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| 2012年08月30日(木) ■ |
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| 無形文化財は「形がないから、壊れもしない」 |
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10月には下半期の講座が始まっちゃうので、 上半期分の講座、公開しなくちゃなぁ、という訳で 日大市民公開講座(平成24年度上期) 講師「日本大学国際関係学部教授・高山茂氏」 演題「伊豆の民俗芸能」から。 「無形文化財に詳しい人は少ないんです。 なかなか有形文化財を研究している専門家の理解が 得られませんが・・」と前置きをしながら、 「有形文化財」と「無形文化財」の違いを説明してくれた。 「有形(文化財)は、保存すれば長く伝わる。 「無形(文化財)は、保存するわけにはいかない。 形がないから、壊れもしない。」 「民俗芸能」は「祭り」と同義語であるのだろう。 「暮らしの中で伝えてきたことが大切」と言い切った。 無形文化財の特徴も7つほど教えてもらったが、 印象に残っているのは「季節性(決まった日)」 「非専業性(素人・別の仕事を持っている人)」。 毎年○月第○曜日のように開催日が変わったり、 それを伝えることが仕事として成り立っていては、 無形文化財の特徴から、外れるようだ。 こういった判断で、近隣のお祭りを見渡すと、 フェスティバルなのか、民族芸能なのか、判りやすい。 これから、そんな視点で、お祭りをみてみようっと。
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| 2012年08月29日(水) ■ |
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| 「まん」とは、古い言葉で「運」(うん) |
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水曜日、恋愛・エッチネタは久しぶりですが・・・(笑) 映画「あげまん」(伊丹十三監督)から。 作品中「あんたは、あげまんなんだから」と諭され、 「あんたと連れ添った男は、必ず運が開けるんだからね、 いい男をつかまえなさいよ」という会話に、 「あげまん」は、女性に使う単語だとばかり思っていた。 もちろん「まん」の解釈を勝手に間違えたのであるが、 「あげまん」とは「上昇運」のことらしい。 だから「あげまんの女」(上昇運の女)という使い方をする。 逆に考えれば「あげまんの男」というのも存在することとなる。 ちょっと下品になるが、この映画が流行った頃、 男同士で「あげちん」「さげちん」なんて会話をしたけれど、 それは間違いだったことを、当時の仲間に教えようっと。 主人公を演ずる宮本信子さんとエッチした男が出世するから、 ややこしくなっちゃうんだよなぁ。 伊丹十三監督の奥さんは「あげまん」なんですね。(笑) でも今更「『まん』とは、古い言葉で『運』(うん)」と言われてもなぁ。
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| 2012年08月28日(火) ■ |
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| 政治家に接する機会を増やす |
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講師「ジャーナリスト(元静岡新聞社)原田誠治」氏 講演「幸せになるための民主主義考-第1弾」から。 内容が過激なところもあり、ヒヤヒヤさせられたが(笑) 私たち国民が出来ること、いや、しなければならないことは 「政治家に接する機会を増やす」だと言う。 「この間の選挙で、あなたにこういうこと期待して、 投票したんですよ」という言葉を投げかけることこそ、 選挙後にも私たちが出来ることだ、と彼は言う。 私も同感である。 選挙したら4年間はもう知らない、のではなく、 機会あるごとに(街で会うたびに)、議員に声を掛けて、 選挙当時の公約(マニュフェスト)を訊ねてみる。 政治家を刺激続ける、ということは、とても大切なこと。 私は、あなたに期待していますよ、というメッセージ。 どしどし発して欲しい。議員も期待してたりしてね。
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| 2012年08月27日(月) ■ |
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| バッター勝負だ、全員一度大きく深呼吸させてこい |
