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| 2017年04月06日(木) ■ |
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| 意味なんて、てめぇで見つけんだよ。 |
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映画「バケモノの子」(細田守監督)から。 「神にすらなれる我らバケモノと、なれぬ人間とでは、 生きる世界が違うでな」の設定で物語が設定され、 渋谷の街とバケモノたちが住む「渋天街」という2つの世界が 交錯するストーリーを楽しみながら、 書籍「十二国記」シリーズ(小野不由美著)を思い浮かべた。 注目は、人間の少年がバケモノ(熊徹)の弟子になり、 複数の賢者に「畏れ多くもお尋ねいたします」と前置きをし、 「強さとは何ぞや?」と尋ね歩くシーン。 (賢者1)は「幻は、時として、真実よりもまことなり」 (賢者2)は「そんなもの求めて何になる?」 (賢者3)は「それをわしに問うのは筋いじゃ」 (賢者4)は「わしは、達観などせん」 どれも、納得のいく答えは見つからなかったと思うが、 少年は「強いって、いろんな意味があるんだな」と悟った。 「どの賢者の話も面白かった」と言いながら、 「意味なんて、てめぇで見つけんだよ」と言うアドバイスで、 「意味を自分でみつける」ことの重要性を理解したはずだ。 この気付きが、彼を成長させたことは間違いない。 いろいろな人に助言を求めるのは悪いことではない。 しかし、最後は自分で意味を見つけ、自分で判断し、 自分の信念に従って行動することこそが、大事だと知る。 生きている意味も、自分で見つけなくちゃなぁ。
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| 2017年04月05日(水) ■ |
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| まち(空き店舗)を使ってくれる人を探してくる |
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「2020年オリンピック・パラリンピック文化プログラム 静岡県推進委員会・トークシリーズ vol.02」 「 住民に親しまれる文化拠点ってなあに?」 (空き家と、文化プログラム)から。 バネラーは、「深澤孝史」氏(美術作家) 「市来広一郎」氏(NPO法人 atamista 代表理事) 「行貝チエ」氏(写真家(スチールラボラトリー)) それぞれの立場の人が、自分の活動を中心に報告し、 その中から、何か一つでもまちづくりのヒントを見つけて、 自分の街で実践していく、このパターンは嫌いではない。 今回、印象に残ったのは、「市来広一郎」氏の発言。 「まち(空き店舗)を使ってくれる人を探してくる」 「その箱を求める人、文化を作ることが大事」と前置きし、 「そういう人たちがどこにいるのかを探す」 「面白いプレイヤーを見つける」と付け加えた。 自分の住む地域のまちづくりは「住民が主体」と考えがちだが、 この「まち」という箱を使って、何か面白いことを仕掛ける人を 全国から探してくるという視点は、とても参考になった。 「そのアイデア、うちの街で、試してみてくれ」とばかり、 新しい試みに対し、成果を求め過ぎずに支援する、 税金だから、という理由で、住民に限った「まちづくり支援」は もう古いのかもしれないなぁ。
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| 2017年04月04日(火) ■ |
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| 道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな |
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映画「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督)から。 主人公の田村聡(女性)を演ずる、蒼井優さんの求愛ダンスは、 ダチョウ、ハクチョウ、そしてハクトウワシになりきっていて、 もう一人の主人公、オダギリジョーさんが惹かれるのも頷ける。 鳥を真似して踊る姿は、とても素直で美しいのに、 1人の孤独な女性に戻ると、愛情表現が上手く出来ない。 そんな不器用な生き方しかできない人たちが綴るリアルな生活は、 こんなにも切ない物語になるのか・・と、メモをした。 周りの人間と、うまくコミュニケーションがとれない人たちは、 舞台となった「函館職業技術訓練校」の中でも、同じである。 観終わってからメモを振り返ると、冒頭に大工の教師が (いろいろな理由があり通っている)老若の生徒たちに向かって、 「道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな」と ノミの刃の手入れを欠かしてはならないことを伝えるが、 実は、手入れを怠ってはいけないのは、大工道具だけでなく、 将来に渡って良好な人間関係を築くのに必要とされる、 「コミュニケーション能力という道具」や「愛情表現」なども 含めてのことかもな・・と、勝手に解釈してみた。 生きるために必要な「道具」の手入れをさぼると、 あとで自分が大変なことになるんだよなぁ、やっぱり。
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| 2017年04月03日(月) ■ |
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| 「今年はこのメンバーで戦うぞ」「オー」 |
