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| 2016年06月27日(月) ■ |
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| 英国人の哀悼の表現は、控え目で品位があるのです |
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英国、EU離脱の報を知って、思い出した映画がある。 映画「クィーン」(スティーブン・フリアーズ監督)から。 英国・エリザベス女王を見直した、なんて表現すると、 「映画だから」・・と言われそうだが、 英国王家の伝統・品格に対するメモも溢れた。 ダイアナの死に対して、世界はバッキンガム宮殿に半旗を望んだ。 しかし、その意味を知って、なるほどな、と思った。 「旗は『君主が宮殿にいる』ということのしるしなのだ。 400年続いているしきたりだ。誰のためにも、半旗にはしない」 さらに女王は、王室の動きの遅さや沈黙を批判されながらも言い切る。 「私は誰よりも英国民を知っていて、彼らの見識と判断を信頼しています。 英国人の哀悼の表現は、控え目で品位があるのです。 世界が尊敬する国民性です」と。このコメントに胸が熱くなった。 「今の世の中は、大袈裟な涙とパフォーマンスの時代、私はそれが苦手なの」 これが女王の真意なのかもしれない、とメモは続けた。 また彼女が、世界の反応に苦悩し、伝統に潰されそうになった時、 王家の1人が励ますシーンがある。「ヨーロッパ最大の王家よ。 千年以上途切れることなく、続いてきた王家の長」 何か、日本の天皇家にも当てはまるコメントだな、とメモをした。 日本は、それ以上に続いてきたのだから、国民も誇りとし、 世界に尊敬される国民性に、もっと自信を持ち続けたい。
PS.(グッときたシーンを、ちょっとご紹介) 女王が、小さい女の子が花を持っているのをみつけ、 ダイアナへの献花と感じ声を掛ける。「お花を置いてあげましょうか?」 それに対して「いいの・・・あなたへの花です」と、女王に花を手渡す。 女王が、苦悩の顔から一瞬見せた笑顔が忘れられない。 「私に? ありがとう」の言葉を添えて。正直、涙腺が緩みます。
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| 2016年06月26日(日) ■ |
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| 「あっ、回ったぁ」「この子、回ってないね」 |
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「働く女性の会(ATG)」の6月例会だった。 講師「岸本美代子」さん。(「沖縄茶屋なんくる」店主) 演題「夏だからこそ食べたい沖縄料理」 サブタイトル「医食同源 、ぬちぐすい(命薬)と言われる 沖縄料理を食べて元気になろう」から。 沖縄出身の彼女から「沖縄料理の作り方(コツ)を習い」、 そのまま、オリオンビール片手に懇親会へ突入し、 三線愛好会の生音を聴きながら飲み続けるという楽しい企画。 習ったメニューは、まず「ゴーヤーチャンプルー」。 ゴーヤーは斜めに切った方が、いろいろな食感が味わえて美味しい。 コツは、あまり混ぜない・・炒めるというより、蒸す・焼く感じ。 次に「ソーミンチャンプルー」は、ソーメンを炒める料理、 そのコツは、茹でたてを手早く炒めた方が美味しいようだ。 そして最後に「サーターアンダギー」(沖縄風ドーナツ)。 「最近の電子調理器はバカだよねぇ、170度一定に保てない」と 機器任せよりも、人間の感覚を大切にすることを教えてくれた。 揚げてるうちに、浮いてきて自然にクルクル回ったり、 片方が割れて、チューリップ型に割れ目が出来る。 実は、これが一番面白かった。(笑) みんなで油の入った鍋を囲み「あっ、回ったぁ」と喜んだり、 動きのない生地を突きながら「この子、回ってないね」と心配したり、 「余裕がないと回らないし、割れないねぇ」とか解説をしてみたり、 ドーナツづくりがこんなに楽しいものだとは・・。 「沖縄料理」って、台風に備えて保存食で作る料理が多いんだね。
P.S.私が気になっていたのは「ゴーヤ」?「ゴーヤー」? 「ゴーヤチャンプル」のレシピ検索結果(135,000件) 「ゴーヤーチャンプルー」のレシピ検索結果(357,000件) 講師に訊いたら、当然「ゴーヤーチャンプルー」だった。
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| 2016年06月25日(土) ■ |
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| 「製作年」の他に「作者の年齢」 |
