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| 2013年08月01日(木) ■ |
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| 零戦・・「作った日本人」と「乗った日本人」 |
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最近、映画好きの人から「風立ちぬ、観ました?」と訊かれるが、 実はまだ観ていない、と言うよりも、たぶん、映画館では観ないと思う。 というのは、書籍「永遠のゼロ」(百田尚樹著)に書かれていた こんなフレーズを思い出していたからだ。 「八時間も飛べる飛行機を作った人は、 この飛行機に人間が乗ることを想定していたんだろうか」 性能が良すぎて、1回飛び立てば、八時間は飛行出来る・・ だからこそ、他国のパイロットとは比較にならないほど 身体的にも、精神的にも疲れ果ててしまうようだ。 いつ相手から攻撃されるかわからない緊張感の中、 八時間もの長い間、操縦桿を握り、その間に敵と生死をかけて戦い、 さらにギリギリの燃料で帰還することを要求される。 より美しい、より性能のよい飛行機を作った人に罪はないが、 どうしても手放しに、映画「風立ちぬ」を観れない理由がそこにある。 もの凄い速さで空を飛ぶ戦闘機に、八時間という長さの緊張感、 現場主義の私には、どうしてもパイロットの気持ちの方が心に引っ掛かる。 この冬(12月)に公開予定の、映画「永遠のゼロ」を観てから、 私なりの感想を書きたいと思う。
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| 2013年07月31日(水) ■ |
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| 「朝マック」VS「朝松屋」 |
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町制施行50周年記念行事、町民ふれあいラジオ体操。 朝6時30分から、老若男女の町民500人超が一箇所に集まって、 「新しい朝が来た、希望の朝だ」・・と大合唱。 続けて「ラジオ体操第一、第二」をし、自分の節々を確かめた。 爽やかな青空とはいかなかったが、成功裏に終えたと思う。 参加者が帰り、会場の片づけを終えたところで、 わが課のスタッフに「朝飯を食べに行くぞ」と声を掛け 「早寝・早起き・朝ごはん」のフレーズどおり、 近くの「松屋」でご飯、と思いきや、私以外は「マック」希望。 「朝といえば、マックでしょ」が彼らの主張だった。 そんな訳で、55歳の私にとって、初めての「朝マック」体験。 「朝から、ハンバーガーやポテト」に抵抗があったが、 食べてみると「なるほど・・」、これが「朝マック」か、と 感激に近いものがあった。(笑) 近くに「吉野家」があったときは、胸を張って 「朝といえば、吉野家の朝定食」と言えたのになぁ。(汗) 喫茶店のモーニング珈琲も、捨て難いかも・・。 読者の皆さんは、外で食べるを前提に「朝といえば」どこですか?
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| 2013年07月30日(火) ■ |
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| 品物じゃなくて、時代を売る |
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映画「時代屋の女房」(森崎東監督)から。 店内の雰囲気だけでは、骨董屋・古道具屋、 それなのに「時代屋」という店名に興味があったが、 作品冒頭、今は亡き「夏目雅子」さんが、 主人公に扮する渡瀬恒彦さんに向かって話しかける。 「いろんな人がいろんな時代に使ったものを売る、 ポップな古道具屋さん」 「品物じゃなくて、時代を売る、 ねぇ、それで『時代屋』って言うんじゃないの?」 「骨董屋の女房」や「古道具屋の女房」ではなく、 「時代屋の女房」というイメージが、強く印象に残った。 品物の価値ではなく、その品物が醸し出している雰囲気、 そんなものを一緒に売る商売だと考えればいいだろう。 「時代=思い出」とは言い切れないが、 「思い出で張り切ったり、思い出にヤキモチやいたり、 やだね、年取ると」というフレーズが表現しているとおり、 その人が過ごした時代を思い出させる品物が、 「時代屋」の店頭に並ぶこととなる。(価値は二の次)
P.S. 夏目雅子さんの命日が「9.11」と知って驚いたなぁ。
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| 2013年07月29日(月) ■ |
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| 充電より放電、そんな感じの厚生休暇2013 |
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先週の木曜日から月曜日の今日まで、私にとっては久しぶりに(笑) 長い厚生休暇(リフレッシュ休暇)を取得した。 といいつつ、どこか旅行に行くわけでもなく、 映画を観たり、本を読んだり、湯舟にのんびり浸かったり、 あまり時間を気にせず、まったりとした時間を過ごした。 「充電より放電、そんな感じの厚生休暇2013」だった気がする。 休暇とはいえ、起床と就寝の生活リズムは崩さず、 映画は10作品ほど観たし、書籍も3冊くらいページをめくった。 それでも「どうしてこんな時間に、ネットに接続しているんだ?」と、 あらぬ疑いをかけられるの嫌で、 「気になる一言」のアップは、夕方(勤務終了)以降にしていたり、 休暇・昼間っからのビールを控えてみたり、 普段の生活にも、ビクビクしている自分がいて可笑しかった。 考え過ぎとはわかっていても、それが私の今の現状である。(汗) 国民の生活が厳しくなればなるほど「公務員バッシング」は過激になり、 公務員の不祥事を専門に書き込んでいるサイトさえある。 それは、いずれ本人のみならず、その家族まで、 「綱紀粛正」が求められる時代がやってくる気さえする。 それこそ「見ざる・言わざる・聞かざる」の公務員が増えてしまい、 地域の夢を語る人たちが減ることにならないだろうか。 これも、いらぬ心配か。私も心配性になったもんだなぁ。 明日から、また仕事。これから休む人の支援にまわりたいな。
