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| 2010年02月06日(土) ■ |
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| あんな化け物に、刀は通用しません |
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NHK大河ドラマ「龍馬伝」から。 黒船を間近に目にした、桂小五郎と坂本龍馬は、 カルチャーショックを受ける。 (人の意識を変えるのは、これしか方法がない) それを伝える龍馬の表現が、 「あんな化け物に、刀は通用しません」 自分は、剣の道を究めたいと江戸に修業に来たが、 剣で勝てる相手ではないことを知り、愕然とする。 「もし異国との戦になったら、剣は役に立たん」と 千葉道場の道場主にモノ申すシーンは、笑えたが。 「時代遅れだというのか!」と大きな声で突き放す 息子・千葉重太郎を横目で見ながら、 道場主・千葉千葉定吉こそ、本当は一番納得し、 この時がきたか・・と悟っていた気がする。 しかし、自分の立場、社会での役割を考えた時、 それを認めたくないことも理解できる。 私としては、黒船の凄さを黙って認め、 武器としては、役に立たずとも、 黒船と戦う人たちの心を強くする手段として、 剣術の修行は、役に立つと考えているのだが・・。 (今風でいえば、メンタル・トレーニングとして) 今後、千葉道場がどうなるのか、違った意味で興味がわいた。
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| 2010年02月05日(金) ■ |
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| 誉められたら「ありがとうございます」 |
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書籍「仕事で疲れたら1分間だけ読む本」 (成美文庫・松本幸夫著・189頁)から。 生活するためのヒントが溢れていた本であるが、 特に、なるほどなぁ・・と思ったことがこれ。 誉められたら「ありがとうございます」と口にする。 けっして「たいしたことありませんよ」とか 「いや、私なんてまだまだです」は言わないこと。 誉められると、こそばゆいというか、照れてしまって ついつい、謙遜してしまうのが、今までの私。 なにもこんな場面で、誉めてくれなくてもいいのに、と 感じることもしばしばであったし、 それが、日本人の文化だと勘違いしていた。 しかし、それは誉めてくれた人に失礼になると思い直した。 素直に「(誉めていただいて)ありがとうございます」 と受け入れれば、それでいい。 嘘か真実か判断できない潜在能力には、 謙遜していることさえわからないから、 やはり、誉められたら「ありがとうございます」。 これは、今日から直したい習慣である。
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| 2010年02月04日(木) ■ |
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| 「無事」 |
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書籍「心が晴れる禅の言葉」 (赤根祥道著・中径の文庫刊・222頁)から。 私たちは、何事もなかったことを「無事」という。 禅は、さらに一歩踏み込んで、 何ものにも振り回されない自分であることができた時、 「無事」だという。 人は、我欲や名利に振り回されて、 自分をどこかへ吹き飛ばしてしまっているが、 何ものにも振り回されない「無事」を目指して生きたい、 そんな解釈で紹介されていた。 う〜ん、奥が深い。 「今日も無事に一日を過ごすことができた」は、 「今日は何物にも振り回されず自分で判断できた」と 同じ意味なんだと知り、これから毎晩寝る前に自問したい。 「今日は『無事』に過ごせましたか」 「はい」と答えられる日を増やしていくことが、 禅の言葉を理解するうえで、一番の早道かもしれない。 読むだけではダメ、実践して覚えたい「禅語」である。
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| 2010年02月03日(水) ■ |
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| じゃぁ、のちほど〜 |
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映画「R246 STORY-弁当夫婦」(ユースケ・サンタマリア監督)から。 原宿・渋谷といった繁華街を沿道に持つ「国道246号線」を題材に、 6人の著名人がメガホンを取ったオムニバス・ムービーのひとつ。 始まって5分くらい台詞なしで黙々と料理を作る、女優・永作博美さんは、 料理が上手なんだな・・と惹き付けられる。 その彼女の口から、何度となく発せられた「じゃぁ、のちほど〜」は、 文字にすると「じゃ、後ほど」であるが、 なぜか気だるそうな、いや事務的な会話のリズムまで耳に残っている。 ひとつの物語が20分ほどの長さなので「弁当夫婦」のタイトルに てっきり、倦怠期を迎えた夫婦だと思っていたら、まだ同棲中だった。(笑) 場面や登場人物の設定が、理解できないまま、物語後半を迎えて、 やっと、そうか、そういうことだったのか、と全体像がわかってくる。 そんな時、彼女の口癖が、再び思い浮かんだ。 「じゃぁ、のちほど〜」 まさか、わからない部分は、後ほどわかるようにしてあります・・という キーワードではあるはずがないのに、妙にハマった気がする。 今度は、ユースケ・サンタマリア監督のもう少し長い映画を観てみたい。
