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| 2012年08月25日(土) ■ |
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| お母さん、なんで僕は勉強しなきゃいけないの? |
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先日紹介した書籍「感動の条件」 (永松茂久著・KKロングセラーズ刊・230頁)から。 なかなか説明が難しい、今と昔の家庭教育の違いについて、 わかりやすい例えを探していたら、この本の中で発見した。 今も昔も、子どもたちの素朴な疑問は同じ。 「お母さん、なんで僕は勉強しなきゃいけないの?」 それに対するお母さんの答えで、今と昔の家庭教育の違いを 説明することが出来る気がする。 昔のお母さんは、 「立派な人になって世の中の役に立つ人間になるため。 だから、あなたは勉強するんだよ」と教えてくれた。 今のお母さんは 「あなたが勉強していい大学に行くと、いい会社に就職できて、 いいところの人と結婚できて幸せになるの。 だから自分のために勉強するんだよ」と説明する。 いつ頃が昔と今の境目かは、物議を醸し出すかもしれないが、 戦後、個性の尊重が叫ばれた頃から、 「人のために」から「自分のために」にシフトしていったと思われる。 教育の基本は少なくとも「世の中の役に立つ人間を育てる」 これこそ、静岡県が進める「有徳の人」づくりであろう。 家庭だけでなく、社会全体でこの考えを取り戻したい。
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| 2012年08月24日(金) ■ |
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| 西の殿様は、必ず「三島」に宿をとった |
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今晩、三島で飲んできたから、という訳ではありませんが・・ 以前、聴講した日大国際関係学部主催、 市民公開講座「伊豆再発見」の講座から。 交通網が発達した現代では考えられないことでも、 昔は常識だったことが歴史を勉強すると見えてくる。 例えば「三島」という地。 今では、東海道新幹線の駅があり、 伊豆の玄関口というイメージをもっているが、 参勤交代などがあった江戸時代には、 「天下の険」と言われた箱根越えを控えて、 西の殿様は、必ず「三島」に宿をとった、という話。 この「必ず」というところが、まちづくりのポイントと いえる気がして、メモをした。 「必ず泊まる」ということは、三島にはそれを受け入れる 「おもてなし」の文化が生まれたことを意味する。 少し離れた伊豆市の「修善寺」には、 関西(京都)と関東の文化が、屋根に残っている、 そんな話も耳にした。 「三島女郎衆」も、そんな三島の文化の1つだろうか。(汗) 「おもてなし」に磨きをかけるまちづくりは、 「三島らしい素敵な事業」だな、と思うがいかがだろうか。 現代、新規参入者が、三島にお店を出しやすい、と言うのも、 誰でも受け入れる「三島のおもてなし文化」の影響かもしれないな。
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| 2012年08月23日(木) ■ |
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| 補欠にシャッター向けるのは、一人前の記者になってからだ |
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夏の高校野球、大阪桐蔭の春夏連覇でしたね。 映画「ひゃくはち」(森義隆監督)から。 本来なら、高校野球補欠選手をテーマにした映画だから、 「グラウンドは生き残りをかけた戦場です」なんて台詞が ピツタリになんだけれど、ちょっとつまらない。 また、映画タイトルの「ひゃくはち」にちなんで 「ボールの縫い目も108つなんだよなぁ」を選ぼうと思ったが、 「この縫い目が煩悩」という発想に、もうひとつピンとこない。 そこでメモしたフレーズを読み直したら、この台詞が光った。 高校野球を取材する立ち場の新聞記者、 先輩から新米への厳しいけれど、的確なアドバイス。 「補欠にシャッター向けるのは、一人前の記者になってからだ」 「気分でシャッター切りやがって・・」と吐き捨てる台詞も、 私には、なかなか気に入ってメモの対象となった。 ついつい、女性の新米記者に対して、優しくなりがちであるが、 まずは基本中の基本を教えるその姿勢が、心に響いた。 物語とはあまり関係ないが、この作品を思い出すなら、 この先輩のフレーズだな、と感じて気になる一言。 どんな世界も、まずは基本でみっちり鍛えること。 レギュラーと補欠の違いも、このあたりにありそうだな。
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| 2012年08月22日(水) ■ |
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| 沼津のヌ |
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無線局運用規則を知っているだろうか、 第14条、別表第五号に和文通話表が掲載されている。 アマチュア無線などをしている人は知っていると思うが、 「朝日のア 」「いろはのイ」「桜のサ」「平和のヘ」など、 相手にわかりやすい定義をすることが目的のようだ。 その中に、驚く地名を発見した。それが「沼津のヌ」。 地名に類するものは「上野のウ」「大阪のオ」「世界のセ」 「東京のト」「名古屋のナ」「日本のニ」「富士山のフ」 「吉野のヨ」「尾張のヲ」「ローマのロ」くらいなものだから、 日本全国で「沼津のヌ」と言えば、誰にでもわかる地名だった。 今「沼津ナンバーの車」に乗っているが、実はこの地名、 静岡県では知られていても、全国では知られてないだろう、 そんな認識だったけれど、大間違いだった。(汗) たぶん、今でもこの規則が残っている限り、 少なくなったとはいえ電報などでは「沼津のヌ」は使われている(はず)。 もちろん、アマチュア無線でも使われているだろう。 沼津のまちづくり、市民でない私が提案することではないけど、 キャッチコピーは「沼津のヌ」を使って欲しい。 だって、東京・大阪・名古屋に匹敵する存在感なんだから。
