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| 2012年12月20日(木) ■ |
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| 心の弱さが(黒い)森を強くする |
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映画「スノーホワイト」(ルパート・サンダース監督)から。 和訳すれば「白雪姫」なんだろうけれど、 原題「Snow White and the Huntsman」から考えると、 「白雪姫と狩人」で、スノーホワイトを襲う狩人たちに 視点が移っているのかもしれない。 「白・黒」「老・若」「善・悪」・・その対比がわかりやすい。 面白いのは、悪の女王たちも入り込めない黒い森の存在。 あそこに入ったら誰も手を出せない、そんな設定だけど、 心が清らかなスノーホワイトに、黒の魔物が襲うシーンは 理解できるけれど、悪の狩人まで襲われるなんて・・(汗) その森は、入り込んだ人の気持ちのあり方で変化するらしい。 それを表現したフレーズが「心の弱さが(黒い)森を強くする」。 自分は絶対に悪には負けない、という強い気持ちこそ、 悪の象徴である「黒い森」を潜り抜けることができるようだ。 弱い気持ちこそ、悪が入り込む隙を与えてしまう、 そんな意味の裏返しなのかもしれない。
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| 2012年12月19日(水) ■ |
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| 半熟女 |
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「熟女」という単語は、もう既に市民権を得ている気がするが、 もう若くないけれど「熟女」と呼ぶには可哀相な年齢、 そんな人たちをどう呼ぼうかな、と考えていたら、 「半熟女」と呼んだらどうですか?と笑いながら教えてくれた 後輩たちがいた。 なるほど、上手いことを言う、とメモをしたが、 さて、呼ばれる側の女性はどう感じるだろう、とも思う。 もちろん、私の方は「まだ熟女と呼ぶには若い」という 褒め言葉として使うつもりだけど。(笑) 「一人前」に対して「半人前」というのがあるように、 熟女になりきれていない、という意味にも解釈できるから、 呼ぶ相手を考えながら使ったほうがよさそうだ。 ただ「半熟」で連想される「半熟タマゴ」は、誰にも愛され、 ラーメンのトッピングでも欠かせない存在だから、 「半熟」だけは、プラスイメージだな、私の場合。
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| 2012年12月18日(火) ■ |
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| 俺たち女の42歳は厄年だよね(汗) |
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ある懇親会で、現役バリバリで働いている女性が、呟いた。 部下の男性にも「お前たちなぁ」と叱りつけて、 私なんかが「男前だねぇ」と、褒め称える存在であるが、 そんな彼女が、今年はいろいろなことがあったよ、と振り返り、 同級生の女性に賛同を得ながら、口にした台詞。 「俺たち女の42歳は厄年だよね(汗)」 私の知識で「厄年」は、数え年で男は25.42.61歳、 女は19.33.37歳だったと思う。 特に、男の42歳と女の33歳を「大厄」と言い、 その前後の年も「前厄」「後厄」と言って行動を慎むとされていた。 (42が「死に」、33が「散々」という節もあるが) 基礎知識としては、体や心の変化が激しく、一番不安定な年齢、と 私なりに理解している。 それが、少しずつ少しずつ、生活スタイル・労働環境が変化し、 女性でも「42歳」が厄年となりつつあるようだ。 寿命・結婚年齢・出産年齢が伸びた分、女性の厄年も伸びたんだな。 こういうことは、時代が変わったのに変えようとしないんだね。
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| 2012年12月17日(月) ■ |
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| 食べ物ってのはね、目を閉じて |
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映画「レミーのおいしいレストラン」(ブラッド・バード監督)から。 確かに、料理が苦手な見習いシェフのリングイニと、 料理が得意なネズミ、レミーの友情と成長を描く作品だが、 私は、彼らの関係よりも、食に関する言葉のメモが多かった。 誰の台詞か忘れてしまったけれど「食べ物ってのはね」で始まり、 「目を閉じて、一口かじって、ゆっくり噛んで、味わいながら」 と続くフレーズになるほどなぁ、と思わずにいられなかった。 この作品鑑賞後、私はこの台詞を実行してみた。 驚くことにいつもの「食べ物」が違った味に感じられた。 視覚から入る情報が多すぎて、事前の知識や経験から、 その味を想像してしまう癖がついていたことに気付いた。 「僕の知る限り、食べ物は健康な体に必要なもの」 「1個ずつだと、独自の味。 でも、一緒に食べるとまったく新しい味になる」 「いいパンの見分け方は、香りでも見た目でもなく、 皮の音、聞いて」 「最も新鮮なものは、自家製か生産者を買収する」 「誰でもが、偉大なシェフにはなれない。 だが、どこからでも偉大なシェフは誕生する」・・・ さすがディズニー映画だなぁ、脚本がしっかりしている。
