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| 2014年06月12日(木) ■ |
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| 机の上には「デスクトップ」「ラップトップ」「ノート」 |
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先日、ある居酒屋で、偶然に隣り合わせた、若者たちの会話。 「最近、職場の机も『ノートパソコン』が占領しているよ」 「本当だね、もうなくなったら困るよね、絶対」 「でもそのうち、タブレットとか、スマホになるよね、きっと」 そうか、彼らに「ノートパソコン」というのは和製英語だよ、と言っても きっとわからないんだろうなぁ、とメモをした。 たぶん、大きさから「ラップトップ」パソコン、と推測するが、 机の上にあるなら「デスクトップ」パソコンだよなぁ、と苦笑いした。 膝の上に載せたまま作業出来るから「ラップトップ」なのに、 今では、ラップトップバソコンが、鍵を付けられて、デスクを占領している、 それも「ノートパソコン」と名前を変えて。(笑) パソコンは、どこまで進化するのだろうか、 そして私たちはどんな使い方をするのだろうか、とても気になる。 一家に1台の自動車が、ほとんど家族の人数分の台数になったように、 パソコンも、一家に1台の時代から、家族の人数分を通り越して、 1人が複数のパソコン(タブレット・スマホも含む)の時代へ突入した。 既に「腕時計型」なども考えられているから、まだまだ進化しそうな予感。 しかし、その割には「在宅勤務」が進んでいない気がする。 今は、クラウドを使って、どこでもデータや書類が開けるというのに。 やはり「仕事は会社でするもの」っていう感覚が抜けないのかもしれない。 アルビン・トフラー著「第3の波」は、どこまで予想していたかな。
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| 2014年06月11日(水) ■ |
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| 迷ったら川に来るといいよ、答えが見つかるから。 |
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映画「四十九日のレシピ」(タナダユキ監督)から。 ストーリーとは、ちょっと外れるけれど、 川に関する話が、私のアンテナに引っ掛かった。 永作博美さん演じる主人公・百合子が小さい頃、 ママ母・乙美さんに連れられ川へ行き、母から話を聴かされる。 「百合ちゃん、迷ったら川に来るといいよ、答えが見つかるから。 川はね、いろんなもの、全部の境目なの。 どっちにしようか、行こうか、戻ろうか、迷う気持ちを水に流して、 前に進ませてくれるのよ」 この感覚、なかなか理解しにくいかもしれないが、 毎日、清流の川を眺めながら通勤している私にとっては、 心にストンと落ちた表現だった。 前日までのモヤモヤも、しばらく川を眺めていると消えていく、 何かの判断に迷った時、その流れの速さに呼吸を合わせていると、 す〜っと、答えがみつかることも、実体験として知っている。 だから、こんな感覚で川を眺めている人が私以外にもいたなんて、 と嬉しくなった。 こればかりは理屈でもないし、ちゃんとした根拠があるわけではない。 ただ、じっと川を眺めていると、心が落ち着き、迷う気持ちがなくなる。 それだけのことなんだけど・・。 こんな台詞もあった。「川のそばの家、いい家よ。亡くなった人たちが、 その川の向こうから私たちを見守ってくれているんだもの」 う〜ん、なんだかわかる気がするなぁ。
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| 2014年06月10日(火) ■ |
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| 「公」・「官」・「共」の比較 |
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「公」「官」「共」、似たような使い方をするけれど、 その違いは?と訊かれて、恥ずかしいけれど、うまく説明で出来なかった。 辞書によれば「公」とは「大宅(おおやけ)(大きな家)」の意から、 皇居・天皇・朝廷、さらに公共の意に転じた語。 意味は「政府。官庁。また、国家。 個人の立場を離れて全体にかかわること、など」 反対語は「私(わたくし)」。 「官」とは「国の政務を執行する機関。朝廷・政府など。役所、 役所における職務・地位。また、それをつかさどる人。役人。官吏」 そして「共」は「いっしょに。ともに。」 「共演・共学・共感・共存・共著・共通・共闘・共同・共有」等。 さらに「公共」は「社会一般。おおやけ。 また、社会全体あるいは国や公共団体がそれにかかわること」 そう考えると「公」を使う場合は「私を排除すること」が前提となり、 「官」を使う場合は「民間企業では出来ない(やらない)仕事」を 国民のために遂行する機関・人」ということになりそうだ。 「公共施設」とは「道路・公園・下水道・学校・図書館など、 公共事業によって供給される施設。公共財としての性格をもつ」。 う〜ん、調べたら余計に「わからなくなってしまった感」が残る。(汗) 少なくとも、民間で可能なことは、民間に委託したりして仕事を減らし、 行政しかできないことに力を入れていくことが、大切だと再認識した。
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| 2014年06月09日(月) ■ |
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| インフラの高齢化対応「まったなし」 |
