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しもさんの「気になる一言」
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2016年05月11日(水)
「恋の幻想」にとらわれた懲りない大人たち

映画「恋のロンドン狂騒曲」(ウッディ・アレン監督)から。
作品を思い出すには、冒頭に綴られた、
「シェイクスピア曰く『人生は単なる空騒ぎ、意味など何一つない』」を
気になる一言にしようと考えたが、「薬より、幻想が効く場合もあるわ」や
「今は、ヨタ話が聞ける精神状態じゃない」
「僕らは助け合ってきたろ?」「そうかしら」
「人生は一度じゃないの、この世はナゾに満ちているのよ」
「この『無意味な空騒ぎ』の本は、そろそろページを閉じよう」
「人は思い悩むものだ。人生の不安と苦痛に『いかに対処すべきか』と」など、
短いなりに、ウッディ・アレン監督らしい皮肉が込められたフレーズが
私のメモ帳に書き込まれた。
いつものように、鑑賞後に見た予告編に、総まとめのフレーズを見つけた。
「『恋の幻想』にとらわれた懲りない大人たち」
そう、一言で言えば「懲りない大人たち」が主役のドタバタ劇、
もっとやることがあるでしょ?と言いたくなるほど、呆れるが、
本人たちは真剣そのもの、だから「狂騒曲」なのだろう。
逆に「人生に意味などないから、楽しく空騒ぎしよう」という、
監督らしいメッセージかもしれない。
原題「You Will Meet a Tall Dark Stranger」を翻訳(直訳)したら
「あなたは、背が高い暗い知らない人に会います」と表示された。(笑)
ますますわからなくなってきた、人生ってものに。



2016年05月10日(火)
まずは、体制を確保してから・・

地元・卸団地で「柿田川野菜」を営んでいる石川社長が、
熊本地震被災者支援をスピード感を持って実施した話を聴いた。
「3.11東日本大震災」の時にも、被災地支援した経験から、
彼が一番最初にしたことに興味があった。
それは、なるほど、さすが経営者・・と頷くことばかり。
自社工場で生産した「新鮮野菜」を多く作ることでもなく、
多くの人に、自分の想いを伝えることでもない。
また、賛同してくれる人を集めることでもなかった。
その目的が少しでも早く実現するためには、
途中で途切れることのない「体制」の確保が必要と感じ、
「運送トラックの確保」「受け入れ先の状況確認」を優先した。
その体制が固まったところで、はじめて、自分の想いを語り、
支援物資を集めだした、という話は、耳が痛かった。
ついつい、自分の想いが先行し、なんとかなるだろう・・と
動くことが多い私は、社長にとっては何気ない話であるが、
大きな「アドバイス」として、メモをした。
「まずは、体制を確保してから・・」を残しておきたい。



2016年05月09日(月)
「朗読会」っていいですね

本屋さん開催、俳優・篠田三郎さんの朗読会「桜 散る日に」。
三島市在住の脚本家、故・宮内婦貴子さのシナリオ集の中から、
「富士の穴」など選りすぐりのエッセイを、素敵な声とともに
ちょっと白髪まじりの篠田三郎さんは、静かに読み始めた。
篠田三郎さんと言えば、私の記憶の中では、野球を題材にした
テレビドラマ「ガッツジュン」(1971年)の名サード役だった。
(当時13歳の記憶なので、間違っていたらごめんなさい)
その彼が、私たち大人(約40人)に対し、エッセイだけでなく、
絵本「おさびし山のさくらの木」
(作・宮内婦貴子さん/絵・いせひでこさん)を
ゆっくりと、そして丁寧にページをめくりながら読んでくれた。
大人が大人に、文字の力だけで読み聞かせる「朗読会」は、
また新しい読書の形として、私を喜ばせてくれた。
その気持ちを、どう表現しようかと迷っていたら、
「長倉書店サントムーン店」の代表が、最後の挨拶で、
参加者の私たちに向かって、笑顔を見せながら、こう纏めた。
「『朗読会』っていいですね」
主に子どもたちを対象とした「読み聞かせ」とはちょっと違う、
大人を対象とした「朗読会」の楽しさが伝わった台詞だった。
先日開催された「柿田川公園ブックフェス」でも、
「葉祥明さん作品」の「朗読会」が木陰の下で行なわれ、
しばらくして涙する人たちを見た時と同じ感覚であった。
「朗読会」っていいですね・・「本当だね」と答えたい。



2016年05月08日(日)
差異は不要だと思うか?

