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しもさんの「気になる一言」
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2018年01月21日(日)
恥を知りなさい、声援も送れないの?

映画「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」
(スティーブン・フリアーズ監督)から。
主人公は、実在の人物でストーリーも実話だというから、
さすが、アメリカ・・と拍手をしたくなる物語。
「音痴のソプラノ歌手、フローレンス・ジェンキンスが
カーネギーホールでコンサートを開催した」という事実を知り、
日本だったらどうだったろうか?と考えてしまった。
作品中(たぶんこれは脚色だと思うが・・)
アメリカ兵士をこのコンサートに招待し、
彼らを励ますつもりで歌い出したにも関わらず、
あまりの音痴に、笑い出す人あり、ざわつきはじめた時、
コンサートには不釣合いな服装で席についた若い女性が、
観客に向かってこう叫ぶ。
「静かに!、力の限り歌ってるのよ」
それでも「やめろ」「警察を呼べ」「引っ込め」等の
野次が止まらず、さらにもっと大きな声で、彼女はこう叫んだ。
「恥を知りなさい、声援も送れないの?」
これには、大騒ぎのアメリカ兵士も反省したのか、
会場は大きな拍車に包まれる、このシーンが一番好きだ。
上手い下手に関わらず、一所懸命の人を応援すること、
それが大人の対応なんだと知らされた。
作品の最後、フローレンス・ジェンキンスがこう呟く。
「ひどい悪声だと非難されても、歌った事実は消せないわ」と。
彼女は自分の音痴を知っていたのかな?



2018年01月20日(土)
誰もやったことがないことをやり遂げたい

MLBのロサンゼルス・エンゼルスに入団した大谷翔平選手。
目指すは、御存知、投手と野手の二刀流。
本当に達成できるのだろうか?という私の心配を察してか
先輩大リーガーの石井投手が、あるテレビ番組を通じて、
彼の、熱い想いを教えてくれた。
それが「誰もやったことがないことをやり遂げたい」
単に、小さい頃からの夢だった大リーグに挑戦したい、
そんな想いではなく、もっともっと大きな夢。
いや「夢」というより「目標」に近い気がするのは、
出来ることなら・・というレベルの想いではなく、
必ずやり遂げるという決意に似たものを感じるからだ。
野茂投手が、当時難しかった大リーグでのプレーに挑戦し、
パイオニアとしてやり遂げたのに似ている。
あの時も、けっこうバッシングの嵐だったのに、
成功したら、掌を返したように、称賛する関係者たち。
まちづくりでも同じ様なシステムが存在し、
中央・世界で成功してから「実は、わがまち出身です」と
いうケースを何度もみてきた。(汗)
結果的にうまくいくかどうか、ではなく、無名の時から
こういう若者の心意気、応援してやらなくちゃなぁ。



2018年01月19日(金)
愚かさに、ハッと気付いてあげましょう。

書籍「しない生活」(煩悩を静める108のお稽古・
小池龍之介著・玄冬舎刊・241頁)から。
最近、心がざわついていたからか、背表紙のタイトルを目にして、
何気なく手に取り読み始めたら、夢中になってしまった。(汗)
特に、仕事柄「クレーマー」と称される方々とも、
接しなくてはならず、その対応に声を荒げることも、しばしば。
相手を興奮させることに長けている、クレーマーの誘いに乗らず、
こう考えたらいかが?というアドバイスともとれる。
「相手を屈服させて自分の価値を実感するという愚かしさ」
学校や企業へのクレームは、される側は失うものが多いため、
ほんのちょっとした過ちでも『すみません、不手際でした』と
屈服せざるを得ないですからね。
必ず勝てるのがきまった、つまらない戦いなのです。
そんなひきょうな戦いを挑みたくなるほど心が惨めになる前に、
自分の価値をつりあげたくてしょうがない愚かさに、
ハッと気付いてあげましょう」という表現を見つけて、
なるほどなぁ、とメモをした。
クレーマーと同じ土俵で戦うのではなく、こちらが逆らわない、
という前提でクレームをつけてくる相手に対して、
その愚かさに気付いてあげるやさしさで接したいものである。



