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しもさんの「気になる一言」
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2012年03月23日(金)
ファイトのある子どもをテーマに撮りたかった

映画「にあんちゃん」(今村昌平監督)から。
「この映画は・・4人の兄弟の記録である」というナレーション。
冒頭で「えっ、どんな映画なのか説明しちゃうの?」と戸惑ったが、
却って、最近にはない展開で、新鮮だった。
作品中、台詞よりも、兄ちゃん(長男)役の「長門裕之」さんが、
サザンの桑田にそっくりで、そればかり気になってしまった。(笑)
今回の主役は、四人兄弟(2男2女)の3番目。
どうして、この子が主役なんだろう、と疑問に思ったが、
ある番組で、今村監督のコメントを耳にして、納得してしまった。
「ファイトのある子どもをテーマに撮りたかった」
今の子どもたちと比べれば、十分、逞しい昔の子どもなのだが、
その中でも特に、父母のいない4人兄弟の次男が、
貧しくてもファイトをもって生きる姿が、描かれている。
時には、海や川に飛び込み、その水さえ飲んでしまうほどの丈夫さ、
大人の嫌らしいイヤミを、さらっと受け流す処世術、
「東京に行ってだめなら、それまでじゃ」という割り切り方。
どれをとっても「生きる力」を感じさせるシーンだったと思う。
最後に「にあんちゃん」(たぶん二番目の兄さんの意味)が決意する。
「とうちゃんも、にいちゃんも、貧乏のためにできなかったことを、
僕がやってみせる。今に、きっと!!」と。
そう言えば、最近「ファィとのある子ども」って少なくなったなぁ。
今村監督の想い、私には充分伝わりましたよ、はい。



2012年03月22日(木)
「よく時間がありますね」「うん、ほとんどテレビ観ないから」

飲んで帰ってきたら「気になる一言」の読者からメールが届いていた。
最近、読み始めてくれたらしいのだが・・
話題が、映画や書籍、コンサートや講演会からの情報が多いので、
きっと数年前から書き貯めておいたもの、と思っていたらしい。
メールの冒頭で「楽しく拝見していますが」と前置きをして、
「(それにしても)よく時間がありますね」と続いていた。
以前にも同じような質問を受けたが、私の場合、
一緒に行動している人は承知だろうが、その日又は翌日の話題が多い。
料理と同じで、ネタは新鮮の方がいいだろうから、書き貯めないし、
時間は、まだまだ余裕がある。
その理由は「ほとんど、テレビを観ないから」。
逆に言うと、今までどれだけ「テレビ鑑賞」に時間を費やしてきたか、
自分でも笑ってしまうほどである。
決して、テレビを否定しているわけではないが、
その時間のほんの少しでも、映画や読書に振り替えるだけでいい。
映画もコンサートも講演会も、ほとんど1時間半から2時間だから、
具体的には、約2時間、テレビから離れてみて欲しい。
きっと、新しいことに挑戦できる時間が手に入るはずだから。

P.S.
と言いつつ、試してくれる人、なかなかいないんだよなぁ。(笑)



2012年03月21日(水)
(春)「牡丹餅」(夏)「夜船」(秋)「お萩」(冬)「北窓」

お彼岸の日、当然のように墓参りに出かけたが、
母が「おはぎをいただいたから、食べてよ」と言うので、
「えっ、ぼたもちじゃないの?」と私。
当然、好奇心旺盛の私は、帰宅後調べてみたのだが、
基本的に同じで、食べる時期が違うだけらしい。
春は「牡丹の季節、春のお彼岸に食べる」から「牡丹餅」、
秋は「萩の季節、秋のお彼岸に食べる」から「お萩」。
どちらも小豆の粒を、季節に咲く花に見立てたようだ。
調べていくうちに、夏も冬も呼び名があるという情報が・・。
この食べ物、餅つきをしないので「ペッタン」と音がしない。
お隣さんなどからするといつついたのか分からない。
そういうところから、搗(つ)き知らず→着き知らず、となり
夜は船がいつ着いたのか分からないことから「夜船」。
冬は「着き知らず」が「月知らず」となって、
月の見えないのは、北の窓だから「北窓」。
1つの食べ物に、季節ごとに「名前」があるなんて、
なんだか、のんびりしてて風情があって、いい時代だったなぁ、
なんてぼやいてみたりして。(汗)
お酒も好きだけど、甘いものも好きの私。
明日の脳ドックが終わったら、どちらから口にしようかな。



