
|
 |
| 2014年08月20日(水) ■ |
 |
| 両手で渡すと、両手で受け取ってくれる。 |
 |
職員研修「接遇・クレーム対応」 講師「(株)インソース 石川あさ子氏」から。 何度受講しても、クレーム対応は難しい。(汗) ケース・バイ・ケースで、これといった対応パターンがなく、 同じような内容のクレームで、同じように対応しても、 納得してくれる人と、余計に怒り出してしまう人もいる。 ただ「接遇」は、今でも知らなかったことがあったり、 何度受けても、違った気付きがある。 「笑顔には人が集まります」という基本的なことも、 言い方を変えるだけで、なるほどなぁ・・と再認識できる。 以前、相手の目を見て話す、と教わった接遇も、 「ずっと見ているのは、不自然です。違和感というか。 目を見ると言うより、顔全体を見る」という説明に納得した。 その中で、今回私が選んだのは「モノの授受(書類等)の仕方」。 「両手で渡すと、両手で受け取ってくれる」という視点、 隣に座った職員と試してみたが、片手で渡されるのと、 両手で渡されるのでは、受けての気持ちが違うことを実感。 それも「直線的に渡すより、ふわっと(曲線で)渡す」。 ほんの些細な気遣いが、どんな気持ちにさせるかを知った。 だからこそ、どうしても片手で渡す場面になっても、 「片手で失礼します」という言葉が自然に出るという。 今までも、何度か失礼をしたような気がする。(汗) 「接遇研修」は、いくつになっても受講したいなぁ。
|
| 2014年08月19日(火) ■ |
 |
| 非常識でクレイジーなコメディを作る |
 |
映画「ムービー43」(ピーター・ファレリー監督ら)から。 鑑賞後「よくもまぁ・・」と呟いてみたが、 邦画でも「HK変態仮面」や「寝ずの番」など、 下品さでは負けない作品も多く観てきたので、 酷評されるほどのことはないな、というのが感想である。 ただ日本の場合、ひとつの作品としてストーリー性を持ち、 そこに「粋」とか「艶」などが感じられ、 鑑賞に堪えうる仕上がりになっている、そんな違いを感じた。 ただ、日米の監督たちも、同じことを考えるらしく 「寝ずの番」(マキノ雅彦監督)は、 「テレビではマネのできない映画らしい映画を撮る」と言い、 今回は「非常識でクレイジーなコメディを作る」と発案。 それを、キャストとなる大物俳優たちが真面目に演じる、 それだけで、いいんじゃないかな、そんな気もする。 「お下劣でおバカな要素が満載の短編」と予告済だから、 嫌なら観なければいい、と思うだけ。 最近、声を出して笑うなんて、なかったものなぁ。 いいんじゃない、これはこれで・・
P.S. 別に「私のお薦め」というわけではありません。(笑)
|
| 2014年08月18日(月) ■ |
 |
| 自然は美しく老いる |
 |
講師「色彩計画家・加藤幸枝」氏、 演題「色が変わると景色が変わる」から。 「景色」って、「色」が入っているんですよ、と 嬉しそうに話し始めた「色彩計画家」の彼女の話は、 美術大学を卒業したこともあり、理論と実践が融合していて、 なるほどなぁ・・と思うメモが増え続けた。 「色彩についての基礎知識」は、美術大学の授業と同じく、 「景観」を語るには、知らないでは済まされない知識として、 大変勉強になった。 この知識を前提に「景観」について施策を練ることの大切さを、 わずかな時間に気付かせていただいた。 かつては「地域の土の色がまちなみをつくった」と語り、 その「長くその土地にある、静かな(動かない)自然の色」が そのまちの歴史や文化を創りあげてきた、という説明は、 私の「景観」に対する感じ方を、確信に変えてくれた。 「ふさわしい色彩」とは「人の活動や季節が映えること」であり、 「動かない色(地)・動く色(図)」を説明してくれたあと、 「地」の部分で個性を出す必要はない、と言い切った。 「まちの賑わいは動くものがつくる」ということであろう。 最後に、まとめてくれたフレーズは特にインパクトがあった。 「自然界では、生命あるものが色を持つ」 「自然は美しく老いる」(葉っぱの写真をバックに) だから「自然の景色」は美しいんだなぁ、納得。
|
| 2014年08月17日(日) ■ |
 |
| 思い通りという道は無い |
 |