2018年01月18日(木)
やりたいことをやりたいやつが提案し、言い出しっぺが実行する

書籍「稼ぐまちが地方を変える。誰も言わなかった10の鉄則」
(木下斉著・NHK出版新書・201頁)から。
縮小時代にまちづくりを推進する私たちにとって、
「バイブル」と言っても過言ではない内容に、メモは増えた。
まずは著者が「今でも私の基本となっている考え方です」と、
1番最初に紹介しているフレーズが、
「小さく始めて大きく育てる」であった。
著者が、学生の頃から、試行錯誤して得られた、
まちづくりのノウハウは、示唆に富んだ指摘が多い。
イベントにしても、組織にしても、行政の補助金を当てにして
大々的に打ち上げ花火をあげて失敗してきた例を、
何ども目にしているからだろうか、最初から同感であった。
つまり「やりたいことをやりたいやつが提案し、
言い出しっぺが実行する」程度の規模感で始める。
そうすれば、仮にうまく機能しなかったり、失敗しても、
やりたいと思った、言い出しっぺが責任をとれる範囲だろうし、
損害も最小限に留められる。
逆にうまくいったら、少しずつ拡大していく楽しさがある。
右肩上がりの時代と同じ感覚で、風呂敷を拡げ過ぎ、
にっちもさっちもいかなくなることは避けたい。
それは消極的考え方ではなく、時代の潮流を読んだ考え方として、
私も「基本のき」として、心に留めておきたいと思う。



2018年01月17日(水)
それって、チロリン村に失礼だよ

夕食に鍋を囲みながら、私の仕事の話をしている時だったかな。
「どうして、こんなことが出来ないの?」とか、
「えっ、それって他のまちではやってるよ」とか言われ、
ムッとしながらも、うまく言い返せなくて、ついつい
「どうせ、チロリン村だから」と口にしたら、またまた突っ込まれた。
「それって、チロリン村に失礼だよ」
そう言えば、私たち地方の行政職員って、仕事がうまく進まなかったり、
問題解決に広い視点で考えられなかった時など、自分のまちを卑下して
「どうせ、チロリン村だから」と言うことがある。
(この例えも、私だけだったら、すみません(汗))
よく考えると、その「チロリン村」について、私たちは何も知らない。
調べてみると「チロリン村」は、1956年から1964年まで、
NHKで放送されていた「チロリン村とくるみの木」の人形劇だった。
お馴染みの「ひよっこりひょうたん島」や「プリンプリン物語」の原型、
そう評価してもいいほどの名作は、黒柳徹子さんら多くのキャストで構成され、
どうして「チロリン村」という単語だけが一人歩きしているのか、
正直、私にも分からない。
「ピーナッツのピー子」「タマネギのトン平」「クルミのクル子」などの
果物や野菜を擬人化したキャラクターと「もぐらのモグモグ」
「ねずみのタコチュー」などの小動物が暮らしているチロリン村、
そこで起こる珍騒動の数々が「チロリン村」のイメージを膨らませて
大きな都市では起こりえない騒動が起きることの例えとして
「チロリン村」と呼んでいるのかもしれない。
そう考えたら確かに「チロリン村に失礼」だよなぁ。

P.S.
まさか・・サイコロ賭博の「チンチロリン」から派生して
「チロリン村」じゃないよね。(汗)



2018年01月16日(火)
「日本に住んでいる外国人50人」と「外国に住んでいる外国人50人」

昨日紹介した「外国人の外国人による外国人のためのイベント」、
あれからず〜っと考えているが、分からないことだらけ。
特に「99.9パーセント外国人の中で、たった一人で座っていても、
ドキドキするような、不安を一切感じなかった」こと。
これが「異国の地でのイベントで、たった一人だったら、
不安を通り越して、落ち着いて座って居られなかった」に違いない。
このあたりに、国際交流の楽しみ方のヒントが隠されている、
そんな気になって仕方がなかった。
それが「ホーム」と「アウェイ」の違いなのか、
一度も「日本語」を耳にしなかったにもかかわらず、
自分でも信じられないくらい、異文化を楽しむことが出来た。
正直、今でもなにが違うのか、はっきりした答えは見つからないけれど、
「日本に住んでいる外国人50人」と「外国に住んでいる外国人50人」、
そんな彼らが醸しだす、独特の雰囲気みたいなものなのかも知れない。
日本に住んでいる外国人50人に囲まれても、不安はないけれど、
異国の地に住んでいる外国人50人に囲まれたら、
きっと、不安だらけで落ち着かないんだろうなぁ。



2018年01月15日(月)
外国人の外国人による外国人のためのイベント

昨年予定していた、国際交流イベントが、
台風の接近で中止になったのは、たしか衆議院選挙の日。
それでも、どうしてもやりたいと言いだしたのは、外国人の人達。
今までは、日本人の私たち(行政と国際交流協会)が企画運営し、
在住の外国人の人たちに参加してもらう形の「国際交流フェスタ」、
それをまるっきり視点を変えて、企画運営も近隣市町の在住外国人、
ターゲットも近隣市町の在住外国人で、文字どおりの
「外国人の外国人による外国人のためのイベント」を開催したら、
私の予想よりはるかに多くの外国人が集まり、まさに異国ムード。
それも、私の耳に入って来る言葉は「英語」ではなく、
「スペイン語」だったり「タガルグ語」が溢れかえった。
屋外では「多国籍の料理ブース」が所狭しと並び、
屋内のステージでは、これまた「多国籍のミュージック」が流れ、
さらに「多国籍のダンス」が披露された。
私以外、すべてが外国人の時間帯もあったけれど、
時には、輪になって一緒に踊り、楽しい時間を過ごすことが出来た。
何にも分からない言葉だと、理解しようとか、聴き取ろうなんて、
そんな気も起きず、ただただ、その場の雰囲気を味わったにすぎない。
だけど、今までとは違う何かを感じて、帰路についた。
その理由は分からないけれど、とにかく楽しかったなぁ。



