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| 2008年03月20日(木) ■ |
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| 「報復」ではありません、「処罰」であります |
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映画「明日への遺言」(小泉堯史監督)から。 俳優の藤田まことさん演じる 戦犯裁判にかけられた東海軍司令官・岡田資(たすく)中将が、 この裁判で、何を言いたかったのか、 また、ここ数日、テレビで「東京大空襲」関連の作品が続いたが、 このタイミングで流す意味は何なのか、 多くのメモを眺めながら、しばらく考えてみた。 無差別爆撃を実行した米軍搭乗員を処刑した罪に問われ、 法廷闘争を「法戦」と名づけ立ち向かう彼の根底にある考えは、 「私が判断し指示したこと(米軍兵の処刑)は 『報復』ではありません、『処罰』であります。」だと感じた。 「誰が爆撃したかなんて問題ではない、何度も重ねたことである」 と、自分に言い聞かせるよう呟いた台詞も心に残った。 死刑の判決を受けた時、法廷を見守る妻に「本望である」と一言。 一つひとつが重たい台詞だったが、是非、観て欲しい作品である。
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| 2008年03月19日(水) ■ |
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| 人間って6年間でこんなに成長するんだぁ |
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久しぶりに私の雑感。 昨日、幼稚園の卒園式で人間の「純粋さ」に感動し、 今日、小学校の卒業式で人間の「成長」について驚いた。 私の目の前を通り過ぎる小学校6年生は、 昨日の幼稚園児と比べたためか、もの凄く大きく感じた。 たった6年間で、こんなにも人間は成長する、を 実感させていただいた体験であった。 着慣れたはずの小学校の制服が、妙に窮屈そうだったが、 成長したのは「体格」だけでなく、 いろいろな経験をして「心」も成長したに違いない。 それに比べ、私たち大人は、6年前とあまり変わらない。 ヌクヌクとした環境の中で、成長が実感できない。 体格の成長は難しいけれど、せめて「心」の成長をしたい、 そう思わずにはいられない、子どもたちの姿であった。
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| 2008年03月18日(火) ■ |
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| ひゃくにんでわらいたい せかいじゅうをふるわせて |
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地元の幼稚園の卒園式に来賓として招かれた。 元気いっぱいの子ども達と、それを見守る保護者、 先生たちの姿に、またまた涙が・・。(汗) たぶん、娘の幼稚園の卒園式と重なったからだろう。 今回の気になる一言は、卒園生が口を思いっきり開けて、 叫ぶように歌ったお馴染み「一年生になったら」の一節。 たしか、3番の歌詞だったと思う。 正確には「いちねんせいになったら いちねんになったら ともだちひゃくにん できるかな ひゃくにんでわらいたい せかいじゅうをふるわせて わっはは わっはは わっはっは」 「ひゃくにん」は、大人が考える「100人」ではなく、 子ども達の感覚「いっぱい(たくさん)」の意味だろうな。 たくさんの人で笑って、世界中を笑い声で震わせる。 いいなぁこの台詞、と呟きメモをした。 今、日本に足りないものは、 「たくさんの人の笑い声」かもしれない、と同時に感じる。 帰宅したら、なぜか娘の幼稚園時代の写真が見たくなった。 明日は、小学校の卒業式かぁ。また、楽しみである。
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| 2008年03月17日(月) ■ |
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| 疲れているからって休んでばかりいるのは、性に合わない。 |
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雑誌「ゴルフダイジェスト・チョイス163号」から。 アダム・スコット(オーストラリア・プロゴルファー)の台詞。 正確には、この台詞のあとに 「オフタイムを充実させると、さあ次は本業のゴルフをやるぞ!! って、自然とスイッチが入るんだ。」とコメントしている。 ライターも、彼のことを 「オンとオフをアクティブに過ごし分ける気分転換の達人」と 賞賛していたから、メモをした。 オフは「身体を休める」と考えるのは、容易い(たやすい)が、 もっと行動的に過ごすことにより、気分転換を図ることもできる。 なるほど・・私はこのタイプだなぁ。 休むとよけいに疲れちゃうのって私だけかな?と思っていたから、 このフレーズはとても嬉しかった。 また明日から、オフもアクティブに過ごそうっと。 えっ、充分すぎるほど動いているって?(笑)
