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しもさんの「気になる一言」
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2011年10月15日(土)
カレーが食べたくなったね

第271回・泉のまち音楽会、今回は「インド舞踊」
出演(久保田幸代さん・田村美和子さん・小柳恵子さん)から。
271回を数えるコンサートでも、初めての演目であり、
ヨーロッパとは違う、アジア独特の音色・雰囲気が会場を包んだ。
インド舞踊の発祥は、紀元前後。文献には紀元200年からあるらしい。
女性が結婚をせず、神に捧げるための踊りだったのか、
今でも、男性も女性も同じ振り付けをする、という。
鑑賞の難しさは、拍手のタイミング。
素晴らしい踊りには、曲の途中でも拍手していいのか、
リズムに合わせて、手拍子をしていいのか、それさえわからない。
ただ「インド」という国に、ちょっぴり興味が沸いた。
彼女たちの息のあった踊りと、その音楽を耳にしただけで、
「カレーが食べたくなったね」と呟いた観客がいた。
私も同感であり、わが課のスタッフとも同じ会話をした。
音楽と食事が結びついているのは、たぶん「インド」をはじめ、
アジアの国々が多いと思う。
では「日本」は?・・と考えたが、何も浮かばなかった。
日本は欧米の影響を受けて「アジア」じゃないのかも。(笑)



2011年10月14日(金)
「お熱いのがお好き」でね

映画「オールウェイズ」(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
「森林火災消火隊」なるものが存在するなんて、アメリカらしい。
日本では耳にしたことがないから。
さて、気になる一言は、主人公・ピートが、山火事消化に燃え(笑)
恋人・ドリンダの「無茶しないで」と心配する気持ちに答えた台詞。
「『お熱いのがお好き』でね」
マリリン・モンロー主演の50年以上前映画『お熱いのがお好き』
(英題名:Some Like It Hot)がさらっと会話に出てくるところがいい。
消火活動中、飛行機の中は、もの凄い熱さだろう。
それを、さらっと切り返すところは、アメリカ人にとって、
映画は生活の一部として、会話にも多用される文化を持っているな、と
羨ましくもあった。
年老いてはいたが、オードリー・ヘプバーンの魅力は健在だったし、
アメリカで有名なお笑い番組は「料理研究家ジュリア・チャイルド」の
料理番組って再確認もした。
映画の中に、他の映画作品が出てくるのも洒落てるなぁ。



2011年10月13日(木)
たくさんの人数で暮らすということ

書籍「非常識力」(中村文昭著・PHP研究所・223頁)から。
今、日本は核家族化が進み、高齢者を中心に「孤独死」なる単語も、
新聞紙上を賑わせるようになってしまった。
今更、家長を中心とした2世代、3世代同居を提唱しても、
そんな時代へは戻れない、という意見もあるだろうが、
家族に限らず「たくさんの人数で暮らす」ことは、可能であろう。
だから、どの世代も、少なくとも2人以上で暮らして欲しい。
私がそう考えるのは、本書にも、同じようなことが書かれていたから。
「たくさんの人数で暮らすということは、
自分のわがままは通らないということの生きた教育のよう」と。
人が複数で生活するとなると、当然「我慢」「耐える」を覚える。
そして「譲り合い」「助け合い」を経験しながら、
自分の思うようにはならないことを知る。
そして最後は「人の死」というものにも関わることとなっていく。
生活しながら、いろいろなことを学び、考える機会が増え、
コミュニケーション能力を身につけながら、人間として成長していく。
だから、私は敢えて「たくさんの人数で暮らすということ」を
日本の将来のために、勧めていきたい、と思う。



