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しもさんの「気になる一言」
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2014年06月11日(水)
迷ったら川に来るといいよ、答えが見つかるから。

映画「四十九日のレシピ」(タナダユキ監督)から。
ストーリーとは、ちょっと外れるけれど、
川に関する話が、私のアンテナに引っ掛かった。
永作博美さん演じる主人公・百合子が小さい頃、
ママ母・乙美さんに連れられ川へ行き、母から話を聴かされる。
「百合ちゃん、迷ったら川に来るといいよ、答えが見つかるから。
川はね、いろんなもの、全部の境目なの。
どっちにしようか、行こうか、戻ろうか、迷う気持ちを水に流して、
前に進ませてくれるのよ」
この感覚、なかなか理解しにくいかもしれないが、
毎日、清流の川を眺めながら通勤している私にとっては、
心にストンと落ちた表現だった。
前日までのモヤモヤも、しばらく川を眺めていると消えていく、
何かの判断に迷った時、その流れの速さに呼吸を合わせていると、
す〜っと、答えがみつかることも、実体験として知っている。
だから、こんな感覚で川を眺めている人が私以外にもいたなんて、
と嬉しくなった。
こればかりは理屈でもないし、ちゃんとした根拠があるわけではない。
ただ、じっと川を眺めていると、心が落ち着き、迷う気持ちがなくなる。
それだけのことなんだけど・・。
こんな台詞もあった。「川のそばの家、いい家よ。亡くなった人たちが、
その川の向こうから私たちを見守ってくれているんだもの」
う〜ん、なんだかわかる気がするなぁ。



2014年06月10日(火)
「公」・「官」・「共」の比較

「公」「官」「共」、似たような使い方をするけれど、
その違いは?と訊かれて、恥ずかしいけれど、うまく説明で出来なかった。
辞書によれば「公」とは「大宅(おおやけ)(大きな家)」の意から、
皇居・天皇・朝廷、さらに公共の意に転じた語。
意味は「政府。官庁。また、国家。
個人の立場を離れて全体にかかわること、など」
反対語は「私(わたくし)」。
「官」とは「国の政務を執行する機関。朝廷・政府など。役所、
役所における職務・地位。また、それをつかさどる人。役人。官吏」
そして「共」は「いっしょに。ともに。」
「共演・共学・共感・共存・共著・共通・共闘・共同・共有」等。
さらに「公共」は「社会一般。おおやけ。
また、社会全体あるいは国や公共団体がそれにかかわること」
そう考えると「公」を使う場合は「私を排除すること」が前提となり、
「官」を使う場合は「民間企業では出来ない(やらない)仕事」を
国民のために遂行する機関・人」ということになりそうだ。
「公共施設」とは「道路・公園・下水道・学校・図書館など、
公共事業によって供給される施設。公共財としての性格をもつ」。
う〜ん、調べたら余計に「わからなくなってしまった感」が残る。(汗)
少なくとも、民間で可能なことは、民間に委託したりして仕事を減らし、
行政しかできないことに力を入れていくことが、大切だと再認識した。



2014年06月09日(月)
インフラの高齢化対応「まったなし」

たぶん・・建通新聞の見出しだった。(月日はメモ忘れました)
「インフラの高齢化対応」という表現が、私には新鮮だったから、
話のネタに・・とメモをした。
もちろん、ハード整備に関しては「長寿命化対策」という言葉もあるが、
老朽化した施設を、なんとかして「もう少しもたせる」という、
そんなイメージが先行して、言葉としても硬い気がする。
「インフラの高齢化対応」というフレーズは、人間と同様に
建物も高齢化(老朽化)してきており、その深刻さは、
大きな事故につながる可能性がある分「まったなし」という単語が、
その緊張感を表現している気がしたから、メモをした。
老朽化しているけれど、もう少し大丈夫だろう、という危機管理のなさが、
日本全国で起きている、想定外の事故に繋がっているとも言えそうだ。
「2020年の東京オリンピック開催」に向けて、道路整備を考えた時、
「1964年の東京オリンピック開催」時に建築した首都高速道路なども、
高齢化(老朽化)が進んでいるという話も耳にした。
日本全国、ハード整備に関しては、国・県の説明を聞く限り、
「整備」から「維持管理」に転換という潮流が、ひしひしと感じられる。
都市計画のことは、まだまだ分からないことばかりだけれど、
「長寿命化」の先には、何が残っているのだろうか、と不安はある。
人間と同様に死亡(崩壊)というわけには、いかないだろうから、
「長寿命化」のあとのことも、考えないといけないよな、と思う。
人間も、インフラも「永久」の命は、ないのだから。



