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しもさんの「気になる一言」
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2012年11月28日(水)
あの1年があったから・・

地元中学校で生徒全員を集めて「夢講演」が開催された。
講師は、静岡市在住の伝統木版画家・風鈴丸さん。
木版画家として、自らの人生を歩んでいる彼女の体験談を
直接本人の口から聴くことで、生徒が夢を抱き、
夢に向かって努力するための一助となれば・・という趣旨。
私も聴く機会に恵まれ同席したが、印象に残ったのは
大学を卒業して、本気に木版画と向き合った1年間の話。
あの子、本当に大丈夫かな?と思われるくらい
「木版画」に没頭した生活を過ごしたらしい。
あの1年間があったからこそ、今、私は木版画家として仕事をし、
こうしてみんなの前で話すことが出来ている。
そんな想いが感じられる「あの1年があったから・・」だった。
私も思わず頷き「同感!!」と叫びそうになった。
人生の中に、辛くもあり、楽しくもあった「1年間」があると、
人間は、この1年を思い出すことで、壁を乗り越えられる、
そんな気が私もしていたから。
私の場合は、人生に悩んでいた36歳(年男)だった時の1年、
毎日書き続けた「川柳」と「555字の日記」こそが、
自分に自信を与えてくれたことは、間違いない。
1週間や1ヶ月の継続では得られない1年間という単位。
今振り返れば、たった1年。
この期間、寝ても覚めても考えているような何かに
夢中になれた時、この意味がわかるんだよなぁ、きっと。



2012年11月27日(火)
社会が変わると、期待される能力も変わる

演題「教室を協室・響室に育てる指導」
(講師・教育ジャーナリスト 梶浦真氏)から。
先日、地元中学校の研究発表会に足を運んだ。
以前から、学社連携・学社融合などと口にしながら、
実は、学校のことを何も知らない自分に気づいたから。
そのプログラムの1つに、梶浦氏の講演があったが、
その中で気になった一言は、
「社会が変わると、期待される能力も変わる」。
ということは「授業も変わる」ということであろう。
教育のあり方も変化してきたという。
「させる学習(教わり)」から「する学習(学び)」、
そして現代は「しあう学習(学び合う)」へと、
少しずつであるが、着実に移り変わってきた。
この視点は、学校教育だけの話ではないと思う。
私たちが仕事としている「生涯学習」の分野は?と
振り返ると、恥ずかしい話だが、胸を張って
社会の変化に対応してきたとは言い難い。
行政の単語としては「社会教育・社会体育」から
「生涯学習」へと変化してきたが、
事業内容はまだ「させる学習」「する学習」が中心だから、
ここらで「しあう学習(学び合う)」へと舵を切らねば。
ハッとさせられたけど、刺激の多い話であった。
少しでも、社会の変化に対応した学びの場を提供したい。



2012年11月26日(月)
いいから、一度、転んでみな

映画「マザーウォーター」(松本佳奈監督)から。
まずは第一声、私はこの作品、好きだなぁ。(笑)
絵画や音楽・映画等を鑑賞すると、必ず考えてしまうこと。
この画家・音楽家・監督は何を伝えたいんだろう?
しかし、芸術家によっては、自己表現せず、
この作品から何かを感じてくれればいい、という思いで
世のなかに作品を発表している人もいる。
この作品も同じことが言えそうだ。
事件も何も起こらない生活や、何気ない景色の中に、
自分を見つめ、発見していく楽しみがこの作品にはある。
もたいまさこさんの飄々とした歩き方や話し方は、
私の憧れとするところであるが、なかなか近づけない。
誰とはなく「今日も機嫌よくやんなさいよ」と声を掛け、
若い男性には「なに、ゴチャゴチャ言ってんの?」とか
「分析ばかりしてても、しょうがないんだよ」と叱咤し、
「踊ろうか?」と冗談っぽく誘ってみて、
モジモジしている若者に「本当につまんない奴だね」と
笑い飛ばす、その余裕が羨ましかった。
選んだのは、いろいろなことに迷う若者に向けて発した台詞。
「自分の決めたことって、どうなっても面白いから。
どっちに転んだって、なるようになるよ。
いいから、一度、転んでみな」の一節。
今の若者、転ぶのが怖いんだよなぁ、きっと。



2012年11月25日(日)
何をしておる!!

