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しもさんの「気になる一言」
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2011年04月15日(金)
トランプでもジョーカーがいるから面白い

映画「交渉人 THE MOVIE タイムリミット 
高度10000mの頭脳戦」(松田秀知監督)から。
突っ込みどころ満載の作品だった。(笑)
まさか、素人・女性・腕に怪我・心臓の病を持った条件で
旅客機の着陸が出来るなんて考えてなかったから。
ストーリーとしては、予想外の展開に驚くシーンが続く。
場面設定をメモし忘れたが「えっ、どうして私の存在を?」と
呟く主人公に対して、ハイジャックの犯人がさらっと答える。
「トランプでもジョーカーがいるから面白い」
台詞と言うより、その発想が面白くメモをした。
正直なところ、今まで、トランプのジョーカーの役割なんて、
考えたことがなかったが、このフレーズで気付かされた気がする。
確かに、ジョーカーがないトランプゲームは、つまらない。
勝敗や結果が読めてしまうし、大ドンデン返しも期待できない。
手品のような時は、カード1枚としての役割しかもたないが、
ゲームとなると、ジョーカーが入るだけで、面白さが倍加する。
言い換えれば、平凡の中にも、
ちょっと刺激が必要ということか。
でも・・「ジョーカーは1枚でいい、何枚もいらない」
これが私の本音でもある。



2011年04月14日(木)
子供パワーを感じてから対処する

ある先生と、子供たちを「叱る」話になった。
同じ悪戯でも、子供たちの性格によって、
叱り方(強い口調だったり、諭したり)を変えるのかと思った。
ところが、私の意に反して、答えはタイミングらしい。
同じ子供でも、気持ちにムラがある。
だから、その時の子供パワーを感じてから対処するという。
パワーを感じない、元気のない時に、叱ると凹むだけ。
だから、今は叱っても平気だな、と子供のパワーを感じた時に、
タイミングよく叱ることが効果的と理解した。
これは、子供ばかりではない。
うちの職場でも同じことが言えそうだ。
悪いことをしたら、その場で叱らなければ意味がない、と
思っていた私にとって、ちょっと反省すべきことである。



2011年04月13日(水)
酔っ払った女性は大好きです

ラジオから流れてきて、思わず頷いたフレーズ。
たぶんインタビューした人は「NO」という答えを期待して
「酔っ払った女性をどう思いますか?」と訊いたようだが、
回答者は、軽やかに答えた。「酔っ払った女性は大好きです」。
正確には「酔える女性はいいなぁってこと」だと思う。
アルコールは飲めません、と完全に拒否するよりも、
少しでも飲んでくれて、白い肌が、全体にポッと桜色になり、
ほろ酔い気分に・・。(汗)
それが、私にはとっても嬉しいことなので、同感したのかも。
(勿論、体質的に飲めない人まで強要はしないけれど・・)
しかし、泥酔状態は?・・と訊かれれば、これは、微妙。(笑)
酒を飲むのはいいが、酒に飲まれるのは、男性・女性に限らず、
私は好きではない。
自分の飲める量をしっかり把握もせず、勢いだけで酔いつぶれる。
それは、大人のお酒の飲み方ではないと思っているから。
何度も同じ失敗を繰り返す人は、飲まない方がいいね、絶対。



2011年04月12日(火)
整理収納のエネルギー配分5:3:2

以前、お話を聞いた「整理収納」。
「収納の前に捨てられないんですが・・」と質問したら
「整理収納のエネルギー配分は捨てるのが5に対して
分けるが3で、収納が2の割合なんです」の答え。
なるほどなぁ・・と、納得がいく回答だった。
いつか使うだろう・・と考えず、捨てることができれば、
半分の整理収納が達成したこととなる。
逆に考えれば、捨てることに一番エネルギーが必要。
それを乗り切れば「分ける」「収納」は難しくなさそうだ。
捨てるものを選ばず、必要なものを選択する。
このルールに従って「捨てる」だけで、
物は、たぶん半分に片付くのだろう。
この比率を、いつも頭の隅に置いていきたい、と思う。
昔の写真などで、懐かしむ時間さえなければ、
出来るような気がするのだが・・。
あっ、もしかしたら人間関係も、同じ割合かもなぁ。