映画「ギヴァー 記憶を注ぐ者」(フィリップ・ノイス監督)から。
たぶん・・この長さの映画では、メモの数は最多だろうし、
台詞のほとんどをメモした気がする。(汗)
世界の荒廃を経て、人類は(差別もなく)平等で、
争いのない理想郷のような社会を作り出した、までは理解できる。
みんな平和を願っているのにもなぜ戦争が終わらないのだろう・・とか、
いじめや人種差別など、まだまだ課題が残っている現代、
どうしたら、無くせるだろうか・・と真剣に考えてた時があったが、
その考えを根底から覆された気がして、とても印象に残る映画となった。
人類は、肌の色も人種の差異もない社会を作るために「色彩」を、
心の奥深くから湧き出てくる感情を抑制するために「音楽」も手放した。
確かに、差別(差異)も無く、同じ意識を持った人間が集まり、
怒りや憎悪の感情が生まれてしまう危険性は、格段と減った。
しかし・・味気ない生活、面白みのない人生が繰り返される。
争いごとや、貧富の差がある社会を肯定しているわけではないけれど、
この世に生まれたからには、与えられた環境がいかに差異があろうとも、
喜怒哀楽とともに、生きていくことが人生ではないか、と感じる。
先輩の「ギヴァー(記憶を注ぐ者)」が、次世代の「ギヴァー」に問うた
「差異は不要だと思うか?」の質問が、心に残った。
差異(差別)を無くそうとするのではなく、少なくしようとすることが大切。
本当に差異が無くなったら、窮屈な生活が待っているんだよなぁ。



2016年05月07日(土)
Musicは、人類最大の発明なんだ

昨日は、G.Wに企画・運営したイベントの疲れか、飲み過ぎか、
たぶん、天候を気にしながらネットで随時確認、の生活で、
睡眠不足、体はだるく頭の中は、ぼ〜とした状態だった。
集中力に欠けていることが、自分自身でもわかる状態。
それを癒してくれたのは「クラシック音楽」。
なんとか仕事を終え、向かったのは「沼津市民文化センター」
ここで定期的に開催されている、(DVDだけど・・(笑))
自主文化事業「クラシック・レコード・コンサート」。
初参加の私も含め、35人ほどのクラシック音楽愛好者が、
防音ばっちりの部屋の中、約2時間、100インチのスクリーンと、
音質のよいスピーカーで、名曲を堪能した。
スマホはマナーモードではなく電源を切り、余計なことを考えず、
耳から入ってくる、心地よい音楽に集中していただけなのに、
頭の中のモヤモヤが、スッキリしていることを実体験した。
なぜか、映画「死神の精度」(原作・伊坂幸太郎著)のワンシーン、
「Musicは、人類最大の発明なんだ」の台詞が頭に浮かび、
自分でも可笑しかった。
申し込みをした時は、企画・運営方法に興味関心があったのだが、
確かに、人類最大の発明だな、音楽って。

P.S.
5月のテーマは「自然と音楽」
視聴した曲は以下の通り
・交響曲第6番 へ長調「田園」(ベートーヴェン)
・「四季」より「春」(ヴィヴァルディ)
・映像 第1集」から 水の反映(ドビュッシー)
・「前奏曲集第2巻」から ヒースの茂る荒地(ドビュッシー)
・交響詩「わが祖国」から「モルダウ」(スメタナ)
・その他1曲(すみません・メモ忘れ)



