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しもさんの「気になる一言」
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2015年03月18日(水)
強くあれ、誘惑に負けぬよう

映画「ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島」
(マイケル・アプテッド監督)から。
欲望を満たす「誘惑」に対して、私たちは弱い。
それをどう克服して、真の幸せを掴んでいくか、
そんなテーマの作品だった気がする。
ある賢者が、主人公たちに諭す。
「お前たちは、みんな試される。剣が7本並ぶまでは、
『悪』が優位にあることを覚えておけ」と前置きして
「強くあれ、誘惑に負けぬよう」と。
「闇の力に勝つためには、心の闇に打ち勝て」
「自分の価値を疑うな、自分から逃げていかん」
「きっと何者かが、僕らの心を操っている」
同じような意味を持つ台詞が、私の心に引っかかった。
しかし、辞書によると、
「誘惑」とは「人を迷わせて、悪い道に誘い込むこと」。
「人を迷わせる」ことはわかるけれど、
「良い道へ誘い込む」ことは「誘惑」って言わないのかなぁ。



2015年03月17日(火)
自然をたたえ、生物をいつくしむ

今週土曜日、今年の「春分の日」を迎える。
こんな時でないと、目的や意味を考えることがないから
「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号)
定められている15の祝日をじっくり眺めてみた。
生活の中では「春分の日」と「秋分の日」の意味は同じで、
お彼岸だから、祖先を敬い、墓参りをしなくちゃ、と
勘違いしがちであるが、実はそれぞれに意味が違うことを知った。
春分の日(春分日)は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」
それと対になっている、秋分の日(秋分日)は、
「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」
法の目的が「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、
より豊かな生活を築きあげるため」なのだから、
「春分の日」は、気のあった仲間たちとピクニックにでも出かけ、
日本の四季を肌で感じながら、自然の中に生かされていることに
感謝する日、としたほうがいいようだ。(笑)
何十年も勘違いしていた「国民の祝日」の意味だけど、
どうして学校で教えないんだろうなぁ、と思う。(私が忘れている?)
今後も出来るだけ、当日ではなく、事前に紹介していきたい。

P.S.
「ぼた餅」を食べるのも、そんな意味があるのかなぁ。



2015年03月16日(月)
おまえたち、夫婦(めおと)になれ

NHK大河ドラマ「花燃ゆ」より。
「想い合う」・・というキーワードを取り上げようと、
今回のメモ整理したら、意外な漢字変換を発見してしまった。
吉田寅次郎(松陰)が、松下村塾の塾生、久坂玄瑞と、
自分の妹・文に、結婚するように勧めるシーン。
「久坂、文、お前たち、夫婦(めおと)になれ」
何気ない台詞だが、文字として入力して変換すると、
私にとっては、どうも違和感があったので、気になる一言。
「めおと」、もちろん夫婦のことであるが、
「妻夫」(つま・おっと)で「めおと」だと覚えていたので、
「めおと」と入力し「夫婦」と変換されることに納得できなかった。
どちらが先だっていいじゃないか、と思うかもしれないが、
当時は、むしろ「妻」の方が大切にされていた証ではないか、
そんな気持ちでいたので、言葉として「夫婦」では違うと感じている。
考えすぎだよ、と言われるのを覚悟で、取り挙げてみた。
本当に「めおと」=「夫婦」でいいのだろうか。(汗)



2015年03月15日(日)
その1割に、プロかアマチュアかの違いが出る

親友が後援会長をしているので、一緒に応援している
沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の会報「みかん」から。
(噺家って呼び捨てでいいのかな?)
この会報の一部、橘也本人が執筆しているのだろう、
師匠(三遊亭圓橘)との会話を楽しく、判りやすく紹介している。
その中で「落語は、聴くものか、観るものか?」と訊かれた話が
印象に残っている。
テレビっ子で育った私たちは、落語家の顔・容姿をはじめ、
寄席などにも「落語を見に行く」と言ってしまうが、
2人の会話から知ったことは、(圓橘師匠曰く)
「落語は9割は聴く、あとの1割が観る。
1割は、扇子や手拭の使い方、仕草や表情などであるが、
その1割を、ちゃんとやるかどうかで、
プロかアマチュアかの違いが出る」ということ。
基本的には落語は聴くもの、と言いつつ、耳にする声以外の部分を
大切にすることが出来るかできないか、にプロ意識を求めるところは
思わず、頷くしかなかった。
ラジオやテープなど、声しか聞こえない媒体でも、
高座に上がる時と同じように、扇子や手拭の使い方、仕草や表情まで、
しっかりやっていることが理解できた。
名人と呼ばれる人たちの落語は、雰囲気が違うんだな、きっと。