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| 2010年02月02日(火) ■ |
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| 自分の生きた証、残しませんか |
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今、ある年配女性の「自分史」制作を手伝っている。 と、言うよりも、私が勧めたのであるが。(笑) 私は「てにをは」や「文体」などのチェックをし、 本格的な出版物としての「自分史」ではなく、 近所の印刷屋さんに頼んでつくる「冊子」みたいなものでも 残してあげたい、と心から思っている。 思い出しながら書いているときが楽しくて、 既に何人かに「自分史のすすめ」をしているらしい。 以前、私が是非、名刺の肩書きにしたい、と夢みた 「思い出プランナー」が現実のものになった気がする。 その人が生まれ、この世に生きた証はどんなものでもいいが、 子どもだけは違う気がしている。 もちろん、その人が育てた「生きた証」には違いないが、 それでは、ちょっと淋しい。 禅の世界では「何も残さない」生き方が尊ばれているが、 私は小市民のため、何でもいいから、残すことを勧めている。 未完成をいっぱい持っているより、完成品を1つ持って欲しい。 彼女に勧めた時のフレーズが気になる一言。 「自分の生きた証、残しませんか」
しもさんの「気になる一言」 http://www.enpitu.ne.jp/usr4/40832/diary.html
約束通り、2009.10.25から書き始めた日記 しもさんの「五行歌・あいうえお作文」。 http://shimo357.blog87.fc2.com/
ホームページは「ようこそ Shimo's Cafe へ」 (知らない間に、引っ越しました) http://shimo357.web.fc2.com/
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| 2010年02月01日(月) ■ |
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| 「子ども手当」は、社会保障?経済援助? |
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話題の「子ども手当」、児童手当のシステムと絡めてから なんだか、ややこしくなってきた。 児童手当は「社会保障」として考えているが、 子ども手当は「次世代の社会を担う 子ども1人ひとりの育ちを社会全体で応援する」観点から、 制度が創設されるはず。 言い換えれば「経済援助」のシステムのイメージが強い。 「子育て支援」を御旗に「社会保障」と「経済援助」を、 一緒に考えようとしているところに、 この問題が複雑化している気がしてならない。 「社会保障」とは、辞書によると 「国民の生存権の確保を目的とする国家的保障。」 うん、それなら、仕方がない。 税金の滞納があっても「全額」扶助することに異論はない。 しかし、子育てにはお金がかかるから・・を理由に 「経済援助」するならば、 税金、給食費等の滞納額は、そこから差し引かれるべきだろう。 その点が「社会保障」と「経済援助」と違う。 所得制限の問題も、この違いがわかっていないから生じる。 さて・・どこで決着がつくのやら。 大所高所からの判断を期待したい。
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| 2010年01月31日(日) ■ |
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| 継続は力(感動、感謝、涙)なり |
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週末の土曜日、忙しい合間をぬって講演会に顔を出した。 清水町文化芸術活動促進事業・泉のまちカレッジ。 演題「人はなぜ罪を犯すのか?」(詳細は後日に一言で) この講演会、なんと「124回目」を数えていた。 年に一度の講演会より、月に一度のミニ講演会を、 町民に講演(素敵な話)を聴く機会を増やしたい、 そんな気持ちで企画した、社会教育課時代の事業が 現在も脈々と続いていることに、興奮を覚えた。 さらに当時、無謀だと言われた「月2回のコンサート」は、 すでに「250回」を超えている。(涙) 「感動」と「感謝」で、胸がいっぱいになったのは、 私が異動してからも、その想いを確実に受け継いで、 約10年、着実に歩み続けてくれた、 NPO法人ウォーター・ビジョンの存在があったから。 「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」 「頑張る事は大変だけど、頑張り続ける事はもっと大変」 そんなフレーズが、私の頭を駆け巡った。 だからこそ、今年から始めた、ボランティアによる 「子どもに読み聞かせ隊」事業も継続して成功させたい。 多くの人の力を借りて、試行錯誤を繰り返しながら、 これまた10年後に、美味しい酒を飲み、懐かしむために。 「継続は力(感動、感謝、涙)なり」・・これに尽きる。
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