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しもさんの「気になる一言」
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2012年03月20日(火)
ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり

映画「ひまわり」(ビットリオ・デ・シーカ監督)から。
戦争の悲惨さを伝えたい、監督の想いは伝わってきた。
しかし今、観直すと違った視点が、この作品にはあった。(汗)
ロシア・ウクライナ地方というと「チェルノブイリ」が浮かぶし、
たぶん場面からすると、工場なんだろうけれど、
アメリカ・スリーマイル島原発の形をした建物が風景にあり、
さらに、放射能を吸収しやすいからと、東北地方でも
「ひまわり」を植える活動があるから、その関連性に驚いた。
まるで「原発事故とひまわり」を「予知」してたように・・。
ところで、作品自体は重厚な映画音楽に支えられ、
シンプルながら、鑑賞後、余韻を楽しめる作品と言えそうだ。
「ウクライナの大地に咲き誇る、ひまわり」の下には、
「ドイツ軍の命令で、穴まで掘らされて
イタリア兵やロシア人捕虜が埋まっています。
そして無数のロシア農民も、老人、女、子どもまで。」
きっと反戦テーマの作品としても、評価が高いだろう。
チャイコフスキーの曲を感じさせる作品でもあった。

P.S
個人的には「卵24個使ったオムレツ」が食べてみたい。



2012年03月19日(月)
本音と建前を使い分ける民族の陰湿さ

書籍「13階段」(高野和明著・講談社・350頁)から。
タイトルだけで、死刑の「13階段」を想像した。
しかしながら、読み進めると「死刑執行起案書は、
5つの部署13名の官僚の決裁を受けることになっていた」
「死刑判決の言い渡しから執行まで、
どれくらい手続きがあるのかを数えてみた。
すると、それは13あった」・・なるほど「13階段」か。
さて気になったフレーズは、日本民族の特徴を表現している。
(死刑制度に関する国民アンケート結果をみても)
「日本人はな、悪人を死刑にしようと心の中では思いながら、
それを口にする人間を白い目で見るんだ」と言いながら、
「本音と建前を使い分ける民族の陰湿さだよ」と続けた。
「テレビなんかみてても、死刑反対の人しか出てこないですもんね」
たしかに「死刑賛成」と声高に堂々と主張する人は、
テレビではお目にかかったことはない。
あの人は、冷酷な人だ・・と言われるのを避けている。
その理由こそ「日本民族の陰湿さ」だと指摘され、頷いた。
それは、凶悪犯罪の被害者に対しても、同じことが言えるらしい。
「この国では、凶悪犯罪の被害者になった途端、
社会全体が加害者に変わるんです。
そして、どれだけ被害者をいじめても、誰も謝罪しないし、
責任もとりません」という被害者家族の言葉が、胸に染みた。
仲間だと思えば敵だったり、応援してるかと思えば足を引張ったり、
とかくこの世は、住みにくい。(笑)
この「日本民族の陰湿さ」を意識して発言することの意味を
問題発言ですぐ更迭される政治家は、知っておくべきだろう。



2012年03月18日(日)
すべて子どもたちの将来のためです

映画「麒麟の翼 劇場版・新参者」(土井裕泰監督)から。
観終わって、帰宅後に劇場内で書き留めたメモを整理していたら、
「あっ、そうか」と、今更ながら気付いたことがある。
どうしても「謎解き」「犯人探し」に夢中になってしまいがちな
ミステリー作品の中から、原作者が伝えたいことを探すことも、
映画鑑賞や読書の楽しみ方の1つとなっている。
今回は、劇団ひとりさんが演じる「中学校水泳部の先生」が発した
「すべて子どもたちの将来のためです」
子どもたちがある事件を起こす、しかし彼らの将来を考え事実を隠す。
受験前の中学3年生に対して、よく使われる美談のようだが、
この行為こそ、彼らに「悪いことをしても隠せばいい」という
メッセージを刷り込むことになる、と忠告している。
阿部寛さん扮する主人公の刑事・加賀恭一郎が、先生に問い掛け、呟く。
「数学の先生でしたよね。
子どもたちが正しい公式を学べるよう指導してあげてください」
この台詞が私のアンテナに引っ掛かってメモしておいたら、
その謎解きが、全体のメッセージへと拡大していった。
「すべて子どもたちの将来のためです」と先生、
「それで将来がどうなった?」と加賀刑事。
さらに「あんたが間違ったことを教えたから・・・」と詰め寄るシーン。
その間違った教えこそ、今回の事件につながった、そう言う意味で
「これがあんたの作った将来だ、あんたに人を教育する資格はない」と
言い切る言葉には力があった。
「間違ったことや悪いことをしたら、隠さない、逃げないで対処する、
それこそが『勇気』というものだ」と、「生きていくのに必要な公式」を、
先生は子どもたちに教えるべき、それが先生の役目だよ、と
私なりに解釈してみた。
今回の事件、影の犯人は、先生だったのかもしれないな。



