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しもさんの「気になる一言」
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2014年01月22日(水)
江戸城があったから、今の東京がある

正月に放映されたNHK・BSプレミアム「よみがえる江戸城」から。
正月休みということもあって、久しぶりに、
じっくりゆっくり、テレビ番組に夢中になった時のメモ。
江戸城の緻密な演出効果に驚きながらも、
吉良と浅野で有名になった「松乃廊下」などの説明に、
ひとりでコツコツメモをしていた。(笑)
「東西5.5キロ・南北3.8キロ・外堀16キロ」という
50年に及ぶ大工事となった江戸城の広さには、
ただただ驚くばかりだが、その江戸城の名残こそが、
今の東京の基盤となっていることに喜んだ。
特に、前回の東京オリンピックに向けて整備された
首都高速道路や地下鉄などは、江戸城のお堀を利用して
整備した話は、土地がなかったはずなのに?という
私の素朴な疑問を解決してくれた。
「江戸城があったから、今の東京がある」
「江戸城の文化が、今の日本を支えている」と言っても
過言ではない、その都市計画は、まさに天晴(あっぱれ)。
今度の東京都知事にも、それくらい将来展望を期待したい。

P.S.
妥協なき検証と復元への執念が、図面や襖の下絵も探しだし、
CGではなく、本当に建てることが可能になったようだ。
土地が高いけれど、是非、一部分、復元して欲しい。



2014年01月21日(火)
ウィスキー飲み放題・奈んこつ80・高級キャバレー

映画「居酒屋兆治」(降旗康男監督)から。
劇場公開日(1983年11月12日)30年以上前の作品だけど、
主演の高倉健さんだけではなく、私の大好きだった、
故・大原麗子さんの顔を観るだけでも嬉しかった。(汗)
内容は、現在の2時間テレビドラマって感じだけれど、
画面に登場するお店の風景、看板などは面白い。
まず何度も登場するアルコールは、ウィスキー。(通称・ダルマ)
「ウィスキー飲み放題」という看板を見つけ笑い、
さらに、素敵な大原麗子さんが、ストレートでガブ飲みをする。
焼き鳥屋のメニュー「奈んこつ80」も、笑えた。
「軟骨(なんこつ)1本80円」なんだろうけれど、洒落ている。
そして極めつけは、下着姿で大騒ぎする「高級キャバレー」。
お店の外には「サロンB館 ロンドンキャバレー」の文字。
何もかもがレトロで、こんな時代があったんだなぁ、と思わせた。
映画って、当時の文化を映像で残しているとも言えるな。
わざと古い映画、探して観てみようかな。



2014年01月20日(月)
意見を言うなら、支援もしてください

昨年の秋頃だったろうか、教育委員会の先進地視察として、
三鷹市教育委員会の「コミュニティスクール」を学んだ。
最近、静岡県からの視察が多いんですよ、と言いながら、
学力・学習状況調査の公表については、あまり情報がないようだった。
三鷹市の取り組みを、丁寧に説明をしていただいた課長さんから、
私は、羨ましいくらいの「自信と誇り」を感じた。
全国の自治体から視察を受けるということは、
そこで働く人たちが評価されたことでもあるからだろう。
「コミュニティスクール」とは、
地域全体で「学校運営を支えていく」組織のことであるが、
多くの問題を抱え、なかなか現実に至っていない自治体が多い。
地域の人たちに向かって「学校・教師は100%で頑張っています。
皆さんの力をいただいて、120%、130%の教育を目指したい」
「意見を言うなら、支援もしてください」と言い切れる姿勢こそ、
成功に導くヒントであると思う。
「いい環境で育った子どもは、いい子になる」と断言し、
「子どものため」を理由に、知らぬ間に地域の人たちも育てている、
そんな発想こそ、これからのまちづくりに必要だろう。
とても参考になった、先進地視察である。
私たちも、全国から視察を受けるような取り組みをしたいな。



2014年01月19日(日)
なぜ寿命が延びたか、今、わかりました。

映画「永遠の0」(山崎貴監督)から。
戦時中、主人公・宮部久蔵と行動を共にした人たちの回想シーンは、
知らず知らずのうちに私たちの胸を熱くするが、
それで感動した、と絶賛するだけでいいのだろうか。
映画館という暗闇の中でメモしたフレーズを整理していたら、
余命3ケ月と宣告され、ベットの上で息絶え絶えになりながらも、
必死に話す井崎の役を演じた、橋爪功さんの台詞が心に残っている。
「なぜ寿命が延びたか、今、わかりました。
あなたたちに、この話をするためです」
何をしたわけでもないのに、宣告された寿命が延びている・・
この不思議さを、彼は病床の上で感じていたに違いない。
それは「宮部小隊長が、今の若者に伝える役目を与えてくれた」
そう感じたのか、伝え終わった後の満足感が伝わってきた。
さらにラストシーン、宮部の変わりに生き残った、
賢一郎役を演じた、夏八木勲さんも同じような台詞を呟く。
「生き残った者がしなければいけない事は、その死を無駄にしないことだ。
物語を続けることだ。何事もなかったように生きているんだ。
それが戦争で生き残ったってことなんだ。
あと10年もすれば、私たち世代はほとんどいなくなる。
この話をお前たちに伝えられてよかった・・」
こう言い残して、夏八木勲さんは本当に他界してしまった。(合掌)
もちろん、殺伐とした今の世の中、夫婦愛・家族愛も大切だけれども、
祖国の未来のために命を亡くした人たちを忘れないで欲しい、
そんなメッセージを、次の世代に確実に伝えなければ・・と感じた。



