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しもさんの「気になる一言」
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2014年08月14日(木)
事故が人生を変えてくれた

「ドリカムキャンプ2014夏の陣〜出会いのチカラ〜」に参加した。
「ドリカムキャンプ」とは「中学、高校教師の有志を中心に運営している、
日本では例を見ない、中学、高校運動部員、指導者、保護者を対象とした
異種目合同メンタルセミナー」である。
今回はゲスト講師に「京谷和幸氏」(シドニー・アテネ・北京・ロンドンの
パラリンピック車いすバスケットボール日本代表)を招いた。
Jリーガーだった彼が、サッカー選手として再起不能になった事故を経験し、
波瀾万丈の人生を振り返った時「事故が人生を変えてくれた」と語った。
あの事故がなかったら、自分はJリーガーとして天狗になっていただろうし、
妻を始め、周りの人たちの優しさにも気付かなかっただろう、と呟いた。
だからこそ、車椅子の生活になっても「あの事故に感謝」という単語が、
素直に口から出てきたのではないかと思う。
今だから笑って言えるだろうけれど、(おそらく)自己否定と戦い、
私たちにはけっして見せない、血の滲むような努力が感じられた。
それを支えたのが「超」が付くほどの「ブラス思考」だと理解している。
それも「本物のプラス思考」でなくてはいけない。
(「ブラス思考」が大切とわかっていても、行動に移せない人は、
「本物のプラス思考」ではないと私は思っているから)
コーディネーター役の「臼井博文氏」(株式会社サンリ取締役)が、
最後に面白いことを教えてくれた。
「ずっとプラス思考でいると、マイナス思考の人がわかるようになる」
なるほどなぁ・・なんとなく思い当たることがある。(笑)



2014年08月13日(水)
不仲くらいの理由で謀反を決断するはずがない

書籍「本能寺の変 431年目の真実」
(明智憲三郎著・文芸社文庫刊・・345頁)から。
光秀の子孫、明智氏が書いた真実だから、
やや偏った見方かもしれないけれど、実に面白かった。
私たちが教科書、大河ドラマ等で知る「本能寺の変」とは
だいぶ違った角度から考察した内容は、妙に説得力がある。
特に「一族の生存と繁栄に、責任を負った武将・光秀が
信長との不仲くらいの理由で謀反を決断するはずがない」、
また「愛する家族や一族郎党を犠牲にして、自分のロマンに
衝動的に賭けるような行動をとるとは、とても考えられない」
という考え方は、私も以前から感じていたし、
光秀には、天下を取ったら何をしたいという野望も見えない。
家康を討て、と命じられた光秀が、逆に家康と組んで信長を討った。
その謀反を知っていて、秀吉と組んだ光秀の盟友・細川藤孝、
この時代、誰が味方で誰が敵か、まったくわからない。
でも、支配者がいくらでも歴史は塗り替えられる、と知って、
私たちが教わってきた「歴史」の面白さが余計に広がった。

P.S.
本能寺の変によって空白地帯となった旧武田領を巡って、
周辺の大大名である徳川家康・北条氏直・上杉景勝が争った
出来事を「天正壬午の乱」(てんしょうじんご)というらしい。
私は「天声人語」との関係が気になる。(笑) 考えすぎかな。



2014年08月12日(火)
景観は「住んでいる人の快適性」

(最近、気になっている「景観」の話題ですが・・)
講師「静岡産業大学総合研究所客員研究員 中村羊一郎氏」
演題「景観資源とは何か」から。
「景観は過去のものか?」と私たちに投げかけたあと、
「これから形成する景観」は「誰のため、何のための景観か?」と
今一度、考える必要性を提言してくれた。
景観を整備すると、なぜかそれを見たさに、多くの人が訪れ、
「観光、地域おこしのため」という名目が浮き上がってくるが、
それは、長続きしないことを示唆してくれた。
「安全で安心して暮らせる」ことを前提にして、
「そこに住む心地よさ・住みよいまちづくりのため」が基本。
そう教えられたような気がする。
簡単な言葉で表現すると「住んでいる人の快適性」となる。
行政が突っ走って出来上がるものではない「景観」は、
やはり「地域住民の理解と協力」が大前提となる。
だから「住んでる人の快適性のため」、これに尽きる気がする。

P.S.
昔を知る手がかりとなる「古い地名」も、
そのまちにとって「大切な景観」という視点は、勉強になった。



2014年08月11日(月)
貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」で、黒田家の家風として
「ケチではありません、節約です」という台詞が登場し、
あれ?どこかでメモした台詞と似ている・・と探したら、
やっばり観てました、この映画。
映画「武士の家計簿」(森田芳光監督)から。
江戸時代の後半、武士の生活は楽とは言えなかった。
下級武士だけでなく、身分が高ければ高いなりに出費がかさみ、
気がつけば、もう立て直しが出来ない状況までになっていた、
そんな話は、今でも共通しているところであるが、
主人公、猪山家の八代目・直之は、お家立て直しのために、
家族全員に「驚くほどの倹約・節約」を命じる。
世間体などを気にする親の抵抗をも説得し、家の中の家財は
ほとんど売り払い、貧しい生活で耐えしのぐごとになる。
そんな苦労をしているはずの妻に、直之がすまなそうに声を掛ける。
たぶん、(楽しいと言ったら嘘になりますが・・)という台詞を
飲み込みながら、妻はしっかり夫を見つめて「でも面白いです。
貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば」と言い切る。
そうか、そんな視点こそ大事だな、とメモをした。
今の世の中、社会的には収入的が少ない人たちに限って、
あまり悲壮感が漂ってないのは、こんな考え方をしているのかもなぁ。



