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しもさんの「気になる一言」
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2013年12月03日(火)
もっとおまえと一緒に走りたいよ

映画「LOVE まさお君が行く!」(大谷健太郎監督)から。
作品前半部分、あまりにストーリーが単調だったし、
主演の香取信吾さんも、役を演じている感じがなくて、
「犬」が主役でなければ、とっくに中止していた気がする。
しかし、私も「犬好き」で、躾が出来ていなくても、
イタズラばかりしても、本気に怒れない部分は共感できた。
そんな「まさお」(犬)と主人公の芸人との関係は、
「あっ、私も同じ台詞を言ったことがある」と思えるほど、
自分と愛犬「ジェイク」(一昨年18歳で他界)との関係に
似ていて、メモを取るのも忘れるくらいだった。
初めは「犬なんかに話してもムダか」と呟き、
困った時「今は、お前しかいないんだわ、力を貸してくれ」
「まさお、悪い。今日だけは一緒にいてくれ」と独り言。
死ぬ直前「俺、何もしてやれなかった」と嘆き、
「もっとおまえと一緒に走りたいよ」と同じ台詞を口にして、
涙が止まらなかったことが思い出された。
「俺、おまえに会えたこと、ちゃんとお礼、言えてねぇし。
ありがとな まさお」・・これまた、同じことを思っている。
犬が主役の映画、これからも見続けるんだろうなぁ。
同じようなパターンでも。(汗)

P.S.
今日は、愛犬ジェイクの誕生日&命日。
もう2年も経ったのか・・また2年しか経っていないのか。
生きていれば20年目。成人式なんだなぁ。



2013年12月02日(月)
「グッバイ、また会わん」と「グッバイ、また会いましょう」

NHK大河ドラマ「八重の桜」から。
12月に入って、あと数回を残した第48回のタイトルは
「グッバイ、また会わん」。
新島襄が病に倒れ亡くなる直前、妻・八重に残した台詞として
このフレーズがでるんだろうな、とメモ帳片手に観ていたら、
なんと「グッバイ、また会いましょう」。
「えっ?」と私はメモ帳を見直して、疑問に思った。
今までずっと観てきて感じていた二人の夫婦関係を考えても、
「グッバイ、また会いましょう」の方が相応しいし、
台詞をそのままタイトルに使えばいいのに・・と感じた。
たった三文字だけど、この違和感は何とも言えなかったから。
「襄、私を妻にしてくれて、ありがとう」
「八重さん、狼狽してはいけません」
「背中を押してくれたのが、新島先生でした」
「あの人は、ここにも種を蒔いていた」など、
今回の「気になる一言候補」はたくさんあったけれど、
やっぱり、タイトルが気になってしまった。
わざわざ「会いましょう」から「会わん」に変更した理由、
誰か、わかる人がいたら教えて欲しい。



2013年12月01日(日)
責難は成事にあらず。

書籍「十二国記(華胥の幽夢)」の中の(華胥の夢)、
小野不由美著・講談社X文庫刊・365頁)から。
王が国を良くしようと努力するが、なかなかうまくいかない。
その国の住民生活は困窮を極め、それに呼応するように、
王を非難する人が増えるのは、世の常である。
そんな物語の中、ひとつのフレーズが浮かび上がってくる。
「責難は成事にあらず」
意味は「人を責め、非難することは何かを成すことではない」
「非難するは容易い、けれど、それは何かを正すことではない」
そんな解釈として使われている。
「それは違う、ということは容易いけれど、
でも何をすれば違わないか、それを言ってあげることができない」
「そちらじゃない、こちらだと言ってあげて、初めて、
正すことになるんじゃない?」という言葉は、私の心に響いた。
「それができないのだから、私には非難する資格などありません」
「ただ責めるだけで、正しい道を教えてあげられないのなら、
それは何も生まれない。正すことは、何かを成すことだけど、
非難することは何かを成すことじゃない」
それを短い言葉にすると「責難は成事にあらず」となる。
ついつい、他人のしていることに不平不満を言いたくなるが、
この言葉を思い出して、慎もうっと。



