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しもさんの「気になる一言」
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2014年01月02日(木)
一年の計は「1月2日」にあり

なんとまた、へそ曲がりな・・と思うかもしれないが、
けっこう真剣に「一年の計は『1月2日』にあり」と思っている。
「一年の計は元旦にあり」は、諸説あるが、
中国の書物『月令広義』に解説されている「四計」が有力らしく、
「一日の計、一年の計、一生の計、一家の計」が書かれている。
一日之計在晨・・一日の計は晨(あした=朝)にあり、
一年之計在春・・・一年の計は春(=正月)にあり、
一生之計在勤・・・一生の計は勤にあり、
一家之計在身・・・一家の計は身にあり、とある。
一日は「朝」の気持ちのあり方で、その日の行ないが決まり、
一年は「年のはじめ」の決意で、その年の過ごし方が決まる。
更に、まじめに努力することで、人生が決まり、
身の振り方や生き方で、一家の将来が決まる、ということらしい。
正月が「元旦」を意味するとは、どこにも書いてない。
1月1日(元旦)は、昨年をしっかり振り返るため、一人になる時間を持つ。
自分の内面から湧き出ててくる想いみたいなものに、じっと耳を傾け、
新年の生き方を模索する日として、位置づけたい。
そして、思い悩んだ末に決めた、新年の豊富・決意を「書き初め」として、
1月2日に文字にする。
だから「一年の計は『1月2日』にあり」と記録に残したい。
今年の生き方は「自分に厳しく、他人に甘く」。
さて、どんな1年になるのか、私にとっては、今日からがスタートである。



2014年01月01日(水)
「2013の熟語」・・「十二国記」に決定

6年前から、年末恒例の世相を表す「漢字1字」に対抗して、
プライベートながら、1年を表す「熟語」を考えている。
元旦に昨年の手帳を開きながら書き出した、2013年・月別の熟語は
1月・ヴィヴァルディ・四季(隣町でニューイヤーコンサート)
2月・恩師・傘寿祝(人生の「はひふへほ」教わる)
3月・旧友との再会(何十年ぶりの再会が実現・・それも2人)
4月・宮西ワールド(絵本作家・宮西達也さんの原画展)
5月・結婚30年祝(娘も交えて、フランス料理堪能)
6月・献血50回達成(こういう積み重ね、大好き(笑))
7月・後輩不祥事退職(精神的なダメージが残った事件だった)
8月・本の修理講座(また夢に一歩近づいた気がする)
9月・公判終決(仕事ですが・・やっぱり緊張しました)
10月・イベントラッシュ(町制施行50周年記念イベント盛り沢山)
11月・体力測定(判定は自分でも驚きの「1級」、ちょっと嬉しい)
12月・もったいない・夢國旅日記 (真珠まりこさん・田村映二さん)

選考委員長(私自身)の弁
自分でも意外だった「十二国記」という書籍名に決めた。
今年は、驚くほど大きなイベントを企画し、開催したにもかかわらず、
小野不由美さん著の書籍名を、2013年を代表する「熟語」に選んだ。
「まちづくりとは?」や「リーダーとは?」を根底から覆されたし、
人生の転機に繋がるかもしれないと感じるほどの衝撃を受けた。
暇さえあれば読み漁った「十二国記シリーズ」は9作品・4,115頁に及ぶ。
55歳を人生のピークにしたい、と思い続けた年に、
この作品と出逢ったことは大きかった気がするから、
月別の熟語にエントリーしていないにもかかわらず、この熟語を選んだ。
何年経っても「あぁ、あの年ね」と思い出せる「今年の熟語」である。



