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| 2014年05月29日(木) ■ |
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| 富士登山は「元気になって戻ってくるため」 |
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日本大学国際関係学部・市民公開講座(平成26年度上期) 統一テーマ「富士山 世界遺産登録とその魅力」 講師「日本大学国際関係学部元教授 高山茂氏」 演題「世界遺産 富士山と庶民信仰」から。 私にとっての恒例行事となっている「市民公開講座」、 統一テーマが「富士山」だったためか、 例年に比べ、今回は聴講者が多かった気がする。 私の「富士山」に対する疑問のひとつだった 「日本人は、なぜ富士山に登りたがるのか?」のヒントが 見つかったから、嬉しくなった。 江戸時代、各所で結成され庶民一般の間にくまなく広がった 富士信仰を中心として親睦、娯楽的側面も合わせもつ、 独特の信仰形態である「富士講」と呼ばれる組織の活動から、 なるほどな、と感じてメモをした。 富士登山は「時間をかけて、登って戻ってくるということは、 一度死んで生まれ変わってくることを意味する」らしい。 だからこそ「御来光」と呼ばれる、朝日を浴びることは、 「新しい命」(エネルギー)をいっぱいに浴びことに他ならない。 イコール「富士登山は『元気になって戻ってくるため』」。 頂上から雲海を眺めるため、登頂した達成感を味わうため、も 大きな動機となるだろうが、本来の意味を知っておいて欲しい。 富士登山の翌日に「疲れたぁ〜」という同輩がいたら、 へそ曲がりだけど、この意味を教えてあげて欲しい。(笑)
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| 2014年05月28日(水) ■ |
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| ごめんなさい・・使い方に慣れてなくて。(汗) |
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柿田川公園、最新の「ホタル情報」を知りたくなり、 先日、夜8時頃、ひとりで真っ暗な公園内をうろついた。(笑) そのホタルを期待してなのか、暗闇が好きなのか 公園内には、何組かの若い(アベック・カップル・ペア)がいた。 せっかくの雰囲気を邪魔しちゃ悪いな、と思ったが、 目の前に数匹のホタルが飛んでいたので、チャチャッと撮影して、 サッとその場を立ち去るつもりで、スマホのシャッターを押した。 ところが・・カメラの設定がまずかったのか、押しすぎたのか、 大人の雰囲気を漂わせていた第1展望台に、連写の音が鳴り響き、 追い打ちをかけるように、ストロボがパシャパシャ。(あちゃ〜(涙)) 突然のアクシデントに気が動転し、慌てている上に暗闇だから、 もうバニック状態、そのままひと声掛けて退散となった。 今から考えると、その一言もいらなかったな、と思うけれど、 「ごめんなさい・・使い方に慣れてなくて。(汗)」 背の低い彼女を後ろから包み込むようにして、優しく抱きしめ、 暗闇にかすかな光を放つホタルを、いい雰囲気で眺めていたのに、 このオヤジのために滅茶苦茶にされた、そう思われても仕方ない。 (今回は、ただただ謝るしかない、本当にごめんなさい) もう少し、スマホのカメラの使い方、勉強しなくちゃなぁ。
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| 2014年05月27日(火) ■ |
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| 自分勝手だが、真実を真実だと言える強さがある。 |
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映画「風と共に去りぬ」(ビクター・フレミング監督)から。 鑑賞後「アカデミー9部門受賞のハリウッド映画史上不滅の最高傑作。 アメリカ南北戦争前後のアトランタを舞台に、 炎のような女、スカーレット・オハラの波乱万丈な半生を描いた ロマンスの金字塔的作品」という作品説明に首を捻った。(汗) 「これがロマンス映画?」という疑問は、未だに消えていない。 「風と共に去りぬ」(原題 Gone With the Wind)というタイトルも、 映画の冒頭に流れるナレーションにだけ、そのフレーズがある。 「騎士道を重んじ綿畑が広がるその土地は『古き良き南部』と呼ばれた。 その美しき世界には、逞しい男たちや華やかな女たちが生き、 そして支配者たちは奴隷を抱えていた。だが、それも今は夢の中のお話。 すべてが風と共に過ぎ去ったのだ。」という個所のみ。 多くの方が「名作だ」「傑作だ」「素晴らしい」と評価するレビューを眺め、 自分の感性の低さを嘆き、落ち込むことになった。 私は、大切なものを見落としているのかもしれない、と感じるが、 今の時点では、あまり心を揺らすような台詞は見つからなかった。 強いて言えば「スカーレット」に「レット・バトラー」が求愛するシーン、 「俺たちは似ている。自分勝手だが、真実を真実だと言える強さがある」 この時代に、自分の信念を曲げず、力強く生きた彼女には拍手ものだが、 やっぱり「自分勝手」のイメージが払拭できなかった。 これを「情熱的」と捉えるか「自己中心的」と捉えるかは、判断が分かれる。 あのレット・バトラーでさえ、最後にこう言いきって別れを告げた。 「お前は子どもだ。謝れば何でも許されると思ってる」 その台詞、私が長時間感じていたことだ、とメモ帳を閉じた。
P.S.(ちょっと「気になった一言」) 「時を浪費するなかれ、人生とは、すなわち時なり」 「生まれつき、弱い者に加勢したくなる」 「私は恩を忘れないわ」 「だが、君はまた同じことを繰り返す。 盗んだことより、監獄に入る事を後悔する泥棒と同じだ」 「君は哀れだ」「私が?」「そうだ、幸せを両手で投げ捨て、不幸を求めている」
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| 2014年05月26日(月) ■ |
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| 投資されるということは、変わるきっかけとなる |
