初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2014年11月08日(土)
フラメンコは、スペイン全土の踊りではない。

講師「角田哲康氏」(日本大学国際関係学部教授) 
演題「文化的モザイク、スペイン」から。
昨年も聴講した「角田先生のスペイン講座」、実に面白い。
今回は「スペインと言えば・・フラメンコ」について、
深く掘り下げて話していただいた。
意外と言うべきなのか、私が知らなかったと言うべきなのか、
「フラメンコは、スペイン全土の踊りではない」が
印象に残った。
フラメンコは「アンダルシア地方(スペインの南部)の踊り」。
だから、スペイン人全員が踊れるというわけではないらしい。
日本でいえば、四国の「阿波踊り」や「よさこい」などが、
日本を代表する踊りとして、全世界に紹介されているのと同じ。
そして「なぜ、日本人はフラメンコが好きなのか」に迫り、
「哀愁を帯びている、日本の演歌との共通点」と語った。
さらに「日本とスペインは、辺境の文化」と位置付けて、
いろいろな情報が、中央から伝わってくる波紋が共通している」
そんな説明を受けて、妙に納得してしまった。
まだまだ、引き出しがいっぱいありそうな彼の「スペイン紹介」。
来年も是非、聴いてみたいなぁ。



2014年11月07日(金)
今日、あなたはリンゴの木を植える。

映画「北のカナリアたち」(阪本順治監督)から。
吉永小百合さんは好きな女優だけれど、
ちょっと20年の年月を遡るには無理があった気がする。(涙)
日本最北の島で教師として教えた子どもたちも、
当然のように配役が違うのだから、吉永小百合さん似の
若手俳優を起用してもよかったのに・・とちょっと残念だった。
しかし、そんなことでこの映画を思い出すのも辛いので、
どこかの映画でも引用されているかもしれないが、
「今日、あなたはリンゴの木を植える」を残そうと思う。
このフレーズ、本来はもう少し長い。
「ある人がこう言ったんだ。もし明日、世界が滅びるとしても、
今日、あなたはリンゴの木を植える。
今できることを、今やりなさい、後悔しないために。」
この最後のフレーズを引き出すための例えだろうが、
何故、それが「リンゴ」なのかは不明のまま、
しかし文字にすると、禅問答のようで意外と面白かった。
それを受けてか、生島役の勝地涼さんと、
結花役の宮崎あおいさんが再会するシーンにも使われる。
「これリンゴの木じゃないか?」「じゃない」
う〜ん、よくわからない、この使われ方。(笑)
だからこそ、インパクトが残ったのかなぁ、このフレーズ。



2014年11月06日(木)
坊やの催眠術なんかにかかるわけないじゃん

書籍「幸福な生活」(百田尚樹著・祥伝社文庫刊・337頁)から。
19話のショートショート作品、物語のオチは、
必ず一枚ページを捲って、ワンフレーズのみとなっている。
インパクトがあればあるほど、書き出したその一言で、
物語全体を思い出すことが出来るから不思議だ。
気になる一言は、その中の1つ。
「仕方ないから、いっしょに埋めちゃったのよ」
「見たな」「ひろし〜」「奥さんのもう一つの人格ですよ」
「連続婦女暴行犯です」「できちゃったの」
「あの時のチンピラじゃない!」
「何かの間違いで、虎の尾を踏んじまったんだろう」
「私の顔、好きでしょ?」「今朝、亡くなったらしいよ」
「純子!」「宇宙人の話って何のこと?」「それでは、ごめんあそばせ」
「伝説の怪物プロレスラーがこんなところに!」「出張ソープ嬢だよ」
「この手口、五年前にも引っかかったよ」「子どものパンツじゃないか」
「坊やの催眠術なんかにかかるわけないじゃん」
「それ以来、ずっと植物状態なんですね」
若い頃に夢中になった「星新一のショートショート」を思い出した。
「落語」とも同じ感覚の「オチ」、私の好み、間違いない。
しかし・・オチが判らなかった作品が数点ある。
う〜ん、判らない作品の方が、気になるなぁ、私の場合。



2014年11月05日(水)
「動くから食べる」から「食べるから動く」へ

「日本大学国際関係学部・市民公開講座(平成26年度下期)」
今回の統一テーマは「食から考える健康ライフ」
講師「境医院内科医 日本糖尿病学会認定糖尿病専門医 境俊光氏」
演題「糖尿病と食事について」から。
「糖尿病」について、意外と知っているようで知らなかった、が
講演後も、私の感想である。
一度、糖尿病になったら治らず、失明など大変なことになる、
そんな知識が先行して、患ったら進行は止められない、
そう思い込んでいた。
しかし「糖尿病は食事と運動だけでコントロールできる」と知った。
あとは「必要に応じて、薬と上手に付き合う」のが大事と語り、
「治療が強まれば強まるほど、よくならない病気」と言い切った。
ただ、食事のコントロールは、みんな自分に甘いから、
なかなかできない、だから、進行してしまうということだろうか。
医者は「食べることに対する、患者の姿勢をみている」
「食べてもいいけど、食べないコントロールが出来るがどうか」
「食べられるけど、食べるのを止められるか、という姿勢があるか」
要は「三食以外をしっかりコントロールできるかどうか」。
また「しっかり歩く時間をつくれるかどうか」も大事な考え方だ。
一言でいえば「『動くから食べる』から『食べるから動く』へ」だな。