2012年03月20日(火)
ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり

映画「ひまわり」(ビットリオ・デ・シーカ監督)から。
戦争の悲惨さを伝えたい、監督の想いは伝わってきた。
しかし今、観直すと違った視点が、この作品にはあった。(汗)
ロシア・ウクライナ地方というと「チェルノブイリ」が浮かぶし、
たぶん場面からすると、工場なんだろうけれど、
アメリカ・スリーマイル島原発の形をした建物が風景にあり、
さらに、放射能を吸収しやすいからと、東北地方でも
「ひまわり」を植える活動があるから、その関連性に驚いた。
まるで「原発事故とひまわり」を「予知」してたように・・。
ところで、作品自体は重厚な映画音楽に支えられ、
シンプルながら、鑑賞後、余韻を楽しめる作品と言えそうだ。
「ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり」の下には、
「ドイツ軍の命令で、穴まで掘らされて
イタリア兵やロシア人捕虜が埋まっています。
そして無数のロシア農民も、老人、女、子どもまで。」
きっと反戦テーマの作品としても、評価が高いだろう。
チャイコフスキーの曲を感じさせる作品でもあった。

P.S
個人的には「卵24個使ったオムレツ」が食べてみたい。



2012年03月19日(月)
本音と建前を使い分ける民族の陰湿さ

書籍「13階段」(高野和明著・講談社・350頁)から。
タイトルだけで、死刑の「13階段」を想像した。
しかしながら、読み進めると「死刑執行起案書は、
5つの部署13名の官僚の決裁を受けることになっていた」
「死刑判決の言い渡しから執行まで、
どれくらい手続きがあるのかを数えてみた。
すると、それは13あった」・・なるほど「13階段」か。
さて気になったフレーズは、日本民族の特徴を表現している。
(死刑制度に関する国民アンケート結果をみても)
「日本人はな、悪人を死刑にしようと心の中では思いながら、
それを口にする人間を白い目で見るんだ」と言いながら、
「本音と建前を使い分ける民族の陰湿さだよ」と続けた。
「テレビなんかみてても、死刑反対の人しか出てこないですもんね」
たしかに「死刑賛成」と声高に堂々と主張する人は、
テレビではお目にかかったことはない。
あの人は、冷酷な人だ・・と言われるのを避けている。
その理由こそ「日本民族の陰湿さ」だと指摘され、頷いた。
それは、凶悪犯罪の被害者に対しても、同じことが言えるらしい。
「この国では、凶悪犯罪の被害者になった途端、
社会全体が加害者に変わるんです。
そして、どれだけ被害者をいじめても、誰も謝罪しないし、
責任もとりません」という被害者家族の言葉が、胸に染みた。
仲間だと思えば敵だったり、応援してるかと思えば足を引張ったり、
とかくこの世は、住みにくい。(笑)
この「日本民族の陰湿さ」を意識して発言することの意味を
問題発言ですぐ更迭される政治家は、知っておくべきだろう。



2012年03月18日(日)
すべて子どもたちの将来のためです

映画「麒麟の翼 劇場版・新参者」(土井裕泰監督)から。
観終わって、帰宅後に劇場内で書き留めたメモを整理していたら、
「あっ、そうか」と、今更ながら気付いたことがある。
どうしても「謎解き」「犯人探し」に夢中になってしまいがちな
ミステリー作品の中から、原作者が伝えたいことを探すことも、
映画鑑賞や読書の楽しみ方の1つとなっている。
今回は、劇団ひとりさんが演じる「中学校水泳部の先生」が発した
「すべて子どもたちの将来のためです」
子どもたちがある事件を起こす、しかし彼らの将来を考え事実を隠す。
受験前の中学3年生に対して、よく使われる美談のようだが、
この行為こそ、彼らに「悪いことをしても隠せばいい」という
メッセージを刷り込むことになる、と忠告している。
阿部寛さん扮する主人公の刑事・加賀恭一郎が、先生に問い掛け、呟く。
「数学の先生でしたよね。
子どもたちが正しい公式を学べるよう指導してあげてください」
この台詞が私のアンテナに引っ掛かってメモしておいたら、
その謎解きが、全体のメッセージへと拡大していった。
「すべて子どもたちの将来のためです」と先生、
「それで将来がどうなった?」と加賀刑事。
さらに「あんたが間違ったことを教えたから・・・」と詰め寄るシーン。
その間違った教えこそ、今回の事件につながった、そう言う意味で
「これがあんたの作った将来だ、あんたに人を教育する資格はない」と
言い切る言葉には力があった。
「間違ったことや悪いことをしたら、隠さない、逃げないで対処する、
それこそが『勇気』というものだ」と、「生きていくのに必要な公式」を、
先生は子どもたちに教えるべき、それが先生の役目だよ、と
私なりに解釈してみた。
今回の事件、影の犯人は、先生だったのかもしれないな。



