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| 2017年11月22日(水) ■ |
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| なんでそんなこと訊くんですか? |
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観光地に行くと、多くのシルバー世代の人たちが、 観光ガイド役をしながら、バスから降りてくるツアーの方々を 楽しそうに案内している姿が目に入る。 どうして、若い人たちがいないのだろう?と不思議だったのだが、 その理由が少しだけどわかった。 (若い人のガイド役は、今でも話題になるほど少ないから・・) 今では、観光地のあらゆる情報は、スマホで調べればわかる。 地形や歴史、仕組みなど、興味があるならガイドに案内されなくても もっと詳しくわかるから・・が本音であるようだ。 だから「歴史とか訊かれても困らないように勉強しようよ」と言えば 「なんでそんなこと訊くんですか?。スマホで調べればいいのに」と いうことになりかねない。 ここに観光案内のヒントが隠されている気がしてならない。 ネットに載っているようなことの説明は、少なくて構わない。 逆に、ネットには掲載されていない「今だけ、ここだけ、あなただけ」の 観光情報を、タイムリーにガイドできることが求められている。 それが話題になることで、あの人のガイドを聴きたい、となるのだろう。 これからは、ネットに掲載されていない情報で勝負だなぁ。
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| 2017年11月21日(火) ■ |
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| 日本独特の「片廊下」「昇降口」「下駄箱」(上履き) |
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平成29年度日大国際関係学部主催(下期市民公開講座) 統一テーマは「日本の社会・教育を考える」 講師「冨士原雅弘」氏(日大国際関係学部准教授) 演題「日本の学校空間の成り立ち」から。 まず、武士階層が学ぶ「藩校」。庶民層が学ぶ「寺子屋」 そう理解していたら「寺子屋」は、京・大坂中心。 江戸などでは「手習塾」と呼んでいたことは、へぇ〜だった。(汗) さらに「片廊下」「昇降口」「下駄箱」(上履き)などを挙げ、 私が今まで何も疑問も持たず利用しいた、日本独特の学校空間について、 丁寧に説明を加えてくれた。 海外では「廊下」を挟んで教室が両側に配置されているが、 高温多湿な日本では、風通しのよくない中廊下は不適当で、 「片廊下」が好ましいとされたようだ。 寒暖の激しい地域では、廊下の方向も工夫されていることを知った。 一番驚いたのは「昇降口」で「上履き」に履き替えるという習慣。 これまた、教育の一環でそういうものだと思い込んでいたら、 これこそ和式建築から当然に生まれた生活習慣の採用(二足制)だった。 大学などは一足制だがら、教える側の生活習慣に合わせた、という説明に、 妙に納得してしまった。 「下駄」など履いていかないのに、なぜ「下駄箱」と言うのだろうか、 以前、そんな疑問は持ったことがあったが、なんとなく理解できた。 下履きが下駄の場合、騒音、土足による泥・ほこりの侵入、衛生保持できない などの理由が、あとから付されたとも教えていただいた。 意外な日本の学校の建物空間、まだまだあるんだろうなぁ。
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| 2017年11月20日(月) ■ |
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| 子どもが読むのが子どもの本ではない |
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書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。 次に紹介するのは「こどもの本のちから」という項目。 まず最初に「本は、年齢で読むのではない」と言い切り、 「本を読むというのが、新しいものの見方、感じ方、考え方の 発見を誘われることでないなら、読書はただの情報にすぎなくなり、 それぞれの胸のなかに消されないものとしてのこる何かを もたらすものとしての、読書の必要は失われます」と。 さらに「子どもが読むのが子どもの本ではない」 「年齢によって、本を考えることをやめたい」とまで。 「年齢によって、限定されない読書の楽しさ」を提案している。 「子どもの本というのは、子どものための本なのではありません。 大人になってゆくために必要な本のことだというのが、 わたしの考えです」というフレーズにぶつかり、感激した。 子どもの本になくなてはならない「物語の三原則」は、 「古くて歳をとったもの」「小さいもの、幼いもの」 「大切なもの」を示してあげることだと理解した。 どの図書館でも「子供と大人」でフロアを分けたりするから、 私たちが子供用の楽しそうな図鑑を見つけられないんだよなぁ。
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| 2017年11月19日(日) ■ |
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| 「インデペンデンス・デイ」を観直したくなる映画 |