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| 2012年08月21日(火) ■ |
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| 暑くて、だけど涼しい里山の夏 |
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映画「里山」(菊池哲理監督)から。 単なる自然保護ではなく、里山として自然を残していく。 これは、日本の各地で受け継がれてきた日本人の知恵というべき、 自然との関わり方である。 「人が手を入れてきた雑木林は、太陽の光が行き届き、 多くの生き物たちの住処になっています」 このナレーションの意味は大きな気がしてメモをした。 それをもっと短いフレーズで表現したのが 「暑くて、だけど涼しい里山の夏」ではないかと思う。 NHKスペシャルらしい(笑)、驚くような視点からの 徹底取材された映像に大満足しながらも 「昆虫採取こそ、日本人独自の子どもの遊びの文化」 「木を切るのは先祖から受け継いできた森を守るため」 「必ず株を残して木を切るようにしたのじゃ」 「村人は鳥のためといって、柿を少しだけ残しておく」 「裏庭に現れる昔話の登場人物たち。(狐や狸) 人家のすぐ裏にこれほど多くの野生動物が ともに暮らしているのは、日本ぐらいではないだろうか」 等、ハッとさせられる里山に暮らす人々の知恵に、 ただただ頷くばかりであった。 「日本独自の四季を、そこに住む人も生き物も味わっている」 この光景、特別な場所ではないはず。 自分の身の回りの自然、もう一度、見つめ直したい。
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| 2012年08月20日(月) ■ |
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| 相談するのは、それが正しいってことを確認したいからだ |
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書籍「ナミヤ雑貨店の奇跡」(東野圭吾著・角川書店刊・385頁)から。 あらゆる悩みの相談に(手紙で)答える、不思議な雑貨店、ナミヤ。 回答者のおじいさんが店主で、名を「浪矢雄治」と言う。 「ナミヤ」を「ナヤミ」と引っ掛けたあたり、 ついつい本屋で手にしてしまう、巧妙な策にハマってしまう。(笑) さて、悩みはほとんど究極の選択であることが多い。 本の帯(裏)にも、その選択が書かれている。 「夢をとるか、愛をとるか」「現実をとるか、理想をとるか」 「人情をとるか、道理をとるか」「家族をとるか、将来をとるか」 「野望をとるか、幸せをとるか」・・ そして、この「浪矢雄治」さんが息子さんに呟く台詞が面白い。 「長年悩みの相談を読んでいるうちにわかったことがある。 多くの場合、相談者は答えを決めている。 相談するのは、それが正しいってことを確認したいからだ」と。 だから、自分の決めた答えと違うと、再度相談の手紙が届くらしい。 人間の心理を良く理解している、重みのある言葉である。 そんな面倒臭いことやめればいいのに・・と説得する息子に、 「これも人助けだ。面倒臭いからこそ、やり甲斐がある」と言う父。 そして、死んでからも気になるのは、回答後のその行方。 本の帯(表)に「あの時の回答は、あなたを救いましたか?」とある。 へぇ、そういうことか・・気になる方は、是非、読んでみて。(笑)
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| 2012年08月19日(日) ■ |
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| NHKが視聴率を気にする必要があるのか |
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日曜日になると気になる「視聴率」がある。 そう、NHK大河ドラマ「平清盛」であるが、 マスコミ報道される「視聴率」の仕組みも説明せず、 ただ「大河ドラマ史上最低」などと国民をあおっていることに、 私は心を痛めている。 確かに、内容評価は主観的な意見もあるので難しいだろうが、 「視聴率」が、その作品の評価に繋がるものではない、と断言したい。 一歩譲っても「視聴率は、単なる指標の1つにすぎない」 歴史がねじ曲げられていたり、時代考証が不十分な大河ドラマは、 今までにも多くあった。 視聴率狙いでアイドル起用のファミリードラマ的なキャスティングこそ、 批判されるべきであると思うし、登場する人物の人間関係や 多くの歴史的事実を間違って国民に伝えてしまう脚本は許されるのか、 そんな想いが私にはある。 国民の娯楽や、テレビ番組自体が少なかった頃と比較したり、 最近地デジ対応になり、テレビを買い替えたことにより、 録画して観る人たちが増えたけれど、それは視聴率にカウントされない。 そんなことも考慮せず、ただ「低視聴率」と騒ぎ立てるマスコミの対応、 これこそ、情報操作のなにものでもないと感じている。 そもそもNHKが視聴率を気にする必要があるのだろうか。(汗)
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