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たぶん・・建通新聞の見出しだった。(月日はメモ忘れました) 「インフラの高齢化対応」という表現が、私には新鮮だったから、 話のネタに・・とメモをした。 もちろん、ハード整備に関しては「長寿命化対策」という言葉もあるが、 老朽化した施設を、なんとかして「もう少しもたせる」という、 そんなイメージが先行して、言葉としても硬い気がする。 「インフラの高齢化対応」というフレーズは、人間と同様に 建物も高齢化(老朽化)してきており、その深刻さは、 大きな事故につながる可能性がある分「まったなし」という単語が、 その緊張感を表現している気がしたから、メモをした。 老朽化しているけれど、もう少し大丈夫だろう、という危機管理のなさが、 日本全国で起きている、想定外の事故に繋がっているとも言えそうだ。 「2020年の東京オリンピック開催」に向けて、道路整備を考えた時、 「1964年の東京オリンピック開催」時に建築した首都高速道路なども、 高齢化(老朽化)が進んでいるという話も耳にした。 日本全国、ハード整備に関しては、国・県の説明を聞く限り、 「整備」から「維持管理」に転換という潮流が、ひしひしと感じられる。 都市計画のことは、まだまだ分からないことばかりだけれど、 「長寿命化」の先には、何が残っているのだろうか、と不安はある。 人間と同様に死亡(崩壊)というわけには、いかないだろうから、 「長寿命化」のあとのことも、考えないといけないよな、と思う。 人間も、インフラも「永久」の命は、ないのだから。
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| 2014年06月08日(日) ■ |
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| 「W杯・コートジボワール戦」、誰とどこで見るか? |
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来週の日曜日に迫った「2014FIFAワールドカップ ブラジル」の初戦。 相手は「コートジボワール」。(日本時間・午前10時から) 前日の土曜日は予定がいっぱいだけど、この日はフリー(予定)。 朝寝坊して、ゆったり起きて珈琲でも飲みながらテレビ観戦、 と決めていたのに、面白い企画を発見、心が動いている。 地元の大型商業施設内の「シネプラザ サントムーン」で、 シアター3(330席)を活用した、パブリックビューイング。 今まで、1度も経験したことがないから・・と思いながらも、 野球好きの私が、サッカー好きになって、皆と大騒ぎ出来るだろうか、 あのノリについていけるだろうか、という不安もある。(汗) (その前に、チケット売り切れかも・・詳細はHPで、要確認) ただ、日本代表が4年ぶりに、日の丸を背負って戦う試合を、 リアルに一所懸命応援したい、という気持ちを大切にもしたい。 だから、今回の気になる一言は、 「『W杯・コートジボワール戦』、誰とどこで見るか?」 今回の企画は、全国ロードショーばかりを上映しがちなシネコンが、 地域に根ざした企画として、拍手を送りたい。 そして、映画館って、そんな利用の仕方もあるんだ、という驚きと、 どんどん広がる、私の妄想に近い企画と、コラボレーションした時、 面白い世界が始まる予感がする。 やっぱり、地域の資源、大切にしなくちゃなぁ。
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| 2014年06月07日(土) ■ |
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| 浅倉南さんの得点「9.75」 |
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映画「タッチ2 さよならの贈り物」(杉井ギサブロー監督)から。 う〜ん、どうしてもアニメなんだから、いいじゃん、それくらい、 という視点で観れない自分が、情けない。(汗) ファンタジーや未来志向の作品等だと、リアルな光景と比較しないから、 楽しめるのに、自分が通ってきた高校時代の話だと、つい力が入る。 それもスポーツの難しさ・厳しさも知っているので、始末が悪い。 「まともにキャッチボールもやったことない」とたっちゃんが、 高校からピッチャーを始めて、甲子園に行く設定も考えにくいし、 全然練習していない南ちゃんが、新体操の大会で優勝しちゃう設定も、 ついついストレスが残ってしまった。 だって、新体操でミスしてしまった南ちゃんの演技得点が「9.75」。 えっ、あのミスさえなければ「10.0」もあったのか、とまたまたメモ。 実現不可能な「魔球」とか「必殺技」なら、高得点も割り切れるのに、と 映画作品として楽しめない自分のちっちゃさを実感してしまう。 どうやらこれが、私が「タッチ」に感情移入ができない理由だな、きっと。
P.S. どうして、こんな話題かというと、本日、地元のサントムーン柿田川へ タッチの浅倉南ちゃん役の声優、日高のり子さんが来館。 (正確には、ラジオ番組のスペシャルゲストとして、特設スタジオへ来館) 日高さんと言えば「タッチ」の浅倉南ちゃんや、 「となりのトトロ」の草壁サツキちゃんなどが有名かな。 楽しみにしていたのに、私はその時間、突然の仕事で伊豆の国市へ。 あの南ちゃんの声で「しもさん、お仕事頑張ってね」って、 言われたかったのになぁ、あ〜残念。
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| 2014年06月06日(金) ■ |
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| 日本人にとって、自然はただか? |
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日本大学国際関係学部・市民公開講座(平成26年度上期) 統一テーマ「富士山 世界遺産登録とその魅力」 講師「静岡大学 特任教授・名誉教授 増澤武弘氏」 演題「世界文化遺産を守る富士山の自然」から。 富士山を「世界自然遺産」にしようという頃から携わっている、 講師の話は、とても説得力があった。 「富士山世界文化遺産」の25の構成資産をみれば、 「富士山の自然」が支えていることが一目瞭然であり 「自然が文化を育てた」というフレーズが、とても輝いていた。 また、今、富士山頂に大きな変化が起きている話、 (永久凍土の減少・緑のカーテンをはじめ「緑」の増加など) 森林限界 (約2,500m) が、ぐっと上がっている話、 ブナ落葉広樹林の特徴と、青木ケ原の現状などの話など、 どれも、興味深い話で、あっという間の1時間半だった。 最後に、聴講している私たちに向かって、示されたフレーズ。 「日本人にとって、自然はただか?」のインパクトは強かった。 「この発想を変えないと・・自然が消滅してしまう」と呟いた、 彼の想いが、56歳の誕生日プレゼントとなった。
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