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しもさんの「気になる一言」
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2013年08月15日(木)
天皇陛下に代わって諸君を歓迎する

終戦記念日だから、と言うわけでもないが、
映画「戦場にかける橋」(デビッド・リーン監督)から。
タイとビルマの国境近くにある日本軍の捕虜収容所で、
連合軍捕虜を使って、国境に流れるクワイ河に橋を架ける
準備が進められていた。(最後は「爆破」されるのだが・・)
その捕虜の行進に合わせて流れる、クワイ河マーチは、
口笛と言えばこの曲、と言われるほど有名であり、
映画音楽らしい、私の好きなシーン、好きな曲でもある。
メモしたのは、捕虜収容所の所長が大勢の捕虜を前に、挨拶した台詞。
その時の台詞が「天皇陛下に代わって諸君を歓迎する」。
日本人の普通の挨拶としては、特に違和感を感じなかったが、
この「天皇陛下」という意味が、英軍兵士の捕虜に伝わるだろうか、と
妙に心配となった。(余計なお世話だが・・)
大統領でも、首相でもない、「天皇陛下」という絶対的な存在が、
彼らに理解できたら、と思ったので、メモをした。
挨拶の中で、笑うに笑えない冗談みたいな台詞。
「山下大将のモットーを伝えておく。『喜んで働け』」
これから働かされる捕虜に向かって、この台詞はないだろう・・と
思いながらも、メモ。
橋に仕掛けられた、ダイナマイトのスイッチ(?)を、
倒れた兵士が偶然、押してしまうシーンは、昔の映画らしい。
時間的には、ちょっと長かったなぁ。(汗)



2013年08月14日(水)
中学2年の時の記憶がない

このお盆の時期、同級生から突然の誘いが嬉しい。
「帰省したから、いっぱいやるか?」の誘いは、
いつでも会える友達とは違う、ノスタルジーな気分に浸れる。
そんなわけで、今年も懐かしい旧友たちとの宴になったが、
今年の話題は「中学2年の記憶」。
1年生と3年生の記憶は鮮明で、同じクラスになった、
担任は誰だったなど、いろいろと盛り上がるのだが、
2年生の時の記憶となると、曖昧になって「う〜ん・・」と
腕を組んで考えてしまう。(汗)
簡単に言えば「中学2年の時の記憶がない」
たしか、朝霧高原にキャンプに行ったなど、
断片的な記憶は甦ったが、とうとう最後までわからず、
私が「夏休みの宿題」として、調べてみることになった。
午後7時から約5時間、気がついたら午前さま。
「どうせ明日、休みだろ?」の言葉に
「公務員は暦どおりです」と返すのが精一杯。
楽しい鼎談(3人)は、あっという間に過ぎるねぇ。

P.S.
携帯電話の赤外線通信は、スマホになると「ふるふる」らしい。
飲み屋のテーブルで、お互いスマホをふる光景は可笑しかった。
私は「55歳のふるふる、結局、失敗」とメモをした。



2013年08月13日(火)
必要なのか、炎天下の「交通量調査」

お盆(夏休み)など国民が大移動する時期に、
車で外に出ると、炎天下の中で、真っ黒に日焼けして
(時には、傘をさしながら)、交通量調査をしている風景と出会う。
調査内容がわからないから、細かく指摘できないけど、
事件が起きた時、定点カメラで犯人の逃走経路を終えるくらい
性能が上がっているカメラの解像度なら、「交通量調査」も、
録画した画像を見ながらカウント出来そう・・
そう思うのは、間違いだろうか。
炎天下に、若い人たちが熱中症を気にしながら、
そして真っ黒に肌を焼きながら、仕事しているのを目にすると、
可哀想になってしまう。
もしかしたら、高性能のコンピュータシステムで、
自動的にカウント出来るのではないか、とも考えられる。
こんなに発達した情報社会で、まだ人力で行う「交通量調査」、
その裏には、なにか意図があるのだろうか。誰か教えて。



