
|
 |
| 2013年03月28日(木) ■ |
 |
| 人間の心は、石で出来てるわけじゃない。 |
 |
映画「ショーシャンクの空に」(フランク・ダラボン監督)から。 ショーシャンク刑務所での受刑者たちの行動、会話がメモの対象。 「最初の夜が一番辛い。素っ裸で歩かされる。 独房に入り、鉄格子が閉められた時、現実だと気付く。 今までの人生を失い、際限のない時と葛藤が始まる」・・ そして先輩たちは、新人で誰が一番最初に泣き出すか掛けをする。 それくらい辛い生活の中で、彼らは心を閉ざしていくが、 主人公は、彼独自の魅力で、まわりの受刑者たちを明るくしていく。 「心の豊かを失っちゃダメだ」「どうして?」 「人間の心は、石で出来てるわけじゃない。心の中には何かある。 誰も奪えない、あるものが・・。君の心にも」 「一体なんだ?」「希望だよ」そんな会話が印象に残った。 刑務所に暮らす犯罪者に限らず、引きこもりの人たちにも通ずる会話。 しかし、長年の経験から、先輩の受刑者はこう言い返す。 「お前に言っておくが、希望は危険だぞ。正気を失わせる塀の中では、 禁物だ。よく覚えておけ」・・それは「自殺」を意味するからだろう。 何度も何度も辛い目に遭いながら、それでも「希望」を持ち続け、 最後は目的を達成した主人公。 「心の豊かさ」「心の弾力性」を持ち続けた結果だったと拍手を送りたい。 このフレーズ、私たちの生活の場でもきっと役に立つに違いない。 つい、心を閉ざしがちになる時、思いだそうっと。
|
| 2013年03月27日(水) ■ |
 |
| 全て「不可抗力」です |
 |
職場の先輩がこの春(年度末)に退職するというので、 後輩たちが音頭をとって、ゆかりのある人たちが集うことになった。 メンバーを眺めると、36年間の勤務で一緒に仕事をしたというより、 プライベートで、お世話になった人達が集った、 建前抜きの、それはそれは楽しい送別会になった気がする。 宴の途中、1人ずつ、退職される先輩との思い出を語ったが、 私たちでも知らないエピソードが語られ、大爆笑の渦に包まれた。 あぁ、この先輩の人徳だなぁ、と思われるシーンもいろいろ。(笑) 今となっては、笑い飛ばせる思い出も、 当時はインパクトのある出来事として私たちの脳裏に焼き付いていた。 そんな抱腹絶倒な出来事を耳にして、最後に退職される先輩のコメントに 耳を傾けていたら、なんと最初に口にした台詞が 「全て『不可抗力』です」 「不可抗力」とはネットで調べると、 「人間の力ではどうにもさからうことのできない力や事態」のこと。 え〜先輩、もう少しうんこ我慢できたでしょう?とか、 あの場面では我慢すれば断ることできたのでは?なんて反論も出来るが、 断固として「全て『不可抗力』です」。 腹を抱えて笑うほどのハプニングも「不可抗力」と信じたい。(汗) でも、退職に際して、同じ課で一度も仕事もしていないのに、 こんなに多くの先輩・後輩が集るなんて素敵なことだな、思う。 年度末、退職等で別れることは寂しいけれど、 こんな機会が増えることに感謝したい季節でもある。 新しい出会いにワクワクしながらも、昔を思い出してセンチな気分に・・。 これがサラリーマンの宿命である「年度末」の風景であろう。
|
| 2013年03月26日(火) ■ |
 |
| 小学校で、習いました。 |
 |