2016年05月06日(金)
鳴かぬなら 私が鳴こう 不如帰(ホトトギス)

今まで、いろいろなものを集めてきた。
もちろん、定番の切手やコイン、通行手形なども・・。
そしてここ数年、ずっと「耳掻き」を集めてきたが、
なぜか、限界を感じてきた。
(と言うより「ご当地」という感覚の商品が減ったのかも)
日本全国どこへいっても、同じような「耳掻き」が溢れ、
コレクション意欲が無くなってしまったのかもしれない。
それでも、旅行に行くと必ず1〜2本買ってしまうのは、
「耳掻き」が平和のシンボルだと常に意識しているから。(笑)
コレクションでなくても「マイブームは?」と訊かれた時に、
「今、これにはまっています」と自信を持って紹介したいな、
そんな感覚で、新たなものを探していたら、
偶然、修善寺温泉で見つけた「修善寺彫の竹栞」にハマった。
今まで20年以上集めてきた、7000フレーズを超える
お気に入りの「気になる一言」の中からさらに厳選し、
細く削られた「竹」にその場で掘ってもらうこともできる。
もちろん、本の栞にもなるので、プレゼントにも最適だし、
今の気持ちや、座右の銘なども手軽の掘ることが出来る。
先日の「柿田川公園ブックフェス」でも、
お気に入りの栞、として紹介したら、非売品のつもりが、
多く方が欲しいと言うので、プレゼントすることにした。
私の大好きな「本のグッズ」と「気になる一言」が
コラボレーションした商品として、これからも、
修善寺温泉に寄ったら、少しずつ買い求めたい逸品である。
今、気に入って使っているのは、
「鳴かぬなら 私が鳴こう 不如帰」(しもさん)」



2016年05月05日(木)
狂人走不狂人走

映画「日本のいちばん長い日」(原田眞人監督)から。
原作の書籍を先に読んで、驚くほどメモしていたからか、
それとも「映画の予告」を何度も何度も観たからか、
まさか本編を観ていなかったとは・・・自分でも可笑しかった。
さて、いろいろな角度からメモしたが、やはり気になったのは、
阿南陸相の部屋に、さりげなく飾ってあった掛軸。
「狂人走不狂人走」
「狂人が走り出すと、そうでもない人間も走り出す、という意味です」
と、作品の中でも、わざわざ説明している。
鑑賞後ネットで調べると「江戸時代の僧、清巌宗渭の言葉」らしい。
・ひとりの狂人が走ると、普通の人も走り始める。
・ひとりの狂人の情熱と行動で世界が動かされてゆく。
そんな説明を見つけて、なるほどなぁ・・と思った。
今回は、松坂桃李さん演じる「畑中健二」という若い将校が、
この「狂人」として、存在感を示している。
「第二次世界大戦」そのものが、ヒットラーを含めた数人で始まる。
それを考えると、この掛軸の持つ意味こそ、監督が伝えたかったこと、
と私は理解した。
書籍「日本のいちばん長い日(決定版)」
(半藤一利著・文春文庫刊・371頁)の読後メモには、残っていないから、
たぶん、監督独自の視点なのであろう。
昭和天皇や阿南陸相にスポットに当たりがちだが、この日の主役は、
軍事クーデターを起こそうとした「狂人」、若い陸軍将校たちだ。
これが成功していたら、今の日本はどうなっていたのか・・
そんなことを考えながら「狂人走不狂人走」の言葉を眺めたら、
言葉は悪いが「彼らの情熱と行動」を羨ましくも感じてしまった。
これもまた「226事件」と同じく「吉田松陰」の影響か。