2013年12月31日(火)
気付かずに、ごめんね

年末に、何か悪いことでもしでかした・・と思っている方、
それは、大きな間違い。(汗)
なんと(私が勝手に決めた)、今年の大掃除のテーマである。
題して「気付かずに、ごめんね、大作戦」
29日から始めた恒例の年末大掃除、今年もモノにも感謝を込めて、
「1年間、お疲れ様でした、ありがとう」と声を掛けるのだが、
更に今年は、いつもなら掃除しないような場所まで、
ビスを外して分解したり、綿棒や古い歯ブラシで、
例年はしない細かいところまで、時間をかけて掃除をした。
当然のように、何年間分の汚れと埃が積もり、真っ黒状態。
それを取り除きたくて名付けた、大掃除のテーマ。
「こんなに汚れていたなんて・・気付かずに、ごめんね」
そんな気持ちで掃除をしたら、いろいろ愛着が出てきた。
台所やお風呂場、愛車やパソコンなどなど・・
えっ、こんなに汚れていたの?、ごめん、気付かなくて・・
そんな場所を探すと、逆に嬉しくなった。(笑)
モノへの感謝とともに、自分の大雑把な性格を反省しながら、
「気付かずに、ごめんね」を1年の締めとしたい。

P.S.
この1年間、私の配慮のなさに、戸惑ったりイライラした方、
「気付かずに、ごめんなさい」
来年は、もう少し気を配るよう努力しますので・・。
P.S.(2)
一年間、ご愛読、ありがとうございました。
来年も、ありがとうございます。



2013年12月30日(月)
「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

ご存知、俵万智さんの短歌集「サラダ記念日」から。
今年の年末、急に寒さが厳しくなった気がするのは私だけだろうか。
この寒さを何か、日記に記録として残したいな、と考えていたら、
ふっと思い浮かんだのが、この短歌。
「『寒いね』と話しかければ『寒いね』と答える人のいるあたたかさ」
なぜ、この短歌が急に浮かんだのか、自分でもわからない。
けれど、そうそう、この感覚が一番ぴったり・・とメモをした。
その人の生活環境に合わせ、想いも違うのだろうけれど、
最近、高齢者のひとり世帯が増えてきた、というニュースや、
独身の若者が増えている話を耳にすると、淋しくなる。
「寒いね」と話しかける人がいる「あたたかさ」
さらに「寒いね」と答えてくれる人が傍にいる「あたたかさ」は
なかなか上手く表現できないけれど、人の温もりを感じさせる。
「寒いね」と話しかけたら「今の気温が何度で、明日は何度らしい」
そんな答えは必要としていない。
「寒いね」と話しかけたら「寒いね」と答えてくれるだけでいい、
そんな関係の人がそばにいることが、心を温かくしてくれる。
夫婦、親子、家族の関係って、そんな役割でいいんじゃないかな。



2013年12月29日(日)
手帳は使いきらなきゃ「もったいない」

昨年の年末「残りの3日間も生ききること」の大切さを書いた。
今年は、手帳なども含め、1年間使ってきたものを最後まで、
使いきることを提案したい。
私の場合、12月31日までは古い手帳を持ち歩き、メモし続ける。
そして、1月1日・元旦に前年の1年間をふりかえりながら、
真新しい手帳に書き写していくことで「充実感」を味わえる。
手帳のほとんどは、12月から12月までの13ケ月の予定が書けるから、
ついつい前年12月から新しい手帳に切り替える人が多いが、
私は面倒くさくても、元旦になってから・・にこだわっている。
新しい年の目標や、自分の夢を再確認するために、
新年1月1日に、前年12月31日までの365日の行動を分析すると、
実に面白いことが見えてくることを知っている。
この「ふりかえり」は、転びながらも、一所懸命生きてきた
私の1年間の通信簿でもあるから、ボロボロになった手帳を、
1ページ1ページめくりながら、あっ、あんなことがあったなぁ、と
思い出し笑いをすることも出来る、おまけ付き。(笑)
そのためにも、手帳を最後の最後、大晦日まで使いきって欲しい。
フレーズにすると「手帳は使いきらなきゃ『もったいない』」
あっ・・「真珠まりこさん」風の一言になってしまった。(汗)



