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しもさんの「気になる一言」
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2012年05月24日(木)
人生の機微とでもいいますか

映画「阪急電車 片道15分の奇跡」(三宅喜重監督)から。
登場人物は、皆いろいろな想い・気持ちを抱えて生きている。
そんな彼、彼女らが「阪急電車」を仲介して出会い、
何か吹っ切れたように、元気になっていく。
「プロローグ」と「エピローグ」に映し出される顔を比べると、
その違いがはっきり確認できた。
今回の一言は物語のラストシーン。
婚約中の恋人を後輩社員に奪われたアラサーOL役・中谷美紀さんと
恋人のDVに悩む女子大生役・戸田恵梨香さんの会話。
存在は気になっていたものの、最後まで会話をしなかった2人が
会うべき場所、会うべきタイミングで交わす台詞こそ、
この作品の伝えたかったことなのかな、とメモをした。
「人生の機微とでもいいますか、そんなようなもの味わってまして」
「あら、実は私も電車降りたところで、人生の機微を味わっておりました」
わざわざ「機微」という単語が私のアンテナに引っ掛かるように。(笑)
「機微」とは「表面だけでは知ることのできない、微妙なおもむきや事情」
さらに「人生の機微」と「人情の機微」という使い方があるらしい。
ネットによると「人生の機微」とは
「何時とは知れづ訪れる、人生における微妙な成り行き」
それに対して「人情の機微」とは
「わざとらしくなく、後でそれと気づくような、かすかに表れる言動によって、
感じる優しさや人の情けが織りなす、心の触れ合い」
(そう考えると、今回の場合「人情の機微」の方が正しいのかも・・)
そして最後に、ふたりはこんな会話をする。
「なんていうかさぁ、悪くないよね、この世界も」「はい、悪くないです」
映画のキャッチコピー「終着駅は、きっと笑顔。」を実感するように。



2012年05月23日(水)
「平清盛」は「見る人を選ぶドラマ」

私のメル友の中でも、歴史大好きの1人が書いていた。
「平清盛」は「見る人を選ぶドラマ」
妙に納得したので、気になる一言。
視聴率が低い、と騒いでいるけれど、国営放送なのだから
そんなこと気にせず、質の良い作品を作って欲しい。
汚いと言われている場面だって「龍馬伝」の頃から、
変わらないと思っているし、他の作品と比較する必要もない気がする。
(つい昨年の「江」よりまし・・と口に出てしまうが・・(笑))
どんな人たちが今回の「平清盛」を観ているか、
そしてどんな感想を持っているか、その方が大切であろう。
「ドロドロの『陰謀劇』の面白さが分からないお子ちゃまや、
じっくり取り組んで見る心の余裕がない人には、無理なんでしょう」
そんなメル友の言葉が、ぐっと胸に沁みた。
私としては、大河ドラマとはいえ、日本全体で彼を盛り上げて、
「1人のリーダー」を育てる機運が欲しいと思う。
毎年、総理大臣が変わる我が国であるからこそ、
低視聴率を声高に叫ぶより、低視聴率でも1人の男を育てる、
そんな国民性を取り戻したい、と感じているのだが・・。



2012年05月22日(火)
「観光地」VS「東京スカイツリー」

最近、コラムニストになった気分だが・・
巷の話題で、気になる一言を書いている自分が楽しい。(笑)
さて、昨日の「金環日食」に続いて、今日は「東京スカイツリー」。
全国紙も地元紙も、朝刊一面は「開業」の話題で持ちきりだが、
来場見込みの人数を目にして、不安がよぎった。
初日20万人、年間で3200万人を見込む観光地が誕生したのだから、
全国の観光関係者は、好奇心などで浮かれていてはいけない。
特に、伊豆の温泉地は100キロちょっとの距離に、
とてつもない集客力を持つ、最新鋭の観光施設が出来たのだから、
千葉の「ディズニーランド」大阪の「ユニバーサルスタジオ」以上に、
「ライバル」と位置づけて、関係者一丸となって戦わなければ、
入り込み客が、じり貧になることは明白である。
しかし、全国からの観光客が「東京スカイツリー」に流れるのを想定し、
今後、どう対抗しようとしているのか、私にはみえてこない。
この建物は、ある日突然出来上がった施設ではないのだから、
数年前から、視野に入れているとは思うけれど・・。
P.F.ドラッカーの「マネジメント」流に言えば、
単なる「長期計画」ではなく「戦略計画」が必要だと思う。
全国の観光各地から「悲鳴」ではなく「巻き返しの雄叫び」を期待したい。



2012年05月21日(月)
観測のコツは「信じて待つ」

静岡県東部地域は、朝から厚い雲に覆われて、
期待された「金冠日食」は、見えなかった人が多い(ようだ)。
私は、おかげさまで、なんとか見ることができた。
完全な金冠状態は見えなかったが、雲間から8割〜9割欠けた
太陽が顔を出した時は、嬉しさに身体が震えた。
予定された時間に、見やすそうな場所へ人が集まってきたが、
厚い雲を見ただけで、諦めて帰る人たち。
しばらく空を眺めていたが、西の空を眺め、諦めた人たち。
それぞれが、それぞれの判断で、日食観測に向かったので、
ある意味では「人間ウォッチング」ができたイベントである。
直接、太陽を見ないように・・という注意や、
日食観測グラスの作り方は、何度も話題になったが、
どうしたら、少しでも観ることができるか、というアドバイスは
あまり目にしなかったように思う。
今回も、厚い雲がフィルター(観測グラスの代わり)となって、
月食を観るような雰囲気だったが、充分に楽しめた。
金冠だけが日食ではなく、欠けていく姿、戻っていく姿もまた
今回の「日食」であることがわかっていれば、
観測可能時間は、意外と(思ったより)長い、と気付くはずだ。
金冠状態の時、いつもなら「西から東へ」流れている雲も、
なぜか「東から西へ」流れていたのが幸いしたのだろうが、
まさしく「全体の流れを読む」訓練になった気がする。
私流にアドバイスするとすれば、観測のコツは「信じて待つ」。
「諦めずに待つ」「待てるだけ待つ」(仕事も同じかな?)
これが出来るかどうか・・なかなか難しいけどね。(汗)
これからも続く、今年の天体ショー、是非、参考にして欲しい。