2014年06月08日(日)
「W杯・コートジボワール戦」、誰とどこで見るか?

来週の日曜日に迫った「2014FIFAワールドカップ ブラジル」の初戦。
相手は「コートジボワール」。(日本時間・午前10時から)
前日の土曜日は予定がいっぱいだけど、この日はフリー(予定)。
朝寝坊して、ゆったり起きて珈琲でも飲みながらテレビ観戦、
と決めていたのに、面白い企画を発見、心が動いている。
地元の大型商業施設内の「シネプラザ サントムーン」で、
シアター3(330席)を活用した、パブリックビューイング。
今まで、1度も経験したことがないから・・と思いながらも、
野球好きの私が、サッカー好きになって、皆と大騒ぎ出来るだろうか、
あのノリについていけるだろうか、という不安もある。(汗)
(その前に、チケット売り切れかも・・詳細はHPで、要確認)
ただ、日本代表が4年ぶりに、日の丸を背負って戦う試合を、
リアルに一所懸命応援したい、という気持ちを大切にもしたい。
だから、今回の気になる一言は、
「『W杯・コートジボワール戦』、誰とどこで見るか?」
今回の企画は、全国ロードショーばかりを上映しがちなシネコンが、
地域に根ざした企画として、拍手を送りたい。
そして、映画館って、そんな利用の仕方もあるんだ、という驚きと、
どんどん広がる、私の妄想に近い企画と、コラボレーションした時、
面白い世界が始まる予感がする。
やっぱり、地域の資源、大切にしなくちゃなぁ。



2014年06月07日(土)
浅倉南さんの得点「9.75」

映画「タッチ2 さよならの贈り物」(杉井ギサブロー監督)から。
う〜ん、どうしてもアニメなんだから、いいじゃん、それくらい、
という視点で観れない自分が、情けない。(汗)
ファンタジーや未来志向の作品等だと、リアルな光景と比較しないから、
楽しめるのに、自分が通ってきた高校時代の話だと、つい力が入る。
それもスポーツの難しさ・厳しさも知っているので、始末が悪い。
「まともにキャッチボールもやったことない」とたっちゃんが、
高校からピッチャーを始めて、甲子園に行く設定も考えにくいし、
全然練習していない南ちゃんが、新体操の大会で優勝しちゃう設定も、
ついついストレスが残ってしまった。
だって、新体操でミスしてしまった南ちゃんの演技得点が「9.75」。
えっ、あのミスさえなければ「10.0」もあったのか、とまたまたメモ。
実現不可能な「魔球」とか「必殺技」なら、高得点も割り切れるのに、と
映画作品として楽しめない自分のちっちゃさを実感してしまう。
どうやらこれが、私が「タッチ」に感情移入ができない理由だな、きっと。

P.S.
どうして、こんな話題かというと、本日、地元のサントムーン柿田川へ
タッチの浅倉南ちゃん役の声優、日高のり子さんが来館。
(正確には、ラジオ番組のスペシャルゲストとして、特設スタジオへ来館)
日高さんと言えば「タッチ」の浅倉南ちゃんや、
「となりのトトロ」の草壁サツキちゃんなどが有名かな。
楽しみにしていたのに、私はその時間、突然の仕事で伊豆の国市へ。
あの南ちゃんの声で「しもさん、お仕事頑張ってね」って、
言われたかったのになぁ、あ〜残念。



2014年06月06日(金)
日本人にとって、自然はただか?

