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しもさんの「気になる一言」
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2016年04月01日(金)
嘘をつくことで、奇跡が起きることがあるかもよ。

映画「エイプリルフールズ」(石川淳一監督)から。
冒頭にこんなフリップが表示される。「嘘は罪である。
だが時に、嘘が奇跡を起こすこともある。
(聖ピエトロ・フランチェスコ8世)」
さてどんな嘘の定義があるのか、楽しみに観始めた。
拳銃を持ってレストランに立てこもる女性に対して、
人質にされた人たちが、嘘について語るシーンがある。
「嘘ぐらい、誰だってつきますよ」
「人間は嘘をつく生き物なんです」
「嘘でもつかなきゃ、やってられない時もあるしね」
「嘘をつくから、うまくいくこともある」
「嘘に救われることもある。人生ってそういうもんです」
メモしながら、自分がついた嘘を思い出そうとしたが、
その場を取り繕うためについた嘘が多いからか、
不思議と思い出せないことが可笑しかった。
ただ「嘘をつけば、気持ちが楽になった。
そして、嘘しかつけなくなった」という台詞もあり、
「詐欺師」の心境を語っている気がする。
やはり、冒頭のフレーズを反復したシーン、
「嘘をつくことで、奇跡が起きることがあるかもよ」
この台詞を、気になる一言に残そうと思う。



2016年03月31日(木)
観光とは、自然に優しく最高の平和産業である

ある方から、JTB会長の言葉だと聞いた台詞は、
「観光とは、自然に優しく最高の平和産業である」だった。
まさしく、そのとおりだと感じ、その場でメモをした。
「観光立国」を目指すという事は「日本は平和」ということ。
国自体が平和でなければ、観光客を招いておもてなし、なんて
発想は絶対に出てこないのだから。
以前、私は「耳かき」を集めていたが、理由は同じ。
憧れは「夏の夜、蚊取り線香の匂いを感じながら、縁側で
軒下に吊る下がった、風鈴の音を耳にし、大切な人の膝枕で、
耳かきをしてもらう」・・
(満月、浴衣、スイカなどが加わると、もっと平和っぽい)
(すみません、妄想癖があるので、お許しください。(汗))
それは、平和でなければ味わえないシーンだからだ。
世界の人々は、その国が平和だから、訪れてみようと思う。
今、海外から多くの外国人が日本を訪れるのは、
富士山をはじめとした、日本の自然や文化に興味があるだけでなく、
日本が、治安が良く、平和だからではないだろうか。
それが「観光」ってことなんじゃないかな?



2016年03月30日(水)
女の快楽は男の10倍大きい

映画「アデル、ブルーは熱い色」
(アブデラティフ・ケシシュ監督)から。
同性愛(特に「レズ」)を中心とした性的描写の多い中、
約3時間に及ぶ上映時間は、さすがに疲れた・・(汗)。
ただ男と女の違いを、いろいろな角度から気付かせてもらった。
作品の中でも、こんなフレーズが登場した。
「男と女では、本質的に喜びの性質が違う。
快感の質が違うだろ、オルガムスも」
「それで思い出すのが、ギリシャ神話のテイレシアス。
男から女になり男に戻った。
ある時、男女の快楽に違いはあるかと聞かれ、
テイレシアスは言った。女の快楽は男の10倍大きい」
やや笑い話で語られていたが、この作品を思い出すには、
このフレーズかな?とメモをした。
両性を経験したギリシャ神話にしか例えようがない、男の女の違い。
男が性転換して女になったとしても、本物の女性が味わう快楽は、
体験できないんだろうな、そんなことを思いながら観終わった。
ただ、この作品を通して、む監督は私たちに何を伝えたかったのか、
なかなか理解に苦しんだのも本音である。
全編を通して、食べる・飲むシーンが溢れているのは、人間にとって
「性欲」と「食欲」は同じくらい大切ってことなのかな。