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新しい年度がスタートした初日、 私の我侭だけど「新しいメンバーの歓迎会」ではなく 「新チームの出発式」と位置づけた懇親会の宴を開いた。 出発式ってなに?と言われそうだが、 スポーツで試合が始まる前、メンバー全員が円陣を組み、 キャプテンの号令で、威勢をつけるあのシーンを 仕事でもできないかな?と思っていたから、 年度始めの初日にこだわって「出発式」という場を設けている。 それは「今年はこのメンバーで戦うぞ」「オー」だったり 「今年は健康に注意して頑張るぞ」「オー」だったりする。 もしかしたら「気を抜くなよ」「オー」かもしれない。 とにかく「いくぞ」「オー」が、したいのである。(笑) 同じ庁舎内で、机が数メートル動いただけでも催される 「歓送迎会」「送別会」「歓迎会」を体験してきて、 その意味をもう一度考えてみたくなった、が本音であるし、 できるだけ早く体制を整えて、スタートを切りたいと願った。 1年間を俯瞰した時、4月にどれだけ軌道に乗れるかが、 年度末になって結果を残せるかどうかの鍵となることを 私は体験として、知っている。 だからこそ、スタートダッシュで勢いをつけたい。
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| 2017年04月02日(日) ■ |
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| 子どもたちに、とんなイメージを植え付けるか |
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先日、一緒に飲んだ仲間とまちづくりの話になった。 「今の沼津は・・」と、多くの大人が声高に批判するけれど、 そんなイメージを、何も知らない子どもたちが聴き続けたら、 彼らは、自分の住むまちに誇りが持てるわけがない。 だからこそ、心の片隅に必ず置いておきたい考えが、 「子どもたちに、とんなイメージを植え付けるか」だと。 彼らは、大きな声で言葉を発しないけれど、 自分の身近な大人の話を聴いている。 そんな彼らに「あなたが今、住んでいるこのまちは、 こんなに素晴らしいんだ」と伝えることが大人の役目だと思う。 その成果は、何十年後しかわからないかもしれないけれど、 少なくとも、子どもたちの潜在能力に訴え続けるのは、 プラスイメージであるべき、と私も思う。 諺に「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるが、 「やせ我慢する」というマイナスの意味ではなく、 「武士とはこうあるべきだ」というイメージを壊さないための プラスの意味で使われたのかもしれない。 それも「武士の子どもに対する、親の教育」として。 わがまちも、子どもたちにプラスのイメージを植え付けたいな。
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| 2017年04月01日(土) ■ |
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| 夜、眠る前、朝、目を開く瞬間、気付けば雨を祈ってる |
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映画「言の葉の庭」(新海誠監督)から。 久しぶりに、私のお気に入りのツボを刺激したアニメ作品。 「ラブストーリー、足フェチ、水と緑がお気に入り」の私には、 これ以上の作品は、これからも出てこないかもしれない・・と、 1人で、何回も何回も観直した。(46分という長さもGood) さらに「万葉集」(短歌)という短い言葉で、自分の想いを伝える、 そんな展開に、ますますのめり込んだのかもしれない。 ストーリーは単純に見えるけれど、メモした台詞を眺めると、 あまり多くのモノを詰め込まず、一つひとつの台詞が、 とても丁寧に語られ、静かであるが印象に残るシーンが多かった。 「雨の日だけの逢瀬を重ねて心を通わせていく主人公ふたり」が 共通している想いは、この台詞に込められている。 「夜、眠る前、朝、目を開く瞬間、気付けば雨を祈ってる」 そんなにきっちり守らなくてもいいのに・・と感じながらも、 だからこそ、会えない時間が、切なさを増長させる。 空から眺めた新宿御苑の緑の中を紅白の傘が近づいていく描写や、 雨が降ることで立ち上る土煙や、雨上がりの虹などの描写に、 映像では感じるはずのない、匂いや気温なども感じることができた。 彼女の足にそっと触れ、ゆっくりゆっくり採寸するシーンなどは、 アニメと知りつつ、ドキドキしてしまった。 静かさや緑、雨といった、作品全体を包み込んでいるトーンが、 私を心地よくさせてくれたに違いない。 46分の時間があれば、何度でも観たくなる作品である。
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| 2017年03月31日(金) ■ |
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| 伊豆半島は、すごくアナログ。 |
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あるまちづくりの会議で、こんなコメントがあった。 「伊豆半島は、すごくアナログ。 逆に、アナログのいいところを活かしたらいい」と。 辞書によると 「デジタル」とは「離散したもの、数値化されたもの」 「アナログ」とは「連続したもの、数値化されていないもの」 一般的には「デジタルは自動」「アナログは手動」 俗語・イメージ的には「デジタルは先進的、ハイテク」 「アナログは時代遅れ、ローテク」。 これを冒頭の考えに当てはめれば、 中途半端なデジタル化よりも、アナログのメリットである、 「大まかなもの(全体像)を捉えやすい」ことを売りにして、 戦略を立てるのも、一考かと感じた。 もっと大きな視野で、伊豆・富士・箱根を一緒に楽しむ企画、 それこそ、アナログ的でいいんじゃないのかなぁ。
