初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2013年04月25日(木)
「おんぶ」に「抱っこ」に「肩車」

ある人と会話をしていて、リズムが忘れられず、
それいただき、とばかりメモしてしまった。
他人に何かを頼むときに、
「すみません、おんぶに抱っこで・・」と
決まり文句のように口にするけれど、
辞書によると「負んぶすれば抱っこ」は
「負ぶえば抱かりょう」と書かれており、
意味は「いい気になってつけ上がること」
負んぶしてやると、次には抱いてくれというように、
子どもが図にのることから、作られた諺。
類語としては「抱かされば負ぶさる」。
私が理解していた「殆どお任せ」という意味ではなく、
つけあがって甘えることだった。
それでは「殆どではなく全部お任せ」という意味で
使った「『おんぶ』に『抱っこ』に『肩車』」は、
つけあがり過ぎ、甘えるのもいい加減にしろ、と
怒られても仕方ないな、と頭を掻いた。(汗)



2013年04月24日(水)
「両親が僕たちをみたら何というか」「なんて言うの?」

映画「卒業(1967)」(マイク・ニコルズ監督)から。
小学校の音楽室から聞こえてきた「コンドルは飛んでいく」、
それから芋づる式に思い出されたのは
「サイモン&ガーファンクル」「サウンド・オブ・サイレンス」、
映画「卒業」となって、何十年かぶりに鑑賞した。
えっ、こんなシーンがあった?という驚きばかりで、
自分の記憶力のなさを痛感した作品となった。
超有名な「教会の入口に十字架で鍵をかけて、
ふたりでバスに乗って逃げるシーン」は、
なんと残り1分30秒で画面に登場したのだから。(汗)
そんな中で、私が選んだ気になる一言は、
主人公・ベンジャミンを演じる、ダスティン・ホフマンと、
母親くらい年の差が離れたロビンソン夫人を演じる
アン・バンクロフトの情事のあとの会話。
「両親が僕たちをみたら何というか・・」
「なんて言うの?」「わかりません」の一部分。
私たちも、情けない状態に陥ったときに、
「〜がみたら何というか」と嘆くことがあるか、
「なんて言うの?」と訊かれたら答えに困る。(笑)
この会話が妙に可笑しく、メモをした。
昔は、音楽で思い出す映画が多かったのになぁ。



2013年04月23日(火)
酒を飲むときは、明日の話をするもんだ

たぶん・・テレビ「空飛ぶ広報室」のワンシーン。
(記憶が定かでなく、すみません)
どこの職場でも「懇親会」と称した飲み会はある。
ただし、それが「不平・不満・愚痴」の吐き所では、
何も進歩がなく、憂さ晴らしに過ぎない。
「憂さ晴らし」とは、辞書によると
「辛さや苦しさを忘れるため、気をまぎらすこと」
そんな雰囲気を一掃する洒落たフレーズがないか、と
以前から考えていたが、何気なく観ていたテレビで、
このフレーズにぶつかった。
「酒を飲むときは、明日の話をするもんだ」
う〜ん、いい台詞だ、とメモした。
ブツブツ・グダグダ・ボソボソ・・吠えたって、
誰も気持ちよくお酒が飲めるわけじゃない。
それなら、上司(先輩)が部下(後輩)に向かって、
「いいか、昔から」と前置きをして、
「酒を飲むときは、明日の話をするって決まってんだ」と
江戸っ子調に言えたらかっこいいなぁ。
(私は活舌が悪いから、そお〜っと言うけれど(笑))



2013年04月22日(月)
「食べること」と「殺すこと」は同じじゃない

映画「ブタがいた教室」(前田哲監督)から。
クラスのみんなで育てたブタを、最後はどうするか、
「食べる」「食べない」で白熱するデイベートは、
このシーン以外では、仲良しなのだろうか?といらぬ心配をしながらも、
監督はこの作品で私たちに、そして実際に行なわれた先生は子どもたちに、
なにを伝えたかったのか・・と考えながら、最後まで観てしまった。
「食」をテーマにした作品は、何作も観ているが、
90分ほど淡々と映像だけが流れる映画「いのちの食べ方」同様、
その評価は、観る側の私たちに委ねられている気がした。
彼らの主張をメモしながら、自分だったら、彼らのどの意見に近いのか、
どんな台詞に、私のアンテナは引っ掛かったのか、考えてみた。
鑑賞後、乱雑に書きなぐったメモを整理すると、
「『食べること』と『殺すこと』は同じじゃない」という台詞が、
場面を変えて、2度書かれていたことに気付く。
これは単なる偶然ではなく、明らかに私の意見と近いということだろう。
「どう違うんですか?」と問いつめる女の子に「殺すのはただ命を奪うことで、
食べるのはその殺した動物の命を受け継ぐことなんだよ」と言い切る男の子。
だからこそ、給食なども好き嫌いで残してはいけない、と気付かせられれば、
「いのち」を扱う授業としては、もっとよかったのに、とも感じた。
そう言えば、この「ブタ」を飼うという体験で、子どもたちの意識が変わり、
魚嫌いの子どもが食べるようになった、とお父さんが話すシーンがある。
その教えは「魚の身がしまっているのは、頑張って生きていたからだ。
頑張って生きたことを無駄にするな」らしい。(なるほど・・)
作品としては、評価が分かれるだろうなぁ、きっと。



