
|
 |
| 2013年07月16日(火) ■ |
 |
| 「というわけで」の百田尚樹(錨を上げよ) |
 |
書籍「錨を上げよ!」(百田尚樹著・講談社刊・ 上巻591頁・下巻616頁・計1207頁)より。 これだけでは、きっとなんのことか、わからないだろう。 上・下巻を読み続けていくうちに、あるリズムに気がついた。 それが「というわけで」という改行。 普通「改行」と言うと、物語が展開して段落を変える時に、 「そして」「ところで」等の、接続詞を繋ぎながら、 話がつながっていくのだが、彼の作品は、 圧倒的に「というわけで」というフレーズを利用して、 段落が始まるケースが多い。 「とはいえ」「とにかく」「ともあれ」等も使われているが、 とにかく「というわけで」がダントツ。 メモし終えてから、数えたら、なんと「46回」。(笑) しばらく作品にのめり込んでいくと、 「というわけで」をキーワードにして、まとめに入っていく。 これが、作者独特の文体、リズムなのかもしれない。 こういう発見って、けっこう好きです、私。
|
| 2013年07月15日(月) ■ |
 |
| 誕生日から20,124日経過(2013.7.9現在) |
 |
生命保険会社の方が届けてくれる情報の一つに、 私個人のバイオリズム表がある。 私は、どちらかというと「運・不運」を意識しているが、 根拠のない占いよりは、当たっている気がする。 ところで、バイオリズム表の欄外に、面白いデータを見つけた。 正確には「誕生日(昭和33年6月4日)から計算基準日 (2013年7月9日)まで20,124日経過」の1行。 誕生日のたびに「生まれてから○年」と意識するけれど、 「生まれてから○日」というのは、新しい発見だった。 そうなると、今年の3月7日に20,000日を迎えたことになる。 頑張って生きてきたなぁ、と自分で自分を誉めたくなった。 小さい頃、海に落ちて死にそうになったりもしたが、 20,000回以上、起きて寝ることを繰り返してきたのは事実。 これから、誕生日は「○日経過」を意識してみたい。 自分が誇れて好きになる、バックデータに違いないのだから。
P.S. 誕生日が和暦で、基準日が西暦ってのも、気になるけど(笑)
|
| 2013年07月14日(日) ■ |
 |
| 弾丸登山者にとっての「ご来光」の意味は? |
 |
世界文化遺産登録後の富士登山者は、驚くほど増えている。(らしい) しかし、弾丸登山に代表される、注意を呼びかけても無視し、 体調を崩すという、ルール・マナーをわきまえない人たちが、 勢いだけで果敢にアタックしていることも見逃せない。 そもそも「頂上でご来光を」と欲張るからであるが、 山岳信仰と太陽信仰、どちらの信仰心も持ち合わせていない、 単なるミーハー的な発想から登るとしたら、 富士山の登山は、人生を変えるほどのインパクトは少ない。 下山後、生活の変化は見られず、また同じ生活の繰り返し、 不平不満ばかり口にする、そんな光景が目に浮かぶ。 雲海に浮かぶ太陽だったら、たぶんどこだって見られる。 ルールやマナーを無視してまで登った富士山から拝んだ太陽に 何を祈り、何を誓い、手を合わせるのか。 富士山を「霊峰」というのであれば、 信仰の対象として(文化遺産として)、自分にも厳しく対峙する、 そんな心構えが必要ではないか、と思う。 いやいや「霊峰富士」の名を世界に残すためには、 「修験者以外の入山禁止」がもっとも相応しい気がする。 過激かもしれないが「文化遺産」の意味をもう一度、考えたい。 だからこそ「弾丸登山者にとっての『ご来光』の意味は?」を 気になる一言に残そうと思う。
|
| 2013年07月13日(土) ■ |
 |
| アジアは水がないから貧しい、あれば豊か |
 |
第159回泉のまちカレッジ、裾野市の渡邉浩さんが語る 「徒歩世界一周の軌跡」(17年間に22,300kmを歩く)から。 スライドを交えて四大陸のこぼれ話と川柳で、 あっという間に、予定の時間は過ぎた。 一里(4キロ)1時間のペースで歩いたという体力だけでなく、 少しの英語しか話せないというのに、 世界を歩いて回ったという事実と勇気に脱帽である。 さて、その中でも、私が気になったのは 彼が「歩いて学んだこと」の1つ。 「アジアは水がないから貧しい、あれば豊か」だった。 雨さえ降れば、なんとかなる、そんな表現もしていた。 「アジアは水との戦いがすべて」と言っても過言ではない。 そう言えば「サバク」は本来「沙漠」と書くらしい。 (確かに、変換すると「沙漠」「砂漠」の二種類ある) 本来、サバクとは「石が少ない」のではなく「水が少ない」、 だから「沙漠」と書く、そんな説明を妙に納得してしまった。 日本は四季があり、森林に育まれ、水も豊富。 それだけでも、日本は不思議な国、神の国って気がしてきた。 旅に出て、改めて日本の良さに気付くのかもしれないな。 石油より、水の方が貴重って誰かが言ってたのも頷ける。