2016年03月29日(火)
「ららぽーと」は意外でした・・

3月上旬、磐田の知人から「決して急用ではありませんが、
一度お会いしたいなぁと思って連絡しました」とメールが届いた。
定例議会などもあり、なかなか日程調整がうまくいかずにいたが、
やっと今晩、実現して、三島駅前の居酒屋で盃を交わした。
お互い、まちづくりについて熱く語り、あっという間の3時間、
そんな会話の中で、私が「磐田といえば・・」と前置きして、
イメージとして挙げるとすれば「ジュビロ磐田とか、ららぽーと磐田」、
そんなフレーズを口にしたら、ちょっと驚いた顔をした。
彼としては「しっぺいくん」とか「メロン」を始めとした、
市民に大人気の「ゆるきゃら」や「特産品」などを予想していたらしい。
静岡から以西、掛川・藤枝・島田・磐田の位置すら曖昧な私が、
「磐田と言えば?」の問いに答えただけだから、正しいとは言えないが、
それでも何度も「『ららぽーと』は意外でした・・」と感想を述べた。
これは大きなヒントであり「清水といえば・・」に続く単語は、
決して「柿田川」ではなく「サントムーン」だったりするだろう。
その市町のイメージをどう作り上げるか、それこそ戦略なのだから、
まずはその事実を現実として「受け止める」ことから始めたい。
地元に住む人にとっては、全国的に有名・・と思っても、
全国はおろか、静岡県民にだって知られていない、ことを前提に、
「清水といえば・・」の答えを探していきたい。
こうなったら「清水といえば・・」と「清水エスパルスでしょ」、
いやいや「清水の次郎長ですよ」でもかまわないかな?(汗)
静岡市と合併した「(旧)清水市」と間違われるのも良しとし、
「半分冗談、半分本気」として、もう一度考え直してみたい。
まずはまちづくりの原点に戻って「知ってもらう」ことから、
来年度は、忙しくなりそうな予感。(好きだけど・・)



2016年03月28日(月)
いつもの大河らしくないメモばっかりで・・

例年のような「大河ドラマ」と「ジャイアンツ」ネタが少ないですね、
そんなメールが届いたので、振り返ってみたら、御指摘のとおり。(汗)
ただ、どちらも関心がなくなったわけではなく、
大河ドラマ「真田丸」は欠かさず視聴しメモしているし、
野球も、ハイライトシーンながら、毎試合、結果を確認している。
ジャイアンツの「高橋由伸」監督は、原監督と同じく思い入れがあるから。
(この話をすると長くなるので、今回は大河ドラマネタで・・)
三谷幸喜さんのオチを狙った?脚本が、毎回私のアンテナが引っかかる。
第1回「船出」・・「浅間山が噴火でもしない限り、武田家は安泰です」
と言ったあとすぐ「2.14 48年振りに浅間山が噴火」する歴史をからめ、
第2回「決断」・・「このような大事なことをくじで決めてよいのか?」
の疑問に対して「兄上、大事なことだからくじで決めるのです」。
第3回「策略」・・「のるかそるかは、当家の家風である」と真面目に言い、
「世の中は何があるかわからん。打てる手は、打っておかなくてはならない」
といったあとに「囲碁のシーン」が続く。
第4回「挑戦」・・「織田は許してくれるでしょうか?」の不安そうな息子に
「俺が思うような男ならな」と、さらっと言い返す。
第5回「窮地」・・「父上の本心をお聞かせ下さい・・」と迫れば、
「では、本心を言おう・・まったくわからん・・教えてくれ」と答える。
人質を連れて敵城から逃げながら「抜け穴を探しましょう」と言えば、
「探して見つかるところに、抜け穴があるわけないでしょ」「あっ、あそこに」。
第6回「迷走」・・「大丈夫なんですか?」「わからん、まぁ、そう焦るな」
と言いつつ「敵を油断させるのも、立派な兵法」と自信たっぷりに諭す。
第7回「奪還」・・「お前がなぜ失敗するか、わかるか?」と前置きをして、
「勘だけに頼っているからだ。面白くなくては、人は動かん」。
第8回「調略」・・「これだけは言っておく」と言ったあと、
しばらく時間を置いて「わしのようにはなるな」。
第9回「駆引」・・「お前は、策とは何かを知らんようだな」と嗜めれば
「知りたくもありません」と軽く返す。
第10回「妙手」・・この回だけは、少し真面目に
「こたびも騙されるなら、わしの器がそれまでじゃ」と上杉の台詞。
第11回「祝言」・・好きな娘が妊娠したと父上に報告すれば、
「そんな顔して、やることはやっておるんだな」「はい」という会話。
そして昨晩の、第12回「人質」・・戦国時代の主に向かって
「近頃、ちと、お太り気味で」とか「爪を噛まない」など癖を指摘する妻。
だから「いつもの大河らしくないメモばっかりで・・」を残しておきたい。
年末まで、こんなメモばっかりだったら、どうしよう。(汗)