2012年05月20日(日)
金環日食、部分月食、金星の日面通過、惑星直列

明日、5月21日は、巷で大騒ぎしている「金環日食」、
そして、5月21日に太陽を隠して「金環日食」を起こした月が、
およそ2週間後(6月4日)に地球の裏側へまわり、
今度は地球に太陽の光をさえぎられて「部分月食」。
日食と同じ原理で、金星が太陽の前を通過する時に起きる
6月6日「金星の日面通過」(日本では130年ぶり)
さらに、12月22日には「惑星直列」と楽しみな天体現象がある。
(12月21日、地球滅亡?なんて話まであるけれど・・(汗))
今回「日食」が起きる仕組みを教えるならば、
同じ現象の「月食」「日面通過」の話題も触れて欲しいのだが、
不思議なことに、全体的な話題としてはなかなか流れてこない。
自分たちの生きている地球も、太陽系の仲間であること、
その中でも地球は、驚くほど美しい惑星であること、
だからこそ、地球の環境をみんなで守ろう、という教育に繋げて欲しい。
たんなる、天体ショーというイベントで終わらないことを願いたい。
明日の金環日食の時間、雨や曇りで見えなくても、外に出て欲しい。
いつもと違う朝の明るさに、日食の雰囲気だけでも伝わるはずだから。
見えないからといって「日食」が中止になったわけではない、
雲の上では、必ず「日食」という現象が起きているのだから・・。

P.S.
2009年07月22日(水) 日食の雰囲気体験が大事だよね
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20090722

2003年11月24日(月)  毛利さんの「うぁ〜」「お〜っ」
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20031124



2012年05月19日(土)
自分は、どこで何の役を歌ってきたか

第150回泉のまちカレッジ、講師「バスソリスト・斎求(いつきもとむ)さん」
演題「世界の音楽よもやま話」から。
「ベルリン国立歌劇場専属バスソリスト」として、
世界中で歌ってきた彼の話は、私の知らないことばかりで楽しかった。
ステージ回数は1000回を超えるという、その経験に裏付けられた自信と
世界の国々と日本の比較、そして大好きな食べ物の話。
予定時間を30分も超過したのに、もっと聴きたい、と思わせる話術。
やはり芸術家の話は、なにか普通の講演会とは違う、と実感した。
今回の気になる一言は、世界で活躍した人らしい台詞。
国内なら、どこの大学を出て、誰に師事して・・と自己紹介するが、
世界では、そんなことは関係ない。
オペラのソリストとして、自分をアピールするには、
「自分は、どこで何の役を歌ってきたか」に尽きるという。
どこの国で、どこの歌劇場で、どんな作品の、どんな役を歌いました。
これほど、実力を示すのにはっきりとしたバロメーターはないのだろう。
一度、実力さえわかれば、世界のどこからでもお呼びが掛かる。
オペラ会場で「私の曲を歌って欲しい」「俺の曲を歌ってくれ」と
誘われることもあるという。
そんな超一流の音楽家なのに、とても穏やかで謙虚な生き方が
聴講者の私たちを魅了した。
来週は、その彼の声が聴ける。とても楽しみである。

P.S
斎求(いつきもとむ)「バスリサイタル」(第276回泉のまち音楽会)
5月26日(土) 14:00〜 (入場料300円) 清水町地域交流センター



2012年05月18日(金)
おばあちゃんは、息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね

「映画「わが母の記」(原田眞人監督)から。
映画ファンとしては贅沢なことに、ロケ地があまりに身近すぎて、
「えっ? ここ、湯ヶ島じゃない、中伊豆のあそこかな」とか
「あっ、この場所、行ったことある」「この伊豆弁、変だろう?」・・
いつもと違った映画鑑賞の視点に、やや違和感を感じながら観終わった。
帰宅して、暗闇の中でメモした手帳を整理していたら、
主人公のほんの小さな心の変化(これも違和感)に気付いた。
役所広司さん演じる、主人公・伊上洪作が、
樹木希林さん演じる、母・八重に語りかける呼び方である。
冒頭「おふくろ」(「お母さん」)と呼んでいたのに、
作品のある場面から「おばあちゃん」に呼びかけるようになる。
私が、普段、何気なく母親に声を掛ける時、(特にふたりの時は・・)
「おふくろ」とか「お母さん」と口にしても「おばあちゃん」とは言わない。
それこそ、違和感があるから。(息子にしかわからない感覚かも)
だから「祖母」という意味の「おばあちゃん」ではなく、悲しいけれど
単なる「高齢者の女性」という意味の「おばあちゃん」として使い、
それでも一所懸命に話しかけている姿に、心が震え、涙腺が緩んだ。
自分の母親が記憶をなくしていき、息子のことも忘れてしまう現実、
それをどう受け止めて、周りの家族に悟られないように、
母への想いを持ち続けていくか、大きなテーマであった気がする。
孫が祖母を「おばあちゃん」と呼ぶ感覚とはちょっと違う、
息子が母を「おばあちゃん」と呼ぶ感覚は、心が痛む。
いつまでも「おふくろ」(「お母さん」)と声を掛けたいものである。