2011年04月11日(月)
バックします。(ガッツ石松)

映画「アヒルと鴨のコインロッカー」(中村義洋監督)から。
原作は、もちろん、伊坂幸太郎さん。
素敵な台詞もいっぱいあったのに、最後に選んだのは
「バックします。(ガッツ石松)」
ブータン人留学生ドルジに、日本語を教える河島。
その1コマだったけど、インパクトが強過ぎた。
「バックします。」を何回も口にしていると、
たしかに「ガッツ石松」に聞こえてしまう。(笑)
教えている河島の方が笑い出してしまうほど、面白い。
この作品を観てから、街中でこのフレーズが聞こえるたびに、
1人で「ガッツ石松」と言い換えてしまっている自分がいて、
どうしようもなく可笑しい。
作品の中では、どうでもいいような台詞だけど、
このフレーズを耳にするだけで、作品を思い出すのだから、
それはそれで、成功なのかもしれないな。
主人公「椎名」の名前を、ブータン人が覚える時も、
「しいな、しいな、おかしいな」と口にする。
これまた、耳から離れない。困ったものだ。

PS.
4月11日は「ガッツポーズの日」
1974年(昭和49年)のこの日、ボクシングの世界ライト級
タイトルマッチで、挑戦者のガッツ石松選手が逆転KO勝ちした。
このときの喜びのポーズが、「ガッツポーズ」と呼ばれ、
広まっていったことから生まれた記念日。



2011年04月10日(日)
津波が「第三の波」なのかもしれないな

久しぶりに、私の呟きである。
私が、愛読書として、時折、読み直している
書籍「第三の波」(アルビン・トフラー著」で、
「在宅勤務」の時代が訪れることを、予測している。
「The Third Wave(1980年)」を出版してから約30年。
それが、今、現実のものになろうとしている。
最近、ネットで見つけた記事だが、
「NTT在宅勤務支援、導入希望急増・・夏の停電で」。
これは、大きな産業革命へと繋がっていく予感がする。
郊外のゆったりとしたマイホームに住みながら、
パソコンを使い、在宅勤務を実現していく。
社員は、毎日の通勤ラッシュや、交通渋滞から解放され、
労働が家庭に移れば、エネルギーの必要量が減るばかりでなく、
エネルギーを分散させることにもなる。
今まで少数派だった生活形態が、計画停電をきっかけとして、
ぐっと現実味を帯びてきたとも言えないだろうか。
この震災によって、私たちの生活様式は一変しつつある。
それは、仕事中心の社会から、家庭中心の社会へ、と。
本当に、津波が「第三の波」なのかもしれないな。
神の与えた筋書きとは思いたくないが、
そのタイミングの良さに、私は驚きを隠せない。



2011年04月09日(土)
「開始」も突然ならば「打ち切り」も突然

政府と東京電力が「計画停電」の打ち切りを発表した。
需要と供給のバランスを考えて・・らしいのだが、
「開始」も突然ならば「打ち切り」も突然で、
私は、一抹の不安を感じている。
需要のシュミレーションの中に、震災後、1ヶ月間、
まるまる「停電状態」だった、公共施設の夜間貸出し分が、
入っていないのではないか?と。
文化センター、公民館、体育館、ナイター施設等、
公共施設のほとんどが、節電協力で、夜間し出しを不可にしてきた。
しかし「計画停電打ち切り」の報を聞いて、
施設使用(開放)を求める国民(町民)が、公共施設に詰め寄る光景は、
簡単に想像できる。
それに自治体が対応した時点で、電力需要は急増すると思う。
特に、スポーツの分野は、人間のストレス発散方法の1つなので、
早く身体を動かしたい、練習をしたい、という人が溢れている。
来週は、この対応で追われることが容易にわかるからこそ、
計画停電打ち切りについては、慎重に発表して欲しい。
現場は、またまた混乱が始まりそうだから。



