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しもさんの「気になる一言」
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2012年11月18日(日)
熱海に泊まってハワイに行こう

夏に、恒例の花火を観に行った時、ふと目にとまった
熱海の観光ポスター(?)のキャッチフレーズ。
「熱海に泊まってハワイに行こう」
メモした時は、吹き出してしまったほど面白いと思った。
しかし、時が経ち、こうして落ち着いて考えてみると、
この気持ち、ちょっぴりわかる気がしてきた。
まずは、観光客を集めること。
どんな理由であれ、訪れてくれればいい。
とにかく人が集らなくては、次のステップへと続かない。
アルバイトを雇って、行列を作り繁盛しているように見せる、
それだって、立派な企業戦略に違いないのだから、
何もせず、待っているだけよりよっぽど前向きだ。
プライドだけでは食っていけない・・なんて言葉や
中途半端なプライドが一番役に立たない・・というフレーズが
頭に浮かんだ。
「熱海」がプライドを捨てた時、復活の予感がする。
多くの人が集りだし、行列なんか出来ると、
野次馬根性で気になる生き物だからなぁ、日本人って。



2012年11月17日(土)
日本人は、よく泣く民族だったのに。

演題「今を生きる力」(講師 作家・五木寛之氏)から。
先日、隣町で開催された「文化講演会」に足を運んだ。
昭和7年9月30日生まれ、石原慎太郎さんと同じ80歳。
生年月日、全て同じらしい。(汗)
「今が一番、生きづらい。なんとなく生きづらい」と話し始め、
それは「幸福って感じはしないけれど、不幸って感じでもない。
そこそこ幸せ」だから、と言う。
自分たちが体験した「大きく時代を動かしていく、という
ダイナミックさがない」と今の世の中を分析した後、
「あまりテレビ・新聞は見ない。だって『鬱』になるから」
「心療内科(カジュアルな感じ) VS 精神神経科」
「医療にも、流行がある(3年で古くなる医学)」等、
メモは増え続け、話は「慈悲」の「悲」について、
無言の励まし(黙ってそばにいる)大切さを伝えてくれた。
また「日本人は、よく泣く民族だったのに」と呟き、
その「悲しむという感情は、日本の伝統として、
文化として、洗練されてきた」と説明を加え、
「つっぱるだけでは、生きていけない。
苦しみをまっすぐに受け、泣く方がいい」と諭してくれた。
「悲しむ時は、悲しむ必要がある」ということ。
言い換えれば「プラス思考はいいけど、マイナス思考はダメ。
笑うのはいいが、泣くのはよくない、なんてことはない」
大河ドラマ「平清盛」なんて、男も女もよく泣くしなぁ。
なんだか、気持ちが軽くなって帰路についた。



2012年11月16日(金)
キューバ人は、感謝の心を忘れない

テレビで侍ジャパンがキューバと戦っているのを観ていて
この作品を思い出した。
映画「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」
(ビム・ベンダース監督)から。
グラミー賞受賞アルバム「BUENA VISTA SOCIAL CLUB」に参加した
ミュージシャン達とその後を追ったドキュメンタリーであるが、
一言で表現すると、一人ひとりの存在がとても温かで眩しかった。
1999年ドイツ・アメリカ・フランス合作映画であるが、
「私は1907年生まれ」とか「トランペットを吹いて47年になる」
「人生でステキなものは、女と花とロマンスだ」
なんてインタビューが山ほど出てくる、誇りある高齢者が勢ぞろい。
そういえば、映画の中では、こんなフレーズが出てくる。
「忘れられた存在でも、喜んで演奏し、寛大に心を開いて、
知識や才能を発揮してくれた」・・そのとおりの演奏だった。
以前から「キューバ」という国は、小国にもかかわらず
野球やバレーをはじめ、どうしてなんでも強いんだろうかと、
疑問を持っていたが、その答えを、楽器演奏者の口から耳にした。
「キューバ人は、感謝の心を忘れない。
もし物欲の道をたどっていたら、キューバ人はとっくに滅びてたろう。
そういう意味で、キューバは小国だが、強い国だ。
抵抗という事を知っている、いい意味でも悪い意味でも」
他国からの支配を受け、キューバ人は、言葉では表現できないほどの
屈辱を味わってきたにもかかわらず、感謝の心を忘れずに、
なにくそ、負けてたまるか、という反骨精神で立ち上がってきた。
このアルバムを聴くたびに、そんな力強さを感じていたのが、
やっと理解できた。
「映画」というより「生きてる実感、これぞ人生だ」が相応しい。