2013年08月12日(月)
政府は「計画停電」の検証を

3.11の震災後、東京電力による計画停電が実施された。
前日にならなければ決まらないスケジュールに、
冷蔵庫を利用している食べ物屋の店主は、
商売あがったりですよ、と悩みを口にしながらも、
被災者はもっと大変な思いをしているから、と我慢した、
そんな光景が、昨日のことのように思い出される。
しかし、どうだろう。
日本各地で観測史上初の記録を更新した今年の猛暑には、
「計画停電」の「け」の字も、出てこない。
高知では、41度だって・・文字にしただけで暑い。(汗)
震災後、計画停電のために商売が思うように出来ず、
とうとう店を閉めたなんて話も耳にしたっていうのに、
原発がほとんど止まっている今年の夏は、大丈夫だろうか。
当時、暑いのを我慢していた私でさえ、今年の夏は、
冷房・除湿を繰り返し使いながら、フル稼働状態なのに、
電気が足りなくなるという情報は、あまり耳にしない。
小市民の疑問であるけれど、是非、解決して欲しい。
私のぼやきとして「政府は『計画停電』の検証を」を、
記録として残しておこう。



2013年08月11日(日)
「勇敢」と言っても、いろいろある。

映画「戦火の馬」(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
作品中「勇気」「勇敢」という単語が、何度も登場する。
当然「勇気」がテーマの映画だとわかるが、いろいろな
「勇気・勇敢」の形があることを私たちに伝えている。
「勇気」とは、勇ましい意気、物を恐れない気概。
「勇敢」とは、勇ましく果断なこと。
「果敢」とは、決断力が強く、大胆に物事を行うさま。
物語中、戦争を理由にした、卑劣な軍隊の暴力に対して、
何も抵抗せずに屈した祖父をみて、孫の娘が反発する。
(おじいちゃんは、勇敢ではない、勇気がない、と。)
そんな孫に、祖父がじっくり諭すように呟く。
「『勇敢』と言っても、いろいろある。」
誇りに思えることを、誇りに思わないことも、勇気。
戦場の前線で放たれ、帰るために戦場の上を飛ぶ伝書鳩の勇気。
何も考えず、勢いだけで突っ込んでいくことが、
「勇気」とは限らない、そう私には伝わってきた。
「静かな勇気」の持ち方を、主人公の青年や
「戦火の馬」となった「ジョーイ」に教わった気がする。

PS
今回困ったことは、「勇気・勇敢」のシーンが多くて、
書き出しきれなかったことかな。



2013年08月10日(土)
親子の友達化・親子の恋人化

講師「香野毅」氏(静岡大学教育学部特別支援教育准教授)
演題「子育ては親育て」(発達や教育、支援の実践から感じていること)
親子関係にスポットを当てた話は、メモが増えた。
特別支援を必要としている子どもだけでなく、
現代の親子関係が、いろいろな場面で影響を及ぼしている。
現代は「親子密着小規模型」と定義し、
「親子の友達化」と「親子の恋人化」についての話が印象に残った。
「親子の友達化」とは、先生や他人と「両親」について話す時、
(大学生になっても)「父・母」「父親・母親」という単語が使われず、
「お父さんが・・」「お母さんが・・」というように、
友達感覚の親子関係が続いていることに驚いていた。
また「親子の恋人化」とは「裏切られると腹が立つ」など、
親子ならではの「許し」も存在しない。(そんな意味だろう・・)
「親離れ」「子離れ」という言葉があるように、ある時期が来たら離れる。
また親と子どもは、上下・主従の関係ではなく、友達や恋人とは違った
一定の距離が必要であるし、対等ではないと私も思う。
「親が子どもを」「子どもが親を」殺すなんてことは、
生き物の世界ではあり得ない、と何かで読んだ気がする。
親と子が、友達や恋人ではない距離感を保てるようにするには、
地域の人たちの協力が必要なのかもしれないな。



2013年08月09日(金)
雑談は「シュートではなく、パスを回すように」

書籍「雑談力が上がる話し方」〜30秒でうちとける会話のルール〜
(齋藤孝著・ダイヤモンド社刊・182頁)から。
自分の「雑談力」に自信がついた一冊であった。(笑)
内容がほとんど理解できたし、たぶん、実行していることばかり。
そこで、メモした雑談の定義をご紹介。
雑談は「中身がない」ことに、意味がある。
雑談は「だから何?」と言われたら、元も子もない話。
雑談は「シュートではなく、パスを回すように」
雑談は「トークではなく、コミュニケーション」
雑談は「キャッチボール」
雑談は「場の空気を和ませる」
雑談は「寿司と同じく、新鮮なほうが、より盛り上がる」
雑談の練習相手に最適なのは「赤ちゃん・ワンちゃん・オバちゃん」
雑談から透けて見えるのは「その人の育ちのよさ」
雑談は「心がスペースを空けるようにガスを抜いてくれる
心のデトックス」
雑談で大切なのは「共感すること」
雑談とは「生きる力」そのものである。
まぁ、あんまり片意地張らずに、会話を楽しむことだなぁ。