2014年11月04日(火)
家族旅行は、団体旅行のひとつ

「おばあちゃんと行く! 『神戸タウンと六甲山』」を振り返り、
「楽しかったね」で終わらせることなく、また次回へ続けるために
気付いた事をメモしておこうと思う。
参加した家族のそれぞれが、それぞれの気遣いで、母親(祖母)に接し、
声を掛けてくれている光景は、今回の企画意図どおりで嬉しかった。
しかし、家族だから・・という理由で、ルーズになる部分もある。
「お昼は何にしようか?」「なんでも・・」
「どこに行こうか?」「どこでも・・」
「主役の母(祖母)が、喜ぶところを」という気持ちは伝わるが、
誰かが判断し、メンバーに指示しなければ、こういうものは決まらない。
つまらないてところで「時間のロス」が発生することを私は避けたい。
だから敢えて「家族旅行は、団体旅行のひとつ」を一言に残そうと思う。
小さい頃から「(体育会系の)団体行動」に慣れているためか、
家族旅行とはいえ、そうした「リーダー」が必要なことは理解している。
また「集合時間5分前」という時間厳守も、チームの和を乱すから・・と
先輩方にこっぴどく叱られたが、今になってその意味がわかってきた。
「何かの事情で遅れるなら、遅れてきて言い訳をするのではなく、
遅れる前に『〜分くらい遅れそうです』と誰かに連絡をしろよ、
事情も判らず、心配している人たちのことを考えろ」と叱られた。
今回の家族旅行でも、私は誰に対しても「時間には厳しかった」と思う。
それは、今回の主役、母に対しても・・・。(汗)
「早すぎず、遅すぎず集合するには、あなたの段取力が試されている」
以前読んだ本に書かれていたことが、頭に浮かんだ、そうなんだよなぁ。



2014年11月03日(月)
地元新聞の投稿欄は、私の生存報告欄

先勝末に開催された「秋のみどりまつり」会場でのこと。
久しぶりに会う人たち数人から同じことを言われて、ドキッとした。
「元気でしたか?、最近、投稿がないから心配していたんですよ」。
ネットの世界とはかけ離れた生活をしている高齢者たちが、
会場内で私をみつけ、わざわざ近寄ってきて「元気でしたか?」。
これには、正直、驚いた。
毎朝、地元新聞の投稿欄で、私の名前がないか、を探すと言う。
そう言えば、最近、旅行先の新聞紙に投稿したりしていて、
地元紙には投稿してなかったな、と反省しながらも、
「私の新聞ではないので・・」と言い訳をしたら、
「あの投稿欄に、自分の知り合いの名前が掲載されるだけで、
私(俺)、この人と仲いいよ」と自慢できるらしい。(汗)
「まぁ、皆さんに忘れられない程度に投稿しますから、
掲載されたら、その時は、この人とすご〜く仲がいいんだと、
自慢してください。(笑)」と言って別れた。
前回の掲載から、たった数ヶ月のことなのに、
病気になったとでも思っていたのだろうか。
でも、こんなにも私の拙い文章を楽しみにしている方がいることを知り、
「私は生きてます」という近況報告のつもりで、続けようと思った。
新聞社の方には、そんな使い方で申し訳ないけど、
「地元新聞の投稿欄は、私の生存報告欄」を一言にしたい。

P.S.
10月31日、神戸旅行に出かける朝、数日前に投稿した内容が掲載された。
きっと「あの時、私(俺)が言ったからだ・・」と思うんだろうな。
そう言えば、今日も歩いていたら別の人から「見たよ」と声を掛けられた。
恐るべし、地元新聞社の投稿欄。(笑)



2014年11月02日(日)
(手帳は)自分にとっての精神的安定剤

(三島・新神戸間のひかり号往復で読み終えたが、メモが多かったので)
書籍「人生を変える『習慣』の力」(齋藤孝著・成美文庫刊・237頁)から。
なんでも「習慣」にすることで、知らず知らずに
自分の体の中の意識が変わっていくことを、
いろいろな例えで紹介してあり、とても参考になった。
時間に追われないようにするために「ストップウォッチ」を
持ち歩き、時間という単位を体に叩き込むことや、
ダイエットのために何かをするというのではなく、
「1日1回 体重計に乗るだけ」という行動の繰り返しが、
「食べ過ぎないように」とか「ちょっと身体を動かそう」と
意識が変わり、結果として自然にカロリー摂取が抑えられる。
そんな説明が、私の生活と重なってメモをした。
その中で、私が選んだのは「1日手帳を10回見る」という習慣。
1日に何回も開くことは、意識を変えることを目標としている。
「日1日、今週1週間の自分の予定のすべてが、
パッとひと目見ただけでわかります。必然的に、どのように
この1週間を乗り切るか、ある程度の目算も立ってきます」
そして「持っているだけ、見ているだけで、落ち着ける
『自分にとっての精神的安定剤』のようなアイテムを持っていると、
日常のストレスを減らしてくれます」
私が手帳にこだわっている理由を、的確に表現していて嬉しかった。
彼は「手帳2年分を持ち歩く」と言うが、私はそこまでは(汗)。
まだまだ、上がいるなぁ、本当に勉強になりました。