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インターネットで見つけたトピックス、 「熱闘甲子園で新喜劇ばりズッコケ あかんの?」が引っ掛かった。 「亡き父に誓った全力パフォーマンス」との説明に、胸が熱くなる。 実は、先日紹介したばかりの映画「ひゃくはち」(森義隆監督)でも、 同じようなシーンがある。(2008年制作) 決勝戦の9回ツーアウト、1点リードしているが、流れは完全に相手側、 このままでは、逆転濃厚の場面、マウンドには焦る選手たちが集る。 そこで監督は、ベンチ入りの補欠選手に「伝令役」を任せる。 「青野、バッター勝負だ、全員一度大きく深呼吸させてこい」 この伝令を受けた補欠選手は、以前から練習していたズッコケを披露し、 守っている選手の緊張を解きほぐして勝利へ導いた。 確かに、悪ふざけと紙一重の「プレー」ではあるが、私は評価したい。 物事、全てに役割があり、補欠は補欠なりに考えたチームへの貢献、 そんなパフォーマンスを、誰も責める権利はないと思う。 甲子園という大きな舞台「伝令係」が一所懸命にマウンドへ向かう姿、 拍手喝采で迎えてあげたい。 彼ら高校球児は、私たちが考えている以上に真剣であるから・・。
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| 2012年08月26日(日) ■ |
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| そのためには、生身の日本人が必要なんです |
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「横田めぐみさんの娘 正恩氏妹が身辺管理」の見出しを インターネットで見つけたので。 映画「めぐみ 引き裂かれた家族の30年」 (クリス・シェリダン、パティ・キム監督)から。 どうして「拉致」(ABDUCTION)ということが起こるのか、 あまり理解もしないまま、この事件を眺めていた気がする。 そしてその答えは、作品の中でみつかった。 北朝鮮が、自国のスパイに教えていたのは、 「日本語教育ではなく、日本人化教育」だったということ。 言い換えれば「日本人そのものになること」を要求していた。 各国の情報を集める諜報部員にとっては、 不自然な仕草、行動、判断が命取りになるからだろうか。 顔の洗い方1つにとっても、各国民の動きが違うことを知り、 そこまで習得するのか、と驚きを隠せなかった。 「そのためには、生身の日本人が必要なんです」 この言葉に「拉致」の必要性をはっきり認識できた。 「真似るのではなく、そのものになる」 その為には、ホンモノの精密な観察が必要になるから、 悲しいかな、こういうことが起きるということだと知った。 では、なぜ、そこまで我が国の「情報」が必要なのか、 う〜ん・・・難しい問題だなぁ。
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| 2012年08月25日(土) ■ |
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| お母さん、なんで僕は勉強しなきゃいけないの? |
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先日紹介した書籍「感動の条件」 (永松茂久著・KKロングセラーズ刊・230頁)から。 なかなか説明が難しい、今と昔の家庭教育の違いについて、 わかりやすい例えを探していたら、この本の中で発見した。 今も昔も、子どもたちの素朴な疑問は同じ。 「お母さん、なんで僕は勉強しなきゃいけないの?」 それに対するお母さんの答えで、今と昔の家庭教育の違いを 説明することが出来る気がする。 昔のお母さんは、 「立派な人になって世の中の役に立つ人間になるため。 だから、あなたは勉強するんだよ」と教えてくれた。 今のお母さんは 「あなたが勉強していい大学に行くと、いい会社に就職できて、 いいところの人と結婚できて幸せになるの。 だから自分のために勉強するんだよ」と説明する。 いつ頃が昔と今の境目かは、物議を醸し出すかもしれないが、 戦後、個性の尊重が叫ばれた頃から、 「人のために」から「自分のために」にシフトしていったと思われる。 教育の基本は少なくとも「世の中の役に立つ人間を育てる」 これこそ、静岡県が進める「有徳の人」づくりであろう。 家庭だけでなく、社会全体でこの考えを取り戻したい。
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| 2012年08月24日(金) ■ |
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| 西の殿様は、必ず「三島」に宿をとった |
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今晩、三島で飲んできたから、という訳ではありませんが・・ 以前、聴講した日大国際関係学部主催、 市民公開講座「伊豆再発見」の講座から。 交通網が発達した現代では考えられないことでも、 昔は常識だったことが歴史を勉強すると見えてくる。 例えば「三島」という地。 今では、東海道新幹線の駅があり、 伊豆の玄関口というイメージをもっているが、 参勤交代などがあった江戸時代には、 「天下の険」と言われた箱根越えを控えて、 西の殿様は、必ず「三島」に宿をとった、という話。 この「必ず」というところが、まちづくりのポイントと いえる気がして、メモをした。 「必ず泊まる」ということは、三島にはそれを受け入れる 「おもてなし」の文化が生まれたことを意味する。 少し離れた伊豆市の「修善寺」には、 関西(京都)と関東の文化が、屋根に残っている、 そんな話も耳にした。 「三島女郎衆」も、そんな三島の文化の1つだろうか。(汗) 「おもてなし」に磨きをかけるまちづくりは、 「三島らしい素敵な事業」だな、と思うがいかがだろうか。 現代、新規参入者が、三島にお店を出しやすい、と言うのも、 誰でも受け入れる「三島のおもてなし文化」の影響かもしれないな。