|
| 2013年07月12日(金) ■ |
 |
| ここから2時間強ですかね |
 |
久しぶりに集ったメンバーで、花の金曜日を過ごし、 沼津市のこと、清水町のこと、富士登山のこと、 そして大切なまちづくりについて、大いに意見を交わした。 職場以外の人との意見交換は、私にとってとても刺激があり、 時間が許す限り参加している。 話が弾み、2軒目のお店を出たのが、午前0時を少し回った頃、 同じ方向に帰るので、沼津駅北口駅からタクシーかと思ったら、 若い彼は、歩いて帰ると言う。 よし、私も・・と付き合うことにしたが、どう考えたって 私の家まで徒歩で1時間はかかる。 彼の家は、三島市大場だと聞いていたから、 「まさか歩かないよな?」と訊き直したら、 「ここから2時間強ですかね」と、さらっと答えた。 その一言で、会話を楽しみながら貯めた今日のメモが吹っ飛んだ。 私でさえ、歩いて帰ると口にすると驚かれるのに、 沼津駅北口から三島市大場まで歩いて帰るなんて、想像もつかない。 その時に気がついたことは、私は歩いても1時間が限界。(汗) 予定どおり、深夜1時過ぎに、そ〜っと帰宅したが、 彼はまだ歩いているのか、と思うと、この事実を書き留めたくなった。 飲んだ後、それも深夜をまわってから2時間歩くって、凄すぎる。 彼は、今、どの辺りを歩いているのだろうか・・。
|
| 2013年07月11日(木) ■ |
 |
| 子どもって説明する言葉を持ってないだけで・・ |
 |
映画「うさぎドロップ」(SABU監督)から。 何かの縁で、小さい子どもを若い青年がひとりで必死に育てる、 そんな作品設定は、洋画・邦画を問わず、今までに何度もあったし、 たぶん、これからも同じような設定で生まれることだろう。 しかし、松山ケンイチさん・芦田愛菜さんのコンビは、 私の心を、予想以上に揺さぶった、と言ってもいい。 勢いだけで突っ走る青年の「強情」は、時に「不器用」だけが目立ち、 他人の意見を受け入れない、そんな姿勢・態度になるものだが、 今回は、他人に相談したり、同じ世代の意見を聞き入れることで、 子育てのヒントを掴んでいく。 それまでとはあまりに違う生活に悩み、職場の女性に訊ねる。 「お子さんのことで、自分が犠牲になってるって思ったことありますか?」 しばらくして、彼女がボソッと呟く。「子どもの時間も自分の時間だから」 こんな会話のひとつにも、妙に納得して感心していたら、 「なに? 私、今いいこと言った?」と訊かれ「はい、言いました」と彼。 印象的なシーンである。 さらに、家族のために荷物の集配作業をしている若い父親たちが、 子どもの心について語るシーンは、私のメモが止まらなかった。 「子どもって言葉選んで丁寧に話せば伝わるし、 それで、けっこう難しいこと考えてんだよなぁ」とか 「子どもって説明する言葉を持ってないだけで、 心の中はもう随分複雑になってんだよなぁ」という台詞は、 子育てが終わった私にとって、胸が締め付けられた。 今の若い人たちの子育て、応援したくなった作品である。
P.S. 子ども議会での小学生の質問や提案を聴いていると、 これっていい提案だなぁ、と思うことが多い。 彼らの提案を実現してあげるのが、私たちの仕事なんだよなぁ。
|
| 2013年07月10日(水) ■ |
 |
| いつものように変わりなく。 |
 |
書籍「私は虫である。」(熊田千佳慕の言葉) (熊田千佳慕著・求龍堂刊・173頁)から。 展覧会を開催していた美術館のショップで手にした、 彼の言葉を集めた書籍は、すっと私の心の中に溶け込んできた。 「いつものように朝のセレモニーが終わる。 いつものように変わりなく。最上の幸せとは、こんなものかしら」 最近、私が感じていた幸せと同じだ、とメモをした。 5時45分の目覚めから続く、私の平日朝のセレモニー。 足のマッサージから、朝食、朝刊の記事確認、 家を出てから、柿田川公園の散策や貴船神社でお祈りし、 8時5分に職場に着くまで、毎朝規則正しく繰り返される時間。 いつものように始まり、いつものように終わる。 いつものように変わりなく、その時間が流れた時、 なぜか、私は幸せを感じる。 ちょっとずれると、通勤途中の信号が変わってしまったり。(汗) 「小さな自然を愛し、小さなゆとりを持って、 小さな幸せを持つ。これ生活の中のゆとりである。」 「わざわざ休日を作ったり、遊びの時間を作ったりすることが、 『ゆとり』であると思うのは、大きな間違いである。」 彼の「ゆとり」に対する考え方に、拍手を送りたい。 そして、ささやかに「乾杯」(笑)
