」
「心臓の音、1年に4,000万発も撃つ、すごい大砲だよ。
それが生命を支えているんだ」
こんな会話や台詞が飛び交い、私にはインパクトがあった。
癌や脳溢血・内臓悪化などで死ぬ人が多い今の時代だからこそ、
体の中の仕組みを知る機会になるのではないだろうか。
是非、リメイクを期待する作品の1つである。



2014年09月29日(月)
訳もなく涙が出る曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」

先日、静岡市清水区で開催された「サンライズコンサート」。
静岡県下を代表する、高校の吹奏楽部が一堂に会しての演奏会、
若い力を感じる、とても素敵な企画であった。
中でも、わが町唯一の高校、沼津商業高校吹奏楽部の演奏は、
何度耳にしても飽きることがなく、そのたびに元気をもらえる、
私にとって、貴重なエネルギー源なのであるが、
最近、私の体に異変が起きていることに気付いた。(汗)
演奏終盤、定番ソング(「情熱大陸」)「風になりたい」を聴き、
アンコール曲の定番(笑)「あの鐘を鳴らすのはあなた」を
一緒に口ずさみながら楽しんでいると、なぜか「じわ〜」と
涙が溢れてきてしまう。勿論、今回も・・。
たぶん、関係者以外では、最多で演奏を耳にしていると思うが、
「泣くような悲しい曲でもない」はずなのに、涙が出る。
かといって「楽しくてたまらない」といった曲でもない。
どうして?と訊かれても、答えは見つからない。
たぶんこの演奏を聴くと「どこかのスイッチが入る」のだろう。
「訳もなく涙が出る曲」、読者には、そんな経験はないだろうか。
この理由が知りたくて、毎回、演奏会に足を運んでしまう。
春の「沼商フレッシュ・コンサート」の後も、
冬の「定期演奏会」の後も、もちろん、その他イベントの後も。
「なぜか涙が止まらない」と同じようなことを書いている。
しかし・・未だ理由が掴めず、不思議な曲だよなぁ。



2014年09月28日(日)
雪は解けるけど、火山灰は溶けない

御嶽山の大噴火の様子をテレビで観て、思い出した講演会があった。
当時は、あまりインパクトがなかったが、今回の噴火を目の前にして、
整理してあったメモを引っぱり出してみたので、参考にされたい。
講師「小金澤保雄」氏(珠流河国文化財調査研究所代表)

演題「富士山のこと、どこまで知っていますか」から。
(美しい富士山は、いつまで続くのでしょうか)
富士山の誕生から、繰り返されてきた噴火を伴う火山活動は、
今までに38回ほど数えられる。
それまで100年に一度くらいの周期で噴火が起きていたのに、
1707年(307年前)の宝永火山の噴火以降、起きていないという事実、
これは、3倍のエネルギーが溜まっているとも考えられる、
そう気付かされた話だった。
東海地震を含めた東南海トラフの地震は、近年大きな話題となり、
その対応は、着々と進められているが、この話を聴いて、
「富士山噴火」について、もっと知らなくては・・と感じた。
特に、本物の火山灰を見せていただいたあと、
「雪は解けるけど、火山灰は溶けない。
それも、火山灰の正体は、すべてガラス」という解説は、
知らずに目をこすったら、眼球が傷つくことを意味する。
車のフロントガラスに積もった火山灰を、ワイパーで払おうとすれば
傷だらけになって前が見えなくなる、と言うことだ。
「夏に富士山が爆発すると・・火山灰は静岡県に積もるが、
冬なら偏西風に乗って、東京に積もる」って話も、
火山灰が精密機械を襲い、全てが混乱に陥ることを予想する。
その原因は「雪は解けるけど、火山灰は溶けない」だな。

P.S.
今回、私が一番最初にしたことは、
登山好きの親友に「登ってないよね」のメールだった。(汗)



2014年09月27日(土)
秋と言えば「欲張りの秋・バランスの秋」

朝から久しぶりの晴天に恵まれて、秋まっ盛りって感じで、起床した。
秋と言えば「スポーツの秋」「芸術の秋」「読書の秋」「食欲の秋」等、
いろいろな表現がされるが、好奇心旺盛の私は、どれも捨て難い。
でも、今日一日を振り返ると、全て体験していた満足感が溢れている。
午前中、柿田川の外来種駆除で、写真を撮りながらも「ボランティアの秋」。
その後、静岡市清水区の清水駅前「清水文化会館マリナート」で
開催された「静岡サンライズコンサート」に、
わが町の唯一の高校であり、私がずっと応援し続けている
「沼津商業高校吹奏楽部」が演奏すると知って、清水駅まで電車で移動。
自宅から沼津駅まで「ランニング&ウォーキング」で「スポーツの秋」。
往復の電車の中は、読みかけていた本を持参し「読書の秋」。
県東部「県立沼津商業高校」、県中部「静岡市立清水桜が丘高校」
県西部「浜松海の星高校」の各校吹奏楽の演奏は「芸術の秋」に相応しく、
若い力を感じさせる素敵にコンサートであった。
また、三島駅に戻り、駅から自宅までのランニングは「スポーツの秋」。
しかし帰り道に立ち寄った、北海道料理「中むら」で、
充実した一日のご褒美で「十四代」を飲みながら「食欲の秋」。
たった一日で「全ての秋の楽しみ」を体験してしまったことを記録として
「秋と言えば『欲張りの秋・バランスの秋』」を残そうと思う。
どれにも偏らない、言い換えれば「バランスよく秋を体感」した一日。
万歩計は「17,944歩」、本は「1冊読破」、三校の吹奏楽は素晴らしく、
「十四代」(雄町・純米吟醸)でほろ酔い気分を味わった。
「スポーツも文化・芸術も」さらに「ボランティア」や「食欲」も、
大切なのは「偏らないバランス」だと気が付いた。
これも、きっと好奇心旺盛のいいところなんだろうなぁ。
さて、明日はどんな秋を体験できるのだろう、楽しみである。



2014年09月26日(金)
スマホはビジネスパートナー。手帳は戦友であり、師である

雑誌「DIME」の特集記事「手帳はアナログに限る!」から。
(たぶん26年11月号だったと思うけど)
私が気になったのは、泉谷直木氏のコメント。
「アサヒグループホールディング代表取締役社長兼CEO」の彼は、
「スマホはビジネスパートナー。手帳は戦友であり、師である」と
私がいつも感じていた感覚を、フレーズにしてくれた。
もちろん、わからないことを調べたりするのは、
スマホの方が便利だが、バッテリーを気にしながらの作業は、
やはり、違った意味で「ストレス」が溜まる。
一度、スケジュール管理も「スマホ」で試してみたが、
やはり、取扱いの容易さでは「手帳」の方が群を抜いている。
さらに、同じサイズの手帳が積み重なってくると、
それ自体が「自分史」となり、私の人生を一緒に過ごした「戦友」の
言葉が、ピッタリの表現だな、と頷いた。
また、何気なく書いた「メモ」が、生き方に迷った時に役に立つ。
私は、一日に20回くらい手帳を開くので、
単なる手帳というよりも、いろいろな役割を果たしているとも言える。
「僕の手帳は、記録、記憶、あんちょこの3つの機能があります」と、
手帳の魅力を伝えていた。拍手喝采の表現であった。