書籍「生存者ゼロ」(安生正著・宝島社刊・409頁)から。 今までも「ジェノサイド」「64(ロクヨン)」など、 読み応えのある書籍に出会えると、時間が惜しく、 暇さえあればページをめくることとなる。 今回も、寝る暇を惜しんで、読み終えた。 ストーリーを書くだけで、字数・行数を必要とするので、 いつものように、内容にはあまり触れない。 フレーズとして、妙にインパクトがあったり、 この台詞、どこかで使えるな、と思ったものをメモしている。 今回は「小学校で、習いました。」 短く、ありきたりのフレーズのようだが、 使い方によっては、とても、パンチの効いた言葉となる。 本文では、こう使われていた。 「それまで堅物だった人間が、急に物分かりが良くなった時は、 必ず裏がある。小学校で、習いました。」 ちょっぴり皮肉っぽいが、私のアンテナには引っかかった。 そんな例えを聴いた女性が、ここぞとばかり突っ込む。 「裏がない分、相変わらず、嘘は下手ね。」 非常に緊張感した場面での会話だからこそ、良かった。 今度「ルール無視」とか「マナー違反」などの行為をみたら、 「小学校で、習いました。」を使ってみたいな。
|
| 2013年03月25日(月) ■ |
 |
| パンを2つに割って「はい(どうぞ)」 |
 |
映画「しあわせのパン」(三島有紀子監督)から。 私好みの、ほんわかムード満載の癒し映画だった。 作品の中で、何度も何度も登場する 「パンを2つに割って『はい(どうぞ)』」と渡すシーン。 気になっていたが、お互いの台詞としては、 何気なく「はい・・」と渡し「ありがとう」と言うだけ。 しかし、そのシーンこそ、しあわせのパンの食べ方だった。 パンは、どうやら「分け合いながら食べる」ものらしい。 その行動から「家族の原点」とも言える「仲間意識」が芽生え、 どんなことがあっても崩れない結束みたいなものが育つのだろう。 今回、素敵な台詞がいっぱいあったにも関わらず、何気なく、 「パンを2つに割って『はい(どうぞ)』」と渡す場面を選んでしまった。 言葉では表現できない、相手を思いやる行為がそこにあり、 それを嬉しそうに「ありがとう」と受け取るだけなのに、心に残った。 仲間で「分け合う」という行為こそ、人間だけの特性に違いない。 「仲間と一緒に・・それにこそ、幸せがあるような気がします」の台詞、 ある方からの手紙の一節だけれど、妙に納得した台詞となった。 それって、冒頭に紹介される絵本「月とマーニ」での会話、 「大切なことは、君が照らされていて、 君が照らしているということなんだよ」という台詞に繋がってくる。 「お月さんがいて、マーニがいる。マーニがいて、お月さんがいる」 なるほどなぁ。
P.S.「月とマーニ」(実際には出版されていない絵本だけど・・) 少年マーニは、自転車のカゴに月を乗せて、 いつも東の空から西の空へと走っていきます。 ある日、やせ細った月が言うのです。 「ねぇ、マーニ、太陽をとって。 一緒にお空にいるととっても眩しくって」 「ダメだよ、太陽をとったら困っちゃうよ」「どうして?」 「だって太陽とったら、君がいなくなっちゃうから。 そしたら、夜に道を歩く人が迷っちゃうじゃないか。 大切なのは、君が照らされていて、君が照らしている、ということなんだよ」
|
| 2013年03月24日(日) ■ |
 |
| 本当に、本当に・・ありがとうございました |
 |
職場後輩の結婚披露宴だった。 心配された雨は降らなかったが、多くの仲間の目が濡れた。 先輩も後輩も、もちろん同級生も・・。 若い年齢の結婚ではなかったからか、新郎新婦とも、 自分の人生を支えてくれた人たちに対して、 感謝の言葉を何度も何度も、口にした。 2人のためなら・・と集った人たちも嬉しかったに違いない。 本当に感激した、本当に嬉しかった、本当に・・本当に・・ 数えたらきりがないくらい「本当に」という単語が使われた。 さらに「本当に、ありがとうございました」では、 今の自分たちの気持ちがうまく伝えられない・・と思ったのだろう、 最後は「本当に、本当に・・ありがとうございました」と言い残し、 深々と頭を下げた。 披露宴では決して泣かなかった新郎が、2次会では気が緩んだのか、 思わず、涙腺が緩んで涙ぐんだ。 それを目にした、先輩から後輩までがつられて、泣いてしまった。 「あれをみたかったんです」・・と強がっていた後輩の目にも涙。 「みんなの気持ちが嬉しくて泣く」って、いいもんだなぁ。