2016年03月27日(日)
香水の匂いがプンプン、何種類も混ぜるのは悪趣味よ

映画「クロワッサンで朝食を」(イルマル・ラーグ監督)から。
原題は「Une Estonienne a Paris」
直訳は「エストニア人は、パリを持っています」
これが、どう翻訳したら「クロワッサンで朝食を」になるのか、
映画「ティファニーで朝食を」と比較してしまった自分が、
ちょっぴり可笑しかったが、観たくなる邦題だと感心した。
気難しい老女フリーダ役を、大女優・ジャンヌ・モローが演じ、
その存在感は、やはり他を圧倒していた。
何気ないシーンだが、香りに関することはなるほど・・だった。
物語前半、家政婦のアンヌがサンプルの香水を何種類か試し帰宅、
その彼女とすれ違いざまに、サラッと指摘する。
「香水の匂いがプンプン、何種類も混ぜるのは悪趣味よ」。
さらに、ラストシーン。
愛人、ステファンが、フリーダを心配して軽く抱きしめたら、
かすかな残り香から、ステファンとアンヌの関係に気付き、
「アンヌと寝たわね。でもいいの、なぜ行かせたの?」と呟く。
この2つの香りのメモは、単なる金持ちの気難しい女性ではなく、
節々に、心優しい場面を発見し、嬉しくなった。
「本物のクロワッサンは、スーパーじゃなくパン屋で買うのよ。
美味しいクロワッサンと紅茶。朝目覚めるにはこの二つが必要なの」
この表現がフランスらしいなぁ、と思いながらメモを眺めた。
邦画「小さいおうち」でも感じた「家政婦」(女中)の役割って、
私が考えていた以上だなぁ、きっと。



2016年03月26日(土)
そうそう、この感じ、この感じ

半年ぶりに、外来種駆除のため「柿田川」に入った。
遠足の前日、嬉しくて寝られない子どものように、または
恋人に会うのを待ち焦がれているかのごとく、興奮していた。
午前9時集合なのに、早く目が覚めて落ち着かず、
結局、1時間前には到着して、公園内をゆっくり散策して過ごした。
スマホや時計を外し、胴長を履き、長い手袋をはめる頃には、
柿田川の水圧、水流、水温などが甦ってきて、待ち切れなくなった。
ただ、今日の作業は、川の中にはほとんど入らず、
土手沿いに繁茂している、ノハカタカラクサ(常盤露草)を駆除した。
終始、ウグイスの鳴き声を耳にしながら、サワガニの出現に喜ぶなど、
大満足だった今年最初の「外来種駆除作業」を終えた後、
作業した人にだけ与えられる、自由時間の撮影タイムを満喫した。
この時間のために準備した「防水カメラ」を胸ポケットから取り出し、
流れのある「柿田川」に入った時の感覚は、昨晩からワクワクしていた、
「柿田川」のイメージどおりで、つい口から出た台詞が
「そうそう、この感じ、この感じ」だった。
どうして、二度繰り返したのか、私にもわからないけれど、
「そう、この感じ」ではなく、「そうそう、この感じ、この感じ」。
来月からまた「第2・第4土曜日の午前中」は、楽しみが増えた。
(すみません、感覚的な「気になる一言」になってしまって・・(汗))