|
| 2013年07月09日(火) ■ |
 |
| コンサートに扇子はセンスがないね |
 |
あるコンサートの出来事。 大きな会場だから仕方ないのかもしれないが、 前列の方が空席がめだった中、一番前の席のど真ん中、 一人の観客がドカッとすわり、始終「扇子」を使っている。 見たくなくても、ステージ中央に目をやると、 どうしても視界に入ってしまうから気になって仕方がない。 ステージ上のリズムと、扇子のリズムがアンバランスで なんとも言えない鬱陶しさを感じたまま、演奏会を終えた。 これって、誰も注意しないし、ルールでもないけれど、 会場の後ろの方に座っていた方からは、 同じような不満が聞こえたので、私だけではなさそうだ。 たぶん、本人も気付いていないし、 他にも何人か扇子を使っていたので、悪いことではない。 ただ「センスがないね」と駄洒落を使いながら、 そこまで配慮できたら素晴らしいのになぁ、と感じた。 「コンサートに扇子はセンスがないね」 演奏者と観客の関係だけでなく、観客と観客の関係だからこそ、 私たちが気をつけなければいけないことなんだよなぁ。
|
| 2013年07月08日(月) ■ |
 |
| 根拠のない自信が、ああいう事態を招いたんだ。 |
 |
映画「BRAVE HEARTS 海猿」(羽住英一郎監督)から。 作品冒頭、主人公・仙崎大輔は、 上司から「撤退」を指示されたにもかかわらず無視して、 結果オーライで、人命救助に成功するシーン。 「なぜ、命令に従わないんだ?」という叱りに対し、 「俺は全員を助けたいんです」と、正義感溢れて言い返す。 「なるほど、その歳で特救隊に入ろうなんて奴は、 そういうことを平気で口に出来るわけか。 結局は、お前が仲間に救助されてる。俺に言わせれば、 ああいう状況を作ってしまったこと自体が、既に失敗なんだ。 そして今日も、お前は同じミスをした。 根拠のない自信が、ああいう事態を招いたんだ。 いいか、レスキューに必要なのは、スキルと冷静な判断力だ」 こう言い返すチームのリーダーに共感を覚えた。 「希望がある限り、絶対あきらめるな」という教えもあるが、 正義感だけで人命救助をするのは、無茶すぎる。 主人公だから死ぬことはないだろう、と思う客観的な目と、 もしこれで死んだら誰の責任になるんだろうか、という リアルな感覚がいり混じって、いつも不安になる。 「自分はこの場面、あの人を助けられる」という自信は、 実は何も根拠がなく、周りで見ている同僚は落ち着かない。 その心境を言葉にすると、 「根拠のない自信が、ああいう事態を招いたんだ」 上司の命令や同僚の反対を押し切って行動するのであれば、 「根拠のあるデータ」を示してからでも遅くない。 「命を懸けて命を救う仕事」だからこそ、そう願いたい。 それでは、映画にならないよ、という関係者の声が、 聞こえてきそうだな。(汗)
|
| 2013年07月07日(日) ■ |
 |
| いい事も悪いことも、記録を残す |
 |
町制施行50周年記念として「一日16ミリ映画祭」を開催した。 企画・運営は「清水町16ミリ映画同好会」。 昔懐かしい「16ミリフィルム」を大切に保管しながら、 あの「カタカタ」となる映写機での上映会となった。 プログラムには「町制施行10周年」「町制施行15周年」 「町制施行20周年」「町制施行25周年」そして「町制施行30周年」と 町の歴史を振り返るには最高の映像が、私を喜ばせてくれた。 しかしなぜか「町制施行35周年」以降の作品が見つからない。 私が広報を担当した時は「町制施行40周年」(10年前)だったが、 もう既に「DVD」の時代に突入していて、 「記念のテレビ番組」を制作したことを覚えている。 改めて当時の記録映像を残すことがいかに大切であるかを痛感した。 いくらお金があっても、もう当時には戻れないのだから。 「町の歴史」が費用対効果の論理で忘れ去られ、 当時の記録映像として残らないことになってしまうのは辛いことだ。 「いい事も悪いことも、記録を残す」(わが子の成長記録と同じ) これが「記録・保存」の基本と言っても過言ではない。 当時、巷を騒がせた話題こそ、今では笑い話となるに違いないのだから。 それにしても、現在は無くなってしまった建物が多くて、驚いた。 わが町は、まだまだ変化し、少しずつ動いていることを実感した一日。 たまには、後ろを振り返ることも楽しいなぁ。
|
|