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先日、静岡市美術館で開催されている企画展に足を運んだ。 「伊豆市所蔵近代日本画コレクション展 「大観・靫彦・龍子らと修善寺」と題する企画、 美術館と言えば「題名・製作年・所蔵」の情報が、作品の近くに、 小さなスペースで掲示されているのが通常である。 私の知りたい「この作品を製作した時の画家の年齢」は、 ほとんど記載がなく、美術館を訪れるたびに、 画家の生年月日から計算し、この作品は、何歳の頃に描いのか、 そして、その年齢でどんな想いが込められているのだろうか、 と推察しながら、鑑賞することになる。 自分より若い年齢なら、同じ頃、私は何をしていただろうか、 ほぼ同じ年齢ならば、私ならどんな絵を描くだろうか、 そしてまた、私より歳を重ねていれば、 将来、同じ年齢に達した時、こんな絵が描けるだろうか、など 自分の人生と重ねて、鑑賞することが多い。 今回の企画展は、その「年齢」が「制作年」の後に表示されている。 ちょっとしたことかもしれないが、この表記に、 静岡市美術館のおもてなしを感じた出来事である。
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| 2016年06月24日(金) ■ |
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| 良い知らせを伝えるものの足は美しい |
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映画「幸せになるための恋の手紙」 (ミッチ・デイヴィス監督)から。 タイトルと内容があまり一致せず、戸惑いを感じたが、 キリスト教の宣教師としなって、トンガ王国に赴任。 しかし、そこには、すでに牧師がいる。 正直「牧師」と「宣教師」の違いすらわからない。 当初、言葉も通じず苦労したが、いろいろな経験を重ね、 次第に、原住民の信頼を得るようになっていく。 そして、任務を終えて帰国する時、原住民は 「体は離れても、魂はこの島と共にあるのよ」と涙し、 日頃の細々したことのお世話をしていた女性は、 「良い知らせを伝えるものの足は美しい」と呟いた。 意味もなく、私はこのフレーズが好きになり、メモをした。 足が汚れている人は、疲れやすい・・という話は、 いつぞや耳にしたことがあり、妙に納得したものである。 足って、どの部分を指すのか分からないが、 神の言葉を伝える役目の宣教師は、 足を美しく保っておかなければならないらしい。 それとも、太ることがないくらい歩いて回りなさい、 そんな意味なのかな。
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| 2016年06月23日(木) ■ |
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| 人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです |
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以前紹介した「地方創生実践塾in静岡県三島市」の開講式、 豊岡三島市長挨拶のワンフレーズ。 話始めは「ガーデンシティ」とか「ウェルネス・・」など、 耳触りの良い、カタカナ言葉が並んだが、一言で言うと 「美しく品格のある街」を目指していることが挨拶で理解できた。 この、誰にもわかりやすい短いフレーズは、 住民と一緒にまちづくりをしていくうえで、大切なことである。 「総合計画の将来都市像」とは違った親しみがある言葉は、 全国の観光客を呼び寄せる大きなキーワードであろう。 (この街に住んでみたい、と思わせる言葉ともいえる) さらに「そうだ京都、行こう」などに代表される 観光のキャッチコピーがあれば、申し分ない。 毎週のように三島市内のどこかで開催されるイベントの根底には 市長が最後に語った一言に尽きる気がした。 「人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです」 ディズニー・シーのバレードは、集り過ぎたようだけど・・(汗) 官民を問わず、とにかく人が集まってくる仕掛けが大切ってこと。 その雰囲気づくりの大切さを、首長が理解しているって、 なかなか簡単そうで難しいんだよ、本当は。
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| 2016年06月22日(水) ■ |
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| 私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと |