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| 2017年03月30日(木) ■ |
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| 台風、大好きなの。なんか気持ちが清々する |
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映画「海よりもまだ深く」(是枝裕和監督)から。 見ず知らずの若者と中高年の会話って、お互いの立場を考えずに、 言いたいことを言うから、面白いことが多い。 幾つになっても定職を持たず、ダラダラ生活を繰り返し、 競馬などのギャンブルに打ち込む中年に向かって、若者が叫ぶ。 「あんたみたいな大人にだけはなりたくないです」 それに対して、中年も負けてはいない。 「言っとくけどな、そんな簡単に、なりたい大人になれると思ったら、 大間違いだぞ」と言い返す。 これは、経験から発せられた言葉として、ニヤッとさせられた。 また「男」に対する女性の視点が妙に引っかかって、メモをした。 「男ってのはさ、なくして初めて愛に気付くんだよ」 「男の人は、すぐ『賞味期限』気にするから」 「なんで男は『今』を愛せないのかね」など・・。 一番メモしたのは、樹木希林さん演じる主人公の母親の台詞。 「友達をつくんなさい」 「そんなもの作ったって、お葬式にでる数が増えるだけですよ」 「こんにゃくは、ゆっくり冷まして、一晩寝かせた方が、 味がしみるのよ、人と同じで」 「便利になったなぁ」「歳をとって体が不便になった分ね」 「台風、大好きなの。なんか気持ちが清々する」 「幸せってのはね、何かを諦めないと手にできないものなのよ」など さすが、人生を長く生きてきただけあるな、と感じた。 こんな台詞が気になるなんて、私もそろそろ仲間入りだなぁ。
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| 2017年03月29日(水) ■ |
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| 「エリートコース」と「デリートコース」 |
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年度末になると、新年度の人事異動が一斉に発表される。 自分たちの職場だけでなく、他の職場、他の業界など、 私と交流があった人の名前を見つけ、一喜一憂するのも、 この季節の歳時記となっている。 その中でも、ネットのコメントで 「おめでとう、エリートコースに乗ったね」という 表現をする人を見つけて、ちょっと気になってメモをした。 何をもって「エリート」と定義するのかもわからないし、 ちっちゃな職場で、エリートもなにもないだろう、と感じる。 逆にあったとしても、そのために毎日残業して、体を壊して、 家庭が円満でなくなったら、人生は「デリート」だと苦笑い。 ちなみに、辞書によると「エリート(フランス語: élite)とは、 社会の中で優秀とされ指導的な役割を持つ人間や集団のこと。 『選良』とも訳される。語源はラテン語の ligere(選択する)、 『選ばれた者』を意味する。 通常は、特別に優秀な属性を持った人または集団で、その属性は その時代・地域・社会などによって職業・知識・経験などがある」 今は、意識して「エリートコース」から外れる人たちも現れた。 どっちが幸せなのか、そればかりは誰にもわからない。 少なくとも自分を「エリート」と口にする人はエリートじゃない。 この言葉は、他人が評価する時に使うのだから。
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| 2017年03月28日(火) ■ |
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| 小説家なら形作ったものを削らないと・・ |
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映画「ベストセラー 編集者パーキンズに捧ぐ」 (マイケル・グランデージ監督)から。 作家と編集者がいて、初めて素晴らしい作品が出来上がる。 その両者の関係を理解していないと、 著者だけがスポットライトを浴びて、才能だけが一人歩きし、 自分は天才だと勘違いしてしまい、有頂天になって潰れていく。 作品中、主人公2人の編集作業が印象深い。 「詩的表現に満ちたこの本でこの場面を際立たせるには?」 「単純さだ。簡素な言葉」 「『稲妻』か。暗闇にくっきり稲妻を走らせる・・」 「そうだよ」「ユージンは女を見た。その瞳は青い」 「小説家なら形作ったものを削らないと・・」と意見をぶつけ合う。 その結果が、無駄のない洗練されたフレーズに繋がるのだろう。 原題「Genius」は、辞書によると 「(科学・芸術などでの創造的な)天才、非凡な才能、天才(の人)、 鬼才、特殊な才能、(…の)才、特徴、特質、傾向、精神」とある。 2人の「Genius」が、お互いの力をうまく引き出したとき、 名作が生まれることを、この作品で知った。 最後に作家がこう言う。「一節だけ付け加えたい。本の献辞だよ」 「この本をマックスウェル・エヴァーツ・パーキンズに」 勇気と誠実さに満ちた彼は、ひどく絶望に苦しむ著者を何度も 励ましてくれた。その彼に・・値する作品であることを著者は願う」 今では「あとがき」に編集者への献辞が書かれているが、 この作品が1920年代の実話だとすると、 作者から編者者への一番最初の献辞だったかもしれないなぁ。
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