2015年03月14日(土)
この学校では、人生の希望を学びます。

映画「グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子」
(ニルス・タベルニエ監督)から。
車椅子で過ごす障がい者の気持ちは、私が障がい者にならない限り、
正直なところ理解出来ないものだと思っている。
だから突然「パパとトライアスロンに出たい」と言い出した主人公には、
アイアンマンレースは、そんな簡単なものじゃないんだよ、と
ちょっといらっとする心の動きがあったことを告白しておく。(汗)
その上でこの作品を眺めると、彼は自分と父親との関係修復だけでなく、
同じ車椅子の障がい者に対し、希望を与えたかったのかな、と気付く。
最初、彼の想いを拒否した父親に、同じような障がいをもった友達たちが
直談判するシーンが印象的だ。
「(私たち障がい者が通う)この学校では、人生の希望を学びます。
走る、泳ぐ、自伝者、どれも私たちの夢です」とはっきり口にして、
車椅子の障がい者が憧れる、トライアスロンの3種目がどれほど憧れなのか、
みんなで伝えることにより、父親の心が揺れたと思う。
それでも「リスクが大きい」と決断ができない父親に
「でもワクワクするの、私たちの夢でもあるんです」と訴えた。
この快挙は、彼の父親をその気にさせた、障がい者みんなの想いがあり、
初めて実現したのではないかな、とあのシーンを振り返る。
サブタイトルは「夢に挑んだ父と子」ではなく、
「夢に挑んだ父と子とその仲間たち」だな、きっと。

P.S.
母親クレール役の「アレクサンドラ・ラミー」は、
「キャメロン・ディアス」かと思った、似ている・・(笑)



2015年03月13日(金)
「地方再生」ではなく「地方創生」

今日本が抱えている「人口減少」「東京一極集中」の裏には、
「地方の衰退」が見え隠れする。
それを解決するために、国が考えているのが「地方創生」。
その作戦が「まち・ひと・しごと創生」であり、
ここに掲げた3つの要素を一体的に推進することが求められている。
ただ、言葉だけが独り歩きしないように、そのコンセプトを探り、
短いフレーズで覚えておこう、と考えていたら、
石破地方創生担当大臣の挨拶にヒントがあった。
「かつての日本は、公共事業と企業誘致で地方は元気だった。
今回の『地方創生』は、その頃と同じレベルに戻すことではない。
新しい日本を創るということ」という力強い発言が、耳に残った。
だから「『地方再生』ではなく『地方創生』」という一言を残したい。
以前「改善」と「改革」の違いを書いたことを思い出す。
言い換えれば「改善」「再生」では、問題解決が出来ず、
「改革」「創生」といった、仕組みから変えなければならない状態だ、
そう理解して、大きな転換期を乗り切りたいと思う。
今までの知識と経験では、問題解決できないことを念頭に。

P.S.(「石破茂大臣の公式ホームページ」には・・)
「私は建て直す! 地方創生により、地域を、日本を!」



2015年03月12日(木)
技術がなければ、体力はついてこない。

書籍「痛くならない、速く走れる、ランニング3軸理論」
(鈴木清和著・池田書店刊・191頁)から。
昨年9月から走り始めて、半年でハーフマラソン完走、
それで満足するはずだったが、やはりもっと速く走りたい、
そんな欲求にかられていたら、我が課のスタッフが、
「課長、これ読んでみますか?」と貸してくれた。
帯に書かれていた「軸で走れば世界は変わる」というフレーズが
妙に心に残り、夢中になって読み終えた。
「ランニング、そしてマラソンは、やったことしかできません。
練習したものが、そのまま本番の結果として表れます」に頷き、
「本当に身につけるべきは、自分の体に合ったランニング技術」
という部分で、メモが増えた。
「人によって体型や骨格は異なりますから」と前置きがあって、
「教科書どおりの走り方では、特定の箇所に負荷がかかり、
それによって故障してしまうランナーも中にはいる」という解説は、
最近、走っているけど伸び悩み、と感じていた私にとって、
これ試してみようかな、と思わせるにはピッタリの表現だった。
(技術)テクニックは、ここでは紹介が出来ないけれど、
「技術がなければ、体力はついてこない。
『技』で身につけた走りを続けていくことで、
その『技』に見合った『体』ができていくのです」
走ることなんて自己流でもなんとかなる、と考えていた私は、
180度違う視点で、その上を目指していこうと思う。
「『心技体』は、言葉の順番のままに成長させていくことが大切」
なるほどなぁ。