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映画「インデペンデンス・デイ2014」(W・D・ホーガン監督)から。 鑑賞後、あまりにチープな作りに言葉がなかった。 タイトルだけで選んだ自分が情けなかったが、 逆に、こんな作品に出会えるのは、珍しいかもしれない。 製作国・カナダの原題は「INDEPENDENCE DAYSASTER」 「INDEPENDENCE」は「独立・自立・自活」 「DAYSASTER」は「毎日・幾日も」 あっ、もしかしたら、私たちが勝手に、 「Independence Day」(独立記念日・米国は7月4日)と 勘違いしたのかもしれない。(意味が違う?) 原題をみれば、大作「インデペンデンス・デイ」とは別物、と ハッキリわかったのになぁ。(笑) 「こいつは、すげえゃ」や「地球外生命の探査が仕事よ」 映像や場面設定で表現するはずが、台詞で説明するから、 安っぽい仕上がりになってしまう。 また、偶然が多すぎて、観ていて「興奮」するというより 「笑い」が込み上げてしまうほど・・・。 もう一度、映画「インデペンデンス・デイ」を 観直したくなる映画、というのが、この作品の感想かな。
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| 2017年11月18日(土) ■ |
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| 「稲本」出すなら「小野」を出せ |
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職場の後輩達に連れられ、清水エスパルス公式戦に出かけた。 場所は「アイスタ(IAI)」相手は「北海道コンサドーレ札幌」、 小雨の降る中、必死の応援むなしく、0-2で負けた。 あまり印象に残るシーンも無く、精彩を欠いたまま終わったが、 後半47分、相手チームから「稲本潤一選手」が出てきた時、 やっと知ってる名前が出てきた・・と喜んだ。(笑) しかし、もう勝敗もほぼ決している時間帯なのだから、 どうせなら「沼津市出身の小野伸二選手」のプレーが見たかった。 (試合前の選手紹介でも、小野選手だけは、相手チームなのに 拍手で迎えられたほど、人気者だったから) 野球では、勝敗に影響がない大差の試合には、地元出身とか、 地元ゆかりの選手を出場させ、ファンサービスをしてくれるのに、 サッカーには、そういった感覚は無く、最後の最後まで、 ベストメンバーで臨むことが暗黙の了解らしい。 年に一度しか観戦しない、にわかサッカーファンは、 所属チームに関係なく、地元生まれ、地元出身選手を応援したくなる。 だから、今回の試合をワンフレーズでまとめると 「『稲本』出すなら『小野』を出せ」 (全国のサッカーファンのみなさん、ごめんなさい(汗)) でもこの一言で、10年先でもこの試合を思い出せるんだよなぁ。
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| 2017年11月17日(金) ■ |
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| 「働き方改革」ではなく「働きがい発見」 |
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駿東三市三町幹部職員研修会 講師「岩崎清悟」氏(静岡ガス(株)前・代表取締役会長役社長) 演題「エネルギーから見た地方創生」より。 「1 原油の低価格はいつまで続くか?」 「2 エネルギーから見た地方創生」 「3 活き活き高齢者化社会に向けて」 3部構成の内容で「ガス」というエネルギーのもつ可能性を、 丁寧に説明されて、今後は「分散型のローカルシステム」が エネルギーの課題を解決するだろう、と纏めてくれた。 しかし私が印象に残ったのは、(本題ではなく申し訳ないですが・・) 「せっかくチャンスをいただいたので、私見を申しあげたい」と 前置きをし、書籍「孤独のすすめ」(五木寛之著)から引用しながら、 「高齢者就労施策の展開を」と提案したことである。 「生涯現役促進地域連携事業タイプ」(厚生労働省)を示しながら、 特に「7 社会参加タイプ」を、地方公務員の私たちに提案してくれた。 「7 社会参加タイプ」とは「高齢者の雇用・就業だけでなく活躍の場として ボランティアや就業体験を含めた社会参加を広く推進するパターン」として、 「ノルマを外して、じっくり話し聴くような仕事」を、高齢者に与えることで 高齢者は、自分の居場所として、経験から積み上げてきた能力を、 惜しみなく提供してくれるに違いない、そんなアドバイスにも聴こえた。 高齢者にとって今必要なのは、政府の示す「働き改革」ではなく、 自分が社会のために役に立っているという「生きがい・働きがい」。 ワンフレーズにすると「『働き方改革』ではなく『働きがい発見』」 定年退職を1年半後に控えた私には、その意味が理解できる。 高齢者にとって大切なのは「働きがい」なんだよなぁ。
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| 2017年11月16日(木) ■ |
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| そのマフラーをどう結ぶかです。 |
