初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2014年02月13日(木)
小さい時に厳しく、成長とともに徐々に緩める

本日、皇太子さまが、わが町を訪れたことを記念して、
書籍「おかあさん」(丸山敏秋著・新世書房刊・295頁)から。
ある講演を聴いて、この本が紹介され、興味をもった。
「おかあさん」という言葉は、温かみがある単語であるが、
なぜか恥ずかしくて、なかなか使うことが少なかった気がする。
筆者と多くの方の対談で、メモは予想以上に増えたが、
「おかあさん」と結びつかなかった皇后陛下の子育てについて
書いてあった話が印象に残った。
「美智子様の子育ては、小さい時に厳しく、
成長とともに徐々に緩めるという方針だったようです。
そして、一番の基本は『人間として立派であること』、
将来の皇位継承者として、どのような環境にも耐え、
凛とした態度を貫く強さを持たせることでした」
この部分は、皇族に限らず、私たちだって真似したいこと。
だから、逆の視点で考えると「小さい時に甘く、
成長とともに徐々に厳しくするという育て方は、
人間として立派であること、に遠のいてしまう気がした。
いくら親がこのことに気付き、厳しく育てようとしても、
孫可愛さで、祖父・祖母が甘やかしては、
立派な人間に育つことも出来ない、と認識して欲しい。
「三つ子の魂百まで・・」と教わっているのに、
どうして現実はできないのだろうか。(汗)



2014年02月12日(水)
「真珠湾は失敗だったな」「ああ、大失敗だ」

映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」
(太平洋戦争70年目の真実)(成島出監督)から。
「山本五十六」という指揮官の下で働いてみたかったなぁ、
これが鑑賞後、私の第一声であった。
もちろん主人公「山本五十六」の生き方を描いたので、
カッコよく脚色したところはあるかもしれないが、
それでも、この司令長官に見習うところは多かったと思う。
最後まで開戦に反対をしていた彼が、開戦の火ぶたを切る
真珠湾攻撃の聯合艦隊司令長官として活躍し、英雄視された。
その時の彼の心の内を考えると胸が締め付けられる。
そんな彼が、日本のマッカーサーと呼ばれた「堀栄三」と
心を開いて会話するシーンがある。
堀「真珠湾は失敗だったな」山本「ああ、大失敗だ」
日本国中が「アメリカ太平洋艦隊壊滅」とはがり、
歓喜の渦に包まれている中、彼らは失敗だったと。
根拠は「湾内に空母の姿はなく、無傷」、
「軍の施設や燃料タンクも手つかず」と冷静に判断している。
それが今後、どんな意味を持つのか、予想もしていたのだろう。
しかし「真珠湾攻撃は大失敗」という彼の言葉は、
とうとう最後まで軍部の中枢には届かなかった。
彼を「英雄」とするのであれば、彼の忠告に耳を傾ける、
そんな上官がいなかったから、戦争に負けた気がした。



2014年02月11日(火)
「観られる、聴かれる経験」を支援するボランティア募集

地元の2中学校吹奏楽部と、同じく地元の沼津商業高校吹奏楽部が、
町制施行50周年記念イベントとして、合同コンサートを開催した。
1部から3部は、それぞれの吹奏楽部の単独演奏、
4部は、3校による合同演奏というプログラムを楽しみに聴いた。
自分は40年前(15歳)、どんなことに夢中になっていただろうか、
そんなことを思い出しながらも、あることが気になった。
どうして中学生と高校生、たった3年間でこんなにも違いがあるのか、
たぶん、音色、テクニックだけの問題ではなく、
舞台上での落ち着きや余裕なのかもしれないな、と感じた。
では、その余裕を子どもたちはどうしたら得られるのか、
私たちは子どもたちに何をしてあげられるのか、を考えたら、
発表の場を与えるだけでなく、大勢の観客を集めることだと気付いた。
「観客に観られながら(スポットライトを浴びながら)演奏する経験」や
「学校関係者以外の人に聴かれる経験」は、子どもたちには難しい、
たぶん、普段の練習では経験することは出来ないことだろう。
だからこそ、私は舞台度胸をつける練習を支援したいな、と思う。
町民のひとりでも多く、演奏会場に足を運び、
上手くいかなかったときは「頑張れ〜」と声援し、
上手く出来た時は、割れんばかりの拍手を送るボランティアが欲しい。
「『観られる、聴かれる経験』を支援するボランティア募集」
そんなポスターでも貼ろうかな。



2014年02月10日(月)
眼鏡は「道具」?、それとも「おしゃれ」?