2014年08月10日(日)
発声練習は、人間の声のチューニング

(昨日に続いて「都留文科大学合唱団演奏会」ネタですが・・)
昨年度(3月末)まで在席していた「生涯学習課」の時代、
どうしても「合唱でまちづくり」をしたくて思案していたところ、
この合唱団の指導者と運良く出会えて、出演交渉を始めたのが、昨年の秋頃。
その想いだけで何度となくメールをやり取りし、その後、渉外担当の学生や、
当日、企画運営をしてくれた人たちを巻き込んで、ようやく今日の日を迎えた。
しかし言い出しっぺの2人、ひとりは4月に人事異動で別の部署へ、
もうひとりは「世界合唱シンポジウム出席」のため、韓国でこの日を迎えた。(汗)
この日を待ち望んでいた私は、台風にプレッシャーを与え続け、接近させず(笑)
朝のリハーサルから2公演終了まで、彼らの「生声」をずっと耳にしていた。
公演の素晴らしさは、その場にいた人しかわからないから書かない。
だから、リハーサルの時に感じた、私の驚きを紹介したい。
午前9時頃から始めた発声練習、少なくとも30分は続いただろうか、
心と体をほぐしていくことで、人数分のパートの声が整ってきて、
最後には「1人の人の声」のように聴こえたときは、心が震え、
恥ずかしいけれど、胸がいっぱいになって、涙が溢れそうになった。
(これは私の感覚なので、誰もがそうなるとは限りません、あしからず)
楽器で言えば、演奏前の「チューニング(調律)」を、彼らは、一人ひとりが
自分の体調を整えながら、ゆっくりゆっくり「同調」していった気がする。
だから「発声練習は、人間の声のチューニング」を残そうと思う。
観客に感動の涙を誘うような、華やかなステージの裏には、
こういった努力があることを知って、ますます彼らのファンになった。
これからも、陰ながら応援していきたい、とっても素直な大学生たちである。

P.S.
「まぁ素敵」と口にしながら、ブラブラ散歩する練習。(これ企業秘密?)
こうやって、心と体をリラックスさせていくんだなぁ、納得。
私が「まぁ素敵」って歌いながら歩いていたら、捕まるかもなぁ。



2014年08月09日(土)
チビッコでも、指揮者は指揮者

全日本合唱コンクール5年連続金賞に輝く
「都留文科大学合唱団演奏会」が、明日わが町で開かれる。
前日、子供たちのために開かれた「チャレンジキッズ」で
彼らは、屈託のない笑顔で子供たちに接し、
合唱の楽しさを、十二分に伝えてくれた。
しかし「暑いかな?」と訊けば「暑くな〜い」と返され、
子ども相手のイベントは、台本通りにいかないことも体験した。
また「夏休み何してる?」と訊ね「ゲーム・宿題」と
返ってきた答えに「悲しいなぁ〜」と嘆くシーンは笑えた。
そんなコミュニケーションを気にしながらスタートしたが、
さすがに、彼らが歌いだした途端、ざわついたおしゃべりが
ピタッと止み、真剣に聞き入っていた。
こんな低学年の子たちが、最後まで聞いていられるだろうか、と
心配していたが「透き通った人間の声」に興味を持ったようだ。
いつも聞きなれている、私たちのような声ではなく、
鍛えられている人たちから発せられる「声」に驚きを隠さない。
やはり「生の声」を聴かせることの必要性を強く感じた。
発声練習・輪唱体験・指揮者体験・・どれも楽しかったが、
私が驚いてメモしたのは、4人の指揮者体験。
チビッコの指揮に合わせ、彼らが「紅葉」を歌うだけなのだが、
ほんの少しずつ違うテンポに、笑顔で必死に合わせている姿。
私は、そんな細かいことに感激した。
だから「チビッコでも、指揮者は指揮者」を残しておきたい。



2014年08月08日(金)
京で感じたおもてなし

帰宅したら「京都新聞」からの封筒が届いていた。
中身は「投稿文が掲載された当日の新聞と謝礼」。
7月中旬に家族で出かけた「京都・祇園祭の旅」を
自宅に戻ってから、写真やパンフレットを眺めながら、
お礼の意味も込め、旅行先の地元新聞へ投稿した。
この楽しみを覚えたのは、平成22年春、家族で
「信州・松本」に行った頃からで、まだ初心者。(笑)
ただ旅行者の目で感じた、そのまちの「風土」等の良さを
日々の生活風景で、当たり前となっていて気付かない人たちに、
伝えたい、そんな気持ちから始めたような気がする。
「信濃毎日新聞(長野県)」「北海道新聞(北海道)」
そして今回の「京都新聞(京都府)」と少しずつ増えることで、
今度はここへ行って、そのまちの「風土」などを感じたい、
そう思えるようになってきた。
今回の気になる一言は、その掲載された見出しである
「京で感じたおもてなし」を思い出に残そうと思う。
さて、今度はどこに、行こうかな。(汗)

P.S.(おまけのエピソード)
私の職場の人間が、次の週に京都に出かけ、
地元「京都」で私の名前を発見して、驚いたらしい。
そんな偶然って、あるんだなぁ。