P.S. 披露宴開始12:00・2次会終了19:00 また7時間も飲んでいたのか。 嬉しくて、楽しくて、温かい気持ちになったから、良しとしようっと。
|
| 2013年03月23日(土) ■ |
 |
| 段取りを 覚えた頃は 年度末 |
 |
1年の総決算ともいえる、わが課の送別会だった。 他課とは違って、スタッフが複数の施設に勤務しているから、 普通の職員では考えられない、月曜日や土日が、 送別会や歓迎会、暑気払い、忘年会、新年会に当てられる。 しかし、どうして月曜日から・・なぜわざわざ休みの土曜日に・・ なんて、文句を言うスタッフは誰もいない。 みんなの中に「おたがいさま」の気持ちが根付いている、 私は、そう解釈している。 送別会のはじめに、毎年恒例ということで、私が代表して 退職する人、異動する人への感謝の気持ちを言葉にしたら、 思い出が蘇り、挨拶している自分の方が涙腺が緩んでしまい困った。 宴は盛り上がり、午前様近くに帰宅して「送別会」を振り返ったら、 私の挨拶で言い忘れた「川柳」が、突然頭に浮かんできた。(笑) 「段取りを 覚えた頃は 年度末」 やっと仕事の段取りがわかり、これから・・と思う頃、 年度末を迎え、人事異動で他課へ移り、新しい仕事に就く。 だから、1年はあっという間だった、という意味と、 せっかく覚えた段取りが役に立たない、という意味の川柳だが、 実は、そんなことはない。(と私は思っている) 一度覚えた段取りは、応用しながら、きっと役に立つに違いない。 「新年度 覚えた段取り 活用し」・・そうあって欲しい。 そんな挨拶をするつもりだったのに・・う〜ん、残念。 まだまだ、タイムリーな挨拶が出来ていないなぁ。 「挨拶を 覚えた頃は 年度末」「新年度 覚えた挨拶 活用し」
|
| 2013年03月22日(金) ■ |
 |
| 「いいね」は「読んだよ」って印ですから |
 |
「いいね」って思わないのに「いいね」って押せない。 以前の「気になる一言」でそんなことを書いたら、 私もそう思ってました、というメールが複数届いた。 逆に、そんなこと気にすることじゃないですよ、という メールも届き、その意味を再度確認したら、 「『いいね』は『読んだよ』って印ですから」。 同じようなことを、別の人にも言われた記憶がある。 「Facebook」は「mixi」みたいに、足跡が残らないから、 お友達に読んだよって知らせるんです、そんな答え。 そうか、だから「おはよう」の一言でも、 多くの「いいね」が押されているのか・・と関心した。 私はFacebook初心者だから、まだ納得できないけれど、 やっぱり「いいね」じゃないよなぁ、と思う。 「読んだよ」とか「足跡」の方が、理解できるし、 「読者」の反応をあまり意識しないで十年以上も書いているから、 私が、言うことでもないかな。 う〜ん、どう対応したらいいんだろう、まだ迷ってる。(汗)
|
| 2013年03月21日(木) ■ |
 |
| 「製本教室」より「本の修理ボランティア養成講座」 |
 |
