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しもさんの「気になる一言」
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2014年03月13日(木)
「必要なものを買いなさい」と「大切に使いなさい」

書籍「稲盛和夫 最後の闘い」(JAL再生にかけた経営人生)
(大西康之著・日本経済新聞出版社刊・224頁)から。
上層部の意識改革は、JAL再生の大きなファクターであったが、
破綻を経験した社員の「金」に対する考え方が変わったことも、
見過ごすことができないと思う。
親方日の丸的な「大雑把な中期計画しか持たなかった会社が、
部門別で日ごとの収支を管理するようになり、
『自分は今日、会社の利益に貢献したのか、
それとも赤字を作ってしまったのか』が一目で分かるようになった」
このシステムを長々と説明する気はないが、
「『予算』という言葉には『消化する』という官僚的な思考が潜む」
のフレーズに、ちょっとギクッとしたのは言うまでもない。
しかし、もっとわかりやすい説明を見つけた。
子どもに5,000円渡す時、何と言うか、そんな例えだった。
「必要なものを買いなさい」と言って渡すと、いろいろなものを買い、
「必要だったから買った」と言い訳をする。
しかし「大切に使いなさい」と言って渡すと、買うものを吟味し、
無駄にならないように節約する。
この例えを読んで、仕事にも生活にも、使える発想だな、と思った。
「必要なものを買いなさい」と「大切に使いなさい」
この違いは、大きいなぁ。



2014年03月12日(水)
3月11日だけ『電気』を停めてみてはどうか

昨日「3.11 東日本大震災」を風化させないために・・と、
全国でさまざまな関連イベントが開催され、
地震発生時の14時46分には、多くの国民が「黙祷」をした。
阪神淡路大震災の時のことは、忘れてしまったかのように。(汗)
ぬくぬくとした家屋の中で、新聞・テレビ・インターネットを通して
あの時、何をしていたかな?と振り返る程度で「風化」はとまらない。
当時、もちろん地震の揺れの大きさに驚いたが、
東京で働いていた娘の「安否確認」と、
突然決まった「計画停電」が印象に残っている。
「生死」はもとより「帰宅難民」になっていないだろうかという不安は、
「私はだいじょうぶ」という娘からのメールが届くまで続いた。
それからしばらくして、東電から「計画停電」のお知らせ。
社会教育・社会体育といった「公共施設」をたくさん抱える中、
当日にならなければわからない状況が毎日のように続き、
それでも、施設の位置でグループを確認しながら、なんとか乗り切った。
その後「節電」「省エネルギー」という言葉が氾濫し、
「緑のカーテン」と称してゴーヤを育てたりもした。
それが今では、震災前と変わらない生活に戻った気がする。
あの時の気持ちを忘れないように・・と国全体で取り組むのなら、
突拍子のない提案かもしれないが
「3月11日だけ『電気』を停めてみてはどうか」と思う。
私は昨日、寒さの中、手袋なしに歩いてみたら、
1時間で手の感覚がなくなってきて、痛い感じすらした。
こういう体験をすることでも、被災者のことを考える機会となる。
私はたぶん、毎年、寒い中を歩き続けることで、思い出したい。
「風化させない」ってこういうことじゃないのかな。



