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しもさんの「気になる一言」
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2014年06月28日(土)
観てない人に気を使うより、観ている人に気を使おう

働く女性の会(A.T.G.ネット)、6月例会
講師「みしまプラザホテル副社長兼マーケティング室長 室伏太郎氏」
演題「すべてはお客様のために」(老舗のホテルウェディングの挑戦)から。
さすが、マーケティング室長らしい、膨大な資料をエビデンスとして、
わかりやすく、ブライダル業界、静岡県東部の潮流などの説明を受けた。
講演というより、老舗ホテルの経営戦略を垣間見ることが出来て、
私のメモは、予想外に溢れた。
すぐにでも実戦できる事例が多く、仕事では月曜日から試してみたい。
その中でも、今回の気になる一言は「自社S.N.S.サイトの活用」について。
これは、会社組織の経営だけでなく、個人でも言えることだから、
私の読者にも参考になると思って、敢えて取り挙げた。
個人的なtwitter・Facebook等に始まり、職場のイントラネットまで、
電子媒体に触れない日はないほど、生活の中に入り込んでいる。
それが、良いか悪いかは別問題として、向かい合う姿勢にルールはない。
「朝から晩までネット漬け」の人たちが批判されやすいけれど、
私はそう思わない、みんな人生1回目だから・・(笑)。
1日に何度、自分が参加しているSNSサイトをチェックするか、ではなく、
そこで自分は「何を誰に向けて発信しているのか」を意識すること。
そう気付かせてくれたのは、このフレーズだった。
「観てない人に気を使うより、観ている人に気を使おう」。言い換えると、
「読まない人に気を使うより、読んでくれている人に気を使おう」。
この視点は、長年ネットで日記を書いている私にとって、
忘れがちなことだけど、一番大切なことなんだな、と再認識をした。
私たち夫婦が30年以上前に結婚式を挙げた、三島の老舗ホテル。
地元に密着した経営戦略、これからが楽しみである。

P.S.
結婚式の「祝電披露」、お葬式の「弔電披露」の時、感じていた違和感、
ここにいない人の名前なんて必要ないじゃん、はこのことだった。(汗)



2014年06月27日(金)
えっ、「主査」って「役職」なの?

先日、親友が勤務する会社の(7月1日付)の人事異動が
新聞に掲載され、その中に親友の名前を見つけたので、
新所属の肩書きを確認したら、なんと「主査」。
前肩書が「部長」だったから、突然の「主査」に驚き、
同じ地方公務員仲間の親友と、いらぬ心配をした。
地方公務員の「主査」は、係長より下位の職階なので、
頭をかすめたのは「きっと何か失敗をやらかして、降格」(汗)。
「(部長)・課長・参事・課長補佐・主幹・係長・主任・主査」
それにしても「部長」から「主査」への降格は不思議だし、
だからって、本人にメールで確認するのも変だし・・と躊躇った。
それでも意を決して、恐る恐る「何かあった?」とメールしてみたら、
私たちの「職階」とは全然違う組織体制だった。(笑)
その会社では「主査は役職」であり、
参与、秘書役の資格があるものがつけられるらしい。
私(地方公務員)の驚きを、気になる一言にして残しておきたい。
「えっ、『主査』って『役職』なの?」
とにかく「降格」でなかったことに、ホッとしたけれど、
会社によって(たぶん、業界によってなのかもしれないが)
その「職階」の使い方が違く、戸惑ったのは事実。
これって、日本独特のことなのだろうか?
外国では、どの業界もどの会社も同じ「職階」を使っている、
そんな気がしてならない。う〜ん、ややこしい。