2014年01月18日(土)
富士山がマフラー巻いてるぞ、寒いんだ、やっぱり。

NHKBSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」から。
俳優・火野正平さんが、自転車で47都道府県全走破をめざす企画、
なんと294日目は、わが町「静岡県駿東郡清水町」だった。
番組では、柿田川の素晴らしさを、地元小学校の教材園から、
余すことなく紹介していただいき、感謝したい。
また、火野正平さんにお手紙を出してくれた女性にも感謝である。
彼女の手紙がなければ、この企画はなかったのだから・・。
「私の原点といえば、清水小学校教材園から見る柿田川です」
引っ越してしまってから気付いた、悠々と流れる柿田川の魅力を
彼女の手紙からも感じて、思わず涙腺が緩んでしまった。
さて、今回の気になる一言は、火野正平さんが発した一言。
静岡県を走っているにも関わらず、なかなか富士山の姿が見えず、
ちょっとモヤモヤしていたのかもしれない。
しかしわが町に入った頃から、雲の上に富士山の頭がぽっかり浮かんだ。
それを見つけて、彼が一言。「あっ・・見えた」。
そして「富士山がマフラー巻いてるぞ、寒いんだ、やっぱり」
雲の上に頂上付近がみえる景色は、私たちにとっては珍しくないから、
見えただけでも良かったな、程度の感想しかなかったのだが、
俳優の感性か、富士山にかかっている雲を「マフラー」に見立て、
自転車のペダルを踏みながら、風の冷たさを感じたのだろう。
さすがの一言に、思わずメモを取った。
偶然にも、明日は彼が見た同じ場所で、親子マラソン大会が開催される。
雲1つない晴天を期待しているけれど、この表現を挨拶に使うには、
ちょっと雲がかかっていたほうがいいな。(笑)



2014年01月17日(金)
適度に偉そうにしてろよ。適度でいいけどな

昨日の気になる一言が、好評だったので気を良くして、続けて
書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(書簡)、
小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。
景王・陽子のところへ、楽俊(半獣)から書簡が届く。
(「半獣」など意味不明な単語は無視してください。(汗))
王になった途端、多くの国民が平伏する光景をみて、
なんとなく落ち着かない様子を悩みとして楽俊に打ち明けたら、
帰ってきた返事が、なるほど・・だった。
「王様ってのは、ある程度、偉そうでないと、
民だってついていく気がめげるし、官だって命令に従う気が失せる」
「王様は偉そうで当然、偉そうに振る舞ったぶんだけ、重い責任を持つ。
身分には、身分に応じた権利と義務がくっついてるもんなんだ。
偉そうでない王様は、責任を軽んじているように見える。
責任を果たするを避けようとしているみたいに受け取られてしまいがちだ。
だから、適度に偉そうにしてろよ。適度でいいけどな」
私も管理職になった頃、同じ悩みを抱えていたから、わかる。
自分は今までと変わらないはずなのに、周りの接し方が変わるから。
「環境が人を育てる」「地位が人を育てる」とよく言われるが、
「責任も重くなる分、偉そうにしていろよ」ってアドバイス、
私も、若いリーダーには、そう助言しようっと。



2014年01月16日(木)
自らの手で支えることのできるものを、我と呼ぶ

書籍「十二国記 黄昏の岸 暁の天(上・下)」
小野不由美著・講談社X文庫刊・
上巻 242頁・下巻 255頁 計497頁)から。
国が荒れたり倒れたりするのは、王様のせいだとは言えない。
「王様ってのは、手前勝手なものに決まってます」の台詞で、
妙に納得してしまったのだが(笑)、私のお気に入りは、
「そもそも自らの手で支えることのできるものを、
我と呼ぶのではないでしょうか。
ここで、戴(物語の中の国名)を支えることができなければ、
そのために具体的に何ひとつできず、しないのであれば、
僕たちは永遠に、戴を我が国と呼ぶ資格を失います」という表現。
私たちはそんなことを意識もせず「我が国」「我が町」などと
簡単に口にするが、自分たちの手で支えよう、という行動があって、
はじめて「我」という単語を使えることに、納得した。
裏を返せば、不平不満ばかりで、支える行動すらしない人たちは、
「我が国」「我が町」と口にする資格さえない、ということだろう。
なるほどなぁ、やっぱり「十二国記」は奥が深いなぁ。