2012年03月17日(土)
車がなければ生活できないなんて、街じゃない

書籍「震える牛」(相場英雄著・小学館刊・349頁)から。
牛海綿状脳症(BSE)を題材にしながらも、全国的に大手チェーン進出で、
「全国のどこも同じだ、街の顔がみえない」と呟くシーンが
印象的であった。
全国チェーンの進出が「街を壊している」とさえ言い切った。
私も同感であったので、関連フレーズをメモした。
「一見、便利なサービスはたくさんあるが、
それはインフラが整っている都会の話だ」にも頷いた。
「買い物袋を下げ、小型タクシーに乗り込んでいく姿が見える」と
その光景をリアルに表現した後、
「彼女は、典型的な買い物難民だよ」と吐き捨てた。
そして、気になる一言に選んだ、このフレーズが続く。
「車がなければ生活できないなんて、街じゃない」
これは、インパクトがあった。
街には、乳幼児から高齢者まで、いろいろな年代が生きている。
特に「生活弱者」と呼ばれる高齢者が、生活に不自由しながら、
一所懸命、生きている姿は胸につまされる。
原因を調べていたら、これだ、という表現にぶつかった。
「2000年、通称、大店法が廃止されたことが、
地方都市を本格的に破壊し始めた」・・なるほどなぁ。



2012年03月16日(金)
創意工夫は無からつくること

前宮崎県知事・東国原英夫氏が、三島市で講演したようだ。
翌日の新聞で、その記事を読んだので、情報源は地元新聞。
記事によると、演題は「地域のピンチをチャンスに!」。
内容は、直接聴講したわけではないので触れられないが、
見出しは「創意工夫は無からつくること」と書かれた、
新聞の見出しが、私を喜ばせた。
「創意工夫は無からつくることをいう」と述べ、
官製談合事件で信用を失っていた宮崎県政を立て直した
エピソードを語ったらしい。
辞書によると「創意工夫」とは、
方法や手段などを新しく考え出すこと。
「創意」は他人のものまねでなく、新しく考えだすこと。
この、何にもないところから、作り出すことの楽しさを、
今の若者は、あまり知らない。
仕事も、前任者からの引継ぎで行うことが多いし、
何もないところから新しく作ることは、皆無に等しい。
マンネリ化したものを改善することは誰でもできるが、
何もないところから作り出すのは、苦労するようだ。
「何でもいいから作ってごらん」の台詞は、
「創意工夫」の機会が少ない若者には、苦手なようだ。
昔は、遊ぶゲームも、自分たちで作ったのになぁ。



2012年03月15日(木)
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ

映画「しゃべれども しゃべれども」(平山秀幸監督)から。
TOKIOの国分太一さん扮する落語家・今昔亭三つ葉は、
新作はやらず、古典落語しかやらないと決めている。
師匠には「数だけ増やしてどうすんだ、ばかが」と叱られるが、
それでも、古典落語を喋り続ける訳は、自信がつくような
「これだってのが、欲しいんです」が本心のようだ。
さて、最後にはある落語を自分のものにするのだが、
それを聴いていた師匠が、ぼそっと呟く。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる、当たり外れは風まかせ」
最後の「当たり外れは風まかせ」が粋だねぇ、とメモをした。
しかし、ネットで諺を調べると、不思議なことにぶつかった。
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」の意味、使い方に違いがある。
ある辞書には「下手な者でも何度も試みれば、
まぐれでうまくいくことがある」というたとえ。
類義では「下手な鍛冶屋も一度は名剣/下手の金的」など。
一方、「何事も根気よく続ければ、
そのうちにうまくいくものだということ」というたとえ。
使い方は「下手な鉄砲も数打ちゃ当たるというから、
いつかは儲かることもあるだろう」となっている。
片方は「偶然・まぐれ・奇跡」のように捉えているが、
もう片方は「地道な努力、継続の大切さ」を伝えている。
この物語での使われ方は、後者だろうか。
私の理解は、前者だったから、ちょっと驚いたけれど、
あながち、間違いではない気がしている。
さて、あなたは、どちらだろうか。



2012年03月14日(水)
18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ

先日、三島に飲みに行った帰りの出来事である。
(ホワイトデーにこんな話題でごめんなさい(汗))
ある飲み屋街を歩いていたら、
客引きのお兄さんに呼び止められた。
「どうですか、よかったらちょっと寄って行きませんか?」
の意味を含んでいる台詞として
「おにいさん、いい娘(こ)入りましたよ」というのだろうが、
今回は、ちょっとインパクトがあった。
「18歳になりたての娘(こ)、入りましたよ」
だからってそうですか、とお店に入っていく訳ではないが、
このフレーズで、入っていていく男がいるのかもしれない。
この「なりたて」という単語は、手垢の付いていない
新鮮な、フレッシュ感を感じさせるイメージがある。
「とりたて」「早摘み」などのキャッチコピーに引かれる
消費者と同じ感覚とも言えそうだ。
本音は、ちょっとだけだが「18歳になりたての娘(こ)」を
見てみたくなった。(薄暗い中ではなくて・・)
面白いものだよなぁ、人間って。
いやいや、面白いものだよなぁ、男って。