最終回が近づいてきた、NHK大河ドラマ「平清盛」から。
狂気ともとれる「松山ケンイチ」という若者の迫力ある演技に、
私はオーラを感じながら、平清盛をダブらせてしまった。
すべてを自分の思いどおりにするのだとわめき散らした清盛の、
恐怖からその場を逃げ出そうとする仏御前を、
弓矢で射殺しようとした家来を「何をしておる!!」と一喝した。
声の主は、清盛を生涯にわたって支え続けた、平盛国。
控えめで冷静沈着に物事を判断、暴走しがちな清盛を抑える、
兄のような存在であった彼が、大きな声を上げた。
もちろん、その場の家来に向けて発した台詞であるが、
私は、後ろ向きながら、清盛に発した台詞ともとれた。
「私に逆らうものは、みな死罪と心得よ」と清盛が口にした後の
シーンだったので、深読みだろうが、気になった。
しかし、いつの世も権力を手に入れ暴走する主に対して、
「おそれながら申しあげます」と上申できる部下が必要だな、と
大河ドラマを観るたびに思う。
さて我が国の政治も、慌ただしく動き出した。
どうしても、党首・首長ばかりがクローズアップされるが、
私が注目しているのは、党首を支える参謀や腹心、そのブレーン。
「何をしておる!!」と言い切れる人たちがどれだけ周りにいるのか。
そしてまた、それを聞き入れる耳を持っているトップか、
これが、国づくりをまかせられるかどうか、私の判断基準。
相関図とか人間関係図、作ってみるとわかりやすいのかな。



2012年11月24日(土)
賑わいと勢い、なかなか2つが揃わない

講師「地域活性化戦略研究所所長 花井孝」氏。
演題「人々の訪れるまちは活性化する!!」
(賑わいを創り出すための仕掛け)から。(第2弾)
まちづくりで、以前からお世話になっている先生が
来町するから、と聴いて、講演会に足を運んだ。
まちづくりで成功するためには、
「賑わい」と「勢い」が揃う必要がある、という。
しかし「賑わいと勢い、なかなか2つが揃わない」らしい。
日本全国で一所懸命「まちづくり」をしているのに、
成功している街と、なかなかうまくいかない街があるのは、
どうしてだろう?そんな疑問をもっていたので、
この話は大きなヒントになった。
若い人たちが中心となって「賑わいづくり」をしたところで、
「街を挙げて」とか「マスコミを巻き込んで」といった
外から感じる「勢い」がないと、成功までには結びつかない。
首都圏では、開店したお店に並ぶアルバイトがあるように、
まずは「賑わっている感じを出せるかが鍵」となり、
その話題性で「勢いをつける」ということだろうか。
最初から2つを意識した戦略計画が必要なんだな、きっと。



2012年11月23日(金)
トイレの前に譜面台(汗)

隣市の地区センターで開催された、地域ふれあいコンサート。
オーケストラ「ファン・ヴァセナール」コンサートから。
テーマは「ヨーロッパ、南から北へ」。
〜ヴァイオリン3本の魅力・その究極の響きとは〜と書かれた
サブタイトルに、ワクワクしながら足を運んだ。
メンバーの1人が沼津市に住んだことのある演奏家だったので、
実現したコンサートらしい。素晴らしい音色を聴かせていただいた。
特に気に入ったのは、プログラムの3曲目、初めて耳にした
「B.マリーニ作曲・3本のヴァイオリンの為のエコーソナタ」は
1人がチェンバロとチェロに合わせて、表舞台でヴァイオリンを弾き、
あとの2人が舞台の裏でこだま(エコー)のように小さな音で弾き続ける。
へぇ〜、こんな曲があるんだ、と喜びながらも、あの2人、
この会場のどこで弾いているんだろう?と気になったら、演奏者が
「トイレの前で弾いてます」と笑いながら種明かしをしてくれた。
冗談でしょ?と思っていたが、休憩時間にトイレに行ったら、
確かに「トイレの前に譜面台」があった。(汗)
これは、笑っていいのか、驚いていいのか、ちょっと戸惑った話。
しかしアンコール曲、パッヘルベル作曲の「カノン」で気持ちが軽くなり、
東日本大震災の復興支援ソング「花は咲く」で涙腺が思いっきり緩んだ。
ヴァイオリンって、こんなに心を揺さぶる楽器なんだな。