日本大学国際関係学部・市民公開講座(平成26年度上期)
統一テーマ「富士山 世界遺産登録とその魅力」
講師「静岡大学 特任教授・名誉教授 増澤武弘氏」
演題「世界文化遺産を守る富士山の自然」から。
富士山を「世界自然遺産」にしようという頃から携わっている、
講師の話は、とても説得力があった。
「富士山世界文化遺産」の25の構成資産をみれば、
「富士山の自然」が支えていることが一目瞭然であり
「自然が文化を育てた」というフレーズが、とても輝いていた。
また、今、富士山頂に大きな変化が起きている話、
(永久凍土の減少・緑のカーテンをはじめ「緑」の増加など)
森林限界 (約2,500m) が、ぐっと上がっている話、
ブナ落葉広樹林の特徴と、青木ケ原の現状などの話など、
どれも、興味深い話で、あっという間の1時間半だった。
最後に、聴講している私たちに向かって、示されたフレーズ。
「日本人にとって、自然はただか?」のインパクトは強かった。
「この発想を変えないと・・自然が消滅してしまう」と呟いた、
彼の想いが、56歳の誕生日プレゼントとなった。



2014年06月05日(木)
まだ「ぼちぼち」って感じじゃないな。(笑)

「『ぼちぼち』の初日は、どんなでした?」というメールが届き、
ひとりで苦笑いした。
きっと、みんなには「ぼちぼち」と言いながら、
私のことだから、全速力で突っ走ったんだろうな、という推測が
可笑しかったからだ。
昨日は、午前中、庁舎内の会議を一本こなし、午後から静岡へ出張。
移動と昼食の時間を使って、誕生日お祝いメールへの返信。
午後の会議を夕方に終え、静岡の街を、あてもなくブラブラ。
三島駅へ到着後は、日大国際関係学部主催の市民公開講座を聴講、
「世界文化遺産を守る富士山の自然」について学んだ。
そのあと、ちょっと遅い夕飯として、北海道料理「中むら」で、
お気に入りの「十四代」を飲みながら、料理を味わった。
帰宅後、シャワーを浴び、いつものように「気になる一言」を書いて、
またまた、お祝いメールに返信。
そのまま、これまたお気に入りの映画「ユー・ガット・メール」を
パソコンで流したまま、知らない間に寝ていた。(汗)
「お気に入り」に囲まれて過ごすと、心が落ち着くなぁ、
そんなことを実感した56歳の初日であった。
でも、こううして1日を振り返って書き出してみると、
まだ「ぼちぼち」って感じじゃないな。(笑)



2014年06月04日(水)
あとは、ぼちぼち・・

「55歳の1年を人生のピークに」をキャッチフレーズに、
昨年の誕生日をスタートし、自分で言うのもおかしいが、
公私ともに、最高に充実した1年だったと振り返りたい。
仕事面では「町制施行50周年記念」を合言葉として、
一生に1度と思えるような体験を何度もしたし、
数多くのイベントを素晴らしい仲間とともに過ごせた。
家族は、一昨年ほどの旅行は出来なかったが、
妻・娘・母と何気ない会話をしながらの夕食は、
今までになく、私の癒しの場になっていた気がする。
そして、56歳直前「スマートフォン」デビューを果たし、
「柿田川」の魅力を、全国に向けて「お裾分け」を始めた。
何年かして、人生を振り返った時「人生のピークは55歳」と、
胸を張って言い切れるな、と思いながら55歳を終えた。
だからこそ「56歳」の誕生日を迎えた時、感じたのは、
「あとは、ぼちぼち・・」という感覚だった。
手を抜くとか、いい加減にやる、という意味ではなく、
焦らず、ゆっくりと進んでいく、そんな意味として捉え、
多くの成果を望まず、今まで知り合った人を大切にしながら、
私の周りに溢れている多くの話題から「気になる一言」を書き、
柿田川を楽しみながら、全国に向けて、この川の魅力を伝えていく、
それこそが「私の役割」だと信じて過ごす1年でありたい。