2014年03月11日(火)
海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・

映画「遺体 明日への十日間」(君塚良一監督)から。
3.11(東日本大震災)を題材にした映画をこれまでも何本か観てきたが、
私は、この作品の取り上げ方が一番納得できた気がする。
当時の津波映像が使われるのは、あまりにもリアル過ぎて、
被災者のフラッシュバックを考えると賛成できないし、
かといって、お涙頂戴的に、妙に「絆」を強調する作品は、
映画とわかっていても、リアル感が感じられない。
今回の作品は、今までマスコミなどがスポットを当てなかった
「遺体安置所」という場の設定と、徹底取材にも基づいた、
五感をフル活用した台詞などが、私を驚かせた。
マスコミは、津波映像に代表されるように、
視覚を中心に「3.11」の悲惨さを伝えようとするが、
視聴者にはなかなか伝わってこないのが現実。
だからこそ、津波現場から戻った人の台詞は、重たかった。
「海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・」という嗅覚や、
(遺体に向かって)「寒くないですか?」と話しかけるシーンや、
「暖かいお茶、ありませんか?」と触覚を通して寒さを伝えるシーン、
さらには、日蓮宗のお上人さんが、悲しみや辛さからかお経に詰まり、
お経独特のリズムが崩れるといった、聴覚で表現した悲惨さが、
視覚からもたらされる映像以上に伝わってきた。
東北の人たちは、当時のことを多く語らないけれど、
「海水に、下水やガソリンが混じって凄い臭いで・・」の台詞で、
頷く人たちも多いのではないだろうか。
実は、この表現された臭い、1つひとつは想像できるのだが、
混じった臭いが、なかなか頭の中で想像つかないのは、
私が視覚ばかりに頼っていたからに他ならない。
視覚以外に訴えた「3.11関連作品」、図書館で探してみようと。

P.S.
番組冒頭に「2016 いわて国体」と書かれた「のぼり旗」を発見。
そうか、あと2年後は「いわて国体」なんだな。



2014年03月10日(月)
毎回観てますよ、軍師・官兵衛

「しもさん好みのはずなのに・・」と前置きして、
「今年はNHK大河ドラマの話題が少ないですね」とメールが届いた。
そう言えば、貴重なメルマガの読者や、mixi、facebookのお友達を始め、
ネットで繋がっていない人にも、似たようなことを訊かれた。
しかし、その答えは「毎回観てますよ、軍師・官兵衛」。
たしかに、もう10話を数えたのに「気になる一言」に登場したのは、
1月当初の3回だけ。(笑) 
「あれ、今年は観ていないのかな?」と思われても仕方がないが、
それだけ、他の話題が多すぎたってことなのかもしれない。
竹中直人さんが演ずる、秀吉ではないが「心配御無用」、
ちゃんとメモもしてあるので、そのうち顔を出すだろう。
(あっ・・「心配御無用」ではなく「心配に感謝」だったね。(汗))
実は、まだ物語序盤ということもあり、主人公「官兵衛」の台詞より、
「竹中半兵衛」や「家臣」の発言のほうが心に強く残っている。
まだまだ「喜怒哀楽」に振り回されて、感情的に動いてる若き官兵衛がいる。
私が期待している「策士・軍師」としての官兵衛は、これから。
どんな策略で、世の流れを変え、時代を動かしていったのか、
そして出家して「如水」となってたからの官兵衛に関心がある。
「水のように生きよう」とした彼から、いろいろなことを学びたい。



2014年03月09日(日)
品がないな、インターネット「バカ発言」の見出し

最近、インターネットのニュース見出しに不信感を抱いている。
今朝、起きてすぐ見つけた見出しは「松山英樹に『バカ』発言波紋」。
記事をじっくり読んだら、男子ゴルフの松山が13番でパットを外した際に、
軽くグリーンを叩いて無意識に傷つけていたことに対し
「なぜマツヤマはグリーンにクレーターを残したままなのか。
そのためにレフェリーが損傷を修復しなければならなかった。バカだ」と
ツイートしたものらしい。(「バカ」という訳が正しいとも思えないが)
ツィッターは、呟きなのだから、そんな話題にするほどのことでもない。
マスコミが面白おかしく「今大会で話題を呼んでいる」と書き、
私たちのような読者に読ませようとしている気がしてならない。
続いて、11時頃には「松山英樹『バカ』発言で和解」の見出し。
そして、詳細に記された事の成り行きを読み直すと、
問題とした発言も「バカ」から「愚か者だ」と訳が変わっていた。
「バカ発言」という単語が、どれだけインパクトが強いのか知っていて、
見出しを付けているとしたら、それは「イジメ」や「差別」に関して、
あまりにも「無神経」な対応とは言えないだろうか。
小市民の私たちでさえ「言葉の暴力」として認識し、
「バカ」という単語の使い方に敏感になっているというのに・・。
だから今回は、私の雑感を残そうと思う。
「品がないな、インターネット『バカ発言』の見出し」。
それにしても、ゴルフ・サッカー・ベースボールなど、海外で活躍している
日本人選手に向けた他国の人たちの発言にまで、私たちが敏感すぎると、
頑張っている彼らが仲間はずれにされてしまうのではないかと心配になる。
少なくとも「訳す人」は、それなりの心構えで・・お願いします。