2013年12月28日(土)
金子と私の関係は「凧」と「凧を揚げる人」

書籍「僕の死に方」エンディングダイアリー500日
(金子哲雄著・小学館刊・205頁)から。
彼の死を多くの人たちが悲しんでから、どれくらい経っただろう。
また、同じような役割をする人たちが登場してきて、
何事もなかったことのように、世の中は進んでしまう。
だから、彼の生きざま・死にざまは、立派だったけれど、
敢えて、内容には触れないことにしようと思う。
私が選んだのは、彼の奥さんが書いた「あとがき」から、
二人の関係に触れたフレーズ。
金子と私の関係は「凧」と「凧を揚げる人」のようなものでした。
金子は凧です。放っておくと、どこまでも飛んで行ってしまう。
私の役目は、ただ糸を持っていること。
無理に上げる必要はありません。
勝手に風を読んで、どこまでも高く昇っていく。
私はただ、金子が安心して高く昇っていけるよう、
糸を離さないように持っているだけです。金子はよく言いました。
僕がへんなところへ行っちゃうようだったら、
その時だけ、クッと糸を引っ張ってくれる?」
そうか、そんな関係の夫婦もあるんだな、と妙に納得した。
また新しい夫婦の関係を教えていただいた気がする。
もう一度、妻と「夫婦の関係」について、話してみようっと。



2013年12月27日(金)
風に流される雲は現れては形を変え消えていく。

映画「雲 息子への手紙」(マリオン・ヘンセル監督)から。
世界各国、さまざまな形の「雲」の映像をバックに
最愛の息子への手紙を、仏・英2大女優が朗読する。
(「カトリーヌ・ドヌーブ」「シャーロット・ランプリング」)
ただそれだけなのだが、私の心の中には印象深く残った。
「雲」に魅せられた女性監督作品であるが、
私もこの作品を通して「雲」に魅せられてしまった。
毎日、何度となく空を見上げては、雲の変化を楽しんでいる。
「雲一つない晴天」が、なんとつまらないことか。(笑)
最近では、風景画を鑑賞しても、自然に「雲」を探す。
そんな私の心情を、数少ないメモから探すと、
「風に流される雲は現れては形を変え消えていく」。
短い言葉でいうと「飽きることのない自然」かな。
夜は「星座」、昼間は「雲の形」を覚えるだけで、
この世はもっと楽しくなる。
そういえば、最近ほろ酔い気分で見上げた「夜の雲」も神秘的だった。



2013年12月26日(木)
食べるものは、我慢できるけど、出すものは我慢できないからね

第165回泉のまちカレッジ(講演会)

講師「白井忠志」氏(伊豆どろんこの会・理事長)

演題「2011年3.11被災地に何が起こった?
2013年今日から私は何をするか?」から。
名前を見てすぐに気がついた、高校の同級生だと。(笑)
頑張ってるなぁ・・と講演前に挨拶を交わした。
東日本大震災の現場に、何度も足を運んだ彼しかわからない情報は、
これから確実にやってくると言われている、
東海地震や東南海地震の被災地となる私たちにとって、
とても参考にすべき貴重なメッセージが隠されている。
「何よりも困ったのは、トイレです」
「食べるものは、我慢できるけど、出すものは我慢できないからね」
人間でも動物でも、出すものは我慢できない。(汗)
普段食べ慣れないものを口にして、お腹を壊す人だっているはず。
震災時、もっとも必要となると思われるトイレが、
あまりクローズアップされていないな、彼の話を聴いてそう思った。
蒲団や毛布などの寒さ対策や、食料や水などの備蓄状況などは、
確実に整備されてきているが、簡易トイレは少ないのかも・・と
ちょっぴり不安になった。
また、自衛隊が来るまでは、協力しあい頑張っていた住民が、
支援が到着した途端、怠惰になってしまった、という話は、
私たちにとっても笑えない話だな、とメモを取った。
最後に、彼が大きな声で口にしたのは、神様からのメッセージ。
「阪神淡路大震災・中越地震・東日本大震災などを通じて、
準備をしておけ、とあれほど言っただろう?」
そんな意味の言葉だった。
どんなことが起きて、どんな課題があるのか、
充分わかっているのに、何も準備をしていないままで被災したから、
私も救いようがないよ、そんな意味に解釈した。
厳しいけれど、そのとおりだよなぁ。(汗)