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| 2012年08月23日(木) ■ |
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| 補欠にシャッター向けるのは、一人前の記者になってからだ |
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夏の高校野球、大阪桐蔭の春夏連覇でしたね。 映画「ひゃくはち」(森義隆監督)から。 本来なら、高校野球補欠選手をテーマにした映画だから、 「グラウンドは生き残りをかけた戦場です」なんて台詞が ピツタリになんだけれど、ちょっとつまらない。 また、映画タイトルの「ひゃくはち」にちなんで 「ボールの縫い目も108つなんだよなぁ」を選ぼうと思ったが、 「この縫い目が煩悩」という発想に、もうひとつピンとこない。 そこでメモしたフレーズを読み直したら、この台詞が光った。 高校野球を取材する立ち場の新聞記者、 先輩から新米への厳しいけれど、的確なアドバイス。 「補欠にシャッター向けるのは、一人前の記者になってからだ」 「気分でシャッター切りやがって・・」と吐き捨てる台詞も、 私には、なかなか気に入ってメモの対象となった。 ついつい、女性の新米記者に対して、優しくなりがちであるが、 まずは基本中の基本を教えるその姿勢が、心に響いた。 物語とはあまり関係ないが、この作品を思い出すなら、 この先輩のフレーズだな、と感じて気になる一言。 どんな世界も、まずは基本でみっちり鍛えること。 レギュラーと補欠の違いも、このあたりにありそうだな。
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| 2012年08月22日(水) ■ |
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| 沼津のヌ |
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無線局運用規則を知っているだろうか、 第14条、別表第五号に和文通話表が掲載されている。 アマチュア無線などをしている人は知っていると思うが、 「朝日のア 」「いろはのイ」「桜のサ」「平和のヘ」など、 相手にわかりやすい定義をすることが目的のようだ。 その中に、驚く地名を発見した。それが「沼津のヌ」。 地名に類するものは「上野のウ」「大阪のオ」「世界のセ」 「東京のト」「名古屋のナ」「日本のニ」「富士山のフ」 「吉野のヨ」「尾張のヲ」「ローマのロ」くらいなものだから、 日本全国で「沼津のヌ」と言えば、誰にでもわかる地名だった。 今「沼津ナンバーの車」に乗っているが、実はこの地名、 静岡県では知られていても、全国では知られてないだろう、 そんな認識だったけれど、大間違いだった。(汗) たぶん、今でもこの規則が残っている限り、 少なくなったとはいえ電報などでは「沼津のヌ」は使われている(はず)。 もちろん、アマチュア無線でも使われているだろう。 沼津のまちづくり、市民でない私が提案することではないけど、 キャッチコピーは「沼津のヌ」を使って欲しい。 だって、東京・大阪・名古屋に匹敵する存在感なんだから。
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| 2012年08月21日(火) ■ |
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| 暑くて、だけど涼しい里山の夏 |
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映画「里山」(菊池哲理監督)から。 単なる自然保護ではなく、里山として自然を残していく。 これは、日本の各地で受け継がれてきた日本人の知恵というべき、 自然との関わり方である。 「人が手を入れてきた雑木林は、太陽の光が行き届き、 多くの生き物たちの住処になっています」 このナレーションの意味は大きな気がしてメモをした。 それをもっと短いフレーズで表現したのが 「暑くて、だけど涼しい里山の夏」ではないかと思う。 NHKスペシャルらしい(笑)、驚くような視点からの 徹底取材された映像に大満足しながらも 「昆虫採取こそ、日本人独自の子どもの遊びの文化」 「木を切るのは先祖から受け継いできた森を守るため」 「必ず株を残して木を切るようにしたのじゃ」 「村人は鳥のためといって、柿を少しだけ残しておく」 「裏庭に現れる昔話の登場人物たち。(狐や狸) 人家のすぐ裏にこれほど多くの野生動物が ともに暮らしているのは、日本ぐらいではないだろうか」 等、ハッとさせられる里山に暮らす人々の知恵に、 ただただ頷くばかりであった。 「日本独自の四季を、そこに住む人も生き物も味わっている」 この光景、特別な場所ではないはず。 自分の身の回りの自然、もう一度、見つめ直したい。
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