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しもさんの「気になる一言」
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2018年03月12日(月)
あの原発事故は、国民の意識を変えるまでには至らなかった

アメリカ政府による個人情報監視の実態を暴いた元CIA職員
エドワード・スノーデンの実話を描いた映画「スノーデン」の中、
冒頭、彼はCIAの職員になる面接を受けるシーンが思い出された。
「人生で最も重要な日は?」「9.11です」
多くのアメリカ国民にとって、あの「9.11」は、
単なる(アメリカ同時多発テロ)「事件」ではなく、
国民の意識を大きく転換させた歴史的事実として、いつまでも語り継がれ、
「テロ撲滅」の意識は、決して風化されることはないだろう。
では、日本の「3.11」はどうだろうか?
東日本大震災は、大地震で起きた津波による被害者が多かったためか、
どうも「自然災害の記録」として、特集を組まれることが多い気がする。
しかし、当時の私の日記を読み直すと、そこには「津波」の文字よりも、
「原発事故」「計画停電」の文字が溢れていた。
今となって振り返ると、何事も奪いとった津波の恐ろしさが際立つが、
7年前の当時の日記からは読み取れない。
私は毎年、そこに違和感を感じながら「3.11」を迎えている。
7年後の、今の私たちの生活を振り返ると、当時とさほど変化がなく、
「あの原発事故は、国民の意識を変えるまでには至らなかった」
そういうことなのかもしれないな。(汗)



2018年03月11日(日)
3.11は、一年を丁寧に生きてきたかを振り返る日

新聞・テレビ・インターネットでの書き込みを始め、
本当に多くのメディア、関係者が「3.11」について語り、
毎年恒例のように国を挙げて盛り上がる中、
私は、体調を崩して週末を寝て過ごしたためか、
そういった全て情報をシャットダウンして、過ごした。
あの衝撃的な映像が目に焼きついている「3.11」によって、
「私の意識は、行動は、生活はどう変わったのか?」
そして、7年前に感じた、大きな心の動きに対して、
忠実に過ごしてきたか、を振り返る日となった。
当時「人間はいつどんなことで死ぬか分からないから、
毎日を大切に生きなければ・・」と誓ったのは間違いない。
「大切に生きる」とは、何事にも「前向きに」「積極的に」
「ポジティヴに」と勘違いされそうだが、実は違う。
私の考える「大切に生きる」とは「丁寧に生きる」ということ。
原発反対でエネルギー問題を語るなら、それなりの行動、
復興支援を語るなら、それなりの行動等、言行一致となっているか。
そんな簡単なことが実践できているか、を1年間単位で振り返る。
自分で決めた約束を守れたかどうか、ただそれだけ。
だから「3.11は、一年を丁寧に生きてきたかを振り返る日」
こう記しておこうっと。



2018年03月10日(土)
君は小説を書くためなら何でもやるのか?

映画「ケータイ小説家の愛」(金子功監督)から。
う〜ん、これって映画にすることなのだろうか、
そんな第一印象を引きずったまま終わった。(笑)
人気グラビアアイドル・田代さやかさんの主演作品、
そんな感じがして、コメントも何もなかった。
一時は、過激な内容で話題を独占したケータイ小説家であるが、
今は「ケイタイ」は昔の産物、「スマホ」全盛時代には、
それまた、お笑いの一発屋と同様、その陰は薄い気がする。
ただ時代が変われど「超短編小説」「ショートショート」なる
素人の手による気軽な読み物は、これからも続くと思われる。
そしてまた、その作家は、ウケる話題づくりのために、
いろいろな経験をしなければ・・を理由に掲げ、
危険なジャンルにまで手を出していく。
その驚きに満ちた言葉が、作品の中に登場する。
「君は小説を書くためなら何でもやるのか?」
セックスを経験しないと、官能小説は書けないと思っているし、
ドラッグや暴力も、よりリアルに書くために自ら経験するなんて、
私には到底考えられない。
「この子の小説は、嘘がないからウケるんだ」という台詞と
「小説のネタになってください」と男にすがる女性に違和感を覚えた。
小説なんてみんな想像で書いているんだ、と誰かが教えなくちゃ。