2013年12月25日(水)
単なる「定期演奏会」ではなく「クリスマスショー」

「沼商吹奏楽部・第53回定期演奏会」に足を運んだ。
今年は、いろいろな場面でお世話になったし、
たまには関係者ではなく一観客として、じっくり聴きたいな、
そんな想いで席に着いたのだが、私の期待をはるかに上回った。
これはもう単なる「地元高校の吹奏楽部・定期演奏会」ではない、
来場者を心から楽しませてくれる「クリスマスショー」だった。
だから一言は「単なる『定期演奏会』ではなく『クリスマスショー』」。
あっと言う間の「3時間半」、最後は会場全体にペンライトが揺れた。
以前から「歌って踊れる吹奏楽部」として、私の評価は高かったのに、
さらに「演じる吹奏楽部」が加わり、笑いあり涙ありのステージは、
温かい気分にさせてくれる「クリスマスプレゼント」となった。
実は、オープニングの挨拶でサンタの帽子をかぶった校長先生が登場し、
「メリー・クリスマス!!」と大声で叫んだ時に、ドキモを抜かれた。
その校長先生が「ちょっと今日は詩人になってみました」と照れた時、
今日は何かが違う・・と私の中で、弾けたものがあったのも事実。
特に第2部の「沼商オリジナルステージ『ライオンキング』」は圧巻で、
演劇部や合唱部とコラボレーションでもしたのかと勘違いしたくらい、
吹奏楽部員の真剣さが伝わってきた。
沼商吹奏楽部・音楽監督の川口三郎さんは、いつも笑顔を絶やさない。
そんな彼が、パンフレットに寄せたメッセージこそ、
今日のステージを象徴している気がしたので、最後に残したい。
「幸せだ!と思った瞬間、全ての出来事が感謝に変わる」
誰かの言葉かもしれないけれど、今日は間違いなく彼の言葉だった。
来年も沼商吹奏楽部の「クリスマスショー」も楽しみにしたい。
もう私の手帳には、クリスマスの歳時記に入っているのだから・・。



2013年12月24日(火)
お名前をフルネームでお願いします

毎年2月に受診する恒例の人間ドックを、年末に変えてみた。
(希望の日に、予約が取れなかっただけの話だけど・・)
忘年会シーズ真っ盛りに、なんと無謀な・・という、
意見に頷きながら、渋々の受診であったが、意外や意外、
この時期に人間ドックの検査をする人の多さに驚いた。
そう言えば、数年前のクリスマス・イブに、痔の手術をして、
その日の夕食(病院食)に、ケーキが添えられていたのを思い出した。
さて話は変わって、今回の人間ドックには、ある特徴があった。
それは「検査のたびに、自分の名前を口にする」ということ。
以前は「○○○○さんですね」「はい」という会話だったのに、
今回は「お名前をフルネームでお願いします」「○○○○です」
「はい、それでは検査を始めます」という会話になった。
最近、患者の取り違えミスが話題になったからかもしれないが、
問診から始まって、胃のバリウム検査まで、
10回くらいは、自分の名前を口にしたかもしれない。
面倒くさいということではなく、とても新鮮な出来事だった。(汗)
自分の名前って、他人に呼ばれることはあっても、
自己紹介や名刺交換以外に、日に何度も「○○○○です」と
自分の存在を確かめるかのように「音」にすることはない。
そうか、私は「○○○○」という名前なんだと、改めて、
自分の名前を自覚した機会となったことで、妙に照れてしまった。
1年の総決算としては、この時期の「人間ドック」も悪くないな。
肝臓の数値だけは、保証できないけれど・・(笑)。