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都市計画の仕事に携わって、約2カ月。 年度当初、国・県の動きを示す会議が矢継ぎ早に続き、 やっと覚えた「新規」の情報や単語、人間関係に、 これから覚えなければいけないことが「上書き」されて、 まだ自分の思うように、情報が整理されていない。(汗) それでも、会議で耳にした、まちづくりのプチ情報を、 生涯学習の時と同様に「気になる一言」にしていこうと思う。 今回は、県幹部職員挨拶の一部から。 説明を受けた国や県の「平成26年度の事業方針」や 「事業の概要・補助制度」など、盛りだくさんのメニューを 確かめながら、この言葉が蘇ってきた。 「投資されるということは、変わるきっかけとなる」 裏を返せば、その地域に、公共投資が計画されないということは、 変わるきっかけがなかなか掴めないことを意味する。 素人ながら、そんなイメージでこのフレーズをメモした。 乱暴な言い方だが、私たち行政職員がしなければならないことは、 少しでも多く、その地域に公共投資されるよう努力することだろう。 国や県が、あそこに「投資」したいな、と思いたくなるような計画、 これをアピールすることが、何よりも大切だと知った。 「変わるきっかけ」をいただいたら、それを利用して、 本当に「変わる」活動するのは、私たち住民であることを、 忘れてはいけないな、と、メモを読み返した。
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| 2014年05月25日(日) ■ |
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| うるさいんだよ・・お・だ・ま・り(笑) |
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NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」(第21回 松寿丸の命)から。 (というより、一緒に観ている夫婦の会話から・・) 今年は大河ドラマの一言が少ないですね、というメールをいただいた。 ほとんど観ているというのに、調べてみたら確かに少ない。 (2回ほど、6時からのBSも土曜日の再放送も見損なってメモがないが・・) メモもしているのに、なぜか一言のネタにならない。(汗) よく考えたら、歴史年表どおりなので自分の中で盛り上がらない。 官兵衛が、いくら死にそうな牢獄生活を送っていても、 結局は、有岡城落城の際に助け出されることを知っているし、 息子の松寿丸が殺された、とドラマの中で騒いでいても、 結局は生きていて、黒田長政として関ヶ原で活躍するなんて知識が 今回は邪魔をしているような気がする。 日曜日の夜、夕食を終えてから夫婦で楽しみにしながら観るのだが、 ドキドキしながら観ている妻の横で、私がついつい「その後」を口にする。 彼女にしては、どうもそれが気に入らないらしい。 殺人事件のミステリーで、犯人を教えられるのと同じ感覚なのだろう。 今回も、ぶつぶつ独り言のように話していたら、さすがに言い返してきた。 「うるさいんだよ・・お・だ・ま・り(笑)」 私は「そうだよなぁ、ごめん、ごめん」と謝るしとかなかった。 史実どおりの展開は、ストーリーとしては安心できるけど、 もう少し、脚色してもいいんじゃないかなぁ、結果が同じなら。(汗)
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| 2014年05月24日(土) ■ |
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| 相手が立ったら手を放してやらないとな。 |
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書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(帰山)、 小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。 利広と風漢の2人は酒を酌み交わしつつ、 安定した治世が120年続いていた柳国が傾きつつあるという話を 語り合った。利広が長年の経験から心得ていたことは、 「国が傾きつつあるというのに、住人たちの様子が明るい。 これは国が危険な状態にある証拠だと」。 また「表面上は、何の問題もないふう、 しかしその奥底には無数の亀裂が入っている」と分析をした。 そんな話を読みながら、国が傾いたときの心得として 「物を送りつけるのは良くない。独立不羈の心を挫いてしまうからな」、 と、やや厳しい言葉にも、納得してしまった。 「荒民にとって一番必要なものは、辛抱することと希望を失わないことだ。 我々が援助してやることは必要だが、 相手が立ったら手を放してやらないとな」 と、我々が陥りやすい支援の仕方に釘を刺した形が、印象深かった。 いつまでもいつまでも、援助してやれないのだから、 自立心を育てるためにも、心を鬼にして突き放す・・なるほどなぁ。
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| 2014年05月23日(金) ■ |
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| 東京のおもちゃ工場です |
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映画「男はつらいよ 第7話『奮闘編』」(山田洋次監督)から。 (封切日:1971年4月28日) 今から40年以上前の作品だから、逆に面白いシーン満載。 以前紹介した、当時の沼津駅前の様子もわかる貴重な映像は、 時代の証人としての役割も担っている気がする。 今回、この映画の冒頭シーン、寅さんが東北のある駅で 若者たちとこんな会話をする。 「集団就職か?」「はい」「どこへ行くんだ?」 そして元気よく「東京のおもちゃ工場です」と答える。 そうかぁ、40年前の日本はこんなだったんだ、と ひとりで面白がって、メモをした。 今では、餃子でさえ中国で作る事態になった。(汗) 「男はつらいよ」って歴史映画かもしれないな。 なんたって、寅さんのお母さん役を演じる 「ミヤコ蝶々さんのミニスカート姿」も拝見できる。 そんな視点で見ると、また違った楽しみが映画にはある。
(おまけ) 「ちょっとも変わっていない」という台詞があった。 「ちっとも変っていない」と違うのだろうか。う〜ん、気になる。
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