2011年10月12日(水)
パチンコは「アミューズメントセンター」ではない。

書籍「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」
(若宮健著・祥伝社刊・215頁)から。
著者は、日雇い労働者、その日暮らしの自営業者、世間知らずの主婦、
無力な老人といった社会の弱者がターゲットと言い切る。
ギャンブル産業は、市民の糧を餌にして成長しているので、
韓国政府は、国民の幸せのために、禁止すべきものは禁止した、と。
日本には、そんな動きがないことに、大変ご立腹の様子である。
私は、日本と韓国の政府や国民の違いよりも、
著書の中に書かれていた、フレーズが気になった。
「パチンコは『アミューズメントセンター』ではない。」
さらに「恐ろしいバクチ場なのである。」と続いている。
そこでネットで調べてみると「アミューズメント」とは、娯楽。楽しみ。
英単語としての「amusement」は(〜を)楽しんでいる状態、おもしろさ、
楽しみごと、気ばらし、娯楽・・と意味は続いた。類語では「慰安」。
どんなにお金を使おうと、パチンコ依存症になって破産しようと、
当の本人が「ストレス発散や娯楽として楽しんでいる」と言うなら、
『アミューズメントセンター』(娯楽場)は間違っていない。
しかしながら、平日の昼間から、若い人たちや主婦が、
パチンコ屋に入り浸っている光景は、世界では異常である、と言う
意見には少なからず賛同できる。
「給食費が払えない。殺人。児童虐待。自殺」などの理由が、
パチンコ・・と決めつけるのは、ちょっと無理がある気もする。
だから韓国が正しい、日本は間違っている、という断定は引っ掛かった。
「パチンコの儲けで家を建てた」って話は耳にしないから、
日本人は、ほどほどにパチンコを楽しんでいる気がする。
それにしても、書籍のタイトルは刺激的だったなぁ。



2011年10月11日(火)
「一時しのぎ」なことしやがって

何となく眺めていたTV番組なので、
ちょっと情報源が不明です、ごめんなさい。
間違って使われやすい言葉の説明だった気がする。
「姑息なことしやがって」の「姑息」の使い方、
「卑怯」「いい加減」など、そんな意味を想像していたら
「一時しのぎ」という意味だと知って、メモをした。
辞書によると「姑」はしばらく「息」は休むの意味から、
一時の間に合わせにすること。一時のがれ。その場しのぎ。
多くの日本人が解釈を間違っているようだ。
ただし、もっと気になることがある。
今回、私がこの意味を知って、正式な意味で叱ったとしよう。
「一時しのぎ」「その場しのぎ」な仕事ぶりを
「姑息な仕事ぶりではダメだぞ」と。
その注意を受ける側が、この意味を理解していないで、
「卑怯な・正々堂々としていない」と理解していたとしたら、
「私はそんな仕事の仕方はしていません」と反論されそうだ。
こういう、多くの日本人が使い方を間違えている言葉は、
発する側と受ける側の共通理解がないとトラブルのもとだな、と
メモに注意書きをした。難しいものだなぁ、日本語って。(笑)



2011年10月10日(月)
腹いっぱい喰わせることだ

映画「トンマッコルへようこそ」(パク・クァンヒョン監督)から。
朝鮮戦争を舞台に、南北朝鮮軍兵士や国連軍のアメリカ人兵士が
山奥の「トンマッコル」という平和な村で友情を育んでいく物語。
「トンマッコル」とは、(映画の中で説明しているが)
「子どものように気ままな村」という意味らしい。
「気まま」というより、韓国映画独特の「純粋」の方がいいかも。
さて、気になる一言は、兵士の1人が、高齢の村長に訊ねる。
「怒鳴りつけることもなく、よく村民をまとめられますね。秘訣は?」
その答えが「腹いっぱい喰わせることだ」だった。
暴力や恐怖では、民をまとめられないことを、彼に伝えたのだろう。
「お腹いっぱいに食べることが出来る環境」イコール
「戦争のことなど知らないのんびりした生活」
そして、それが「平和」へと繋がることを、村長は知っている。
そう言えば「ケンカをやめて飯でも喰ったらどうだ」とか
「何をそういきりたってる?」と、穏やかに話しかけるシーンが続く。
戦いシーンが続くのに、なぜか観終わって爽快感が込み上げてきた。
韓国映画の魅力にハマってしまう人たちの気持ちがわかる気がする。



2011年10月09日(日)
内科は知識、病院で選べ、外科は技術、先生で選べ

あれ?誰の台詞だったろうか、情報源不明ですが・・。
病気になった時の対応の仕方メモである。
内科関連の病気は、その処方は多くの知識から対処される。
それはあくまで、あの病院はあの病気に詳しい、という風に、
病院の評判が、患者の評価につながってくる。
しかしながら、外科関連(手術)は、
どれくらいその手術を経験しているか、という経験値がモノを言う。
何百回も同じ手術をしている先生と、今回が初めてという先生では、
安心感・不安感という差が生じる。
だから、手術は病院ではなく、〜先生という個人の選択が望ましい。
そんな話を、短くまとめたら
「内科は知識、病院で選べ、外科は技術、先生で選べ」となった。
当り前なのだが、案外忘れがちな視点ではないだろうか。
手術を2度ほど経験した私の場合、外科は外科でも、
麻酔の先生の技術が一番大切にされるべきなんだと思う。
患者の場合、痛いか痛くないかだからなぁ。(笑)