2014年03月08日(土)
ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に

わが町の小学校六年生が、第4回白鵬杯(相撲大会)に優勝した。
もちろん、第69代横綱「白鵬翔」が名誉会長を務める全国大会。
(日本・モンゴル・中国・韓国親善交流少年相撲大会)
会場も当然「両国国技館(東京)」、
名実共に少年相撲の最高峰とも言える大会での優勝である。
そんな彼の頑張りを、町民有志が手作りでお祝いしようという会が催され、
スポーツの主管課長である私も、参加させていただいた。
体を比較すれば、参加された大人の誰よりも大きく、(足は29センチだとか)
今後の活躍が期待される逸材と言っても過言ではないだろう。
彼を応援する多くの方が、彼に向けて激励の言葉を掛けた中、
私が一番印象に残ったのは、彼が通っている小学校校長の挨拶。
この素晴らしい成績は、町にとっても、彼が通う小学校にとっても、
そして彼を囲む友達にとっても、大変嬉しいことと、
素直に喜びを伝えてくれたあと、彼に向けて発したフレーズが、
「ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に」。
言葉としては短いけれど、1年間ずっと観続けてきた校長先生らしい、
とても温かみのある激励だったな、とメモをした。
一つの頂を極めても、もっと違う頂があるはず、貪欲に挑戦して欲しい、
しかし優勝したからと驕らず、もっともっと謙虚に練習に励んで欲しい。
そんな意味を考えながら、このスピーチを聴いた。
小学校の人気者だった彼が、この春卒業して、中学校へ進学する。
これから、いろいろな壁にぶつかることだろう。
そんな時「ますます貪欲に、そして、ますます謙虚に」を思い出して、
一歩ずつ、階段を昇っていく姿が目に浮かぶ。
私たちだって、この姿勢を仕事に生かしていけるはずだなぁ。



2014年03月07日(金)
「よう」になるなら「ら」は必要、「ろう」は不要

書籍「日本人の知らない日本語4」(蛇蔵&海野凪子著・
メディアファクトリー刊・143頁)(番外編・外国編)から。
日本語を学びたければ、外国人相手の日本語教師に学べ!!
そう言いたくなるような、新しい発見がある。
以前、話題になった「ら抜き言葉」。
言葉は時代によって変化する、そんな考え方もあるが、
若者の言葉の乱れを声高に叫んだ人も多かった気がする。
ではその「ら抜き言葉のチェック方法は?」と訊かれると、
すっと説明が出来ないのも事実であるが、その見分け方が
この本に書かれていた。
例えば「投げれた」「走れた」をチェックしたい場合、
「〜しよう」の形に変えてみて、とアドバイスが掲載されている。
「投げる→投げよう」「走る→走ろう」・・そんな形に変えてみる。
そして「『よう』になるなら『ら』は必要。『ろう』は不要です」
そう書いてある。
だから「投げれた」は「投げられた」、「走れた」は「走れた」が正しい。
この法則に従って「開けれる」「座れる」をチェックしたら、
「開ける→開けよう」だから「ら」は必要で「開けられる」、
「座る→座ろう」だから、「ら」は不要。
国語の先生より、外国人相手に日本語を教えている先生のほうが、
わかり易い説明が出来るのかもしれないな。