2013年11月30日(土)
「ゆうすい君」つけて走りました

快晴・無風、さらに世界遺産の富士山が雪化粧した姿で見守る中、
第14回静岡県市町対抗駅伝競走大会が開催された。
さらに夕方には地元へ戻り、わが町の選手たちの慰労会が行なわれ、
出場した選手、補助にまわった選手、それぞれの想いを聴いた。
その中で私が気に入ったのは
「『ゆうすい君』つけて走りました。楽しく頑張れました」
実は、この「ゆうすい君」、町制施行50周年を記念して作られた
生まれたばかりのわが町の「イメージキャラクター」である。
ゆるキャラの着ぐるみも含め、今後、どんな使い方をしたら、
住民に喜ばれるだろうか、いつも考えていたところなので、
このアイデアは、是非、いただこうと思う。(笑)
私の予想以上に「ゆうすい君」は、町の人気者になっていた。
子どもたちから高齢者まで、多くの町民に愛されるキャラクターとして、
私は、ものすごく大きな可能性を感じている。
お守りやバッチ、ワッペン、シールなど、携帯したり、貼れるもの、
私たちが「エイトマン」や「鉄人28号」「鉄腕アトム」のシールを
ランドセルや筆箱、机、タンスに貼ったあの感覚が、蘇ってきたから。
次は「ゆうすい君」の顔に見立てた「キャラクターむすび」だな。
「ゆうすい君むすび」・・子どものお弁当にいかがですか?
どなたか、試作品、頼みます。(汗)



2013年11月29日(金)
勝ちたい人に勝たしてあげなさいよ

明日、午前10時に静岡県庁前でスタートの号砲が鳴る、
第14回静岡県市町対抗駅伝競走 大会。
今日は、全市町の関係者集めて、前夜祭が開かれた。
冒頭挨拶に立った、大会名誉会長・鈴木修氏は、
冗談混じりにこのようなことを言った。
(メモを持っていなかったので、詳細は違うかもしれないけれど)
「(浜松や静岡のような)人口何十万の都市と、
(伊豆に多い)何千人の町が、一斉に競走しようったって、
それは不公平だと思うかもしれない。
しかし、彼らは彼らで、勝たなければならないと必死で、
ありとあらゆる手段を使って、メンバーを集めていてる」
そんな選手集めの裏話をしながら、あえてこう呟いた。
(いいじゃないですか)「勝ちたい人に勝たしてあげなさいよ」
全国でも例がない、全市町が参加する対抗駅伝を誇りに感じ、
こうして一年に一度、全市町の親睦を兼ねていることを
忘れなければ、きっと楽しめるはずだから・・。
私は、そんな意味を付けながら、鈴木氏の話を聴いた。
毎回毎回、成績が悪いと、不平不満も言いたくなるが、
勝つのが当然と思われている大都市は大都市としての苦労がある。
それを知っただけで、明日のレースが楽しみになった。
中途半端に優勝を狙って落ち込むよりも、
年に一度のイベントと考えて楽しんだ方が面白いのかもなぁ。



2013年11月28日(木)
蕎麦は「ツルツル カメカメ」

落語の演目には「蕎麦」が出てくるシーンが多い。
有名なところでは「時そば」や「そば清」など。
噺家が、扇子を箸に見立てて、美味そうにすするシーンは、
落語ファンでなくても、目にしたことがあると思う。
もちろん「探偵うどん」「時うどん」等の演目もあるが、
やはりイメージしやすい「蕎麦」が多い気がしていたら、
噺の導入部といえる「マクラ」で、ある噺家が話題にしていた。
蕎麦は「つるつる」と食べ、あまり噛まないけれど、
本当は「噛め噛め」と言いたいのか、
それとも「鶴は千年、亀は万年」の語呂あわせで
「ツルツル カメカメ」と口にしているのかわからない。
けれど、蕎麦を食べる時に、ふっと思い出して、苦笑いした。
こういうことは誰かに教えないと、いつまでも頭に残るから、
敢えて「気になる一言」にしてみた。
そうだ、「食育」として、子どもたちに教えちゃおうかなぁ。
蕎麦は「ツルツル カメカメ」だぞって。(笑)



2013年11月27日(水)
うつは、エネルギーが枯れきっている状態

書籍「仕事休んでうつ地獄へ行ってきた」
(丸岡いずみ著・主婦と生活社刊・223頁)から。
「うつ病」って病気は「心の風邪」なんて言われるけれど、
それは「早期受診を促すために使われていた」ことを知り、
「うつ病は心の風邪ではない」ことを、再確認した。(汗)
うつ病は「脳の病気」なので、誰にでもなる可能性はあるし、
焦れば焦るほど、集中力や判断力も、いつしか気力すら失って、
思考が完全にフリーズしてしまうことも、あるようだ。
自分が(たぶん)「うつ病」ではないから、
その気持ちが100%、理解できたとは言えないが、
「あっ、私、一線を越えた・・」と思う瞬間があり、突然、
叫び出してしまいそうだったり、暴れ出してしまいそうになる、
不安定な気持ちになることは、わかった。(気がする)
「一日一日『なんとか今日も生き抜いた・・』そんな感じです」
「東京にひとりでいたら、間違いなく死んでいました」などの
メッセージは、重い気持ちでメモを残すことになった。
誰かにわかりやすい言葉で説明したいな、と考えていたら、
「うつは、エネルギーが枯れきっている状態」という表現を見つけ
ちょっとだけ「うつ」に対する理解が深まった。
最近多いと言われる「新うつ病」は、また違うのかな?