2014年06月26日(木)
時を遡る楽しみがわかってきた

2012年〜2013年(2年間)の自分史とも言える
「しもさんの気になる一言(縮刷版) 第9巻」が、冊子となった。
娘が中学の頃から描き続けてくれている、この冊子自慢の表紙は、
回を追うごとにシンプルとなり、今回は「丸い眼鏡と細い目」だけで、
私とわかるくらいの観察力、驚くばかりである。
こういう節目、私はどんなことを感じ、どんなことを書いていたか、
気になって、日記を遡ってみた。
(第1〜2巻) パソコン通信の時代、WEB日記には登場していない。
(第3巻) 2002年04月25日(木) 
    声を出すことで、自分の作品についての発見がある
(第4巻) 2004年05月11日(火) 
    2年前の表紙はこの紙だったよね。その前は・・
(第5巻) 2006年06月09日(金) 
    「五感」や「語感」で感じた台詞集「五巻」完成しました
(第6巻) 2008年06月18日(水) 
    室長、下さい
(第7巻) 2010年07月18日(日) 
    2年間の人間関係が反映する配布作業
(第8巻) 2012年07月03日(火) 
    「デジタル」から「アナログ」へ
そして今回「時を遡る楽しみがわかってきた」を、残そうと思う。
第10巻に向けて、最後のギアを入れるために、
18年間の振り返りは、なくなてはならない行為だと感じている。
不思議なことは、何年も前に私が拾い上げた「気になる一言」は、
今でも輝きを失わず、いや、さらに輝きを増した気がする。
どれを読んでも「なるほど」と思ってしまう私は、成長してないのかな。

P.S.
恒例の冊子ですが、ご希望の方、声を掛けてください。
この配布する作業も、私の楽しみの1つなので、遠慮せずにどうぞ。



2014年06月25日(水)
シンドフニ(赤ワイン)・・(身土不二)

昨晩参加した「桐家deルカワイン〜居酒屋桐家〜」から。
突然降りだした豪雨にもめげず、集まったワイン好きの面々。
自然食の提供で有名な「ごはん食堂」桐家さん(清水町)と、
厳選自然派ワイン専門店「luca Wine」さん(三島市)との
コラボ企画は、一日限定の「自然」をキーワードにしたイベント。
まぁ「自然食と自然派ワイン」好きが集まったともいえるが(笑)、
新しい出会いと、素敵な時間があっという間に流れた。
この日、提供されたワインと料理を、詳細に文字にしても、
たぶん読者には、その場の空気感までは伝わらないので、
自分が思い出せるフレーズを探したら、やはり「シンドフニ」。
洒落た名前だったので、どこか外国のワインかと思ったら、
にごりワインで有名な滋賀県近江の「ヒトミワイナリー」のワイン。
それも「シンドフニ」とは、漢字では「身土不二」と書き、
地元の物を食べると健康で長生きできるという、仏教の教えから、
ネーミングされたらしい。
人間の健康は、その栄養となる食事を疎かにしてはいけない、
だから、人間の「身」体は、食材の生産環境である「土」と
切り離して考えてはいけない、そんな意味なのだろうか。
この単語を知って、食育でよく使用される「地産地消」よりも、
わかりやすいな、とメモをした。
地元で採れたものを地元で消費するだけでは、ダメ。
自分の身体を作る食材は、自分で選択して口にする。
そういうことなんだろうなぁ・・。



2014年06月24日(火)
「安全なリンゴ」と「安全にリンゴ」

映画「奇跡のリンゴ」(中村義洋監督)から。
実話を映画化した作品、という情報で観たからか、
鑑賞後、リンゴの味が気になって仕方なかった。(笑)
この作品のキーワードは「安全なリンゴ」と「安全にリンゴ」。
たった一字違うだけなのに、意味が全く違うなんて不思議だ。
物語の中でも、こんな台詞が出てくる。
「『安全なリンゴを作ること』と、
『安全にリンゴを作ること』は違いました」
しかしよく考えると、無農薬はもちろん肥料も使わず育った作物が
私たち人間にとって一番安全なのだから、本来なら
「『安全なリンゴを作ること』と『安全にリンゴを作ること』は同じ」
でなければいけないのだろう。
それはリンゴだけではない。口に入る食べ物はすべて同じだろう。
農家の人たちが農薬等で体を壊してまで作った野菜や果物を
私たちは何も意識せず、平気で残したりする。
この映画は、そんな私たちに向けた「食育」とも言える。
また「奇跡のリンゴ」を作った主人公にスポットが当たるが、
今回の成功の影には、山崎努さん演じる「義父・木村征治」がいる。
主人公が自分の娘を大切にしてくれると信じていたからこそ、
娘婿のために、今まで蓄えてきた全てを投げ出す覚悟を感じた。
「これまでも、これから先も、こうしてみんなば照らしてください」
という嫁(娘)の希望を受けて、2人が交わした会話、
「約束します、お父さん」「・・親父でいい」、
これこそ「義父・義息子」ではなく「親子」になった瞬間である。
この関係があったからこそ「奇跡のリンゴ」が生まれたのだろう。
私はそう確信した。素敵なシーンである。