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| 2008年03月16日(日) ■ |
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| 着物の国に生まれたのに自分で着られないなんて |
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「和装」という本で見つけたフレーズ。 確かに・・と賛同して、メモをした。 国際交流などのイベントに参加しても、 みんな自分の国の「国歌・国旗・民族衣装」を大切にし、 自慢げに私たちに披露してくれる。 さて、日本人は?と振り返ってみると、みんな洋服。 祝日でも国旗を揚げている家はわずか。 国技の相撲も・・・(汗) もう少し「祖国愛」を大切にしたいな、といつも思う。 ちょっと過激な発言のようだが、 日本が立ち直るためには「祖国愛」の教育を・・。 七五三と成人式、結婚式、卒業式、お葬式くらいしか、 着物を着ないなんて、もったいない気がする。 自分たちが着ないのに、来日した外国人に対しては 「日本文化体験」と称して、着物を着せたがる。 まずは、自分から。 そのためには、自分で着られるように。
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| 2008年03月15日(土) ■ |
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| 神秘さや不思議さに、目を見張る感性 |
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書籍「沈黙の春」(サイレント・スプリング)の著者、 レイチャル・カーソンの作品から。 娘の本棚にあった「センス・オブ・ワンダー」 (レイチャル・カーソン著・上遠恵子訳・新潮社版・60頁)を、 何気なく手に取り、読み直した。 それも土曜の朝、スカイラークのドリンクバーを利用して。 さて今回の「気になる一言」は、文字通り書籍のタイトルの定義。 「センス・オブ・ワンダー」とは 「神秘さや不思議さに、目を見張る感性」ということ。 この感性を持ち続ければ、 人間サイズの尺度の枠から、解き放たれていくようだ。 双眼鏡や虫眼鏡も、子どもの頃には宝物だったのに、 いつしか、夜空を見上げる回数も減り、 小さな虫の鳴き声にも興味を示さなくなった。 「今、少しの出費を惜しまないで、上等な虫めがねを買えば、 新しい世界が開けてきます。」と、著者は伝えている。 今度のボーナスで「双眼鏡や虫眼鏡」、買ってみようかな。
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| 2008年03月14日(金) ■ |
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| 美術に出逢えて、幸運だった |
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わが子が、4年間通った大学の卒業式だった。 正式には「平成19年度 女子美術大学大学院・芸術学部学位授与式」。 たぶん「幼稚園・小学校・中学校・高校・そして大学」と 全ての娘の卒業式に出たと思うが、やはり大学が一番感激した。 彼女が、浪人しながらも「美大」にこだわっていたことを覚えているし、 何もできないわが子が、本当に親元を離れて一人暮らしが出来るだろうか、 という心配をよそに、4年間で「生きる力」を掴んだことも知っている。 今日の一言は、同じ「絵画学科」の仲間が読んだ「卒業生総代答辞」から。 何かを作り出すことの楽しさと、辛さ・苦しさを語り、 絵筆が自分の思うようにならない苛立ちと不安を、素直に表現した。 「でも・・美術は感覚だから人の心に残る」と4年間を振り返り、 殺伐としたこの時代「美術に出逢えて、幸運だった」と続けた。 そして最後に「こんな私を理解してくれた家族に感謝」で結んだが、 もうその頃には、涙腺が緩んで困ってしまって、メモもうまくとれない。 たぶん、わが子も同じように感じてくれているに違いない、 そう思ったのか、隣に座っていた妻や母も、涙ぐんでいる。 大学の卒業式に、親(家族)が行くなんて・・と言うなかれ、 立派な大人に成長したわが子を見る楽しさは、大学の卒業式である。 若い頃「美術や音楽など」に4年間も夢中になれた彼女たちが羨ましいが、 私たちだって、まだまだ・・ 「○○に出逢えて、幸運だった」と堂々と言えるもの、探したいと思う。
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