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映画「終着駅 トルストイ最後の旅」(マイケル・ホフマン監督)から。 ロシアの文豪・トルストイの晩年を映画化した作品であるが、 ハッピィエンドとは言えない最後に、心は重たくなった。 困ったのは、主人公が誰なのか、わからないところ。 タイトルどおり「トルストイ」なのか、妻・ソフィアなのか、 それとも、トルストイを崇拝する青年ワレンチン。 誰の視点で、物語が語られているのか、微妙なところ。(汗) 気になる一言は、レイ・トルストイ「戦争と平和」の一節。 「私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと」 しかし、ラストでは「弱い心や愚かさは、愛を台無しにする」と メッセージが発せられる。 また「農民は貧乏だから純粋とでも?」と問う妻に 「そうとも、富は人間を腐らせる」と言い返し、 突然、爵位や財産を捨て、菜食主義の独り身になると宣言する展開は、 富に対する人間の卑しさに疲れた感じがよく表現されていた。 献身的な妻として50年近くトルストイに寄り添ってきた彼女が、 「世界3大悪妻」として名を残すことには、ちょっと意外な気がする。 夫の考えとは、まったく反対の生き方をした妻が「悪妻」と言うのなら、 50年間連れ添ったことはどう評価されるのだろうか。 私は、彼女の生き方に「悪妻」という評価はしないと思うから。
P.S.(参考に・・「世界3大悪妻) ギリシャの哲学者ソクラテスの妻「クサンティッペ」 偉大なる作曲家モーツァルトの妻「コンスタンツェ」 ロシアの小説家トルストイの妻「ソフィア」
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| 2016年06月21日(火) ■ |
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| 増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです |
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映画「グラスホッパー」(瀧本智行監督)から。 大好きな作家「伊坂幸太郎さん作品」の映画化とあって、 とても楽しみに鑑賞し、期待を裏切ることなく観終わった。 もちろん原作を読んでいるが、書籍でメモした台詞と、 映画でメモした台詞の違いもまた、私の楽しみとなっている。 今回は「ジャック・クリスビー」の台詞を取り上げたかったが、 やはり「クラスホッパー」(バッタ)について、の描写。 「殿様バッタは何色か、御存じですか?」「緑じゃないですか」 「普通はそうなんですが、密集したところで育つと 『群集相』と呼ばれる変種になります。色が黒くなり、 羽根が伸び、凶暴になるんです。足りなくなった餌を得るために。 人間も同じです。過剰なまで情報が密集する今の世の中では、 人間も欲望を満たすために変種になる。 群集相のバッタのように、凶暴になるんです」 今の殺伐とした世の中を、この例えでスパッと表現するところが、 やはり唸るポイントだった。 しかし、後半にその解決策が、作品の核になってくる。 「群集相のバッタの話ですが・・」と切り出して 「増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです」 う〜ん、さすが、としか表現できないなぁ。
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| 2016年06月20日(月) ■ |
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| 「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介 |
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ほとんど観ているNHK大河ドラマ「真田丸」も、 もう既に半分を過ぎようしてるが、面白いことに気がついた。 先日、映画「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を観ていて、 「遠い昔、はるかなる銀河系で・・」で始まるプロローグに、 なぜか「真田丸」を思い出した。 いや「真田丸」を観て「スター・ウォーズ」が浮かんだ。 どちらも、毎回、簡単な物語の筋書きが説明されるからだ。 今回の映画ならば「エピソード7 『フォースの覚醒』 ルーク・スカイウォークが消えた。その間に帝国軍の残党から、 ファースト・オーダーが生まれた。彼らは最後のジェダイ、 ルークの抹殺を狙っていた。レイア・オーガナ将軍は・・」と続く 物語の設定と、最初のシーンに繋げる仕掛けである。 これで面倒くさい説明もいらないし、今回の「予習」さえ出来る。 実は、この「起承転結」のもう一つ前「序」の部分は、 視聴者にとって、とてもありがたい説明となっている気がする。 だからこそ、敢えて、こうメモして残すことにした。 「「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介」 逆に勘弁して欲しいのは「これは真実に基づいた物語」という説明。 フィクションであり、ノンフィクションであれ、 映画作品として、どう感じるかが大切なことだからなぁ。 でも、このフレーズ、本当に多い。製作のルールでもあるかのように。