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| 2013年07月28日(日) ■ |
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| 一度、メモ帳に書き出す作業をしています |
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「映画・書籍など、情報源がわかりやすく読み易いのですが・・」と 前置きがあり「どのように情報を処理しているのですか?」という メールが届いた。 こちらも「企業秘密ですが(笑)」と前置きして、 「一度、メモ帳に書き出す作業をしています」と返信した。 映画鑑賞中・読書中に「おっ」と感じたフレーズをメモ帳に書き出す。 (DVDの映画は、おっ!っと感じたら巻き戻してストップさせて・・) さらに、そのメモをほとんど全てPCに打ち込み、さらにさらに その中から、気になるフレーズを1つ選び「気になる一言」として仕上げる。 ただ、情報源をハッキリ書くために、書き出しには慎重で、 特に書籍からの書き出しは、漢字・送り仮名・句読点なども意識し、 著者の文体などを出来るだけ壊さないように努めているつもり。 だから、1冊の書籍からのメモは、莫大な文字を拾うことになるが、 実は、私はこの作業をしている時が一番楽しい。(汗) 日記に使われるのは、たったワンフレーズにも関わらず、 インパクトのある表現を全て、1度メモ帳に写すという行為自体が、 私を成長させてくれたという自負があるからかもしれない。 時々であるが、ふっと写したフレーズが思い出される時、 私の喜びは倍加され、この作業の大切さを確信する。 ただし、他人にはあまり勧めていない。 普通の人の1.5倍はかかっている気がするし、効率があまりに悪すぎる。 余程のへそ曲がりでないと、続けられないよ、きっと。
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| 2013年07月27日(土) ■ |
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| 子どもの自殺は報道しないというルール |
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ある方の話を聴いて、気になりインターネットで調べてみた。 それが「子どもの自殺は報道しないというルール」。 正式には「WHOの自殺事例報道に関するガイドラインについて」。 子どもの自殺報道が新たな自殺を生むことが問題となり、 世界的な報道のガイドラインが示されているようだ。 私の調べ方が悪いのかもしれないが、それが無くなった事実は どこにも出てこないけれど、日本では平然と報道している、 どういうことなのか、私にはなかなか理解できない。 (世界事情に詳しい方、是非、教えてください。 自分の知っている外国では「子どもの自殺が報道されるのか、どうか」) 実際に、いじめに端を発した「子どもの自殺」記事を読むと、 またか・・と悲しくなるとともに、以前はこんなに多かったかな?と 感じることがあったので、気になっている。 「呼び水」とまでは言わないが、まだ判断力の足りない子どもにとって、 同じ年代の子どもたちの自殺は、ショッキングなことに違いない。 もしマスコミが、それを承知で報道しているとしたら、 それこそ、報道とはなにか?を問いたくなる事実である。 「いじめ」が要因の自殺は、報道してもいいというルールがあるのかも。 誰か、安心させてくれるエビデンスを、私に与えてください。
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| 2013年07月26日(金) ■ |
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| 色彩に与えられた役目 |
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書籍「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」 (村上春樹著・文藝春秋刊・370頁)から。 推理小説かと思うほど、なぞは多いけれど、 かえって、村上春樹文学の内容分析より、 小説内に登場する「言葉」に集中できて、楽しかった。 もちろん、気になるフレーズのメモは溢れたが、 今回、私が選んだのは「色彩に与えられた役目」。 「模様をどのように生かすか、どのように浮かび上がられるか、 それが色彩に与えられた役目だった。色彩は、ごく淡く、寡黙に、 しかし、効果的に模様の背景を担っていた」の一部。 主人公は「色彩を持たない(模様の)多崎つくる」であり、 「赤・青・白・黒・灰・緑」は、全て模様の背景として登場する。 また「色彩を欠いた多崎つくる」という表現の後、 「色彩を持たない多崎つくる」へと変化していく過程は、 メモ魔の私としては、面白かった。 多崎つくるは「色彩ではなく模様」だったから・・と確信した。 沙羅は、その色たちを主人公の周りに調和して配置してた曼荼羅、 そんな位置づけで眺めていた。 本当はもっと奥が深い小説なんだろうなぁ、と思いながらも、 気持ちよく、1日で読み終えた作品である。
P.S 第3章の最後(51頁)と第4章の最初(52頁)に、同じフレーズが登場する。 「その男とは、大学のプールで知り合った。」 こればかりは「謎」ではなく「意図」が知りたい。
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