2012年11月15日(木)
自分の唾液で飲み込むことが大切

講師「高浜デンタルクリニック院長 田沼敦子」氏
演題「ウエル噛む」
(〜噛むこと・食べること・生きること〜)から。
歯学博士・料理研究家の肩書きも持つ彼女は、
「今日は唾液を見直しましょう」と話し始め、
噛むことの効用を「ひみこのはがい〜ぜ」と
語呂合わせで紹介してくれたので、
(ひ)肥満を防ぐ(満腹中枢と摂食中枢)
(み)味覚の発達(こ)言葉の発音がはっきり
(の)脳の発達 (は)歯の病気予防
(が)ガン予防 (い)胃腸の働きを促進
(ぜ)全身の体力向上と全力投球
「邪馬台国の卑弥呼は、歯が良かったんだ」と覚えた。
「唾液はなくてはならないもの」と実感しながら、
食べ物は、味噌汁やお茶で飲み込むのではなく、
「自分の唾液で飲み込むことが大切」だと理解した。
よく噛みなさい、って命令されるから嫌になるけど、
「唾液の効用」を理解したら、よく噛みたくなった。
この発想の転換、いろいろな分野であるはずたよなぁ。



2012年11月14日(水)
真剣に観ようよ、野球と違うんだから

仕事で「地区懇談会」を終えて、さぁ喉湿し・・と思ったら、
「ダメダメ、今日はオマーン戦だから」と断られ、
仕方なく、帰り際「カツ丼とビール」を買ってきて、
ビールを飲み、遅い食事をしながら、サツカーのテレビ観戦。
パソコンを起動し、インターネットで事件・事故を確認しながら、
会話の話題にしていたら、妻が私に一言。
「真剣に観ようよ、野球と違うんだから」
えっ、そんなに夢中になってるの?と心で思っていたが、
その「野球と違うんだから」のフレーズに、ちょっぴり笑った。
真剣さの足りない私を見捨てて、彼女は2階の自分の部屋へ、
同点に追いつかれた時は「悲鳴」、勝ち越した時は「よし」の掛け声。
タイムアップ勝利の瞬間、大きな拍手が家の中に響いた時は、
そんなにサッカーは国民に浸透しているのか、という驚きだった。
そう言えば、私も「心の整え方」と言う観点で
「長谷部」とか「長友」が書いた本を読んでいる。(汗)
でもさ「真剣に観ようよ、野球と同じで」って言って欲しかったな、
出来ることなら。



2012年11月13日(火)
地方公務員は「無意味に忙しい」

映画「生きる」(黒澤明監督)から。
もう何度も観てきた、地方公務員必見の映画である。
その度に新しい発見があるから、黒澤監督の凄さを感じる。
さて、メモをとりながら観たのは初めてのため、
整理していたら、面白いことに気がついた。
市役所の仕事に対する厳しい視点が台詞に現れている。
作品冒頭「今や(30年勤めた市民課長に)意欲や情熱は少しもない。
そんなものは役所の煩雑極まる機構と、それが生み出す
『無意味な忙しさ』の中で、まったくすり減らしてしまったのである」
とナレーションが語り、
今度は作品半ば「この30年、役所でいったい何をしたのか、
いくら考えても思い出せない。覚えているのは、つまり『ただ忙しくて』、
しかも退屈だったってことだけだ」と主人公が語る。
そして、作品の後半、他の公務員が呟く。
「役所にだっていい人間、入ってくるんですよ、でも長くいるうちに。
あの複雑な仕組みの中じゃ、何一つ、第一あんなに『無意味に忙しくちゃ』
何か考える暇さえないんだから」
共通なイメージは、地方公務員は「無意味に忙しい」である。
この作品、60年以上も前の作品だから、と笑い飛ばしたいところだが、
作品のナレーターが、力を込めて、叫ぶように訴える
「いったい、これでいいのか。いったい、これでいいのか」が印象深い。



2012年11月12日(月)
人類が管理できないものは作ってはいけない

最近の事件、事故に対する私の雑感である。
つくった人類が、自分たちで管理できていないものが、
映画の世界では「(感情を持たせた)ロボット」、
現実の世の中では「パソコン」や「原子力発電所」。
これだけ、パソコンの恩恵を受けながらも、
遠隔操作で誰が犯人なのかも特定できないなら、
パソコンも作ってはいけないものだったな、と感じる。
もちろん、一度暴走したら、手が付けられない原子力発電も、
管理できないという視点では、作ってはいけないもの。
だから「人類が管理できないものは作ってはいけない」
この視点、意外と仕事にも役に立つことがある。
新しいイベントや特産品・ゆるキャラなど、
最後まで面倒をみる気がないなら、作らない方がいい。
中途半端な管理こそ、中途半端な結果しか生まない。
それならば意を決して、批難覚悟でも
「止める、撤退する」勇気の方が正しいのではないか。
幕開けは喜ばれるけれど、幕引きは・・嫌がられる。
でも今の時代、幕引き役が大切なんだ、と思う今日この頃。