2013年08月08日(木)
沼津駅から富士駅まで、東海道線は、ほとんど一直線

先日、午後からの出張で富士市へ。
それも午前中の会議が長引いたため、公用車ではなく、
東海道線を利用して、沼津駅から富士駅へ。
車内は空いていたけれど、一番前の車輛の一番前、
そう、運転席の真横で、進行方向を眺めていたら、
驚く光景を目にした。
「沼津駅から富士駅まで、東海道線は、ほとんど一直線」
富士駅に到着する直前で、左に少しカーブするが、
それまでほとんど一直線。
これって、乗ってみなくてはわからないことだが、
なにか、まちづくりのヒントにならないかな、と思う。
自動車ばかり乗っているから気付かないことも、
電車や船、飛行機などによって(視界)視点を変えてみると、
意外な発見がある。(座らないで立っていることも・・)
新幹線の利用で、乗ることが少なくなった東海道本線だけど、
たまには、鈍行で静岡に行くのもいいな。
もっといろいろな発見がありそうな気がする。
このまっすぐな線路、きっと役に立つよ。(笑)



2013年08月07日(水)
広島の被爆は人類の未来に大きく貢献するだろう

(昨日、紹介しようかどうか迷ったので、一日遅れですが・・)
映画「核の傷 肥田舜太郎医師と内部被曝」
(マーク・プティジャン監督)から。
「映画」というより、画像を使った「講演会」という感じ。
肥田先生自身の被ばく体験と、長い間、医師として、
被ばく者の治療と核廃絶運動に献身してきた話なので、
なにも映画にしなくても・・という感想がつきまとう。
今では、BOOKにも、DVDやCDが貼付されているし、
より多くの人に伝えたければ、映画はあまりに負担が多いから。
今回の気になる一言は、なるほど・・と思った視点。
「日本は、子どもたちに原爆はなぜ落とされたのかは教えない」
いつ、どこに落とされ、どれくらいの人が死んだか、という結果は
多くの資料に記されているが、どうして落とされたのか、
どうしてこの日・この時間だったのか、という大切な部分は、
あまり語られることはない。
それが「原爆の人体実験&ソビエトへの威嚇」であり、
「夏の暑い日、広島という都市で、一番、屋外に人がいる時間を調べ、
その結果を確かめてから落とした」とも言われている。
だから「8時15分に落とすことが大事」だったという説明は、
今までに聴いたことがなかった、ヒロシマへの原爆投下の裏側である。
もちろん、一方的に信じることもしないが、あり得るな、とも思う。
冒頭、アメリカに残されている記録に書かれている文面の紹介がある。
「広島の被爆は人類の未来に大きく貢献するだろう」
しかしながら、人類の未来に貢献しているだろうか、
戦争兵器「原爆」のかわりに、電気を生み出す「原発」を作って、
その結果、人類を絶滅の危機に追いやっている気さえする。

P.S.
実はこの映画、2006年、原子力発を推進している、フランスで製作。
発せられたメッセージを私が読み間違えたのだろうか。(汗)



2013年08月06日(火)
100年経てば皆死んじゃう、これが「無常」だ

映画「リトル・ブッダ」(ベルナルド・ベルトルッチ監督)から。
チベット仏教を中心に多くの悟りが散りばめられている作品で、
へぇ〜と思うことも多く、メモは定義集となった。
「心が満たされれば、空虚感などない」は監獄で悟る教え。
シッダールタは「善をもたらす者」という意味。
「チベットでは、魂と肉体を、容器と中身と考える。
タオルに吸われても、お茶はお茶のまま」・・
シュダールタが世に広めた「中道」という考え方。
「弦は張りすぎると切れてしまい、緩すぎると音を出さない」
「『学ぶ』とは変わることだ。悟りは、道の真ん中にある、
極端と極端の間にあるものだ」など、メモは増えた。
その中でも、今までなかなかわからなかった「無常」について、
わかりやすい例えだと感じたので、ご紹介。
「周りの人間たちを見なさい。世界中の人々がこの瞬間に生きているが、
100年経てば皆死んじゃう。これが『無常』だ」
だからこそ、いがみ合ったり殺し合うことは意味がない。
そんなことをしなくても、100年経てば皆死ぬのだから・・そう理解した。
「最も大切なことは、他者に対して憐れみをもつことだ」
「死は生の一部だ。呼吸するのはいつか死ぬからです」・・
チベット仏教の奥深さを、再認識させられた作品であり、
もう一度、観たい、と思わせてくれた作品でもあった。