先月、家族で出かけた京都旅行2日目。 私は、どうしても鞍馬山と貴船神社に行きたくて別行動したけれど、 鴨川に沿って叡山鉄道最寄駅へ向かう途中、 ふっと目に入った、どこかのお寺の掲示板。(寺名はメモ忘れ) 「思い通りという道は無い」 短いフレーズだったが、思わず頷いてメモをした。(笑) たぶん、思うようにいかない人生について触れた内容であると思うが、 視点を替えたら、妙に可笑しかった。 「○○通り」という名称は、全国どこにもあるけれど、 「思い通り」という名は、あまり耳にしたことがないし、 もし仮にあったとしても、ややこしい案内になること間違いなし。 「あの思い通りを右折して」とか「思い通りに向けてまっすぐ」とか 暑さに耐えながら考えていたら、余計に笑いが込み上げてきた。 「例年通り」「いつも通り」とか、考えたらきりがないけど、 どこかで「通りの愛称募集」があったら「思い通り」で応募したい。 生き方として、なんでも自分の思った通りにはいかない、と考えよう、 それは「マイナス思考」ではなく、それを前提に準備をしながら、 行動は「プラス思考」で前向きに・・という意味に理解すればいい。 まさしく孫子の兵法「悲観的に準備して、楽観的に行動する」だな。 (せっかくのお寺の教訓、茶化してすみませんでした。(汗))
|
| 2014年08月16日(土) ■ |
 |
| う〜ん飲み過ぎた。日記は明日だな。^_^; |
 |
久しぶりの私の呟き。 それも記憶にないまま「Twitter」で呟いていた。 昨日、朝起きて本人が一番びっくりしたので、気になる一言。 一昨日は、楽しい仲間との飲み会で、ペースが速かったのか、 疲れが溜まっていたのか、いい気持ちになるのが早かった。 まだ帰るには早い時間なのに、お店を出るころには「千鳥足」状態で、 失礼ながら、そこでリタイヤし、タクシーで帰宅した。 タクシーを降りたところまではなんとなく憶えているが、 それ以後の行動はほとんど記憶がない。(汗) 翌朝、起きたら妻から「昨日は凄かったよ、大丈夫?」と言われ、 帰宅後、風呂にも入らず、バタンキューで寝たことがわかった。 しかししかし、なぜか「Twitter」にこう呟いている。 「う〜ん飲み過ぎた。日記は明日だな。^_^;」 スマホからの入力は苦手だから、たぶんPCから?と思ったが、 今回は、なんとスマホから入力していた(らしい)。 ただそれだけのフレーズ、わざわざ「Twitter」で呟くかなぁ。 習慣って素晴らしいけれど、習慣って、時には恐ろしい。 自分の記憶がないのに、何か呟いているのって、怖い気がする。 もしかしたら、惚けても呟くのかなぁ、私の場合。(笑)
|
| 2014年08月15日(金) ■ |
 |
| 「降伏しろ」と言わずに、降伏を命じたのです。 |
 |
(終戦記念日(敗戦)だから、というわけではありませんが(汗)) 映画「終戦のエンペラー」(ピーター・ウェーバー監督)から。 天皇が、第二次世界大戦に関わったかどうか、マッカーサーから その調査を依頼された主人公は、いろいろなことを調べ、 一度、自分なりの結論付けをして報告書を書く。 「国の統治者として戦争責任を回避できない」、 その理由は「無罪にする根拠がみつからない」。 しかし最後には「有罪にする理由がないからです」と変え、 「疑わしきは罰せず」、この方針を貫いた形となった。 面白い視点だな、とメモをしたが、この映画を思い出すには、 ちょっとインパクトが弱い気がした。 そこで選んだのは、冒頭に表現されていた「降伏」について。 天皇が日本国民に向けて発した「耐え難きを耐えよ」は、 「『降伏しろ』と言わずに、降伏を命じたのです」ということ。 へぇ、そういう意味があったのかと感じて、これを機会に、 「玉音放送」で読まれた、昭和天皇による終戦の詔書 (大東亜戦争終結ノ詔書、戦争終結ニ関スル詔書)を読み直した。 「朕は時運の趨く所堪へ難きを堪へ忍ひ難きを忍ひ以て、 万世の爲に太平を開かむと欲す」の一部である。 以前、ある方の講演で聞いた、安岡正篤先生と 終戦の詔勅のエピソードとはじめて繋がった瞬間である。 終戦のイメージとして、この「玉音放送」を聴く国民の姿が残るが、 この「耐え難きを耐えよ」という部分を「降伏する」と解釈した。 今、戦争の映画が、感動ドラマのようにもてはやされるが、 これを機会に、第二次世界大戦(大東亜戦争)について、 自分たち国の歴史を調べるきっかけになって欲しい。 そしてこの戦争の意義、敗戦(終戦)の意味を、正しく理解したい。
|
| 2014年08月14日(木) ■ |
 |
| 事故が人生を変えてくれた |
 |
「ドリカムキャンプ2014夏の陣〜出会いのチカラ〜」に参加した。 「ドリカムキャンプ」とは「中学、高校教師の有志を中心に運営している、 日本では例を見ない、中学、高校運動部員、指導者、保護者を対象とした 異種目合同メンタルセミナー」である。 今回はゲスト講師に「京谷和幸氏」(シドニー・アテネ・北京・ロンドンの パラリンピック車いすバスケットボール日本代表)を招いた。 Jリーガーだった彼が、サッカー選手として再起不能になった事故を経験し、 波瀾万丈の人生を振り返った時「事故が人生を変えてくれた」と語った。 あの事故がなかったら、自分はJリーガーとして天狗になっていただろうし、 妻を始め、周りの人たちの優しさにも気付かなかっただろう、と呟いた。 だからこそ、車椅子の生活になっても「あの事故に感謝」という単語が、 素直に口から出てきたのではないかと思う。 今だから笑って言えるだろうけれど、(おそらく)自己否定と戦い、 私たちにはけっして見せない、血の滲むような努力が感じられた。 それを支えたのが「超」が付くほどの「ブラス思考」だと理解している。 それも「本物のプラス思考」でなくてはいけない。 (「ブラス思考」が大切とわかっていても、行動に移せない人は、 「本物のプラス思考」ではないと私は思っているから) コーディネーター役の「臼井博文氏」(株式会社サンリ取締役)が、 最後に面白いことを教えてくれた。 「ずっとプラス思考でいると、マイナス思考の人がわかるようになる」 なるほどなぁ・・なんとなく思い当たることがある。(笑)