2014年06月23日(月)
昭和初期(昭和一ケタ)の写真に心が和む

写真展「昭和」(写真家が捉えた時代の一瞬)(佐野美術館)から。
土門拳さんを始め、各地で活躍を続けた写真家たちが、
「昭和」という時代をどう表現したのか、楽しみに足を運んだ。
たしかに、どれもが衝撃的だったが、私が一番印象に残ったのは、
「大正モダニズム」といわれた、ちょっと気取った男と女たちが、
「モボ・モガ」と呼ばれ「銀ブラ」をした「大正時代」の後の数年、
大正12年の「関東大震災」で自然災害は受けたものの、少しずつであるが、
平和な生活が戻ってきた昭和初期(昭和一ケタ)の時代の写真であった。
その後、しばらくして、日本は戦争へ突き進むのであるが、
私の父親・母親が生まれた、昭和5年〜9年の写真は、
インパクトの強い、戦争・高度成長期の影に隠れがちだが、
その時代に生きる人たちの様子が妙に温かく、
昭和の中でも、のんびり、ホッとさせられた時期だった気がする。
一言に「昭和」といっても、その人の想い描く年代によって、
その表現は違うだろうが、「昭和」という時代には、
「激動の昭和」という手垢のついたフレーズでは括れない、
いろいろな顔があったことを、改めて認識させられた。
敗戦から10年ほど過ぎた、昭和30年代の生活が、懐かしさとともに、
映画化されたりするが、それも「昭和の一部」に過ぎない。
大きな事件がないと、歴史には残らないって何か変だね。(笑)
だから「昭和初期(昭和一ケタ)の写真に心が和む」を残そうと思う。



2014年06月22日(日)
新しい世を作るのに、村重の力は欠かせん

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
荒木村重が、織田信長を裏切り謀反を起こす頃のメモ、
(第18話(裏切る理由)だったと思うが・・・)
メモを整理していて、面白いことに気が付いた。
なんと信長が、同じような台詞を3回も使っている。
「新しい世を作るのに、村重の力は欠かせん」
「村重は、謀反を起こすような愚かな男ではない」
「わしの新しい世に、村重は欠かせん」
信長が、荒木村重に絶大な信用していたことがわかる。
その相手に、土壇場で裏切られたのだから、
信長の気持ちは、怒りを通り越して失望だったと思う。
他の誰かが裏切っても、こいつだけは俺を裏切らない、
そんな思いが、3回の台詞に繋がっている気がした。
こんなシーンをみると、本能寺の変で亡くなった彼が、
もし生きていて、悲願の天下統一を果たしたとしても、
本当に、その後、全国の大名たちの心を掌握できたのかな、
という疑問が、へそ曲がりの私には残る。
なんでも力で抑えつけようとした、信長の力は、
戦国の世には輝くけれど、泰平の世では無に等しい。
歴史に「たられば」は、御法度だろうけれど、
家臣に裏切らることがわからなかった、信長の洞察力、
どう評価すればいいのか、私にはわからなくなってきた。

P.S.
意外と「大河ドラマ」ネタの反応がいいので、もう少し続けます。
観ている人、多いんだなぁ。