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| 2011年07月16日(土) ■ |
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| 原発や資源エネルギーを考え続けた1日 |
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午前中、沼津市図書館(視聴覚室)で自主上映された 「ミツバチの羽音と地球の回転」を観て、 午後から、清水町地域交流センターで開催された 講演会「福島原発から見えてきた東海地震と浜岡原発」。 どちらも、私の心を揺さぶる刺激的な内容であり、 何か行動をしなくては・・という想いの人たちに囲まれた。 テレビや新聞などのマスコミ報道に惑わされず、 自分の目や耳で、その実態を確認しながら、 その問題を判断していく癖がついてきた。 午前も午後も、会場はほぼ満員で私を驚かせたが、 さてこの動きが、どう波紋を広げて、大きな力となるか、 これまた私の好奇心をくすぐることになりそうだ。 私は私なりの生活の中で、資源エネルギーについて考えながら、 こういった活動している人たちを、 いろいろな場面で紹介しながら、協力していこうと思う。 行政の役割とは何か?民の役割とは何か? 今日のような映画や講演でヒントをいただきながら、 少しずつわかってきた気がする。乞うご期待。(汗)
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| 2011年07月15日(金) ■ |
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| 新聞投稿は、不平不満の吐き捨て場ではない、何か提案を |
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久しぶりに、私の独り言である。 先日、地元新聞に投稿をし、久しぶりに、自分の名前を見つけて、 ちょっと、照れてしまったのは、私だけの感覚かな。(笑) 実は、最近、新聞投稿欄を眺めていると、 過激な発言や、不平不満の吐き捨て場となりつつあり、 そんなことは、自分のブログにでも書いてくれよ、と 叫びたくなることが多い。 高齢者は、ブログなんてないかもしれないが、 名指しで特定の行政批判などが掲載されると、 そんな内容は、わざわざ新聞投稿などせず、 直接、行政窓口で伝えて下さいよ、という気持ちになる。 私が考えるには、新聞投稿欄は、読者の視点に立ち、 なにか社会に対して、提案がなければ、いけないと思う。 こんな考え方、こんな感じ方をしてはどうだろう、 そんな表現でも、立派な提案型の投稿になるはずなので、 社会に対して、私はここが許せない・・というだけではなく、 だから、こうしたらどうだろう、という内容を期待したい。
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| 2011年07月14日(木) ■ |
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| 自分の存在が、何かの役に立っていますか? |
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書籍「富士山が教えてくれた幸運の法則」 (ロッキー田中著・ランダムハウス講談社刊・187頁)から。 富士山の魅力に惹かれ、写真家として活躍している彼は、 「ときめきの富士」と題し、一生のうちに、99作の富士山を 発表することを明言し、実行し続けている。 その作品1つ1つが、山岳カメラマンの撮影する富士山とは違う姿で、 私たちを癒してくれる。 そんな彼が伝えたいメッセージは、(文中から推察すると、きっと) 「何かになりたいというのは『過程』でしかなくて、 『夢』とは関わる人に喜びを提供できる人間になることではないか」。 もっと簡単に言えば「自分の存在が、何かの役に立っていますか? 誰かを幸福にしていますか?」になる気がしている。 自分がこの世に生を受けて生きている限り、 何かの役に立っていたり、誰かを幸せにしていると願いたい。 それは、どんなことでもいい、ほんの些細なことでもいい。 人に自慢できるようなことでなくてもいい。 自分が何かの役に立っていると感じられることこそ、 その人の生き甲斐・生きた証しとなるに違いない。
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| 2011年07月13日(水) ■ |
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| 前途茫々(ぜんとぼうぼう) |
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映画「人間失格」(荒戸源次郎監督)から。 ストーリーとは、まったく関係ないことが気になることもある。 今回は、会話の中に「ぜんとぼうぼうさ」という単語があり、 気になって、慌ててメモした。 ネットで調べてみると「ぼうぼう」は「茫々」と書き、 意味は「広大なさま。広々としたさま。遠いさま。はてしないさま。 盛なさま。明かでないさま。目のはっきりせぬさま。」といろいろ。 また、違う辞書には 「広々としてはるかなさま。「―とした大海原」「―たる砂漠」 ぼんやりかすんではっきりしないさま。「―たる記憶」 草・髪などが伸びて乱れているさま。「髪の毛を―とさせる」 波や風の音が激しいさま」とやはり、多くの意味が・・。 私は「前途」と言えば「洋々」が続くものだとばかり思っていたので、 「前途洋々」ならぬ「前途茫々」が、やけに私の記憶に残った。 物語としては「将来が全く見えない絶望に近い窮境」という場面で 使われていたように思うが、違うだろうか。 太宰治独特の暗い作品だったにも関わらず、気になる台詞は多かった。 しかし、もう一度観るか?と訊ねられたら、う〜ん・・(汗) 私の場合「原作、太宰治派」より「原作、伊坂幸太郎派」だからなぁ。