2013年04月21日(日)
週の終わりの土曜日に、1週間の計画を立ててます

実は、最近、ちょっと試していることがある。
大したことではないから、あまり大袈裟にはしたくないが、
私のスケジュールの立て方を尋ねられたので、こう回答した。
「週の終わりの土曜日に、1週間の計画を立ててます」
私の「気になる一言」等をネットで読んでいただいている方から、
「仕事は勿論、映画を観たり、本を読んだり、コンサート、講演会、
さらに『飲みにケーション』と大忙しのようですが、
どうやって計画を立てているのですか?」という問い合わせだった。
「試行錯誤ですが・・」と前置きしながら、答えたのが気になる一言。
以前は、週休2日の言葉のとおり、月曜日から金曜日まで働いて、
土日は文字通り「休暇」というパターンだったが、どうもしっくりこない。
仕事柄、土日のイベント出勤も多く、休んだ気になれないし・・。(汗)
その上、アフターファイブも突然のお誘いがあったりして、
予定していたことが思うように進まないことも多かった。
そこで、自分の気持ちの中で、土曜日に立てた計画を最優先して、
過ごすことにしようと考えたら、意外と時間に余裕が生まれた。
勿論、観るテレビも1週間前に決めている。(笑)
仕事の都合で「計画変更」が出るのは仕方ないが、
それ以外は、自分で決めた計画を軸に過ごしているからか、
あまりストレスも感じることなく、淡々と時間が流れていく。
土曜日の夜、その1週間を振り返りながら、行動をチェックし、
愛用の手帳に記入、そして新しい1週間の予定を立てる。
この繰り返しが、今の私には合っているようだ。
最後に「カレンダーは日曜日始まりでしょ?」と付け加えたけれど、
答えになっているだろうか。



2013年04月20日(土)
「月光」は「ベートーヴェンの絶望感」

14年近く続いている「第285回泉のまち音楽会」、
今回は「ピアノ・リサイタル」の「縄手文子」さん。
何度も書いているが、この音楽会の特徴は演奏者が、
曲の間に、マイクを通じて、いろいろ話してくれること。
それは、選曲の理由だったり、自分なりの曲のイメージ、
さらに作曲者の生い立ちだったり、その曲が出来た背景、
時には楽器の説明までしてくれる。
(演奏に集中できず申し訳ないと思うけれど・・(汗))
今回印象に残った説明は、誰もが知っている「月光」、
ベートーヴェンの「ピアノソナタOP.27-2」であるが、
彼が耳が聴こえなくなってきた30歳の頃に作られたから、
癒し系(幻想的な)音楽として評価している名曲も、
私は、作曲家として絶望的な環境になったベートーヴェンの
「孤独感」や「辛い」気持ちが表現されていると思う、
そんな彼女の説明のあとに、演奏してくれた「月光」は、
確かに、月の光のような印象があるのは第1楽章のみで、
全体の雰囲気を味わったら、確かに「焦り」にも似た、
ベートーヴェンの叫びが、鮮烈に聴こえてきた。
「月光」は「ベートーヴェンの絶望感」、こう覚えた方が、
曲を味わえる気がするのは、私だけではないだろう。
クラシックの楽しみ方が増えた気がする、感謝。



2013年04月19日(金)
仏教の対象は、生きている人間です

亡き父の37回忌の法要だった。
私が高校三年生の時に他界してから、37年の歳月が過ぎたことになる。
週末はイベントが重なるので、父の誕生日だった4月19日を選び、
平日だけど家族だけの法事となった。
亡くなってから1年間は、ほぼ毎日、お経をあげてきたから、
今でも、お経独特のリズムとともに、けっこう覚えているから不思議だ。
天城湯ケ島にある菩提寺のお上人の話に耳を傾けていたら、
意外な発見があった。
○回忌法要も、亡くなった人の霊のためにすると思っていたから、
「仏教の対象は、生きている人間です」と教えていただいた。
言い換えれば、宗教を通して、生きている人が何かに悟るだけでなく、
生き方に迷った人たちの心の拠り所のために、宗教は存在する、
そんな気がした。
37年前に他界した父の霊の成仏を祈るのではなく、
この世に生きている私たちが、他界した大切な人を思い出しながら、
一所懸命生きるために、3年、7年と区切って法要をする。
そしてまた、心を落ち着かせて、頑張って生き続けること。
何か新しいことに気付いた、37回忌の法要だった。

P.S.
父の葬式の日、私は「お父さんは天国に行けるのでしょうか?」と、
お上人に尋ねたらしい。(よく覚えていたなぁ(汗))
返事に困ったことを37年ぶりに打ち明けてもらって、嬉しかった。