P.S.
「柿田川」に関する出前講座、講演、少しずつ受け付けます。(笑)



2014年06月03日(火)
月に乗じて暁を待つ

書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(乗月)、
小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。
民の多くが、先の王の悪政から救ってくれた恵州侯・月渓を、
次期の王に就くのを望んでいるにもかかわらず、本人は、
自分を評価してくれた国王を殺したという罪に苛まれていた。
だから、いくらみんなが望まれても、私にはその資格がない、
次の王が、麒麟に選ばれるのを待ちましょう、の一点張りだ。
もちろん、彼の主張は、今までの慣例としては間違っていない。
しかし、そんな凝り固まった考えをするよりも、
自分が月となって、少しでも暗闇(苦しい生活)を照らし、
太陽が昇ってくるのを待ったらどうだ、と慶国の使者が諭すシーン。
「王が玉座にある朝を日陽の朝だとすれば、
王のいない朝は月陰の朝じゃないかな。月に乗じて暁を待つ」。
このフレーズは、十二国記ファンの中でも人気が高いようだ。
タイトルにもなっている「乗月」は「月に乗じて」の意味だろう。
私たちの生活でも、会長などの役員を決めたりするとき、
いやいや、私はそんな器じゃないから・・と謙遜する人がいるが、
そんな人には「月に乗じて暁を待つ」と一言。
意味を訊かれたら「あなたの言い分もわかるけど」と前置きをして
「皆さんの信頼が厚いので、新しい会長が決まるまでの
『つなぎ役』として、1年でもお願いできませんか」と依頼しよう。
「陽が落ち、深い闇が道を塞いでも、月が昇って照らしてくれる」
それだけでも民は道に迷うことはないのだから、是非、月の役割をと。



2014年06月02日(月)
第1・第2は順位じゃない。役割が違う。

映画「25年目の弦楽四重奏」(ヤーロン・ジルバーマン 監督)から。
弦楽四重奏は、弦楽器4本の合奏形態であるが、主に
第1バイオリン・第2バイオリン、ビオラ・チェロ。
この程度の知識で観始めたが、大きな勘違いに気付いた。
2本のバイオリンは、2人で同じ旋律を演奏し、
演奏技術の順位だと思ってたいたから・・。(汗)
作品中、第2バイオリン演奏者が、ある女性に言い放つ。
「第1・第2は順位じゃない。役割が違う」。
「どう違うの?」と彼女が訊ねる。「主旋律を弾いたり、
その下だったり。ソロ的な要素の第1バイオリンと、
水面下で豊かに流れるビオラやチェロを第2がつなぐ。
みんなをつなげるのが、僕の仕事だよ」と誇らしげに答える
第2バイオリニストが印象的だった。室内楽形態の中で、
ピアノ三重奏は三者の競い合う性格が強いのに対し、
弦楽四重奏は四者が協調して一つの響きを作る性格が強い。
だから、調和役ともいえる第2バイオリンの役割が大切、
「僕がいないと退屈な三重奏団だ」と言いながらも、
思いっきり「旋律」を弾く第1バイオリンへの想いもある、
その葛藤が、とてもうまく表現されていた作品である。
「第2バイオリンの演奏が、色彩、質感、リズムを与える」
「第1バイオリニストを引き立たせ、決して自分は前に出ない」
「たとえ第1が優秀でも、第2の質によってより際立つんだ」
そんなフレーズが印象に残った。
機会を見つけて「ベートーベン弦楽四重奏曲(作品131)」、
聴いてみようかなぁ。