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| 2011年04月28日(木) ■ |
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| 2355が明日が来るのをお知らせします |
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日付が変わる直前の「2355」というNHK・BSの深夜番組。 ほんのわずかな時間で、ぼ〜っと画面を眺めていたら、 時報の直前、テレビから流れてきたフレーズが 「2355が明日が来るのをお知らせします」。 「2355」が主語であるのも不意をつかれたし、 その「2355」が、午前零時をお知らせするのも面白い。 今までは、会社名(放送局)が、時報をお知らせします、 となっていたはず。いや、今でもなっている。 「2355」が「2400」(「0000」)を知らせる関係が 私のアンテナに引っかかったのだろう。 誰かに伝えないと、忘れそうもないから、 こうやって「気になる一言」で紹介することにした。(笑) 今度、騙されてと思って確かめて欲しい。 きっと、笑えると思うから・・。
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| 2011年04月27日(水) ■ |
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| 理想の夫婦とは、感謝し合う夫婦 |
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ニーチェの言葉として、有名な夫婦の定義。 「夫婦生活とは長い会話である。」 (結婚とは長い会話である。・・という人もいるが・・) う〜ん、わからなくもないが、 今ひとつ、私のアンテナには引っ掛からない。(汗) そんな時、見つけたのは、作家・永六輔さんの定義。 以前紹介した、世代別占いと同様、世代別の夫婦を ワンフレーズにまとめてあったのでご紹介。 ◇ 十代の夫婦は、セックス夫婦 ◇二十代の夫婦は、愛で結ばれる夫婦 ◇三十代の夫婦は、努力して夫婦 ◇四十代の夫婦は、我慢の夫婦 ◇五十代の夫婦は、あきらめの夫婦 ◇六十代の夫婦は、感謝しあう夫婦 ニヤッとしてメモしたが、どうも自分たちの世代、 「五十代の夫婦は、あきらめの夫婦」が気にかかる。 こればかりは、そうかなぁ・・と疑問が残った。 子育てもほぼ終わり、一緒の時間を一番楽しめる世代、 と言うべきなのに「あきらめの夫婦」とは・・。 五十代の夫婦で、感謝しあえればもっと楽しいのにな。
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| 2011年04月26日(火) ■ |
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| 「赤飯おこわおむすび」VS「手巻きおにぎり」 |
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「おにぎり」と「おむすび」の違いは、 以前から気になっていたが、正直、結論が出なかった。 ところが、先日「セブンイレブンのレシート」を見て、 閉じ込めていた疑問が、また浮かび上がってきてしまった。 調べてみると、正直、ここで紹介できないくらい説があり、 私としては、どちらでも、自分が好きな方に統一すればいいよ、 程度の認識であったが、一緒に購入した同じ店で、 「おにぎり」「おむすび」、2種類を販売しているとなると、 話は別問題である。 確かに「赤飯おこわおむすび」「手巻きおにぎり」と印字され、 同じような包装がされている。(汗) うちは「おにぎり」という呼称で統一しています、とか 我が家は「おむすび」と呼んでいます、なら納得がいくが、 やはり、違うとなれば、その違いを訊いてみたくなるのが私。 今度、セブンイレブン以外のコンビニやスーパーでも 調べてみようっと・・、ちょっとオタクっぽい?(汗)
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| 2011年04月25日(月) ■ |
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| 君はね、弱虫で強虫で、イジワルで優しいの |
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映画「いけちゃんとぼく」(大岡俊彦監督)から。 予想以上に、この作品に入り込んでしまったのは、 主人公が私と同じ「よしお」って名前だっただけでなく、 小さい頃、海に溺れて死にそうになったこと、 父親が早く他界したことなど、共通点が多過ぎた。 実は、よしおにしか見えない謎の生き物「いけちゃん」が、 よしおの性格を、そっと語る場面がある。 「君はね、弱虫で強虫で、イジワルで優しいの。 それでカッコつけ虫」・・ この作品を観ている私のそばで、私にしか見えない 私だけの「いけちゃん」が呟いたように聴こえた。 「力で心が変えられるもんか」と、正義感を持ちつつも、 自分のしていることに対して、自信がなくなることも・・。 でも、こんな時も、いけちゃんが、よしおに呟く。 「君はみんなに愛されて、みんなの自慢になる」 だからこそ、自分を信じて生きなさい・・と言われたようで、 このフレーズもまた、私の生きる支えになるに違いない。 制作者には失礼かもしれないが、CGを甘く考えていたからか、 予想以上にじ〜んときて、しばらく余韻に浸ってしまった。 (50歳過ぎの男性、必見です)