2015年03月11日(水)
あの災害を契機に・・・

朝から夜まで「3.11東日本大震災」関連の番組が溢れ、
私たちの記憶を風化させないために、
当時の被害の大きさだけでなく、いろいろな角度からの特集が
組まれているのは、当然のことと思う。
あれから4年という歳月が「もう4年」なのか「まだ4年」なのか、
なかなかコメントができない。
大切なのは、当時の記憶を呼び戻すことではなく、
4年後の現状に対して、自分の過ごしてきた4年間と比較し、
そのギャップに何かを感じて、行動に活かすことが求められている。
その行動の中で、何かを学び、自分の生活を見直すことこそ、
亡くなった方への追悼ではないか、と思う。
ただ単に記録として「3.11から○年」というのであれば、
来年の3.11は「あれから5年」という特集が組まれるだけであろう。
胸を張って自慢できることでなくてもいい、あの災害を契機に、
少しでも、自分の生活が変化すること、それが大事なのだと言える。
人生観が変わったという人たちも多くいる中、自分を顧みたい。
だからこそ「あの災害を契機に・・・」というフレーズを残しておきたい。



2015年03月10日(火)
ある事情があって・・みんな事情がありますよ

(久しぶりに情報源不明だけれど・・)
大切な面会を、急遽決まった会議で欠席しようとしたところ、
ピシャっと、こう言い返されて、ぐうの音も出なかった。
「すみません、ある事情があって出られなくなりました」。
「みんな事情がありますよ」・・それはそうだ。
変な理由や言い訳をするよりいいかな、と思い、
「ある事情」という単語を使ったのだが、
かえって、相手を怒らせてしまったかもしれない。
理由になっていない言い訳をしてしまった、と反省した。
もっと相手を気遣える言葉を探さなければいけないな、とも。
「言葉の力」を伝えようとしている私にしては、
ちょっと軽率な発言だったと思うが、
どちらも大切な用事がブッキングしてしまった時って、
欠席(キャンセル)する片方になんと言えばいいのだろう。
何を言っても言い訳にしかならないだろうし、
相手は、せっかくスケジュール調整をしてくれたのに・・と
詫びる言葉は浮かぶけれど、キャンセル理由が浮かばない。
もちろん、誠意を持って謝ることは大切だけど、
相手が、それでは仕方ないですね、と納得してくれる理由は、
どうしてもみつからない。
理由も言わず、謝り続けるしかないのかな、こういう場合。



2015年03月09日(月)
このことは誰も知らない。

一昨日、大阪城のライトアップを見て、思い出してしまった、
映画「プリンセス トヨトミ」(鈴木雅之監督)から。
作家・万城目学さんの同名小説映画化とあって楽しみにしていたけれど、
あまりに省略・簡略し過ぎて、原作の面白さがほとんど残っていない。
また、登場人物の性別や、大阪国民になれる条件の年齢、
さらに、大阪が全停止した日付まで変更して、
何を訴えたかったのか、それすらわからなくなってしまった。
これなら、原作を忠実に再現してくれた方が、よかったなぁ。
気になる一言は、冒頭、文字として最初に目にした、
「このことは誰も知らない」というフレーズ。
本当に誰も知らないのかと思えば、知っている人が大勢いる。(笑)
その矛盾が最後まで解決されないまま、終わってしまう。
原作と比較すればするほど、その表現力のなさが目立ってしまうから、
万城目さんは、この出来上がりで本当にOKしたの?と疑いたくなるほどだ。
豊臣の末裔を守る、という自分たちの行動は、父親と息子しか知らない
大切な約束として守り続けている、と大坂の男たちは胸を張るけれど、
原作のラストシーンは、大阪の女はそんな男の行動を全て知っていて、
黙っている・・という一番面白い部分が抜け落ちていたので驚いた。
映画のラストシーン、和久井映見さん扮する、
大阪国総理大臣の妻(お好み焼き「太閤」の女将)が、
呆れたように呟く「まったく、大阪の男は・・」がオチなのだろうが。(汗)
原作を読んでいる人が、映画を観ることを想定してなかったのかな?