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書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。 読書の話なのに、マフラーの例えが出てきて思わず頷く。 「冬は、だれもがマフラーをします。 マフラーというのは結び方が肝心で、たとえみながみな 同じマフラーをもっていても、その結び方、身につけ方で、 印象がまったく違ってくるのがマフラーです。 マフラーは、さまざまな結び方をもっていて、 はやりの結び方があり、野暮な結び方があり、きれいな結び方があり、 見ていていいなと思える結び方があります。 結び方次第で、気分も違います。重要なのは、 どういうマフラーをもっているかではありません。 そのマフラーをどう結ぶかです」と。 本の読み方も、百人いれば百通りの読み方がある。 どれが正しい読み方で、どれが間違った読み方などない。 しかし、せっかく自分の大切な時間を使って読むのだから、 素敵な読み方をしたいな、といつも思う。 これから、マフラーが必要な季節になってくるから、 そのたびに、この例えを思い出そうっと。
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| 2017年11月15日(水) ■ |
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| ROM人間が多くて、RAM人間が少ないよね |
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職場のベテラン組と飲みながら交わした意見交換会。 久しぶりに「最近の若い人たちは・・」というフレーズが飛び交い、 それはそれで、面白い話題満載だった。 私たちも若い頃、先輩の方々に言われたんだろうな、と想像できる。 今回のメモに残されていたフレーズは、 「ROM人間が多くて、RAM人間が少ないよね」だった。 「ROM」とは〔read-only memory〕の略。 読み出し専用の半導体記憶装置。RAMと異なり書き込みはできないが、 電源が切れても内容は失われない。 それに対して「RAM」とは〔random access memory〕の略。 ランダムアクセスが可能な記憶装置。特に,読み出しだけでなく 書き込み可能な半導体記憶装置をさす。 この定義を拡大解釈すると「ROM人間」とは、 インターネットのSNSなどで顕著に現れる 他人の発言を読むだけで自分から発言しない人のこと。 「RAM人間」とはその逆で、積極的に、投稿・コメントする人のこと。 その場では、なるほど・・と思ってメモしたが、翌日読み返すと、 これって「若者に限ったことではないな」と思ったし、 もしかしたら「私たち世代」の方が「ROM人間」が多いかもしれない。 しかし、もっと深く考えれば「ROM」でも「RAM」でも、 「好奇心旺盛」には違いないのだから、まだ捨てたもんじゃない。 一番の問題は、世の中の動きに無関心の人かな。
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| 2017年11月14日(火) ■ |
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| (夕陽を見ながら)今日も無事に終わりました。 |
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映画「追憶」(降旗康男監督)から。 元旦の朝陽(初日の出)に手を合わせる人は多いけれど、 大みそかの夕陽に手を合わせる人は少ない、 そんなことが書かれていた本を、数年前に読んでから、 私は年に一度、大晦日の夕陽に手を合わせている。 その年に亡くなった人を一人ずつ思い出しながら感謝し、 夕陽に向かって「今年も無事に終わろうとしています、 ありがどうございました」と手を合わせる。 それを毎日実践している人を映画の中ででみつけた。 それが、この作品であると言ってもいい。 作品中にメモした多くの台詞の中、 (夕陽を見ながら)「今日も無事に終わりました。 ありがどうございました」と手を合わせる女性が心に残った。 それはまさしく、この作品を支えている考え方だな、と思う。 一日一日、なにごともなく無事に終わることの有り難さは、 歳を重ねて来た私には、とてもよく伝わってきた。 私もこれからは、年に一度と決めないで、できる限り、 今まさに沈もうとしている夕陽に向かい手を合わせ、 「今日も無事に終わりました。ありがどうございました」と 実践してみたいと思う。 お天道様に、1日の報告と感謝するって、素敵なことだから。
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| 2017年11月13日(月) ■ |
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| 「午前3時」は「深夜」か「早朝」か |
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「午前3時」という時間は、不思議な時間だと思う。 若い頃、ラジオ番組「オールナイトニッポン」を聴きながら、 受験勉強していたのは、確かに「深夜」だった。 インターネットの検索に夢中になり、気がついたら「午前3時」 これも間違いなく「深夜」だった。 しかし、歳を重ねると、早寝して、知らぬ間に目が覚めて、 時計を見ると「午前3時」、それから目が冴えて寝られなくなる。 こんなことが増えた今の私には「午前3時」は「早朝」。 「そろそろ寝る時間」の「午前3時」なのか、 「そろそろ起きる時間」の「午前3時」なのかの違いである。 以前「おへそ」は、上半身か下半身か、というネタで書いたが、 それとほぼ同じ感覚な気がしてきた。 当時、パンツで隠れる人は「下半身」、隠れない人は「上半身」、 そんな定義でまとめた気がする。 さて、読者のあなたは、どちらだろうか。 「おへそ」の話ではなく「午前3時」の定義について。
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