2012年11月11日(日)
プロとは、当り前のことを、簡単にできる人のこと

ラーメン屋のカウンターで読んだゴルフ雑誌から。
プロのゴルファーって、難しいことを簡単にこなす、と
アマチュアが、技術力の高さに驚いていたら、
レッスンプロらしき人が、その考えを否定していた。
「プロとは、難しいことが出来る人のことではなく、
当り前のことを、簡単にできる人のことです」
う〜ん、奥が深い、この言葉。
たしかに高度な技を持っていることも大切だけれど、
基本動作を基本どおりにこなせる力って、ゴルフに限らず、
どんな場面でも大切な技術となっている。
10回挑戦して10回、100回挑戦して100回、
同じ結果になる知識と技術こそプロと言えるということだ。
そのためには何事にも気をとられない「集中力」が不可欠。
プロとアマチュアとの違いは「再現性」かもなぁ。
これって、ゴルフの世界だけじゃないことは、
もう言わなくてもわかるよね。(汗)

P.S.
石川遼選手が2年ぶりの復活優勝を飾ったそうです。
彼は、やっぱり「プロ」ですね。(当り前か・・(笑))



2012年11月10日(土)
「愛する能力」と「夢を持つ能力」

映画「A.I.」(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
今まで何度となく観てきた、人間とロボットの確執。
すべて映画とはいえ、その結末にいつも考えさせられてしまう。
近未来、作られたロボットの方が優位に立つ構図は、
ほとんど、人間の愚かなロボット・バッシングから始まる。
そんな人間がロボットより優れているという前提は、
「愛する能力」と「夢を持つ能力」が備わっているということ。
しかし、どうみても作品の中に登場する人間の方が、
2つの能力を放棄しているようにも見える。
大人は「人を愛せるなら憎むことも出来るはずだ」とロボットを疑い、
子どもは「オモチャは壊した方が面白いんだ」とロボットを虐める。
そして、自ら子どものロボットにインプットした「親子の愛」すら、
森の中へ捨てて逃げるという行為を、私は理解することができなかった。
どうして、子どもロボットの「話」を聞いてあげようとしないのか、
ロボットを破壊して喜ぶショーよりも、残酷に感じてしまった。
それなのに、そんな人間の愛を疑うことなく信じ続け、
2,000年後も、母親に対する愛を持ち続けていたロボット・デイビット。
どちらが「愛する能力」と「夢を持つ能力」を持ち続けているか、
一目瞭然である。
2つの能力が失われつつある、現代人の難しい「生き方」と、
予測できたはずの地球温暖化や、地球の氷河期などという環境変化に
的確に対応できなかった生物としての人類に対して警鐘として受け止めたい。
心温まるラストシーン、「魂を持っていた人間を私は羨ましく思う」と呟いた
進化し続けたロボットたちに誇れるよう、今を大切に生きたいと思う。

P.S.(おまけ)
ロボットに、親子の絆を設定する7つのキーワード。
シラス(巻き雲)、ソクラテス、パーティクル(分子)、デシベル(音波)、
ハリケーン、ドルフィン、チューリップ
続けて「(母親)モニカ、(ロボットの子ども)ディビット、モニカ」
う〜ん、この単語の繋がりこそが最大の謎である。



2012年11月09日(金)
「紅葉」のお裾分けだよ

先月末に開催された「みどり祭り」で購入した鉢植えが、
職場の事務机の上で、赤や黄色の色をつけてきた。
「水をやるだけでいいから・・」の言葉を信じて、
毎朝、水だけをやり続けている。
嬉しいことに、休みの日は、シルバー人材の人たちが、
私に代わって水をあげていてくれたようだ。
「課長、キレイな色が付きましたね」そう言われ、
思わず口に出たのが「『紅葉』のお裾分けだよ」。
京都や箱根の紅葉もいいけれど、毎日眺められる、
私の机の上の「紅葉」も悪くないな。(笑)
春には「すみれ」、そのあと「ひとりしずか」、
花だけでなく、私のお気に入りの葉っぱの緑が、
日頃のストレスを解消してくれている。
しばらくは、色鮮やかな紅葉が、机上を陣取るが、
冬になったら、また新しい仲間を捜してこようっと。