2016年03月25日(金)
外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる

昨年の大晦日から、なぜか突然のように始めてしまった
Facebookページ「柿田川evol.」での「575調」の紹介文も、
昨日であっという間に「100句」(俳句でも川柳でもないが)
その日の投稿する写真・動画を決めて「即興」で作るから、
あまり技巧に溺れることはないし、撮影場所や時間帯など、
撮影データを記録していた時よりも、とっても楽しい。
酔っぱライターの私が思いつきで書いた、駄作ばかりだが、
時々「これは秀作」と、自分でも満足のいくものができる。
その中の一つが、水中に目立ってきた「外来種」を撮影し、
「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」と記した作。
その一行で、どんな光景だったか思い出せる時もあるので、
しばらくは、このパターンを続けたいと思う。
日本人は、この「575調」が、なぜか好きだ。
小さい頃から「標語」と呼ばれる文字遊びに慣れ、
指を「5・7・5」と折りながら作るのが自然な動きである。
57歳を重ねた今でも「5・7・5」を数えながら作るのだから、
いかに、このパターンが条件反射になっているのかがわかる。
それも「字足らず」「字余り」にならないよう意識するから、
余計に変な句になるのだが、それもまた、ご愛嬌宜しく楽しい。
と言いつつ、明日半年ぶりに「外来種駆除」で柿田川に入る。
「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」を実践するぞ。



2016年03月24日(木)
ちょっとそこまで

夕方、仕事を終えて帰宅したら、玄関先で娘にあった。
自転車で、どこかへ行くところだったようで、
「ただいま」と声をかけたあと「今から、どこへ行くの?」と訊いた。
その答えが「ちょっとそこまで」(笑)
久しぶりに、このフレーズを耳にして新鮮だったので、メモをした。
ついつい仕事柄、相手に対して正確な答えを求めてしまいがちだが、
この「アナログ感覚」の「ちょっとそこまで」もいいな、と苦笑い。
急いでいたのか、説明するのが面倒くさいのか、それさえも分からないが、
その返事を耳にした父親の私は「こんな時間にどこへ行くんだ」ではなく
「そうか、気をつけて行ってこいよ」という台詞を口にしていた。
一連の流れの中で「どこへ行くの?」「ちょっとそこまで」「気をつけて」、
そんな短い会話だけど、くどくど説明を受けるより楽しかった。
「デジダル全盛」の時代だからこそ「アナログ」の言葉に惹かれる。
「儲かってる?」「う〜ん、ぼちぼちかな」
「どこいくの?」「ちょっとそこまで」
「出来ぐあいは?」「まあまあかな」
「いつ頃になりそう?」「もうちょっと」
「YES」「NO」を求めることが優先される仕事では使えないような、
曖昧な会話・単語も、家庭に戻ると、このゆるい感覚が妙に心地よい。
仕事と家庭の「ON」「OFF」の切り替えは、
服装だけでなく「会話」も大きな要素なんだな、と気がついた。
この会話のあと、しばらくして、娘が帰宅した。
「あぁ、本当に『ちょっとそこまで』の距離だったんだ」と感じた私は、
まだまだ「切り替え」ができていないな、と反省した。(汗)



2016年03月23日(水)
死因は「同性愛」、だから「死刑」

映画「中国の植物学者の娘たち」(ダイ・シージエ監督)から。
「中国ではタブーとされる“同性愛”というテーマに挑んだ意欲作」
というフレーズが私のアンテナに引っ掛かり観たが、
結局は、心臓発作を起こした中国の植物学者の直接的な死因が、
2人の美しい女性たちの同性愛ということで、判決は死刑。(汗)
主人公2人の裸体と、アジアっぽい音楽と風景には満足したが、
この映画を通して、監督は何を訴えたかったのか、わからなかった。
まだまだ中国は、男女差別が横行している国なのか。
新婚での初夜、新郎が突然怒りだすシーンがある。
「なぜ処女じゃない、誰と寝たんだ」と暴力をふりながら。
父親の足を、毎日、娘たちがていねいに洗うシーンも出てくる。
映画とはいえ、馴染めないシーンの連続に、ちょっと戸惑った。
この映画を思い出すためのワンフレーズは、
「死因は『同性愛』、だから『死刑』」としてみた。
どうして中国では同性愛がタブーなのか、そんなことが気になった。
民主化が進む中国で、この考え方はこれからの課題となるに違いない。
じっくり見守っていきたい。