2012年11月22日(木)
「交流人口」とは用事がないと訪れない人たち

講師「地域活性化戦略研究所所長 花井孝」氏。
演題「人々の訪れるまちは活性化する!!」
(賑わいを創り出すための仕掛け)から。
以前から単語だけは知っていたけれど、
なかなかシンプルに説明できなかった「交流人口」。
先生の話で、すっきり整理できた。
「『交流人口』とは用事がないと訪れない人たち」
言い換えれば「交流人口は観光人口ではない」ということ。
そしてまた、用事があって訪れるので、利益率が高い。
「定住人口の4人分の経済交流」と言われている。
この「交流人口」をどう増やせるかが、
「賑わい」と「勢い」を生み出す要因と考えれば、
「ターゲットの人たちに用事をつくる仕組み」こそ、
今、考えなければならないことではないだろうか。
「情報発信しない限りは、交流人口は増えないよ」
最後にまとめた先生の一言が、まちづくりのスタートである。
まずは、しつこいくらいの「情報発信」、
それも、当たり前ではない、面白いネタで。



2012年11月21日(水)
くだらねぇじじいとばばあ、ばっかりでよ

今月初め、背中に出来た脂肪の塊?が気になったので、
簡易な手術を受け、今日、抜糸で病院を訪れた。
待合室には、多くの高齢者たちが談笑しながら、
自分の名前を呼ばれるのを待っていたが、
その中に、黒づくめの服装をした若い青年がひとり、
インフルエンザなのか、赤い顔して高熱が辛そうだった。
しばらくして、私の耳に聞こえてきたのは、彼の怒りの声。
「くだらねぇじじいとばばあ、ばっかりでよ」
自分はこんなに辛い状態なのに、ずっと待たされ、
元気そうな高齢者の方が、自分より先に名を呼ばれることに、
我慢し切れなかったようだ。
この気になる一言、あまり汚い言葉をとりあげないのだが、
今回ばかりは、どうしてもインパクトがあったので。(汗)
「あの人、辛そうだから先に診察してあげたらどうですか?」と
病院のスタッフに声を掛けようと立ち上がったら、
その青年の名前が呼ばれて、タイミングよく診察室へ。
どんな意味で口にしたのかわからないが、怒る前に、
「ちょっと辛いので、先に診察してもらえませんか?」の台詞、
言えなかったんだろうか、と気になった。
コミュニケーション能力って、そういう力でもあるのになぁ。



2012年11月20日(火)
観客が「ピアニシモ」を聴こうとしていたね

第4回水と緑のコンサート
「梯剛之(かけはしたけし)ピアノリサイタル」から。
演奏後、梯さんと今回のコンサートスタッフを交えて、
意見交換をしたけれど、観客側の私たちの意見は
「観客が『ピアニシモ』を聴こうとしていたね」
音楽コンサートとなると、ついリズムを気にしたり、
「フォルテシモ」の迫力ある大きな音に感動しがちだが、
今回ばかりは「ベートーヴェンのピアノソナタ、 
第14番・嬰ハ短調・Op.27-2『月光』」を聴きながら、
観客がどんな小さな音でも聞き逃すまいとする雰囲気で、
会場内が静まり返った。
今までに何度もコンサート会場に足を運んでいる私でさえ、
この雰囲気は味わったことがない。
絶対に音を立ててはいけない、というような緊張感ではなく、
自然の中の小鳥のさえずりを聴くかのような静けさ。
この感覚・雰囲気を文字にするのは難しいけれど、
演奏者と観客が一体になった感覚が私を包み込んだ気がする。
とても、心温まるコンサートであった。



2012年11月19日(月)
必要な時に見つけられなくなるかもしれませんので

映画「SP 野望篇」(波多野貴文監督)から。
「フジテレビ系で人気を博したTVドラマ『SP』の劇場版」
そんな説明だったが、テレビ番組は観ていない。
だからかもしれないが、主人公の特殊能力が唐突過ぎた。
いくら「劇場版」と銘打ってあっても、映画なのだから、
「一話完結」を望むし、映画しか観ない人にもわかる内容を・・
そんな気持ちが前提にあったからか、興奮度は低かった。
しかしながら、気になる会話はしっかりメモを取った。
堤真一さん扮する「警視庁警護課第4係」の尾形係長と、
その上司(役職が不明で申し訳ない)の会話。
「私の理想には、まだ足りません」
「理想は、気付かれることがないように、
隠しておいた方がいい。そうでないと・・」
「身を滅ぼしますか?気付かれないような場所に隠しておくと、
必要な時に見つけられなくなるかもしれませんので」
どんな場面だったか説明できないが、この会話は気に入った。
派手に立ち振る舞ったあとの説教だったかもしれない。
上司は「理想と現実は違うんだ」と伝えたかったのだろうが、
とっさに言い返した台詞がカッコよかったなぁ。
理想は、いつでもわかる場所に置く。
そんな生き方が、私を惹きつけたのかも知れない。
「革命篇」を観たくなったフレーズでもあった。