2012年03月17日(土)
車がなければ生活できないなんて、街じゃない

書籍「震える牛」(相場英雄著・小学館刊・349頁)から。
牛海綿状脳症(BSE)を題材にしながらも、全国的に大手チェーン進出で、
「全国のどこも同じだ、街の顔がみえない」と呟くシーンが
印象的であった。
全国チェーンの進出が「街を壊している」とさえ言い切った。
私も同感であったので、関連フレーズをメモした。
「一見、便利なサービスはたくさんあるが、
それはインフラが整っている都会の話だ」にも頷いた。
「買い物袋を下げ、小型タクシーに乗り込んでいく姿が見える」と
その光景をリアルに表現した後、
「彼女は、典型的な買い物難民だよ」と吐き捨てた。
そして、気になる一言に選んだ、このフレーズが続く。
「車がなければ生活できないなんて、街じゃない」
これは、インパクトがあった。
街には、乳幼児から高齢者まで、いろいろな年代が生きている。
特に「生活弱者」と呼ばれる高齢者が、生活に不自由しながら、
一所懸命、生きている姿は胸につまされる。
原因を調べていたら、これだ、という表現にぶつかった。
「2000年、通称、大店法が廃止されたことが、
地方都市を本格的に破壊し始めた」・・なるほどなぁ。



2012年03月16日(金)
創意工夫は無からつくること

前宮崎県知事・東国原英夫氏が、三島市で講演したようだ。
翌日の新聞で、その記事を読んだので、情報源は地元新聞。
記事によると、演題は「地域のピンチをチャンスに!」。
内容は、直接聴講したわけではないので触れられないが、
見出しは「創意工夫は無からつくること」と書かれた、
新聞の見出しが、私を喜ばせた。
「創意工夫は無からつくることをいう」と述べ、
官製談合事件で信用を失っていた宮崎県政を立て直した
エピソードを語ったらしい。
辞書によると「創意工夫」とは、
方法や手段などを新しく考え出すこと。
「創意」は他人のものまねでなく、新しく考えだすこと。
この、何にもないところから、作り出すことの楽しさを、
今の若者は、あまり知らない。
仕事も、前任者からの引継ぎで行うことが多いし、
何もないところから新しく作ることは、皆無に等しい。
マンネリ化したものを改善することは誰でもできるが、
何もないところから作り出すのは、苦労するようだ。
「何でもいいから作ってごらん」の台詞は、
「創意工夫」の機会が少ない若者には、苦手なようだ。
昔は、遊ぶゲームも、自分たちで作ったのになぁ。



2012年03月15日(木)
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ

映画「しゃべれども しゃべれども」(平山秀幸監督)から。
TOKIOの国分太一さん扮する落語家・今昔亭三つ葉は、
新作はやらず、古典落語しかやらないと決めている。
師匠には「数だけ増やしてどうすんだ、ばかが」と叱られるが、
それでも、古典落語を喋り続ける訳は、自信がつくような
「これだってのが、欲しいんです」が本心のようだ。
さて、最後にはある落語を自分のものにするのだが、
それを聴いていた師匠が、ぼそっと呟く。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ」
最後の「当たり外れは風まかせ」が粋だねぇ、とメモをした。
しかし、ネットで諺を調べると、不思議なことにぶつかった。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の意味、使い方に違いがある。
ある辞書には「下手な者でも何度も試みれば、
まぐれでうまくいくことがある」というたとえ。
類義では「下手な鍛冶屋も一度は名剣/下手の金的」など。
一方、「何事も根気よく続ければ、
そのうちにうまくいくものだということ」というたとえ。
使い方は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというから、
いつかは儲かることもあるだろう」となっている。
片方は「偶然・まぐれ・奇跡」のように捉えているが、
もう片方は「地道な努力、継続の大切さ」を伝えている。
この物語での使われ方は、後者だろうか。
私の理解は、前者だったから、ちょっと驚いたけれど、
あながち、間違いではない気がしている。
さて、あなたは、どちらだろうか。



2012年03月14日(水)
18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ

先日、三島に飲みに行った帰りの出来事である。
(ホワイトデーにこんな話題でごめんなさい(汗))
ある飲み屋街を歩いていたら、
客引きのお兄さんに呼び止められた。
「どうですか、よかったらちょっと寄って行きませんか?」
の意味を含んでいる台詞として
「おにいさん、いい娘(こ)入りましたよ」というのだろうが、
今回は、ちょっとインパクトがあった。
「18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ」
だからってそうですか、とお店に入っていく訳ではないが、
このフレーズで、入っていていく男がいるのかもしれない。
この「なりたて」という単語は、手垢の付いていない
新鮮な、フレッシュ感を感じさせるイメージがある。
「とりたて」「早摘み」などのキャッチコピーに引かれる
消費者と同じ感覚とも言えそうだ。
本音は、ちょっとだけだが「18歳になりたての娘(こ)」を
見てみたくなった。(薄暗い中ではなくて・・)
面白いものだよなぁ、人間って。
いやいや、面白いものだよなぁ、男って。