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| 2014年09月18日(木) ■ |
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| ピザは、このように2ツ折りにして持ちましょう |
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行政間の「姉妹町」関係は、解消されたけれど、 北海道・清水町の職員とは、いまだ「清水町」をキーワードに 繋がっているのが、私はとても嬉しい。 そのうちの一人が先日、facebookで、北海道・南富良野町幾寅の (ミシュランにも紹介されている)「グリル青山(セイザン)農場」 薪釜で焼く「ビザ」を写真で紹介していた。 石窯から出されたばかりのピザに反応したかと言えば、 私はなぜか、最後におまけのように付いていたメニューに、 なるほどなぁ・・とメモしてしまった。(すみません それが、簡単なイラストで描かれていた「ピザの食べ方」。 「ピザは、このように2ツ折りにして持ちましょう」 親指と中指で持ち、真ん中の人指し指で押さえる。(らしい) 私なんか、今まで「親指と人差し指」でビザをつまみ、 そのままの形で、大きな口を放り込む。(笑) もちろん、尖った方からだけど・・。 もしかしたら、常識なのかもしれないが、私としては 「へぇ〜」というトリビアに近かった。 次からは、知ったかぶりで「知らなかったの?」と言い、 北海道直伝のビザの食べ方として、自慢しちゃおうっと。
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| 2014年09月17日(水) ■ |
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| なんと無茶な「56歳」(笑) |
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議会もほぼ終わり、9月末までの取得が原則の厚生休暇を、 わが課のスタッフに留守を頼んで、無理やり休んでいる。(汗) せっかくの連休、何かに挑戦したい、と考えていたが、 映画三昧、読書三昧は、やる気になればいつでも出来るので、 最近、ちょっとハマっている「ジョギング」をすることにした。 (ウォーキングでもなく、ランニングでもない程度の速さのつもり) どうせなら、後戻りできない環境を作って・・というのが、 いつもの私の挑戦パターンだから、5時30分起床、 小銭しか持たず、三島広小路駅6時12分の伊豆箱根鉄道に乗り込み、 7時に修善寺駅をスタート、狩野川河口(沼津市我入道)を目指した。 今まで、3キロほどしか続かない「ジョギング歴」を忘れ、 今回はなんと27.8キロ。伊豆の景色を眺め、走ったり歩いたり、 写真を撮りながら、約4時間半で完走。(ほぼ完歩に近いけれど) 無謀とも言える、今回の企画で私が欲しかったものは、 56歳、まだまだ頑張れるという「体力」に対する自信と、 途中で投げ出さない「精神力」の強化、そしてもちろん 結果に満足して味わう、体に染み込む美味しい「ビール」。 考えてみれば、準備運動もせず、チョロチョロ走り出したし、 沼津(我入道)ゴール後、クールダウンもせず、帰宅の途についた。 なんと無茶な「56歳」(笑) 以前、自分で自分を誉めてあげたい、という台詞が流行したけど、 私は、自分で自分を呆れさせたいんだな、きっと。
P.S. 帰宅後、シャワーを浴びて、ビールを飲んで、あとは爆睡。 「疲れは出さないと抜けない」からね。
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| 2014年09月16日(火) ■ |
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| 疲労は出さないと抜けない。 |
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知人の女性ブログ内容が、なぜか私のアンテナに引っ掛かった。 「週末のノドの痛みは、昨夜の発熱で治まったようです。 リフレクソロジーが効いたのか。疲労は出さないと抜けない。 出てきた疲労を油断せずにきっちり整えたいと思います。」 とてもストレートな表現だけど、シンプルで判りやすかった。 スポーツの世界では、この「疲労の抜き方」が上手な選手こそ、 超一流に一番近い、という話を耳にしたことがある。 スポーツに限らず、私たちも、仕事・生活の中で溜まった疲労を、 排便、入浴、睡眠、マッサージなどといった形で、 意識的に「疲れを外へ出す努力」をすべきであろう。 「発汗」「発熱」「下痢」といった「非常事態」もあるだろうが、 一日の溜まった疲労は、その日のうちに抜く習慣こそ、 心身ともにリセットされて、一日のスタートラインに 気持ちよく、つくことが出来る最善の方法だと思う。 私の場合、疲れたな、と思ったら「寝る」に限る。 「健康」なら、知らぬ間に眠たくなり、寝ることで疲れをとるはず。 眠たくないから・・、寝られないから・・を理由に テレビを観ながら横になったら、眼が疲れる、(はず) 音楽を聴きながら横になったら、脳が疲れる。(はず) 「ストレス発散」にはなるかもしれないが、疲労は抜けない。 だからこそ「疲労は出さないと抜けない」を胆に銘じたい。 この「出す」という行為、これからも意識したいな。 人間のエネルギー、入るところは「口」のみだけど、 出すところは「いっぱい」あるのだから。
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| 2014年09月15日(月) ■ |
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| 僕は寿命がきたら死にたいね |