2016年05月04日(水)
「臨機応変」能力が試されたイベントだったなぁ

昨晩から、ネットの天気予報とニラメッコをしながら、
1時間おきに確認して、早朝、開催に踏み切ったイベント。
遠路はるばる訪れてくれた方との懇親会を終え、
帰宅後、一日を振り返ったら、おもわず口から出たのが
「『臨機応変』能力が試されたイベントだったなぁ」だった。
この「キーワード」は、イベント運営には欠かせないだろう。
辞書によると「臨機応変」とは「その時その場に応じて、
適切な手段をとること。また、そのさま」
英語では、as occasion may demand [require]
according to circumstances
take measures suited to the occasion
take proper steps to meet the situation
take such steps as the occasion demand
など、例示も驚くほどの表現があった。
「臨機応変の対応」に対する同意語では「柔軟性のある対応」
「フレキシブルな対応」「適応性に富んだ対応」とある。
その全ての意味に頷きながら、疲れたけど楽しかった。
(「楽しかったけど疲れた」・・とは、ちょっと違う)
本当に多くの方の協力を得て、なんとか乗り切った1日目。
明日も「疲れたけど、楽しかった」って感想を持ちたいな。




2016年05月03日(火)
深い執着は嫉妬を生み、欲望の影が忍び寄る

映画「スター・ウォーズ エピソード3 シスの復讐」
(ジョージ・ルーカス監督)から。
力をつけた若者と、それを見守ってきた指導者の会話が面白い。
「僕は以前より2倍の力をつけた」と自慢げに言う若者に
「その分、挫折も大きくなる」と、さらっと言い返した。
「(これから)僕はどうすれば?」と、迷っている若者に、
「自らの心を鍛えて、失うことへの恐れを捨てるのだ」と助言。
「力を得たものは、それを失うことを恐れる。ジェダイさえもだ。
シスとジェダイは、あらゆる点で、ほとんど変わりはない。
強い力に惹かれる点でもな」と、警鐘を鳴らしながら。
師匠より弟子の方が力を付けた時、ふたりの関係が試される。
いつまでも、自分を育ててくれた師匠に敬意を評すのか、
師匠の座を狙って、自分がその座に座ろうとするのか、
いつの世も、同じようなことが繰り返されている。(汗)
「深い執着は嫉妬を生み、欲望の影が忍び寄る」も、
普通の人間が、暗黒面(ダークサイト)に落ちていく過程を、
短いフレーズで、上手く表現しているな、と思う。
自分より技量の低い人たちが、トップの座にいる時、
自分の人間性を省みず「嫉妬」という感情が支配し、
あいつを引きずりおろそう、という心の動きが生まれる。
物語の舞台は、壮大な銀河系という宇宙であるが、
根底に流れるのは「自分の中の葛藤」なのかもしれないなぁ。



2016年05月02日(月)
「屋外イベント」こそ、シミュレーションの勉強

この季節「屋外イベント」の楽しさは、青空の下、
爽やかな空気に包まれて、来場者の喜ぶ顔が見られること。
逆に、難しさは、刻々と変わる天候に左右され、
中止・続行・延期などの判断を、瞬時に迫られること。
今までも、多くのイベントを体験してきたが、
もっと早く決断すれば・・というイベントもあったし、
もう少し判断を遅らせれば・・というイベントもあった。
しかし私は、その最終判断の難しさを知っているから、
結果はどうあれ「最善の選択」だと理解し、
選任者の指示に従うことにしている。
しかし、責任者でない人たちは、その判断の甘さを指摘し、
私だったら・・俺だったら・・と陰口を叩く。
その声が、イベントの企画・運営をする若者たちを潰している、
私は、そう思う。私たちのように歳を重ねた人たちが、
「こんなことは、よくあることだよ」と声を掛け、
「『屋外イベント』こそ、シミュレーションの勉強」と、
励ますことこそ、イベントプランナー育成に繋がると思う。
今の時代、集り過ぎる「天候」の情報や、関係者の意見を、
自分なりにどう分析し、最善の判断につなげていくか、
それが「イベント責任者の醍醐味」と思えば、楽になる。
誰にでも与えられた権限ではない、だからこそ経験して欲しい。
不平不満を言うなら「お前がやってみろ」という気概を持って。