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| 2011年04月24日(日) ■ |
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| 復興支援は、東日本産の地場産品を買うこと |
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被災者が語るテレビ番組を観て、そうだよなぁ、とメモをした。 これだけ余震が続くと、まだ旅行気分ではないが、 復興に向けて動き出した企業、農家を支援する意味で、 義援金も大切だけれど、その地場産品の購入も 被災者の彼らには、大きな支援となることを知った。 期限を設けず、じっくり出来上がってくるのを待つ。 それも、私たちのできることだと思う。 働く場が増えてくることは、微かであるが希望となる。 テレビ画面の中で、彼らは言い切った。 「『節電』を理由にイベント等の自粛は理解できるが、 『被災者に悪いから(可哀想だから)』を理由に、 イベント等の自粛は、何の役にもたたない」と。 言い換えれば、イベントを堂々と開催し、コーナーを設けて、 東日本産の地場産品の消費を増やす方が、復興支援となる。 僅かであるが、その注文により、働く場が増え、 彼らの収入が増え、元気を取り戻してくるに違いない。 だから今回の気になる一言は 「復興支援は、東日本産の地場産品を買うこと」 今、私が知りたいのは、今回被災しなかった東日本の企業ではなく、 建物から全てを失ってしまっても、復興に向けて動き始めた企業。 そんな企業を、これからも支援していきたい、と思うからだ。 しかし、その情報は、どこで手に入るのだろうか?
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| 2011年04月23日(土) ■ |
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| 今一番大切なのは、国民への道徳・人権教育 |
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「福島ナンバー拒否、教室で陰口・・風評被害に苦悩」の記事を、 とても憤りを感じて読み終えた。 首都圏民の電力をカバーしてきてくれた福島県民に対して、 そんな対応はないだろう、と思うことばかり。 世界で繰り広げられている地域間の争いって、 こんな些細なことから起こるんだろうな、と理解できた。 「恩を仇で返す」という意味を知っているだろうか。 「受けた恩に感謝するどころか、かえってひどい仕打ちをすること」 それでいて「そんなに言われるなら、わかりました。 それでは、首都圏の電力は東電の供給地域でお願いします」と 提案されれば、また不貞腐れるに違いない。 リズムの良い「頑張ろう、にっぽん」を口にしながら、 それをなにか流行・ブームのように勘違いしている気さえする。 今一番大切なのは、国民への道徳・人権教育。 間違っても「恩を仇で返す」「目には目を」の諺を教えないで・・。 相手の気持ちを踏みにじったり、郷土の誇りを傷つけられた時、 人は、相手構わず反撃に出ることも・・・。 「窮鼠(きゅうそ)猫を噛む」状態まで、被災者を追いつめないで欲しい。
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| 2011年04月22日(金) ■ |
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| スーちゃんは、ローマ字では「SUE」と綴る |
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キャンディーズ、田中好子さんが他界した。 なにを隠そう、私は「キャンディーズ」の大ファンであり、 もう2度と再結成されることがなくなった、と思うと、 ありきたりの言葉だが、非常に残念だし、辛い。 後輩たちの「そんなに好きだったんですか?」の問いには、 ちょっとマニアックな(オタクっぽい)話題で、証明したい。 今、こうして日記を書きながら眺めているのは、 昭和53年3月25日発行、発行・発売「バンダイ出版事業部」 編集「石原企画」定価580円の「ジョイナス・マガジン」 タイトルは「LOVE CANDIES 思い出愛蔵版」(汗) 「スーちゃん」愛称の意味は、調べればわかるが、 ローマ字にすると「SUE」、誕生した時間は「午後8時」などは、 さすがに、インターネットでは出てこない。 引退に向けて、彼女が残したメッセージの一部に 「早く、素晴らしい男性をみつけて、結婚もしたいな、 将来はすてきなブティクもやってみたいし。 それより、まず、クルマの免許をとらなくゃ」と残している。 その後、女優業に専念し、平成元年公開の映画「黒い雨」では、 原爆の悲劇に見舞われたヒロインを務め、 日本アカデミー賞最優秀主演女優賞など多くの賞に輝いた。 彼女の死は、脱・原子力へのメッセージかもしれないな。 (SUEちゃん、お疲れ様。私の青春でした、ありがとう。合掌)