2011年10月08日(土)
この上に住んでいる皆さんは名誉なことです

弥生時代終末から古墳時代初頭の遺構、遺物が、
私の自宅すぐ傍で発見され、現地説明会が開催された。
調査員の説明では、近隣で発見された古墳と関連もあり、
この地域を治めていた首長(豪族)の居館と推定され、
説明にも力が入っていた。
朝刊の新聞記事を見て集まった、50人を超す見物人に
拡声器を使わず、大きな声で言った。
「この上に住んでいる皆さんは名誉なことです」
続けて「私も出来ることならここに住みたいです」と。(笑)
考古学や埋蔵文化財に興味のある人たちにとって、
歴史的にみても、相当、貴重な場所らしい。
(現場だけ見ると、ただ石ころが転がっているだけですが・・)
説明員の一言に、近所に住んでいて見学に来た人たちは、
大満足で帰っていった。
そうだろう、自分たちが今住んでいる場所に
1800年も前から豪族が住んでいた、それだけ住みやすい場所、
と認めてもらったようなものだから。
夜にもう一度、懐中電灯片手に、現地を見に行ったけれど・・
やっぱり、単なる石ころの集まりなんだけどなぁ。(汗)



2011年10月07日(金)
ブログは更生計画と同じ

映画「ジュリー&ジュリア」(ノーラ・エフロン監督)から。
憧れのジュリアのレシピに挑戦し、それら全てをブログに綴る、
そんな試みが主人公とともにストーリーが展開されるが、
「ブログ」に関する台詞が多く、当然のようにメモも増えた。
「ブログって、現実から逃れる手段よ」
「ブログの意味は、規則正しく腹筋するのと同じ」
「ブログは更生計画と同じで、毎日続けることが大事なの」
「ブログには、毎日の目標が必要なのよ」
「私がブログを書かないと、みんな困るわ」
「ブログは、自己表現の場よ」
どれも、正しい気がするけど、どれも正しくない気もする。
私にとって「ブログ」は、とても魅力的な存在であるが、
たぶん、その機能の半分も利用していないと思える。
「ブログ」とは「ウェブ上の記録を意味する『ウェブログ』の略、
個人の日記などを、簡便な方法で作成し、公開することができる
ウェブサイトの総称。
パソコンだけではなく、携帯電話などを使って更新できるものもある」
と、説明されている。
う〜ん「ブログ」の定義って難しいてなぁ。
私を唸らせる「定義」をお持ちの方、是非、ご連絡ください。(汗)



2011年10月06日(木)
スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます

彼の訃報を悲しむように、毎日の日課のようにアクセスしている
アップルのホームページのトップは、喪に服していた。
墓碑の刻まれるようなメッセージだけを残して・・。
「Steve Jobs (1955-2011)
Appleは先見と創造性に満ちた天才を失いました。
世界は一人の素晴らしい人物を失いました。
スティーブを知り、共に仕事をすることができた幸運な私たちは、
大切な友人と、常にインスピレーションを与えてくれる師を失いました。
スティーブは彼にしか作れなかった会社を残しました。
スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます。」
どれも残したいフレーズであったが、私は最後のフレーズを選んだ。
グラフィックやデザインが得意だったわけでもなく、
PCで曲を作るミュージシャンでもなかったのに、
どうしてマックなの?と訊ねられても、答えは見つからない。
ただ不思議なことに、職場で使用するパソコンのOSが「窓」なのに、
帰宅後は「林檎マーク」で、パソコンライフを楽しんだ。
振り返ると、プライベートのパソコンは、すべてマッキントッシュで、
多くの「窓派」の仲間に誘われても、1度も浮気をしたことがない。
さらに自分のPCを「愛機」と呼んで、可愛がった。
それはたぶん「スティーブの精神」が好きだったから・・と残したい。
「林檎」と「窓」の選択は、私の性格にも影響を与えている。
この話はまたゆっくりと・・。今はただ、彼の冥福を祈りたい。
「スティーブの精神は永遠にAppleの基礎であり続けます。」