2011年04月08日(金)
「情け」を上手に受けると、お互いの気持ちが楽になる

ある講演で「情けは人の為ならず」の話が飛びだした。
もっとも誤って使われやすいことわざの一つ。
最近では、雑学やテレビのクイズでよく出題されるから
「情けをかけると、その人のためにならない」の意ではないことは
多くの人が知ってきた。
「情けを人にかけておけば、めぐりめぐって自分に良い報いが来る。
人に親切にしておけば、必ずよい報いがある」
意味として・知識としては、確かにそうだろうが、
「結局は自分ため」という打算が生まれてはいないだろうか。
さて、電車やバスに乗っていて、若者が席を譲ってくれたとしよう。
そんな時、そんな高齢ではないから、という意味なのか、
「いや、けっこうですよ」と断ったりしているシーンを見かけるが、
たとえ本人はそう思っていても、勇気を振り絞って声を掛けてくれた
若者の情けを上手に受けてあげられる大人が増えて欲しいと願う。
だって「情け」を上手に受けると、お互い気持ちが楽になるから。
「情けは情けのためにやる」・・講師がぼそっと呟いた。なるほどなぁ。



2011年04月07日(木)
相手を通して自分個人の目標を何か達成しよう

確かめてなく申し訳ないが、今流行の「ニーチェの言葉」らしい。
「夫婦」について語ったようだ。
「相手を通して自分個人の目標を何か達成しよう」
注釈も含めて、正確には、もう少し長い。(ようだ)
「どちらも相手を通して自分個人の目標を
何か達成しようとするような夫婦関係はうまくいく。
例えば妻が夫によって有名になろうとし、
夫が妻を通して愛されようとするよう場合である。」
自分の力で、目標を達成するのではなく、
相手を通して目標を達成していく・・という視点が新鮮だった。
2人とも自立をして、お互い励ましあいながら・・という形が、
夫婦の理想だと、今まで思っていたから。
もしかしたら、自分だけでも出来るのかもしれないが、
そこを敢えて「夫は、妻を通して、自分個人の目標を何か達成し、
妻は、夫を通して、自分個人の目標を何か達成する」。
この関係、距離感が「夫婦」と言うものを深めていくに違いない。
そうか、妻にも、教えてやろうっと。



2011年04月06日(水)
「だいじょうぶ」は「大丈夫」とは違う気がする

「東日本大震災救援チャリティコンサート
―やさしさをありがとう―」から。 
高橋誠さんの世界の民族楽器演奏、
特に「インディアンフルート」の音色に心が癒された。
おかざわゆめこさんの「天使の着ぐるみ」の朗読、
これまた、温かくて、涙腺が緩み、言葉にならなかった。
最後は、AMAN瀬戸龍介さん&花世さん親子の歌。
特に、アンコール曲の「だいじょうぶのうた」は、
今でも耳に残って、私の心にしっかり刻まれた。
帰宅してから「だいじょうぶ」【大丈夫】の意味を調べてみたら、
「あぶなげがなく安心できるさま。強くてしっかりしているさま。
まちがいがなくて確かなさま。」
その瞬間、私の中に、違和感が広がった。
その時の気持ちを言葉にすると、
「『だいじょうぶ』と『大丈夫』は違う気がする」
音では同じ「ダイジョウブ」なんだけれど、彼らの歌から感じたのは、
たしかに平仮名の「だいじょうぶ」だった。
辞書に書かれているようには、はっきりと断定できないけれど、
「だいじょうぶだよ」と言われて、ホッとする感覚なのである。
今回の被災者に「もう、大丈夫だから」と言えないけれど
「もう、だいじょうぶだよ」とは言える気がする。
「そばにいるから安心していいよ」という意味なんだろうな、きっと。