2013年11月26日(火)
前の列、お疲れだった

映画「コーラスライン」(リチャード・アッテンボロー監督)から。
踊りのオーディションはもとより、
多くの若者が目指す職業というものに無縁なのか、
その選考の仕方は、驚くしかなかった。
ものすごい数の人たちの中から、一瞬で才能を見極めなければならず、
そんな甘っちょろいことはいってられない、と思いながらも、
冒頭「その他はお疲れ」「他はそこまで」・・等、容赦ない台詞に
不満を口にするシーンを想定したが、誰ひとりいなかった。
オーディションとは、そんなものなんだろうな、とまたまた驚いた。
気になる一言は、そんな選考の喜びと落胆をうまく表現していたので、
多くのメモから、選んでみた。
最終選考のシーン、名前を呼ばれた人は前へ・・と言われ、
呼ばれた人は、満面の笑顔で一歩前へ進む。
呼ばれない人は、落胆の色を浮かべ、じっと堪えている。
そして・・この一言。「前の列、お疲れだった」
天地がひっくり返った瞬間の、それぞれの表情が印象的であった。
それにしても「人間」って鍛えれば、こんな振りの難しいダンスを覚え、
短時間に出来るようになるのかな、と感心するばかりである。

P.S.
私は、AKB48「恋するフォーチュンクッキー」さえ、
まともに踊れないというのに・・(汗) 



2013年11月25日(月)
必要に応じて、冷蔵庫を開ける

書籍「AKB48の戦略!」秋元康の仕事術
(田原総一朗著・アスコム刊、222頁)から。
秋元康さんの企画術と私のメモ、との共通点を発見。(笑)
以前「どうしてこんなことまでメモするの?」と訊かれて、
しっかりと答えられなかったが、その答えが見つかった。
本文に、こんな内容を見つけたからだ。
「日常で気付いたことをどんどん『リュックサック』に放り込んでいく。
ポストイットみたいな付箋を貼っていくようなもの。
『付箋を貼る』とは、目的なしにスーパーのカゴの中に、
いろんなものを入れるようなものです。
それを冷蔵庫にどんどんしまっていく。
友達が来て『腹減った。何かないの』と言えば、
冷蔵庫を開けて、何か作れそうなものを考える。
いま必要でなくても、なんかこれ面白そうだな、と思ったときに、
冷蔵庫に入れる。そして・・どこかのタイミングで、
必要に応じて、冷蔵庫を開ける」
私が、くだらないことまでメモする意味が、ここにある。
この役に立ちそうもないメモが、いつか使われるかもしれない。
ちょっと人間関係に疲れた時など、私の「冷蔵庫」を開けて、
元気がでそうなメモを取り出して、食べてくれればいい。
今まで貯めてきたメモの意味、自分でもスッキリと整理された。



2013年11月24日(日)
小さいことを重ねることが、ただ一つの道

楽しみにしていた「2013ゆるキャラグランプリ」の結果発表。
「栃木県佐野市『さのまる』が逆転日本一」
この見出しをみつけて、頭に浮かんだフレーズがある。
「小さいことを重ねることが、ただ一つの道」
実は、イチローが、2004年大リーグ年間最多安打記録「262」を
打ち立てた年の言葉として、私が大切にしていた一言である。
正確には「小さいことを重ねることが、
とんでもないところに行く、ただ一つの道」。
言い方を変えれば「みなが驚くような、とんでもないことも、
小さいことの積み重ねだ」と理解できる。
何もせず、突然人気が出ることもないし、
苦労もせず、新しい技術が出来ることもない。
それは、どんな分野でも言えることであるからこそ、
この言葉の重さが伝わってくる。
小さいことを重ねることは、好きでなくてはできない、
最近、特に感じていることだ。
とんでもないことにならなくてもいいから、
小さいことを積み重ねていく快感を、自ら知ることが出来れば、
それは人生にとって、大きな一歩だと言えそうだ。
そのためには「時間と根気と覚悟」が必要になってくるけど・・。

P.S.
わが町の「ゆうすい君」は総合184位。(静岡県内で5位)
評価はそれぞれだろうけれど、毎日毎日、投票した日が懐かしい。
来年のために、ファンを増やすことを今日から始めようっと。
浜松市の「出世大名家康くん」、職員に足を引っぱられた・・と
コメントしなければいいけどなぁ。(笑)