2014年11月01日(土)
私はあれが、一番不思議でしょうがない

母親80歳(傘寿)のお祝い家族旅行。(妹家族も含め2家族合同企画)
行き先は、旅行好きの母親が「まだ行った事がない」という神戸。
孫が作ったオリジナルパンフレットのテーマは、
「おばあちゃんと行く! 『神戸タウンと六甲山』」
随所随所にサプライズ企画を配し、母が驚き、喜ぶ顔が溢れたが、
帰りの新幹線で横に座り「何が一番印象に残った?」と訊いたら、
「家族みんなにお祝いされて嬉しかった」と真っ先に口にした後、
「私はあれが、一番不思議でしょうがない」と付け加えた。
詳しく話を聴けば「六甲山ホテル」から眺めた「神戸の夜景」が、
靄・霧・雲などの自然現象で隠れ、見えたり、見えなかったりしたこと。
何度も繰り返されるその光景は、母の好奇心をくすぐったらしく、
「誰かが、操作しているのかね?」と最後まで驚きを隠さなかった。(笑)
いくら説明しても「そんなものかね、不思議だねぇ」と疑っているので
「ホテルの人がお祝いに企画してくれたんじゃないの?」と答えたり、
「神戸市民に、何時になったら電気を消してと頼んでおいたんだよ」と
ふざけて答えていたら、本気にしそうになったので、取消した。
80歳になったというのに、神戸の街をスタスタと歩く母の元気は、
たぶん、私以上の好奇心の旺盛さだと実感。
久しぶりに、母と一緒に過ごした2日間は、想い出に残る旅となった。
心配された天気も、傘をさす機会もほとんどなく快適に過ごせたのは、
天国から父親が見守っていてくれたから・・と本気に考えている母。
う〜ん、歳を重ねて、可愛くなったな・・



2014年10月31日(金)
トラ日本一ならず

プロ野球日本シリーズ2014は、パリーグの「ソフトバンク」が
セリーグの「阪神タイガース」を4勝1敗で破り優勝した。
そんな翌日、母親80歳のお祝いで、神戸の地を訪れたからか、
昼食で暖簾をくぐった「蕎麦屋」で目にした、
地元・神戸新聞の見出しが可笑しくて、メモをした。
「トラ日本一ならず」見出しに続いて「ソフトバンクに1勝4敗」。
どんな結果になろうとも、主役は「トラ(阪神タイガース)」で、
「ソフトバンク日本一」ではなく「トラ日本一ならず」。
なんと宿泊先は「六甲山ホテル」だったから、
これがあの有名な「六甲おろし」の「六甲」か、と
偶然の巡り合わせに、またまた、嬉しくなってメモをした。
全てがこんな具合だから、逆に「優勝した翌日」だったら、
どんな凄いことになっていたのか、気になってしまった。
更に記事を読み進めると、あくまで阪神中心の話題で、
「阪神は29年ぶりの日本シリーズ制覇はならなかった」。
ここまで徹底していれば、天晴れ(あっぱれ)、というしかない。
地元ファンは心から「トラ日本一」を待ち望んでいるんだなぁ。

P.S.
神戸旅行の話は、メモを整理してからじっくりと書きます。
乞うご期待。(笑)



2014年10月30日(木)
最後に私がおたずねしたかったのは・・

映画「利休にたずねよ」(田中光敏監督)から。
原作の作家・山本兼一さんからは、OKが出たのだろうか、
利休切腹の日から順に遡っていく展開に、新鮮さを感じて
小説を読み切ったので、この変わりようにやや戸惑った、が
鑑賞後の印象であった。
そんな中でも、原作にない素敵な台詞もありメモは増えた。
「私が選んだ品に伝説が生まれます」
「全ての重荷を一度下ろされたらよろしいのです」
「今生きてる喜びをこの一服の茶で味わいなさいませ」
「(茶には)人を殺してもなお手にしたいだけの美しさがございます」
「世の中が美しいもので動いているのでございます」
「私が額ずく(ぬかずく)ものは、美しいものだけでございます」
言葉は丁寧だが「美」に対する執念は強く、秀吉の命でも従わない、
利休らしい生き方を随所に見ることが出来た。
せっかく「鋭利な刃物(錐)もいいが、少しは休んだらどうか」
と言う意味の「利休」の号を戴いたのに、
最後の最後まで「鋭利な刃物」(尖った錐)のままだったことが、
惜しまれて仕方がない。
「才能におぼれずに『老古錐』の境地を目指せ」という意味が
込められていたという。
(「老古錐」とは、使い古して先の丸くなった錐のこと)
作品ラストに流れる、妻・宗恩の意味深なナレーション、
「最後に私がおたずねしたかったのは・・」を残しておこう。
(映画だけで、この意味が分かりにくいと思うので・・)