2012年03月13日(火)
盛りを過ぎても、見事に咲き誇る

映画「カレンダー・ガールズ」(ナイジェル・コール監督)から。
映画解説には「中年女性たちが自分たちのヌード写真を
カレンダーにして売り出し、大反響を巻き起こしたという
イギリスの実話をもとに描く人間ドラマ」とある。
白血病で亡くなった夫が、生前、女性たちの前で話そうと考えていた、
原稿の一節である。「ヨークシャーの花は、女性に似ている。
生長を重ねるたびに、その美しさを増していく。
盛りを過ぎても、見事に咲き誇る。あっという間に枯れていくが・・」
とジョークも交えながら、素晴らしい原稿の一節である。
彼女らは英国ヨークシャーの片田舎ネイブリーに住んでいる。
英国の中でも、壮大な自然が広がる有数の土地らしく
その野に咲く花は、女性に似ているというわけだ。
子育ても終わり、生き甲斐を探す女性、特に中年女性にとって、
後ろから押してくれる、応援フレーズになったに違いない。
「盛りを過ぎても、見事に咲き誇る」
何度か登場するフレーズなので、きっとこの作品の根底を流れる想い、
そんな気がして採り上げてみた。

P.S.
個人的には「女性連盟の目的は?」(日本では「婦人会」)の質問に対して、
「『自己啓発』と『娯楽』と『親睦』」と即答したシーンがあり、
妙に納得してメモをした。今度、挨拶で使わせてもらお〜っと。



2012年03月12日(月)
お辞儀をして、元の姿勢に戻ってから、言葉を述べる

書籍「日本人・礼儀作法のしきたり」
(飯倉晴武監修・青春出版刊・188頁)から。
何気なくよった書店で目に付き買ってしまった本書、
へぇ〜と思うことや、そういえば・・と思い出すことばかり。
・「寸志」という表書きは、目下の者への謝礼に使う言葉。
・振袖は、長い袖を振って男性の気を引く着物。
だから、結婚したらもう袖を振る必要はないというわけ。
・「宴」とは「飲食をともにして、くつろいで楽しむ」という意味。
・気が利いた挨拶とは、お辞儀と言葉は、それぞれ心を込めること。
・箸は、食べ物を口に運ぶもの、器を運ぶものではない
・蓋付きは「冷めないうちにどうぞ」という意味が込められている。
そんな気付きオンパレードの中で、私が選んだのは
「丁寧な挨拶とは」という説明であった。
「お辞儀をして、元の姿勢に戻ってから、言葉を述べる」
最近、大勢の人の前で挨拶をする機会に恵まれるが、焦るためか
どうしても、お辞儀をしながら、挨拶をしてしまっている。
この一呼吸の「間」を意識すると、丁寧な感じがするし、
自分も落ち着いて「さて・・」と話し始められるのかもしれない。
これこそ、経験で覚えるしかないなぁ。



2012年03月11日(日)
落語の演題の1つに「黙祷」を追加

3.11、午後2時46分、館内に「黙祷」の放送が流れた時、
ちょうど、ある場所で「落語」を聴いていた。(汗)
冒頭「お忙しい中、生活苦の中、よりによってこんな日に」と
「この日この時間帯に落語をすること」への話題に触れたし、
会場内の誰もが、東北の被災者のことを考えたはずである。
また自宅に戻ってから、家族とも3.11の話題に触れよう、
だから、今は落語を楽しもうと思っていた矢先「黙祷」の放送、
当然、それまで話していた落語も、中断を余儀なくされた。
落語ほど、仕切り直しのきかないものはないと思う。
予期せぬ中断を「どこまで話しましたっけ?」ととぼけてみせ
機転の利いた話術で、切り抜けてくれたが、
これは噺家に失礼だったな、とメモをした。
3.11は、日本人にとって忘れられない災害には変わりないが、
朝から晩まで流れるテレビでの特集や、復興支援のイベントには
私がへそ曲がりのためか、首をひねりたくなる。
3.11は、忘れてはいけない日であるが、記念日ではないのだから、
静かに、東北の友人の生活や心を気遣うだけでもいいと思う。
「黙祷」は「もし出来ましたら・・」と協力は求められたとして、
けっして「強制」されてするものではない、と考えている。
予定していた演題を終え、今日の落語を紹介しながら、
その演題の1つに「黙祷」を追加するあたりが、粋だったなぁ。
さて、書き終えたから、東北の友達にメールしてみようっと。