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| 2012年12月16日(日) ■ |
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| やっぱり「生作」「生映」「生音」「生声」「生中」(笑) |
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ちょっと波乱含みの第4回の定例議会を金曜日に終え、(汗) 私の生活・仕事環境は、一気に年末へ突入した。 というよりも、やっぱり「コピー」より「本物」、 そう表現した方がいいのかもしれない。 伝統木版画家「風鈴丸」さんの作品展を、作家本人(生作)から解説を受け、 地元映画館の大型スクリーンで「007 スカイフォール」を鑑賞(生映)した。 さらには、週末の土日、巷で大騒ぎしている総選挙を横目に、 「ヴァイオリン」や「ピアノ」の「生音」を聴いたかと思えば、 「ソフトボイス」や「楽団ひとり」の若い人たちの「生声」「生音」で、 京都のお座敷気分的な、それはそれは贅沢な時を過ごした。 体調を崩しかけた、疲れ気味の体と心が、彼ら、彼女らのお陰で癒され、 元気を取り戻した気がする。 映画「スノーホワイト」ではないが、若い人たちとパワーが、 年を重ねた私の細胞に刺激を与えてくれた、といっても嘘ではない。 コピーは手軽でいいけれど、やはり「本物」(生)は、違う。 こればかりは、いくら文字で書いても伝わらないだろう。 面倒くさがらず、脚を運ぶ、これが「元気になる秘訣」に違いない。 病気の治療でお金を使うより「生」に触れることをお薦めしたい。 さて、これから続く「忘年会」、「生ビール」で乾杯だ。(笑)
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| 2012年12月15日(土) ■ |
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| 僕らは波じゃない、海の一部だ |
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映画「モリー先生との火曜日」(ミック・ジャクソン監督)から。 作品の中で紹介している「海と波の話」、メモ取りましたか? そんなメールをいただいたので、皆さんにご紹介。 ある波は、陽光と風に戯れながら、 上へ下へと波打ち、幸せな時を送っていた。 でも、ある波が岸にぶつかるのをみて怖くなった。 そんな波をみて、別の波が聞くんだ。「何が悲しいの?」 小波は答えた。「僕らは岸にぶつかり消えてしまうんだ」 別の波は「バカだな」と呟いたあと、こう言った。 「僕らは波じゃない、海の一部だ」 ただ、これだけの話だけれど、私も胸が熱くなった。 ついつい、自分が犠牲になることばかり考えがちだが、 自分が波だと思うからそんな取るに足らない悩みを抱える。 最初から、自分は海の一部だと考えられれば、 砕け散ってもまた活躍の場が用意されている。 いや、砕け散る、という発想さえない。 単に海としての動きであり、砕け散ったわけではない。 砕け散ったように見えるだけではないか、と。 素敵な話が詰まってます、是非、ご鑑賞を。
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| 2012年12月14日(金) ■ |
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| 恐るべし、平たい顔族 |
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映画「テルマエ・ロマエ」(武内英樹監督)から。 くだらない・・と思いながら、知らず知らずのうちに 観続けてしまった、古代ローマの公衆浴場作品。(笑) 歴史が変わっちゃうから、未来のものを持ち込んじゃだめ、 そんな言い訳は関係なく、ちょっとアレンジして 日本の風呂文化を、古代ローマに活用するなんて面白い。 特に笑えるのは、キャスティングの妙。 古代ローマ人役の俳優は、外国人と間違えるような、 やや日本人離れした彫りの深い俳優陣たちで揃えたのに対し、 現代日本人役は、・・・(汗)なるほどな。 「彫りの深い顔」とは、彫ったような凹凸のある顔だが、 典型的な日本人の顔はどんな特徴があるだろうと考えていたら、 「恐るべし、平たい顔族」の台詞が跳び出し、大笑いした。 「日本人」イコール「平たい顔」ねぇ、 もちろん私も、典型的な「平たい顔族」の仲間だな。
P.S. ローマ人(のはず)なのに、彼らの台詞が時代劇調で可笑しい。 「ありがたき幸せ」「御無礼は、重々承知致しております」 「大儀であった」・・
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