|
| 2014年08月13日(水) ■ |
 |
| 不仲くらいの理由で謀反を決断するはずがない |
 |
書籍「本能寺の変 431年目の真実」 (明智憲三郎著・文芸社文庫刊・・345頁)から。 光秀の子孫、明智氏が書いた真実だから、 やや偏った見方かもしれないけれど、実に面白かった。 私たちが教科書、大河ドラマ等で知る「本能寺の変」とは だいぶ違った角度から考察した内容は、妙に説得力がある。 特に「一族の生存と繁栄に、責任を負った武将・光秀が 信長との不仲くらいの理由で謀反を決断するはずがない」、 また「愛する家族や一族郎党を犠牲にして、自分のロマンに 衝動的に賭けるような行動をとるとは、とても考えられない」 という考え方は、私も以前から感じていたし、 光秀には、天下を取ったら何をしたいという野望も見えない。 家康を討て、と命じられた光秀が、逆に家康と組んで信長を討った。 その謀反を知っていて、秀吉と組んだ光秀の盟友・細川藤孝、 この時代、誰が味方で誰が敵か、まったくわからない。 でも、支配者がいくらでも歴史は塗り替えられる、と知って、 私たちが教わってきた「歴史」の面白さが余計に広がった。
P.S. 本能寺の変によって空白地帯となった旧武田領を巡って、 周辺の大大名である徳川家康・北条氏直・上杉景勝が争った 出来事を「天正壬午の乱」(てんしょうじんご)というらしい。 私は「天声人語」との関係が気になる。(笑) 考えすぎかな。
|
| 2014年08月12日(火) ■ |
 |
| 景観は「住んでいる人の快適性」 |
 |
(最近、気になっている「景観」の話題ですが・・) 講師「静岡産業大学総合研究所客員研究員 中村羊一郎氏」 演題「景観資源とは何か」から。 「景観は過去のものか?」と私たちに投げかけたあと、 「これから形成する景観」は「誰のため、何のための景観か?」と 今一度、考える必要性を提言してくれた。 景観を整備すると、なぜかそれを見たさに、多くの人が訪れ、 「観光、地域おこしのため」という名目が浮き上がってくるが、 それは、長続きしないことを示唆してくれた。 「安全で安心して暮らせる」ことを前提にして、 「そこに住む心地よさ・住みよいまちづくりのため」が基本。 そう教えられたような気がする。 簡単な言葉で表現すると「住んでいる人の快適性」となる。 行政が突っ走って出来上がるものではない「景観」は、 やはり「地域住民の理解と協力」が大前提となる。 だから「住んでる人の快適性のため」、これに尽きる気がする。
P.S. 昔を知る手がかりとなる「古い地名」も、 そのまちにとって「大切な景観」という視点は、勉強になった。
|
| 2014年08月11日(月) ■ |
 |
| 貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば |
 |
NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」で、黒田家の家風として 「ケチではありません、節約です」という台詞が登場し、 あれ?どこかでメモした台詞と似ている・・と探したら、 やっばり観てました、この映画。 映画「武士の家計簿」(森田芳光監督)から。 江戸時代の後半、武士の生活は楽とは言えなかった。 下級武士だけでなく、身分が高ければ高いなりに出費がかさみ、 気がつけば、もう立て直しが出来ない状況までになっていた、 そんな話は、今でも共通しているところであるが、 主人公、猪山家の八代目・直之は、お家立て直しのために、 家族全員に「驚くほどの倹約・節約」を命じる。 世間体などを気にする親の抵抗をも説得し、家の中の家財は ほとんど売り払い、貧しい生活で耐えしのぐごとになる。 そんな苦労をしているはずの妻に、直之がすまなそうに声を掛ける。 たぶん、(楽しいと言ったら嘘になりますが・・)という台詞を 飲み込みながら、妻はしっかり夫を見つめて「でも面白いです。 貧乏だと思えば暗くなりますが、工夫だと思えば」と言い切る。 そうか、そんな視点こそ大事だな、とメモをした。 今の世の中、社会的には収入的が少ない人たちに限って、 あまり悲壮感が漂ってないのは、こんな考え方をしているのかもなぁ。
|
|