2018年03月09日(金)
日差しの優しいある日

「人のつながりが生まれる分譲地」の新聞広告。
(加和太建設の「あこう田園)のイメージエッセイ。
タイトルは「日差しの優しいある日」。
「天気のいい休日、私たち家族はブランチを
みんなでするのがお決まりのコースだ。
ここは近所の誰もが気楽に立ちより、自然と会話が生まれる憩いの場だ。
シンボルツリーがあり、鳥や虫が鳴き、どこからともなく集まった
お年寄りから小さな子ども達までが、気づくと生き生きとした笑顔をしてる。
ベンチに座りカップにコーヒーを注いでいると、
子どもの泣き声が聞こえてきた。見ると一人ぼっちのようだ・・
さてと、と私が立ち上がろうとした時、
少し大きな女の子がすっとかけより、女の子に右手をさしのべた。
どうやら家族の元まで連れて行く役をかってでたようだ。
女の子はすぐに泣き止み、手を繋いで歩き出した。
今日も出番はないのかと思いカップ片手に笑みが浮かんだ。」
とてもイメージしやすかったので、ちょっと長いが書き出してみた。
柿田川公園で、こんなシーンが見られたらいいな、と思ったから。
柿田川がどんなにすごい川なのか、を伝えるのでなく、
この恵みを受けて、こんな考え方で生きている、を伝える方が、
わかりやすいのかもしれないな。



2018年03月08日(木)
たぶん、鬼の霍乱だよ

このところの天候不順からか、三寒四温の季節の変わり目なのか、
議会真っ最中だと言うのに、体調が崩れ、
昨日の午後から、鼻水とくしゃみが止まらなくなった。
原因はわからない、突然の花粉症、という人もいるが、
どうも実感が湧かない。
大丈夫ですか?と心配してくれるスタッフに向けて、
私が発した言葉は「たぶん、鬼の霍乱だよ」
そう言えば、あまり意味を理解しないまま使っているな、と
帰宅後、ひと寝入りしてから、調べてみた。
辞書によると「鬼の霍乱」とは、
「いつも非常に健康な人が、珍しく病気にかかることのたとえ」
たしかに、ここ数年、毎日の徒歩通勤が影響したのか、
風邪らしきものもひかず、ここまでやってきたから、
突然の「鼻水とくしゃみ」に、周りよりも私自身が驚いている。
「霍乱」は、日射病や熱中症、吐き気、下痢などの、
夏に起きやすい体調不良の総称らしい。
もがいて手を振り回すという意味をもつ
「揮霍撩乱」(きかくりょうらん)という言葉が語源で、
これを略して「霍乱」となったようだ。
意味から考えると「鬼の霍乱」って、夏に使うのかな?
まぁ、自分で言うのも間違っているのかも・・(汗)



2018年03月07日(水)
ウケる演目を10、持っている方がいい

清水町文化芸術活動促進事業「第9回地域交流センター寄席」
古典落語「柳家花緑」独演会から。
独演会直前まで、柿田川公園を案内した関係で、
ちょっぴり親しくさせていただいたのを理由に
「真打って、どれくらいの話を知っているのですか?」
今まで気になっていたことをストレートに尋ねてみた。
わたしの愚問に対し、彼は丁寧にこう答えてくれた。
「話せる演目を100、知っているよりも、
ウケる演目を10、持っている方がいい」と。
落語家に限らず、お笑いを仕事にしている人たちは、
幾つのネタを持っているかではなく、
幾つのウケるネタを持っているか、が勝負だと知った。
確かに、名人と称される落語家には、ウケる(得意な)話がある。
何度耳にしていても、オチを知っていても、笑ってしまう話芸。
それが、真打ちなのかもしれない。
しかし、もっと深く考えると、それはお笑いの世界だけでなく、
私たちの生きている社会でも同じことが言えそうだ。
求められた事の全てを器用にこなす人よりも、
ちょっとクセがあるが、これだけは誰にも負けない、という
何かを持っている人の方が、魅力的に感じるのに通じるなぁ。
私も、ウケる「気になる一言」を意識しようっと。(汗)

P.S
2016年02月06日(土)
ラッキーな人を見て、ラッキーだと思える人になりたい
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20160206

2017年02月19日(日)
今度から「ニトリ芸人」と呼んでください
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20170219



2018年03月06日(火)
熱中しているものから学んだ言葉

日曜日夜、寝る前に何気なくみていた、
テレビ番組「My story」(MC:中山秀征さん)から。
毎回、ゲストが代わり、
人生のターニングポイントとなった言葉を紹介していく、
とてもオーソドックスなトーク番組だけど、ツボにはまった。
番組HPでは「ストーリーには、人生を変えた言葉や、
逆境を乗り越えた言葉、心を奮い立たせてくれた言葉など、
未来を生きるヒントが数多く溢れている」と紹介している。
最終的には「○○をつくった言葉」の数々と言えるが、
特に「熱中しているものから学んだ言葉」という項目が光った。
確かに、苦しい時に支えてもらった言葉や、
迷っている時に、背中を押してくれた言葉もいいけれど、
人生のうちに何度か訪れる「熱中」「夢中」になって、
寝食を忘れてしまうほどの経験から学んだ言葉は、
本当の意味で、その人の力になると思ったからだ。
この番組の面白いところは、自分と重ねて考えられること。
生まれてから、もうすぐ60年。
20年以上書き貯めてきた「気になる一言」から
「私をつくった言葉」を拾い出すのも悪くないな。