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| 2011年07月12日(火) ■ |
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| 勉強カフェ |
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ラジオから流れてきた情報によると、 最近、都会で好評の、カフェらしい。 勉強好きな日本人らしい発想の「勉強カフェ」。 会員制で、利用者の多くは30〜50代の男性らしい。 簡単に言えば、資格を取るための勉強とか、 自己啓発として「英語」など語学の勉強などが出来るように 工夫されているカフェらしい。(時間制限もないようだ) この流行は、日本の今の姿を映し出していると言えないだろうか。 仕事では、時間外は制限された上、早い時間での帰宅を促され、 自宅に戻っても、子どもや家族の声、部屋中に響くテレビの音声が、 勉強をする環境を与えてはくれない。 そこで「勉強カフェ」の出現となったのではないか。 今の日本の住宅事情から考えると、よほど大きな家でなければ、 自宅に書斎のスペースを確保するのは至難の業だが、 これからは、通信技術の発達で、在宅勤務が可能となっている。 今回の震災の影響で、その実現スピードは加速しているだろう。 だからこそ、巷で流行の「勉強カフェ」に留まらず、 「自宅の書斎(仕事場)」を確保することを期待したい。
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| 2011年07月11日(月) ■ |
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| いい展覧会になるかどうかは、スタッフ・主催者側の想い |
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30年に及ぶ私の公務員人生の中でも、指折りの企画となった 「牧野宗則木版画展」が、心地よい緊張に包まれたまま、 16日間の展示期間を終え、昨日、無事に閉幕した。 作品搬出の作業を手伝いながら、先生からいただいたメッセージを 振り返ってみると、多くの気付きがあった。 その中でも、特に印象に残っているのは、 著名人の展覧会などはもとより、すべてが初めての経験で、 失敗したらどうしよう、来場者が少なかったら申し訳ない・・ そんな不安だらけの私たちに向けて、先生が励ましてくれた台詞。 (細かくメモした訳ではないので、不十分ですが・・) 「いい展覧会になるかどうかは、展示する施設のレベルや、 どれだけお金をかけたかではないんですよ。 スタッフ・主催者側の想いこそが、一番大事なんです」と。 これには参った。そして「成功させたい」という想いだけで、 16日間、毎日毎日、版画を眺め続けた。 そして最終日、先生から、特別のご褒美をいただいた気がする。 「みなさんのおかげで、いい展覧会が出来ました。 気持ちよく、観てもらえる空間が出来たと思います。 これがきっかけとなって、良い作品展が出来れば私は嬉しいです」 この一言だけで、私は大満足である。 これを契機に「版画でまちづくり」を真剣に考えてみたい。
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| 2011年07月10日(日) ■ |
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| 図書館は、読んでもらいたい本を置く |
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講演「生涯学習とボランティア」 (講師・鈴木眞理氏(青山学院大学教授))から。 テンポが良く、ジョークを交えた講演内容は、 日頃、睡魔との闘いになるはずの午後にもかかわらず、 あっという間の1時間だった。 最近、社会教育施設の存在価値を見直さなければ・・と 真剣に考えていたところなので、とても参考になった。 それを端的に表現したのが「本屋と図書館の本質的な違い」 言い換えれば「民間施設と公共施設」の違いである。 「本屋は、みんなが読みたい本、売れる本を置く。 図書館は、読んでもらいたい本、感動してもらいたい本を置く」 この説明で、私の考えは間違いなかった、と再確認できた。 図書館に限らず、公民館や地域交流センター、体育施設も、 同じことが言える。 民間では、どんなに素晴らしい内容でも、採算が取れなければ、 開催しないテーマ・講座・教室を、公共が隙間を埋める。 住民のニーズを把握することも大切だと思うが、 公共がビジョンを持ち、住民に提案していく形は、私の理想だ。 評価は、蔵書の数、講座教室の数ではない。 これを知って欲しいという、職員の意識の高さが求められている。
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