2014年01月15日(水)
日本文化やおもてなしの心を体験するプログラム

たしか、川勝静岡県知事が、今年の新年の対談で
静岡県が目指す(知事が目指す)教育改革に触れた記事だったと思う。
「最先端の教育を行い、地域社会に貢献する人材を
育てることが、私たちの目標」としていたのを思い出す。
そのためには、どんな人間が必要なのかな、と考えていたら、
「小さな成功体験を重ね、打たれ強い人間を育てたい」と言い切り、
そのためには、どんなことが必要なのか、と考えていたら、
高齢者などが経験を生かし「教える立場になって、学ぶ授業」と
はっきりとしたイメージができていることに驚いた。
さらに「日本文化やおもてなしの心を体験するプログラム」を例示に出し、
具体的に「日本の伝統文化継承プログラム」と名称まで示していた。
さらにさらに、そのプログラムの内容は
・だしの授業・和食のマナー講座・茶道体験・囲碁、将棋、カルタなど
すぐにでも実行できそうな取組みが明示されたから、ど肝を抜かれた。
実はこれに似た取組みとして「日本文化体験コース」を、
わが町ではもう10年以上前に、文化協会会員が講師となり、
数年間、開講していたが、なかなか思うように進まなかった現実がある。
今考えると、時期尚早だったのかも・・と当時の仕掛人だった私は、
苦笑いをして、この記事を読んだ。
やっと時代が、わが町に追いついてきたか・・と当時を思い出しながら、
「おもてなし、和食、日本文化」、これだけの条件が揃ったのだから、
もう一度、挑戦してみる価値がありそうだな。
川勝知事も、バックアップしてくれるかもしれないしなぁ・・(笑)



2014年01月14日(火)
正論は正しい、だが正論を武器にするのは正しくない。

映画「図書館戦争」(佐藤信介監督)から。
図書に関する想いは、ここでは書ききれないほどあるので、
この物語の設定についての是非は、コメントできない。(汗)
内容とは関係ないかもしれないが、この台詞にグッときた。
「正論は正しい、だが正論を武器にするのは正しくない、
お前が使っているのは、いったいどっちだ」
この場面は、作品内だけでなく、私たち仕事でも同じことが言えるから、
ちょっと長くなるが、メモしたのでご紹介。
手塚「1冊に何分かかってんだ。一緒に仕事しているこっちの身にもなれ」
笠原「ごめんね、もう一度、探してくるから」
手塚「だめですね、あいつ。あれならいない方がマシです」
堂上「手塚、お前は優秀な人間だ。だが、自分のレベルに達しないやつを
切り捨てていったら、最終的に何人残る?」
手塚「お言葉ですが、自分が優秀に見えるのであれば、
それは努力しているからです。笠原のような人間は、怠惰としかみえません」
堂上「正論だな。だが、お前は笠原にどうして欲しいんだ。
辞めさせたいのか、それともおまえの方が優秀だと誉めて欲しいのか。
正論は正しい、だが正論を武器にするのは正しくない。
お前が使っているのは、いったいどっちだ」
一緒に仕事をしている人に対して、自分が迷惑をかけていることは、
なかなか思うように出来ない、本人が一番知っている。
それを、ちょっとばかり仕事が出来る人間が責めたところで、何も解決しない。
そんなところがお前の欠けているところだ、と諭したのかもしれない。
このシーン、けっこう私の中ではお気に入りかも・・。



2014年01月13日(月)
盛りがあるだけでもいいじゃないか・・

NHK大河ドラマ「軍師 官兵衛」から。
いくら「軍師」「参謀」をテーマにした物語だからといって、
毎回「兵法の紹介」では疲れると思ったので、今回は違う視点から。
蛍狩りをしている様子を眺めながら、小寺家の正室(お紺)が官兵衛に呟く。
「蛍二十日に蝉三日」(ほたるはつかに せみ みっか)
もちろん「物事の盛りが短いたとえ」であるけれど、
気になったのは「蝉」の盛りの期間。(笑)
書籍「八日目の蝉」(角田光代著)を読んだ時、たしか・・
「蝉は、何年も何年もの長い間、地中で生活するのに比べ、
地上に出てから7日しか生きられない」と学んだのだが、
あくまで「地上で生きている期間」であり、その7日間の中でも、
思いっきり鳴く盛りは3日程度、という事なのだろうか。(汗)
まぁ、そんなことにこだわる必要もないか、と苦笑いして、
インターネットで「蛍二十日に蝉三日」の意味など調べていたら、
多くの人がブログに書いていて参考になった。
そんな中で、私が思わず笑ってメモしてしまった書き込みは、
「意味は、盛りが短いたとえ」と書いておきながら、
「盛りがあるだけでもいいじゃないか・・」という呟きだった。
今の世の中、一部の人たちは人生の中で輝く時期をもっているが、
ごく普通の人たちには、盛りの期間もなく、人生を終える。
蛍や蝉より、人の人生はもっとはかない、そんな意味にもとれて、
ちょっぴり笑っていられないな、と思った。
(「人の夢」って書いて「儚い」だから仕方ないかな。)

P.S.(今回の兵法)
半ば進みて半ば退くは、誘うなり。(「半進半退者、誘也。」)
敵が進んでは退き、退いては進むのは我を誘い出そうとしているのだ。
出典は、孫子「行軍篇」。
行軍篇では「敵への接近方法」などが説かれている、と覚えておきたい。