十数年前と違い、カルチャー教室が街に溢れている時代、 行政が安い受講料で「講座・教室」を開設するのは、 民間企業・NPOの活動を圧迫するのではないだろうか、 最近、そんなことばかり考えている。(汗) では、行政はどんな動きをすればいいのだろか、と 悩んでいたところ、 行政は「○○ボランティア養成講座」を開設し、 その育てた人材を活用する工夫をすればいい。 そんなことを耳にして、なるほどなぁ、と思った。 例えば、図書館で開催されることが多い、 「製本講座」や「手づくり絵本教室」なども、内容は同じでも ちょっと視点を変えれば、男性参加が期待できる。 定年退職した男性が、図書館に入り浸って本を読んでいる話は、 全国的な動きなのだろう。 そういう高齢者の男性を巻き込むには、技術系の仕事。 本を分解して、またきれいに組み立てる。 それが、まちづくりに役に立ち、みんなに喜ばれるのだから、 是非、試してみたい。 これからは、高齢者の男性をどう巻き込むか、これに尽きる。 だから「製本教室」より「本の修理ボランティア養成講座」 来年度は「図書館長」も私の肩書きに加わりそうなので、 さっそく、試してみよ〜っと(笑)。
|
| 2013年03月20日(水) ■ |
 |
| まるでアザラシのようなナオミ |
 |
映画「痴人の愛(1967)」(増村保造監督)から。 谷崎潤一郎の同名小説ってこんな作品だったかなぁ、と 読んだ記憶はあるが、なかなか思い出せない。 単なるママゴトとしか思えない物語の展開に、 時代のズレを感じたが、1924年(約89年前)に書かれ、 1949年(約64年前)・1960年(約53年前)・1967年(約46年前)、 3回も映画化されたところを考えると、 その度に社会に対して、訴えるものがあったに違いない。 「ナオミ」という若い女性を自分の手で磨きあげ最後に結婚する、 日本版「プリティ・ウーマン」と言いたいところだが、 ほど遠い結末に、何か空しいものを感じて、苛立ちさえ覚えた。 しかし、じっくりメモしながら眺めると、意図して表現したのか、 制作者の遊びの部分なのか、思わず笑えるシーンがあった。 彼女の成長記録とでも言えそうな「ナオミ日記」は、 主人公のナレーションと、写真撮影当時のメモで表現するのだが、 水着姿のナオミの映像に被せたナレーションは 「ナオミ、ひと夏で泳ぎを覚えてしまう、実に美しくてたくましい。 まるでイルカのようだ」 しかし、映像に残された記録板に書かれたメモには、 「まるでアザラシのようなナオミ」と書かれていたからだ。 このギャップが何を意味するのか、私にはサッパリわからないけれど、 こんな発見は「メモ魔」としては、妙に嬉しいものとなった。 原作に書かれているわけないよなぁ、こんなシーン。
|
| 2013年03月19日(火) ■ |
 |
| ダブルスチールを行ってもいいというサイン |
 |
WBC(2013)も、あっけなく幕をとじたが、 ちょうど昼休みに、準決勝のプエルトルコ戦をテレビで観戦。 試合終盤のあのシーンを、ライブで観てしまった。(汗) 私なりのコメントは、翌日の新聞を読んでから・・と決めていたが、 ネットでは、やはり負けた真犯人探しをしている。 私が今回の重盗失敗の場面から学んだことは、 大事な場面の指示は曖昧にしてはいけない、ということであった。 山本監督、8回の走塁の指示は 「ダブルスチールを行ってもいいというサイン」だった、という。 「必ず重盗をしろ、しかしタイミングは任せる」という話もある。 その「サインの曖昧さ」を知って、やっばりなぁ・・と感じた。 トップは「待て」又は「実行」しか、指示を出してはいけない。 「行ってもいい」とか「行けそうなら行け」は、サインではない。 選手(部下)が求めているのは「YES」か「NO」かだけだから。 自分の判断で・・は、カッコいいけれど、失敗した時、 責任の所在が曖昧になることは、プロ野球の選手だけじゃない。 山本監督「サインを曖昧にした私の責任です」ってコメント、 私は期待しています。(汗)
|
|