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映画「ハムナプトラ3・呪われた皇帝の秘宝」 (ロブ・コーエン監督)から。 最近観た映画に共通しているものがある。 権力者が求めるもの、それが「不老不死の薬」だということ。 そんなものかなぁ、という視点でメモしていたからだろうか、 主人公が、ボソッと呟いた台詞に反応してしまった。 たぶん、誰も気がつかない台詞かもしれない。(笑) 歳を重ねず、死ぬこともない。 本当に、それで人生が面白いだろうか?と疑問をもった。 いつ死ぬかわからないから、今を大切に生きようとするし、 いろいろな苦労も我慢をし、苦難にも挑戦できる。 死ぬことがない、とわかっていたら、私はどう行動するだろうか。 はっきり言って、充実感をもって生きる自信がない。 だからこそ「僕は寿命がきたら死にたいね」という言葉に 新鮮な響きを感じ、メモをした。
P.S. 敬老の日、全国で100歳以上が何人・・というニュースを テレビや新聞で目にするたびに、思うことがあったので・・。 長寿を否定しているわけではありません、あしからず。(汗)
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| 2014年09月14日(日) ■ |
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| 「これ、味噌?」「いえ、ピーナッツバターです」 |
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先日、海外のスーパーマーケット事情特集をテレビで観ていたら、 何年も前に出かけた、カナダ・スコーミッシュ市のスーパーを 一人でぶらぶらしていた時の様子が、フラッシュバックした。 思い出したのは、大きな「味噌樽」のような器を見つけたシーン。 中には、味噌のようなものがいっぱい詰まっていた。 日本食がブームだからといっても、 スーパーに、お味噌まで置いてあるのか、と驚いていたら、 店員が「May I help you?」と近づいてきたので 「just looking.」と教科書どおり答えたが、 また何か話しかけてきた。(正直、早口でわからなかった) せっかくだから勇気を出して「Is this “miso”?」と訊ねてみたら、 「No,this is peanut butter.」(たぶん・・)と答えてくれた。 ちょっと舐めてみる?と言ったのだろうか、 蓋を開けて、手にとってくれたので、舐めてみたら 確かに、ピーナッツバターである。 2人で、大笑いして(たぶん)その場を離れたけれど、 緊張しながらも、その体験が嬉しくて、覚えていたのだと思う。 コンビニのレジで「Have a nice day.」と言われたら、 「Thank you.」ではなく「You too.」だったよなぁ、なんて 恥をかいて覚えたことは、忘れないものだな。(汗)
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| 2014年09月13日(土) ■ |
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| 沼津のイベントはお洒落だね |
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今年も、足を運んだ「沼津自慢フェスタ2014」(最終日)。 娘がキャンセル待ちで手に入れてくれた「センターテーブル」(2席)を 今夜は、申し訳ないが「夫婦」で楽しませていただいた。 帰り際、中央公園からの「あゆみ橋」を渡り、狩野川の風に吹かれて、 ほろ酔い気分で眺めた「御成橋」の青いネオンは、 静かな川面に映り、どこか都会の雰囲気を醸し出していた。 イベント会場の喧噪から、少しずつ離れることにより、 暗闇に浮かぶ景色が大人のムードを漂わせている。 久しぶりに狩野川の土手を並んで歩いた妻が、ボソッと呟いた台詞、 「沼津のイベントはお洒落だね」を今年は残そうと思う。 昨年も帰り道で誰かが口にした「沼津、復活の予感がするね」を 気になる一言として残した。 あれから1年、少しずつであるが、復活してきている感じがする。 その根底にあるのは、近隣市町の賑わいとは違う「お洒落感」だろう。 「都会の大人のイベント」と言ったら言い過ぎかもしれないが(笑)、 BAR文化を大切にして、秋の夜長に、ジャズでも聴きながら、 好きなアルコールを飲む。それも美味しい肴をつまみながら・・。 ステージの音楽プログラムも、決して飲む人たちの会話を邪魔せず、 BGM程度の心地良さである。 昨年も感じたけれど、この大人のイベント、1年に1回はもったい。 春夏秋冬の「沼津」を、料理とアルコールと景色で味わいたいな。
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| 2014年09月12日(金) ■ |
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| ちょっとありますけど、結果オーライということで |
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映画「ちづる」(赤雲杵卒篤帖砲ら。 兄である監督が、重い知的障がいと自閉症を抱えた 赤崎の妹・千鶴と母親を1年にわたり撮影し続けた ドキュメンタリー映画で、監督の言葉を借りれば 「妹が僕に映画をつくらせた」となる。 本ではわからない、現場の声がとても新鮮だった。 特に、お母さんならではのコメントが、印象的である。 千鶴さんは好きな俳優さんから年賀状が届いたと大喜び。 「やったぁ、ははは」その、はしゃぎ方は天真爛漫。 しかし、母がカメラの前で真実を明かす。 「私が書いてあけたものです」 カメラマンの監督が訊ねる。「良心の呵責はありませんか?」 それに対して、体は華奢だけれど、太っ腹で答える。 「ちょっとありますけど、結果オーライということで」 こんな家族の愛に包まれて、彼女はスクスクと育っていく。 細かいことを気にしていては、障害児を持つ親は務まらない。 そんな気概を感じたシーンである。 「結果オーライ」って、とてもいい加減な気がするけれど、 そうじゃないんだ、と気付かせてくれたシーンでもあった。 現場は現場なりの、工夫があるんだよなぁ。
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