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| 2011年11月05日(土) ■ |
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| 子どもたちが、子どもたちの発表を聴く |
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青少年健全育成の観点で開催する「わたしの主張発表大会」 本年度は、スタッフの提案で形式を変えてみた。 そのコンセプトが「子どもたちが、子どもたちの発表を聴く」。 せっかく学校を代表して話す彼らの主張を、今までは 大人の教育関係者しか聴く機会がなかったが、 今回は、同年代の子どもがどんなことを考えているか、を 実際、同じクラスの子どもたちにも届けたい、ということ。 小さいミスはあったが、結果は大成功であったと思う。 発表する側も、発表を聴く側も、刺激になったに違いない。 2部では、合唱・合奏の発表も加わり、会場は超満員。 自分の学校の発表しか知らない児童・生徒にとって、 他校の演奏は、これまた大きな収穫だったことだろう。 この事業は、誰のために、何のために行うのか、を考える。 民間企業にとっては、当たり前のことだろうが、 長年、恒例のようにやってきたことを変える勇気、 これを我が課のスタッフが持てるようになったということが 私にとっては、一番嬉しい、と記憶・記録に残しておきたい。
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| 2011年11月04日(金) ■ |
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| 「この選手、誰だ?」「う〜ん、今年も最下位だな」 |
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映画「メジャーリーグ」(デビッド・S・ウォード監督)から。 野球好きにとっては、所詮、映画とわかっていたのに、 途中から「インディアンズ・ファン」になった気分。 プロらしいスピード感、迫力もあり、大満足であった。 メジャーリーグでこんな珍プレーはないだろう、というのも お愛嬌の部類で、笑って見過ごせた。 選んだのは、作品の冒頭、チームの本拠地で交わされる 地元ファンの会話。(今は、地元でなくても同じだが・・) 「野球シーズンですね、今年のインディアンズは?」 「この選手、誰だ?」「う〜ん、今年も最下位だな」・・ 春のキャンプを終え、一軍登録選手の新聞などを眺めながら、 新しいシーズンの成績を予想する時の面白さは、 野球好きならではの、楽しみ方であろう。 当たっても当たらなくてもいい。それだけで楽しいのだから。 また、スポーツ映画にありがちな、序盤苦戦しながら、 最後は、大逆転(さよならホームラン等)で勝つのではなく、 野球好きが喜びそうな、結末がさらに好印象として残った。 おまけのフレーズとして、開幕戦のスポーツニュース、 「インディアンズ 平年並みの負け 9-0で破れました」 これには笑えた、どこかのチームみたいで・・(汗)
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| 2011年11月03日(木) ■ |
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| 「二度としてはいけないこと」と「一度だって許されないこと」 |
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最近、なぜかこんな台詞を使うことが増えた。 (以前も、時々、使っていたフレーズであるが・・・) 最近、問題になっていることは、果たしてどちらなのか、 自分で判断の基準にしてみるといい。 島田紳助氏の引退原因となった「暴力団との交際」、 これは、厳しいかもしれないが「一度だって許されないこと」、 だから、私たちは、彼の引退に不満が残らない。(残念であるが) 世界陸上のウサイン・ボルト、100m決勝のフライング、 これは、本来なら「二度としてはいけないこと」なのに、 無理矢理「一度だって許されないこと」にしたから、不満が残る。 「自分の中では、セーフだと思っていたが、アウトと言われた」 島田紳助さんの記者会見を、私なりの表現にするとすれば、 自分では「二度としてはいけないこと」と思っていたが、 本当は「一度だって許されないこと」だった、と言うことになる。 世間が「二度としてはいけないこと」だと判断すれば、 自ら反省して、誠意をもってやり直せばいい、ただそれだけ。 難しく考える必要はない、私の判断基準はこれに尽きる。
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| 2011年11月02日(水) ■ |
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| セックス依存症のカウンセリング集会 |