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| 2016年06月19日(日) ■ |
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| わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音 |
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わが町唯一の高校(静岡県立沼津商業高等学校)の吹奏楽部、 「第15回フレッシュコンサート」に足を運んだ。 毎年、楽しみにしているコンサートだけに、 2時間半を超える「3部構成」も苦にならなかった。 学年が上がるにつれ、音の角がとれて丸みを帯びてくるなぁ、 なんて感じながらも、いつもながら彼らから元気をいただいた。 3ケ月前まで中学生だった、新人1年生の30人も、 自分たち学年を主役にも脇役にもなれる「オムライス」と名付け、 緊張しながらも、精一杯の姿を観客の私たちに見せてくれたし、 これまた恒例のように、私の涙腺を緩ませる「情熱大陸」から 「あの鐘を鳴らすのはあなた」まで、ラストは一気に感動した。 彼ら吹奏楽部との繋がりは、私が生涯学習課長の頃(5年前)に遡る。 近隣の文化センターと違い、音響も良くないし、舞台も狭い、 それでもよければ、子どもたちのために使ってください、と 地域交流センターの多目的ホールを提供した頃が懐かしい。 そんな意味もあり、私の沼商びいきは、止まらない。(笑) NHK大河ドラマ「真田丸」が舞台、戦国の時代には、 こんな言葉が残されているのを知っているだろうか。 「三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に佐和山の城」 「家康に過ぎたるものが二つある。唐の兜に本多平八」 どちらも、他から眺めて「羨ましい」という意味だろう。 だからこそ敢えて、このフレーズを考えてみた。 「わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音」 う〜ん、わかる人にはわかるかな?
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| 2016年06月18日(土) ■ |
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| 人が人にできることは、そういうことだけなんじゃと |
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映画「ホタル」(降旗康男監督)から。 近くの川で数匹の「ホタル」を発見し、喜んで帰宅したあとに この作品を観たので、胸が詰まされる想いがした。 昨年は特に、身近な人たちが突然のように他界したので、 あっ、さっき近くに寄ってきたのは、あの人だったかも・・と 妙に感情移入してまった私がいる。 知覧からの飛び立った特攻隊の1人が、ホタルとなって戻ってきた、 そんなストーリーとは別に、昭和天皇が崩御したのを機に、 雪山の中で自殺をする特攻隊員の生き残りの1人(藤枝)は、 死ぬ前に、戦時中の先輩を訪ねるが、留守で会えず、 結局は、そのまま東北に戻り、自殺してしまう。 悔やむに悔やみ切れないのは、高倉健さん演じる先輩の山岡。 「あん時、俺がここまで来て、話聞いてやったら、 一緒飲んで一緒に泣いてやったら・・。人が人にできることは、 そういうことだけなんじゃと、今になって気がついた」という台詞は、 自殺した人たちや、病気で若くして他界した人たちを思い出すには、 充分なフレーズであった。 「忙しいから・・」を理由に、自分の予定を優先してしまうが、 「頼られた」と感じたならば、どんな用事よりも優先し、 話を聴いたり、一緒に飲んだり、一緒に泣いてやる、 そんな些細なことを実践する気持ちを持ちたい。 人の「温かさ」や「思いやり」こそ、失望した人たちの心を癒し、 自殺を思い留める方法に違いなのだから。
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