2018年03月05日(月)
わが谷は緑なりき ジョン・フォード

映画「夏の終り」(熊切和嘉監督)から。
ドロドしていようと、爽やかであろうと、瀬戸内寂聴さん原作であろうと、
男と女の三角関係をテーマにした、心理の読み合いみたいな駆け引きは、
どうも私は苦手のようだ。(理解しにくいのかもしれない)
こういう時は、どうしても作品の時代背景を現す、看板やメニューなど、
監督が意識的に入れたのでは?というものを探して、メモをする癖がついた。
今回は、映画の看板。(たしか、小田原駅前だったかな?)
看板屋さんが、ペンキで映画のタイトルを書いているシーン。
「わが谷は緑なりき ジョン・フォード」と文字だけの映画紹介。
ストーリーもわからず、タイトル・監督の名前・主演の名前程度の情報で、
国民は映画に夢中になったのだろうか、不思議な時代である。
ちなみにこの作品で、ジョン・フォード監督が描こうとしていたのは
「善意と誠実さを貫いて生きる人間の姿と魂」らしい。(笑)
(日本上映は、1950年(昭和25年)12月)
他にも、映画「カルメン 故郷に帰る」(木下恵介 監督・脚本)
(主演 高峰秀子・佐野周二)の文字も見つけた。
こちらは、1951年(昭和26年)3月公開作品だが、
国産初の「総天然色映画」として多くの話題を呼んだはずたから、
もう少し、看板にも工夫がしてあったのでは・・と期待したが、文字だけ。
こんなものだったのかな、当時の映画看板というのは・・。
でもこんな時代に、年上の男と年下の男との三角関係なんて、
さすが、瀬戸内寂聴さん、波瀾万丈の人生でしたね。

P.S.(メモしてしまった看板の紹介)
■新宿ミュージック「フランス外人ヌード」
■「Grand Cabaret」
THE INTERNATIONAL CLUB
Shinjuku,Tokyo with Rooms for Refreshment
近日開場 乞御期待 世界クラブ



2018年03月04日(日)
バナナの木? 本当は「草」です!

還暦間近、熱川バナナワニ園で知らされた知識をご紹介。(汗)
温室で久しぶりに「バナナの木」をじっくり眺めていたら、
こんな看板に出くわした。
「バナナの木? 本当は『草』です!」
「『バナナの木』と言いますが、正確には『木』ではなく『草』です。
切株を見ると、木のような『年輪』が有りません。
沢山の葉が束になっていて、見た目は『大きなネギ』のようです。」
60年近く生きていて、ずっと勘違いで覚えていた知識だけに、
このショックは大きかったけれど、言われてみれば・・とメモをした。
ということは・・・バナナは果物ではなく、野菜ってこと?と
今となっては、どうでも良い疑問が残ったが、
これからは、スーパーに行って店頭に並んだバナナを見ながら、
これは「果物ではなく野菜」という視点で眺めてみたい。
へそ曲りと思われるけれど、おもしろいネタ発見、と喜んだ。
知らなかったなら、自分を許せるけど、
間違って覚えていたことは、幾つになっても恥かしいな。(涙)



2018年03月03日(土)
あれ、こんなにすぐ狩野川と合流したかな?

ポカポカ陽気につられて、休日でも柿田川公園に足を運んだ。
観光客も多く、彼ら彼女らがどんな会話をするのか、
ちょっと興味があって、観光客を装いながら同じペースで歩いた。
はじめて訪れた人は、やはり豊富な水量に驚き、
大きなブルーの湧き間にも、シャツターを押し続けていた。
以前來訪したことのある人は、案内役をしながら、
ここを下りるとこんな景色が見えるんだ、と自慢げだった。
今回、一番面白かったのは、小さい頃にこの町に住んでいた人。
上流から見学し、とつぜん川幅の広い川が現れるので、
柿田川を狩野川と勘違いしていたこと。
「あれ、こんなにすぐ狩野川と合流したかな?」
私の小さいころはもっと長かったのに、と同伴者に説明している。
その場に居合わせた私の「柿田川を案内したい症候群」が発病し
「いやいや、今、目の前に流れている川は柿田川ですよ」。
「えっ、こんなにすぐ、この大きな川になるの?」という問いには、
「はい、それもすべて湧水です」とお答えした。
「そうだよね、どうだすごいだろ」と、説明し直す姿が可笑しかった。
柿田川の魅力を伝え、予想以上に驚かれると、すごく嬉しいなぁ。