2018年01月14日(日)
なんとかやっていける時です

やっと初詣に三島大社に足を運び「後厄」の厄除祈願をした後、
いつものように、一年を占う、年頭のお御籤は「吉」。
そこに書かれていたことで、思わず吹き出してしまった。
「総評」では「難しい問題や困難に立ち向かう時は、
心理的に不安な状態が続くものだが」と始まり、
とりあえず「目的は達成される」と書いてある。
また「仕事・交渉・取引」の運勢は、
「心配するような事があるかも知れないが」と前置きして、
「なんとかやっていける時です。何事にも積極的な姿勢が必要」
その「なんとかやっていける時です」という神のお告げに、
ダメならダメ、イイならイイ、とはっきりして欲しかったのに、
「なんとか」という曖昧な言葉をどう解釈したらいいのか、
定年までの一年、かえって不安になった、と記しておこう。(汗)
笑えたのは「愛情・縁談・恋愛」の運勢は、
「道ならぬ恋に発展する場合もありそう。
話は内密に進める方が有利。派手な行動はつつしめ」かな。
妻の目を盗んで、そんなことをメモする59歳ってどうなんだ。(笑)
さて、今年もいろいろありそうだけど、
なんとかやっていけそうだ、神が教えてくれたから信じようっと。



2018年01月13日(土)
インフルエンザ感染の「自分事化」

今年は、インフルエンザが大流行しているらしい。
特に、私の住む静岡県は、感染が急激に広がったようだ。
全国では「A型」のインフルエンザが流行しているが、
なぜか県内では「B型」の患者が過半数を占めていて、
複数のウイルスが感染を拡大させている理由らしい。
感染を広げない対応は、徹底した「危機管理」しかない。
実は、私のまわりでも身近な人が感染したけれど、
自分は熱も出ていないし咳もない、ネットで調べたら、
潜伏期間は短いというし、(たぶん)大丈夫だろう、という、
その「たぶん」が一番危ない、ことも実は知っている。
知っていて対応しなかったら、それは知らなかった、と同じ。
実は、今年も2018年が始まり10日ほど過ぎたので、
新年会を始め、多くの楽しそうな宴席のお誘いを受けている。
以前の私なら「たぶん大丈夫」とばかり参加していたが、
私の身勝手な(美味しいお酒が呑みたいという)判断で、
多くの他人に、それも料理人などに感染させたら、
それこそ取り返しがつかなくことも、頭に浮かんだ。
まさしく年頭に決意した「自分事化」として、
泣く泣く(汗)、キャンセルの電話を入れることに・・。
受験生を抱える家庭も同じかもしれない。
わが子(孫)のため、ほんの少しの我慢が出来るか出来ないか、
これが試されている、インフルエンザに対する危機管理である。
「インフルエンザ感染の『自分事化』」として、
記録に残しておこうっと。



2018年01月12日(金)
世界が知らない日本の地方が旅の目的地になる

数年前から、機会ある毎に撮影している「柿田川」の四季。
自分自身が「柿田川」の魅力に惹かれ、
その一部を一人でも多くの人に知ってもらいたくて始めた、
Facebookでの写真・映像投稿であるが、
最近、素材提供の依頼を受けることが増えてきた。
その中でも一番嬉しかったのは、
Facebookページ(約139万いいね!)を誇る
「ZEKKEI Japan」からのメッセージだった。
その組織のキャッチフレーズというか、テーマというか、
私の伝えたいこととピッタリだったので、紹介したい。
「世界が知らない日本の地方が旅の目的地になる」
写真家でもなく、ましてやスマホや格安の防水カメラで撮影した
素人の私の写真・動画を見て「ここに行ってみたい」と
思ったいただけたら、これ以上の幸せはない。
基本的には同じ場所から撮影する「人間定点カメラ」であったり、
今しか撮れない風景を撮影する「人間ライブカメラ」として、
これからも続けていきたい、と思う。
こういった有名サイトで紹介されるという、ご褒美。
私にとっては、還暦を迎える新年の「お年玉」だよなぁ。(嬉)

P.S.
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