先日、娘がメガネを買いたいというので、付き合うことにした。
最近は、モダンなメガネショップが多くなったと聞いていたが、
一見、ブティクと見間違うような内装に驚かされた。
さて、問題はこれから。(笑)
男であり、中間管理職の私が選ぶとしたら、機能的なこと。
パソコンの画面をずっと見ている時間が長いから、
軽さとか、かけ心地を最優先して選択するだろう。
言い換えれば、眼鏡は仕事の「道具」として考えている。
しかし、娘や妻は、顔の形や髪型に似合うメガネ、
着ている服とのバランスなんかも気にしているようだ。
勿論、視力矯正の意味もあるから、そればかりとは言えないが、
同じ「眼鏡・メガネ」なのに、こうも違うとは・・。
そんな疑問を感じて「眼鏡は『道具』?、それとも『おしゃれ』?」。
そして「パパも少しは、お洒落なメガネにしてみたらどう?」
そんなメッセージ込めてだろうか、渡された眼鏡は、
今までの私なら、たぶん選ばないデザインだった。
「丸顔に丸い縁の眼鏡じゃ、のび太と間違えられるよ」と照れたが、
少しは自分の枠を超えて、試してみようかなって気になった。



2014年02月09日(日)
しまった、と思った時には、もう遅い

書籍「幻夏」(太田愛著・角川書店・395頁)から。
殺人事件とはいえ「静岡県三島市」の地名が作品に出てきたので、
いつもと違った感覚で、のめり込んでしまった。(笑)
「財布の中に、静岡県三島駅前のコンビニのレシートが入っていた。
コンビニでハンカチと缶珈琲を購入している」のくだりで、
きっとあのコンビニだな、とか、あの当時、コンビニはあったかな?など
時代考証までしてしまうから、困ったものだ。(汗)
さて、メモを整理していて気付いたことだが、教訓めいたフレーズが多い。
一番気に入ったのは「鑓水(やりみず)には、
これまでの人生の様々な局面において強く実感した教訓がいくつかある。
そのひとつが『しまった、と思った時には、もう遅い』というやつだ」
その他にも「圧倒的に強い相手と戦う時は、相手を近づかせちゃ負けなんだ、
遠くからやっつける」
「愛情は血の繋がりによって発生するものでもなければ、
万人に内在しているものでもないのだ」
「世界の涙の量は、常に不変である」
「妻が殺された時には夫を、夫が殺された時には妻を疑え」
「人の心は、硝子のように壊れたりはしない」
「過去に関する「もし」は、全部、起こらなかったことだ。
そして、起こってしまったことは、いつだってもうどうにもならないのだ」
「力を持つ者が、力を行使しなければ、秩序は保たれないからだ」
こういったフレーズを見つけると、妙に嬉しくなる私がいる。
それにしても「しまった、と思った時には、もう遅い」は、名言だよなぁ。
短くてもインパクトがあり、忘れにくいから。



2014年02月08日(土)
どさどさ、どすん・・なっ、なんの音?

今日は、午後からお世話になっている人の講演会、
夜は、これまたお世話になった人のお通夜・・とあって、
書きたいことはいっぱいあるのだけれど、
雪がこんなに積もったことを、あえて記録に残そうと思う。
何年経っても思い出せるフレーズを探して文字にしたら、
「どさどさ、どすん・・なっ、なんの音?」となった。
静岡でも雪が降ることは、何年かに1度はあることだから、
そんなに驚かないけれど、今回みたいに積もることは少ない。
それも「夜に降り始めて、朝起きたら銀世界」は時々あるが、
昼間からしっかり積もり始めるのは、私の記憶でも珍しい。
ストーブで暖をとっていたら不気味な音が「どさどさ、どすん」。
聞き慣れない音に、家族で「なっ、なんの音?」と驚いた。
どうやら、2階の屋根に積もった雪が1階の屋根に落ちた音らしい。
(勿論、あとで気付いたのであるが・・)その時の不安を文字にしたら
「どさどさ、どすん・・なっ、なんの音?」となった。
北海道・東北・北陸など、雪国に住む人たちにとっては、
そんなことで驚いていたら、何日も降り積もって
その重みで家がギシギシする音なんて聞いたら、
どうなっちゃうんだろうね?とお叱りを受けそうだ。(汗)
やっぱり、自然の力ってすごいなぁ・・と思うと同時に、
子どもたちに「雨」と「雪」と「霙(みぞれ」)の違いを教えるには、
絶好の機会だったなと思う。
明朝、自宅の窓から眺める景色が楽しみである。



2014年02月07日(金)
教室内(先生と生徒)で情報格差がある

講師「板垣徹」氏(NPO法人静岡パソコンサポートアクティビティ)

演題「大人のためのウェブチェック講座」から。
彼の話を聞くのは2度目であるが、すでに内容が違っていた。
それは、情報社会が急速に発展していることを物語っている。
今の親は、子どもの塾通い(危険防止)のために、仕方なく
携帯・スマホを持たせると思っていたら、最近では、
塾が終わると、塾側から親の携帯・スマホへ「今、塾を出ます」と
メールが届くらしい。
そんな情報環境の変化で一番印象的だったのは、
子どもたちを取り巻く現状を把握するべき学校の先生は、
携帯・スマホを使わなくても良い(使わない)環境にいて、
かえって、子どもたちの気持ちがわからない。
言い換えれば「教室内(先生と生徒)で情報格差がある」。
正しい情報教育を受けていない(受ける必要がなかった)先生が、
生まれた時から、インターネットが使えた世代の子どもたちに、
教える難しさは、苦労があるに違いない。
しかし、それが現実であり、「先生の情報教育」を進めなければ、
「情報格差」はますます広がることが懸念される。
まずは「教える側」が「そんなものは必要ない」という意識から、
「知らないと、社会に出て困る」という意識に変えないと、
大変なことになる予感がするのは私だけだろうか。

P.S.(講演で紹介された)
「13歳の息子へ、新しいiPhoneと使用契約書です。
愛を込めて。母より」・・ネットで検索してみてください。