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| 2011年04月21日(木) ■ |
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| 極めて低いレベルの・・ |
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新聞で見つけた、風刺漫画だったかなぁ。 吹き出しの台詞が 「極めて低いレベルの『1日も早く・全力を挙げて』」 今年の流行語大賞にノミネートしてもおかしくない 「極めて低いレベルの・・」というフレーズ。 今回は、東電社長が繰り返した謝罪の内容が、事務的で、 心がこもっていないと感じたのだろう、 その謝り方が「極めて低いレベル」と判断したことを 原発事故以来、私たちが何度も耳にした言葉で皮肉ったけれど、 この「極めて低いレベルの・・」は、意外と応用が効く。 どんなことでも、つまんないなぁ、と感じたら、 「極めて低いレベルの、挨拶」とか、 「極めて低いレベルの、飲み方」など、 「接頭語」のように使うと、面白いのかもしれない。 何度も何度も繰り返されてきた、このフレーズ。 被災者を始め、日本国民はもう聞き飽きた。 心のこもった「極めて高いレベルの謝罪」をしてから、 辞任してもらいたい、と思うのは私だけではないだろう。
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| 2011年04月20日(水) ■ |
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| 1度、国内の原発を全部止めてみればいい |
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誰もが「危険」だと気付いているのに、 それでも「原発」は必要だし、安全なんだ・・と言い切る、 専門家と言われる人たちの、その根拠が知りたい。 そもそも原発の専門家は、原発の研究をするのに、 原発のお世話になっているケースが多いはず。 だから、原発推進派の人たちが、何度もテレビ画面に登場し、 机上の空論となりつつある「原発は安全」を訴えている。 私には、そうとしか映らない。 今後も計画停電のシュミレーションをするのなら、 東電の原発を全部を止めたら、これだけの電力が不足します、 という情報があってもおかしくない、と思う。 そこで私の呟きを、気になる一言にしてみた。 (東電と言わず)「1度、国内の原発を全部止めてみればいい」 首都圏から遠く離れた地域から、送電線を通じて送られてくる 電力のロスだって、相当なものだと予測される。 本当に原発が安全なら、首都圏の電力をまかなう為に、 東京湾に原発を建設すればいい。 関東ローム層には原発は無理、と言わずに、 電力の自給自足(地産地消)も考えてみてはいかがか。
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| 2011年04月19日(火) ■ |
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| 慰労の送別会、結束の歓迎会 |
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昨晩は、職場の人事異動に伴う「歓迎会」だった。 先月「送別会」をしたが、手間はかかっても (私の祝儀が増えても)別々の方がいいな、と感じた。 慰労の意味と、結束の意味、とでも言おうか、 送別会と歓迎会は、目的が違うから、 一緒に行うのは、やっぱり、不自然である。 今回も、管理職として、メンバーの動きを眺めていたが、 それぞれの雰囲気が明らかに違う。 送別会は、1年間、ともに苦労してきた仲間との別れに対して、 打ち上げの意味で、大騒ぎをして送り出す。 歓迎会は、このメンバーで、多くの懸案問題を解決しながら、 1年間を乗り切っていく、という意味で、 その結束力を高めていく儀式として捉えている。 どちらも、幹事にお願いして、(職権乱用?)、生ビール厳禁。 男性も女性も、管理職も新人も、瓶ビール片手に、 お互い挨拶している光景は、私の大好きなシーンとなった。 今年も、このメンバーで頑張れそうだ。 厳しい中にも楽しい課の運営をしていきたい。
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