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映画「俺たちのフィギィアスケーター」 (ウィル・スペック/ジョシュ・ゴードン監督)から。 ちょっと危ない台詞(シモネタ)のオンパレード。 台詞だけでなく、映像でも・・(笑) もう「笑い転げるしかない」が感想である。 フィギア・スケートの演技中、手品師のように コスチュームの中から「鳩」が飛び出てきたり、 館内の周りを見渡してしまうような、きわどいシーンも、 彼女のおっぱいと軽く握手しただけだ、と・・大騒ぎ。 もうこれ以上は、さすがの私も文字に出来ない。(汗) まぁ、記録に残すような台詞もあまりなかったけれど、 強いて言えば、これかな? 出かけようとする主人公に向かって「どこへ行くんだ?」と 軽い気持ちで声をかけた。 まじめ顔で「セックス依存症のカウンセリング集会」。 彼の座右の銘は「裸で勝負」。 もう、真剣に考えることがバカらしくなるほど面白かった。 映画じゃなきゃできないよなぁ、こんな作品。
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| 2011年11月01日(火) ■ |
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| 「20:10」「15:14」「10:10」 |
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数字の羅列で申し訳ないが、この数字だけで 「好ましい平等社会」とはどれか・・という話を耳にした。 「平等社会」というと、皆が同じに扱われる社会を意味する、 そう思い込んでいる人たちが多い。 冒頭の数字に「万円」というお金の単位をつけたら、わかりやすい。 「20万:10万」「15万:14万」「10万:10万」の場合、 「平等」と言ったら「10万:10万」だと主張する人がいる。 いやいや、仕事ぶりに差があるのだから「15万:14万」のように 差がある方が「平等」だという人もいた。 しかし「好ましい平等社会」は「20万:10万」だと言う人が現れた。 個人個人に差はあるが、足して2で割れば「1人15万円ずつ」。 他の2つより、1人当たりの収入は多い。 いわゆる「WIN&WIN」の関係とは、こういうことだと教わった。 自分の主張ばかりをしていると、結局は低いレベルで落ち着くことになる。 例えが悪いが、私の脳裏に浮かんだのは「男女共同参画社会」、 声高に「平等」を叫び続けるよりも、男女の違いを認めつつ、 足して2で割る発想があれば、好ましい平等社会の実現がするのになぁ、 そんなことを感じたメモである。
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| 2011年10月31日(月) ■ |
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| ばかめ、ばかめが・・日本をどうするのだ・・・ |
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映画「桜田門外ノ変」(佐藤純彌監督)から。 NHK大河ドラマのように、物語が淡々と進み過ぎて あれっ?、これで終わり?と物足りなさを感じてしまった。 そこで、私が気になる一言に選んだのは、 大老・井伊直弼を桜田門外で襲撃した主人公たちではなく、 殺された「井伊直弼」が籠の中で呟いた死ぬ直前の台詞である。 腐敗した世の中に不満を持ち、その一番大きな原因とされる 大老を殺害することで、世の中が変わると信じて襲撃を企てた。 そして彼らは目的は果たしたが、簡単に世の中は変わらなかった。 逃げ惑う中で、以前「共に手を取り、この国の道を正そうぜ」と 約束を交わした同士に「大老襲撃は本当に正しかったんかいや」 「なんぞ変えることができたんかいや」 「まちごうとりゃせんだかいや」と訊ねら答えられないシーンが 一番印象に残った。 そんな会話を予想したかのように、鉄砲で撃たれ槍で刺されながら 大老が呟く。「ばかめ、ばかめが・・日本をどうするのだ・・・」 正しい、正しくないは、後の人たちが評価するのだが、 少なくとも私は、今の日本をこうしたい、という考えはあったぞ、と 言いたげな台詞であると感じメモをした。 お前たちに任せて、日本は守れるんだな、と念を押されたような台詞。 物語とは関係ないかもしれないが、最後まで逃げ回って終わった結末に 大きな意味が隠されていたのかもしれない。 もう少し、私たちの予想を裏切る結末が欲しかったなぁ。
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| 2011年10月30日(日) ■ |
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| 大きい方が小さい方に寄りかかっているだろう? |
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ラジオから流れてきた、吹き出さずにはいられない会話。 普通「『人』という字は、お互い支えあって生きているんだ」が、 金八先生もどきの、オーソドックスの教え方である。 だから「人は孤独ではない」みたいな例えにも使える。 しかしながら、今回のこのフレーズは違った。 「ほら、『人』という字を見てごらん。 大きい方が小さい方に寄りかかっているだろう?」 だから「この仕事、しておいて」と上司が部下に頼むんだ、と。 そんな視点で「人」という漢字を眺めたことがなかったから、 ちょっぴり面食らったが、上手い・・とメモをした。 よく考えてみれば、そんな善人ばかりで 世の中が成り立っているわけではないことも事実。 他にもあるんだろうなぁ、こんな例え話が、きっと。 今度、じっくり探してみなくちゃな、話の種に。 そういえば・・「入」という字も、 大きい方が小さい方に寄りかかっているな、あはは。
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